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『4』

『4』

夜が明けたばかりの朝焼けの陽が、最も「生」を感じさせてくれるーーそう思いながら、ウルディングは港から空を見ていた。隣には少年が立ち、ランスオブ島まで二人を運んでくれる知人の舟を待っていた。

昨日、ランスオブ大聖堂から十官を名乗る者が現れ、素性の知れぬ少年を連れて大聖堂まで出向けという、現神官大長の命を伝えていった。その後、好奇を隠そうとしない少年の眼差しに応え、ウルディングは自身のことを話して聞かせた。

はじめのうちは、少年の表情も驚き一辺倒であったが、次第に諦観なそれへと変わっていった。肝が座っているなと感心すると同時に、これが少年の習い性なのかもしれないと思った。

話を聞き終えると、「どうするのか?」と少年の眼差しが語っていた。対応を決めかねていたウルディングは、その眼差しを受け止めつつも黙していた。すると少年は、「ありのままを話しましょう」と言い、微笑んだ。

ありのままは、決して上策とは言えない。素性を明らかにせよという要請に対し、記憶を喪失している現況をありのままに明かすということは、要請には応えられないことと同義だ。

それで何らかの咎があるとは思わないが、無罪放免とはいなかいだろう。あからさまな監視などが付く可能性が高い。また、何か良からぬ事象が出来すれば、真っ先に疑いの目を向けられる。多くの経験を経た自身なら、大抵のことは瑣末なことと切り捨てられるが、恐らくまだ二十年も生きていない少年はどうだろうか。ウルディングは窺うように少年を見た。

少年は相変わらず、微笑みを称えている。それで全て上手くいくーーそう思わせるに足る尤物の微笑だった。


ランスオブ島の港には、昨日の十官が迎えに来ていた。港に到着する具体的な時刻は伝えていなかったが、やはり監視の目があるのだろう。十官は恬然とした態で、慌てて駆け付けた様子など微塵も感じさせなかった。

三島の中で面積も人口も抜きん出ているランスオブ島の港には活気があった。大きな船も幾つか係留しており、小さな舟が多数行き来している。ユジ島とは大きく異なる光景に、少年は好奇を唆られているようで、視線があちこちへ動いている。こうした経験も、記憶の回復に繋がってくれれば良いと、今度はウルディングも素直に思った。

十官に先導され、二人は港の出入り口に留めてあった馬車に乗り込んだ。これで、ランスオブ大聖堂まで向かうらしい。ウルディングにとっても久方ぶりのランスオブ島であり、その風景を堪能したい気持ちも生じたが、用件を済ませてしまう方が先決と諦めた。

ウルディングは結局、少年が言うように、ありのままを伝えようと考えていた。少年が齎す不思議な力や安堵感が、神官大長、さらにはそこへ連なる狷介かつ牽強付会な十官さえも飲み込んでしまうよう期待していた。

世界最古の建造物とされるランスオブ大聖堂は、百年以上の時をかけて建造されたと伝わる。まず目に付くのは、外観の百を超える尖塔で、その各頂には様々な仕事に従事する者たちの像があり、そのうち最も高い頂きには、金色の女神像が輝いている。

内側の装飾も多岐多彩で千に近い数の華麗で繊細な彫刻が飾られていると同時に、天井および壁面は色鮮やかな絵画で埋め尽くされており、壮観の一語に尽きた。そして、神官大長が外部からの訪問者などと対面するのは円形の大広間が主で、その内壁の幾何学模様は、神秘をより映えさせている。

ウルディングと少年は、この大広間に通された。二人は円形の大広間のまさに中央に立った。大広間の最奥には高御座があり、今は空席のそこへ神官大長が座るのだろう。その左右に十官と思しき者たちが並ぶ。二人を先導してきた十官も向かって左の列の端に着いた。

無言、無音の時が流れた。十官は皆、黙したまま、ウルディングと少年が立ち並ぶ後方、大広間の入口を凝視している。まるで、神官大長が入室してくる瞬間を決して見逃してはいけないかのようだ。

ウルディングは、居並ぶ十官が九人しかいないことに気付いた。知っている顔は半分以下であり、この十余年で過半数が入れ替わったことになる。

特に逢いたいと願ったわけでもない神官大長および十官のうち、唯一の例外の顔が見えなかった。十官を退いたという話は聞いていないので、どうやら欠けているのは、その者のようだ。

「どこをほっつき歩いてるのだ、あの男は」心内に呟いた。

次の瞬間、無音の大広間内に鐘の音が二度、鳴り響いた。どうやら神官大長の登場らしい。後方で、扉の開く音がした。振り向かずとも気配で、入室してきた者があることを悟る。

ふと、横に並ぶ少年を窺った。この場に飲まれ、緊張している様子は皆無の表情で、「傑物か阿呆のどちらかじゃな」などと微苦笑を張り付けながら思っていると、神官大長が高御座に腰を下ろしていた。

十余年ぶりに見る神官大長だった。当時は十官、正確に言えば第二官。眼前の姿を評すれば、「老けた」の一言に尽きる。

齢はまだ五十半ばであった筈だ。史上最年少で神官大長の大役へ就任した男においても、約十年で黒髪を余すことなく白髪へ変え、丸みを帯びていた頬を削ぎ取ってしまう神官大長の激務および心労にウルディングは想いを馳せた。憐憫の情を催すと同時に、幾許かの罪悪感も芽生えた。

神官大長はウルディングと目が合うと、微かに表情を緩めた。その表情でウルディングは、昨日、今日の一連の流れは、神官大長の本意ではないのだと悟った。

史上最年少で神官大長に就任する才を持つ男でも、十官として光彩奪目な功績を残した男でも、神官大長となった後は、十官たちの傀儡にならざるを得なかったということか。十官唯一の例外として異才を放っているだろうあの男も、今この場にいないことが、現十官の中で重用されていないことを物語っていた。

神官大長は高御座に座したまま簡素な時候の挨拶を述べると、黙した。特段の合図などもなく、昨日ユジ島に来、今日も港まで迎えに来ていた十官が引き継いだ。

語る内容は昨日とまったく同じだった。居合わせているにもかかわらず、神官大長の言葉も代弁された。

神官大長の言葉はその全てが高貴で、軽々に聴けるものではない。そう伝わっており、ウルディング自身もよく知っている。時候の挨拶も本来なら無く、それがあったのは、おそらく神官大長自らが申し出たことと、相手がウルディングだったこと故の、十官最大限の譲歩だろう。

十官の話しが終わると、神官大長および九人の十官の視線がウルディングに集中した。「さあ、説明せよ」十官たちの目は、そう語っていた。

そんな眼差しにも、ウルディングが怯むことはなかった。隣にある存在の不思議な力。その力に覆われているように感じていた。

ウルディングは、海岸に倒れていた少年を見つけて以降を、ありのままに話した。記憶を喪失しているため、その素性は明らかにできないが、この一月を共に過ごし、悪なる者ではないことは分かるーーこの点を強調した。

記憶を喪失しているという話には、神官大長も十官も一様に驚いたような表情を浮かべた。

「自分自身に関する記憶だけを失くす、そんなことがあり得るのか……」十官の一人が呟きのように口にすると、次々に同様の疑問符が生じた。

「分かりません。ですが、それが偽りのない事実です」

大聖堂の中に入ってから、初めて少年は口を開いた。その視線は神官大長にだけ向かっている。

まるで他の者がこの場にいないかのように一人だけを見据えた眼差し。ウルディングの心に、再び熱量を蘇らせた眼差し。

神官大長もやはり尤物と言えた。少年の視線を受け止め、従容としている。この場においては、次々と疑問を口にした十官たちの小心が際立った。

小心は、次の疑問へ連なった。「今後、如何にするのか?」

予想された疑問に、ウルディングは唯一用意していた言葉を放った。「記憶が蘇るまで、私が責任をもって預かります」

疑問を口にした十官ではなく、神官大長に向けて言った。神官大長の存在意義を、その地位にある事実を、さらには彼自身の才覚を、刺激したつもりだった。

「しかし、それでは…」案の定、口を挟む十官の一人を、「待ちなさい」の一言で制すと、神官大長は続けた。

「分かりました。この少年は、ウルディング公にお預けいたします。第一官までお務めになられた御身、必ずや神の御加護があり、御力は少年にまで及ぶでしょう。その時、少年の記憶は間違いなく蘇ります。詳しい素性などは、それからお聞かせいただければよい」自信を伴い、十官が諫言する余地のない言葉だった。

ランスオブ大聖堂において神官大長の近くに仕えていたことは少年にも告げていたが、十官の第一官だった過去まで明かされるとは思っていなかった。それでも、この裁可は上々と言えよう。監視の目は無くならないだろうが、息苦しいほどの監視や、不条理な咎が与えられる可能性は低くなった。

記憶が蘇るための時間は稼げた筈だーーそう思いながら隣の少年を窺うと、凛乎とした横顔が、再びウルディングの記憶の琴線に触れた。

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