『5』
『5』
ユジ島に戻る船上で、少年はウルディングに幾つかの疑問をぶつけてきた。
神官大長によって第一官だったウルディングの過去が明かされたが、そもそも第一官の位置付けとは何かという疑問。当然の疑問だと思い、ウルディングは十官について説明した。
神官大長のすぐ下に連なる十官。神官大長を象徴とし、ランスオブ大聖堂の実務を担う存在、あるいは神官大長を傀儡とし、ランスオブ大聖堂の実権を掌握しているとも言える存在。その十人の位置付けは、皆が一律に横並びではなかった。
第一を最上位に、数字が増えるほど位置付けは下位となり、例えば第一官と第十官が持つ力や影響力には雲泥の差があった。神官大長を重んじるか軽んじるかは、第一官を筆頭に、第二官、第三官あたりまでの者の資質に依るところが大きいとも言えた。
そして、神官大長がその職を退いた場合、しきたりでは第一官が新たな神官大長に就任することとなっている。ただ、ランスオブ大聖堂の実務を担う、あるいは実権を掌握している十官の筆頭が神官大長に就任すると、その力を徐々に失っていくのは、ひとえに神官大長に課せられる公務が多岐に渡り、その量も膨大であることに起因していた。
そこまで説明を受け、少年は新たな疑問を重ねた。
「第一官だったウルディングさんは、何故、神官大長にならなかったのですか?」と、あまりにも率直に訊いてきた。
故にウルディングも率直に答えた。「歳じゃ」
他にも複数の要因が絡み合った結果と言えもしたが、畢竟、年齢に依るところが大きかったのは事実だ。
「当時、儂は七十に近かった。よもやこの歳まで生きるとは思わなんだが、当時、残された寿命はそれほど多くはないと思っておった。神官大長が代わるというのは、大聖堂にとっても大事でな。それが数年の後にまた繰り返されるのは決して善いことではないと考えた。それでじゃ…」そこで一息入れ、ウルディングは申し訳なさを微かに表情に滲ませながら続けた。
「当時まだ四十を少し過ぎたばかりの第二官に、神官大長の座を譲ったのじゃ」言ってからウルディングは微苦笑を浮かべ、目を閉じると頭を左右に振った。「譲ったと言えば聞こえは良いが、やはりあれは押し付けたのだろうな…」
様変わりした風貌、十官との力関係、垣間見せた神官大長としての矜持などを次々に思い浮かべれば、自身の下した判断の良し悪しに惑う。だが敢えて、「あれで良かったのじゃ」と口にすることで、自己を防衛した。
次いで、少年が訊いてきたのは、居並んだ十官の数であった。十を冠しながら、九人しかいなのであれば、疑問となるのも当然と言えよう。だが、十官は字義通り十人で構成されている。
「おそらく、一人は島の外に出ておるのだろう」ウルディングは、確信している見立てを解とした。
ランスオブ大聖堂が統べるポリターノ諸島は、皇国や王国から独立してはいる。だが、それらとの繋がりを絶っているわけではない。皇国や王国の治世や暮らしなどから学ぶことも多い。
「十官の中には、見聞のために各国を回っている者がおってな、年の半分は島の外に出ているのじゃ」
「なるほど、その十官の方が今日はいなかったということなんですね」少年は得心がいったように何度も頷いた。
「その通りじゃ。そしてその者こそ、十官の中で唯一、儂が坊に会わせたいと思った男じゃ」
「それは、神官大長よりもですか?」
少年の切り返しに、ウルディングは少し考え込んだ。神官大長の今を知れたことは良かったが、能動的に会いたいと思う程ではない。記憶を喪失している少年のために会いたいと願う対象は、大聖堂周辺にはやはり一人しかいない。
「確かに現神官大長も犀利な人物であり、有する能力は桁外れじゃった。しかし、桁外れな能力も活かす、或いは活かされなければ、宝の持ち腐れとなろう。その点、会わせたかった男は現在、己の能力を十二分に活かしてると言えよう」
「どんな人なんですか?」と問う少年の顔には、好奇が張り付いていた。
「一言で言うなら、人誑しじゃな」追憶の扉が開き、ウルディングに微苦笑を齎した。その顔のまま続けた。
「玄妙を極めた話術で人心に入り込み、そのまま居座るのは、奴が最も得意とするところだった。一方で、己の信念や正義は決して蔑せにせず、何があっても貫き通す面もあり、そこは揺らがなかった」
「なるほど」
「それにじゃ。人の本質もきちんと見極めることに長けてもおった。まあ、その本質が奴の言う英傑に足る者は、ほとんどいなかったようじゃがの。ただ、記憶を喪失している坊の本質を見極めるのは難しいかもしれんが、奴と交わす会話は坊の記憶が戻る手助けになり得ると思っておったのじゃ」
「それは、是非会いたかったですね」隠そうとしない好奇を伴い、少年の眼差しがきらりと輝いた。
「いずれまた、機会はあろう」ウルディングは本心でそう告げた。
「そうですね。楽しみにしておきます。ところで、その方の名前は何といわれるんですか?」
「ミーシャルール・ユウリじゃ」
ウルディングがその名を告げると、少年に一瞬、瞠目の表情が差し込んだように見えた。それは本当に刹那で、ウルディングも見間違いであったと思い直した。それを証すように、眼前の少年はいつものように柔らかく微笑んでいた。