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『2』

『2』

バルマドリー大陸のちょうど真南に、三つの島からなるポリターノ諸島はある。面積の広い順に、ランスオブ島、マークレイ島、ユジ島となり、最も広大なランスオブ島には、世界最古の建造物とされるランスオブ大聖堂が聳立している。

ランスオブ島の人口は千人ほどで、大聖堂を中心に街が形成されており、皇国および四つの王国のいずれにも属さない人々が大聖堂に仕えるという形で暮らしていた。ランスオブ大聖堂は、神官大長を頂きに十官と呼ばれる神官が連なり、それ以下は皆、一般信奉者で横並びとされ、農業、漁業、商業、工業などに従事しながら、大聖堂を支えている。

一方、他の二島、マークレイ島とユジ島にも数は多くなく、それぞれ二百人と百人程度だが、人々の営みがあった。マークレイ島、ユジ島とも、島民は漁業か農業に従事する者が多く、残りはランスオブ大聖堂での仕事を高齢により退いた者たちなどが暮らしていた。


ユジ島の海岸に、その少年が倒れていたのは約一月前のことだった。自身が乗ることでその面積をほぼ占有していた木板の上にあった少年は、遠目からは生きているのか死んでいるのか分からなかった。

少年を発見したのは、ウルディング・ラーノ。齢八十を少し超えた爺だった。

日課の早朝散歩の途中で少年の姿を視界に捉えたウルディングは、怖れる素振りは皆無で近づいていくと、初見で齎された生死不明という謎を解明した。少年は生きていた。気を失っているだけだった。

ただ、声をかけても覚醒する気配は無かったため、ウルディングは少年を背負った。短身痩躯の高齢者のどこにそれ程の力があるのかと思わせるほど、少年を背負ったウルディングの足取りは軽やかだった。

海岸沿いに建つ自らの家へ運び込むと、一旦、長椅子に座らせた。たっぷりと海水を吸った衣服を脱がし、大雑把な所作で身体を拭くと、再び少年を背負い、長床に横たえた。布団を掛け、長床の傍にある椅子に腰を下ろすと、改めて少年の顔を見つめた。

目を閉じ眠っている顔でも、その美しさは容易に窺い知れた。ウルディングはふと、その寝顔にどこか見覚えがあるような気がした。まじまじとその寝顔を見つめたが、記憶が解へと繋がることはなかった。

「歳じゃな」呟きと共に微苦笑を浮かべ、ウルディングは椅子から立ち上がった。

死んだようにぴくりとも動かずに眠る姿が、まだしばらく、少年が目覚めないと語っているように思えた。

結局、少年は丸一日を長床で費やし、翌朝に目を覚ました。ウルディングが早朝散歩から戻り家の中に入ると、長床の上で上半身を起こした少年の姿があった。ウルディングに気付いた少年と目が合った。

その瞬間、ウルディングの鼓動が一つ跳ねた。そして、枯れ始めていた心に再び水が溢れ出たように、失くしていた熱量が蘇生していく感覚を覚えた。

何故かは分からない。ただ、その目に導かれたとしか言いようがなく、自身に起きた面妖な変化にウルディングは戸惑った。

「この歳になっても惑うとはな」口にすることで羞恥を和らげ、心を落ち着かせた。

改めて少年へ目を向ける。少年は言葉を発せず、黙したままこちらを見つめている。無表情で感情を読み取りづらいが、自身が置かれた現況に大きく戸惑っているのだろう。

目を開けた少年の顔、その顔貌にウルディングはやはり見覚えがあるような気がした。再び記憶を探ろうとしたが、思い留まった。少年の素性を明らかにすることが先決だ。その素性から何か記憶に引っかかるものが出来するかもしれない。

ウルディングは少年の傍に歩み寄った。手を伸ばせば互いに触れられる距離で相対しても、少年は無表情のまま口も開かなかった。ふとした疑問が口をついた。

「口がきけぬのか?」

言ってから、配慮を欠いた単刀直入な問いかけを後悔したが、最早取り消せない。語を継ごうとすると、少年がゆっくりと首を左右に振った。問いかけに対する否定の意志表示と取れる。

「では何故、喋らんのだ?現状に惑い、言葉が見つからぬか?」

「いえ。あ、いや、確かに戸惑っています。この状況もそうなのですが、何よりも自分自身に……」

若干弱々しい響きであったが、不思議と心地よい声質でもあった。だが、口にした内容に対して生じた疑義をウルディングは鸚鵡返しに訊いた。「自分自身に?」

「…はい」少年は一旦俯き、掛け布団を左手で円を描くように撫ぜた後、意を決したように顔を上げた。「何も……自分自身のことを、何一つ覚えていないのです」

約八十年生きてきたウルディングをしても十分に驚く内容だった。

「それはつまり、記憶を喪失しているということか?」と、確認するように問うた。

少年は再び黙し、無言のまま首肯した。

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