泥水を歩く
初めて公表する作品です。途中脱字や誤字があるかもしれません。ご了承願います。
なお、この物語はフィクションとなっております。
雨が降る。
さみしげな雰囲気を漂わせるそれは、僕が嫌うものの一つだ。むっとするし、うるさいし。本当に何なんだ。働きに出る日の朝、私は雨に機嫌を損ねながら歩いていた。いつもは自転車なのだが、雨なので歩かないといけない。本当に何から何まで雨はしつこい。
いま僕に
「バスを使えばいい」
と言うのなら
「僕はケチだ」
と答える。
僕は、我慢する自分に対してもムシャクシャしていた。でも、そんな時でも会社の近くに住んだ自分を褒めた。たった十五分歩けば着く。
僕は最近ポジティブになろうと決めた。それを意識してから、短気なぼくは、少し変わったんじゃないかって思う。
(うわぁ、あの人チャック開いてるよ…ダッサww)
前から歩いてきた人を見て思う。ポジティブになるよりも、先にこのクソみたいな性格を直したほうがいいのかもしれない。
雨に負けて、風に負けて、欲だらけ。ひ弱な体を持ち、一日で缶ビール三杯と、マヨと少しの肉を食べ…
理想の人間像の逆を並べただけで自己紹介が出来てしまった。
「ハァ…」
落ちるところまで落ちたな…
色々心の中でボヤきながら、河川敷と袋小路が沢山ある路地を進む。そして、いつも通り会社の前まで来た。会社とは言えないほどの大きさの広告代理店だ。まっ黒けっけな会社だ。
そして、いつも通り会社のドアを開けようとしたら、動かない。そして気づく。今日は休みだった。
「クソッ」
そう言ってドアの手前の固い階段を蹴る。案の定痛い。
僕はイライラを抱いてそのまま帰ろうとした。でも、そのタイミングになって、雲はようやく雨は降らすのをやめた。太陽が出てきて、暖かな雰囲気を作り始める。そのおかげで、少しイライラが減った。というか、晴れた事が嬉しく思えて、むしろいい気分になっていった。なんだか天気に慰められたようだった。
僕はそのまま帰ることにした。路地を通り、河川敷に架かる橋を渡った。そのまま順調に進んでいたのだが、橋を渡り切ったときだった。後ろから妙な視線を感じた。気になって後ろを振り返ると、橋の下から、たぶん晴れたのを確認しに上ってきたと思われるホームレスと目が合ってしまった。
僕は、そのまま何事もなく足を進めようとしたがのだが、
「よぉ、兄ちゃん」
声をかけられてしまった。その時僕は、
「なんすか?」
気分がよかったので、つい口が動いてしまった。おじさんは、手をクイックイッと動かし、こちらに来るように促した。答えてしまった以上、行かなければならない。
そうして、橋の下の寝床らしきところに連れてかれた。
「いまな、一人で酒を飲んでたら、急に晴れてな。そしたら、話し相手が欲しくなって、」
「はぁ」
「で、たまたま兄ちゃんに会っちまったってわけよ。」
「はぁ」
「兄ちゃん見とったで」
「なにをすか?」
「スーツ着て二十分前くらいに歩いてたのを。でもすぐ戻ってきたってことは、休みだったんだろ。」
ニヤニヤしながら言ってきた。無駄に頭の切れるホームレスだ。
「だから僕を呼んだんすか?」
「それもある。」
「はぁ」
そうして僕は汚いおじさんと、川の見えるじめじめした場所で相席することになった。
「兄ちゃん、歳は?」
「29っす。」
「そうか、見た感じ独り身だな。」
「そうっすけど」
「重いなぁ、何を背尾っとんねん。妻も、愛人も、子もいないくせに。」
「僕にだって色々あるし、疲れてるんすよ。というか、何も背負ってなさそうな人にいわれたくないっす。」
「言うねぇ~。」
そうして、会話にテンポが生まれ始めた時、急に注意を促しはじめた。
「会社ってのはな、さばさばしててあっさり首を切られるから気を付けとけ。」
「もしかして首になったんすか?」
「そうだ、そこそこの企業だったがな、会社全体でうまく回らんようになってな、窓際じゃなかったんだけどな~。あっさり手をふられた。」
「はぁ、たいへんっしたね。でもそれでここまで落ちます?」
嫌味たらしく言った。
「そん時、結婚を考えていた相手にも振られてよぉ。それからどんどん失っていくようになってな。家も、金も、人も。ちょうど35くらいの時だったかなぁ?」
おじさんは体を揺らしながら言った。
おじさんを見ていて気付いたことがある。汚らしい服を着ているのに体と髪は、割と汚れていなかった。
「ホームレスって銭湯いくんすか?」
「どうしたんだ、急に。仲間になるか?」
「いや、そういうことじゃなくて」
少しうざく思った。
「体、他のホームレスより割ときれいじゃないすか?」
「まぁ、一応風呂は入っとるからな。」
「銭湯っすか?」
「一応な。」
「…今度から銭湯行かないようします。」
「そんなもん世の中の男性みんな汚いわ!しかも俺は毎日行っとるし、きれいだわ」
「こんな所にいるのにっすか。」
「しゃくだね~。」
こういった感じで、最終的には意外と楽しく終わった。
「じゃあな」
「うす」
別れを告げ、家に戻る。
途中、コンビニに寄ってお酒を買った。そして家に入り、冷蔵庫で冷やして置いたビールのストックと、バタピーを取ってテレビをつけた。今日は、何故かそれが寂しく思えた。テレビに人が映ろうと、奥が壁なのは変わらない。
休日は何をしていますかと聞かれたら、ネットサーフィンとテレビを見ながら酒を飲む。と答える。疲れているし、何かをする気力も起きない。金もない。
大学時代までは、社会人になっても友達でいようなとか、遊ぼうなとか、言えていた。でも、実際忙しくてそんなこと出来ない。ただ、誘われたら、飲みには行く。
片手で出来るスマホゲーを充電しながら遊んで、飽きたらテレビ見て、そうして日が下がるのを待つしかないのだった。
おじさんと話してから二日後のこと、銭湯帰りのおじさんとたまたま会社帰りに会った。夜八時のことだった。
「どーせなら、いっぱいどうや?」
「はぁ、飲むとして、どこでのむんすか?」
「そんなの河川敷が一番だろ。」
「そうすか?居酒屋のほうが食べ物出るし。」
「いや、今日はここで飲もう。そうだな兄ちゃん。先風呂入ってこい。そしたら戻ってこい。」
「めんどくさいっす。」
「いいから。」
いつも通り家で過ごすのに少しうんざりし始めていたので、今夜はおじさんに付き合うことにした。
「あの~風呂入ってきたんすけど。」
「おう、酒は買っといたで。ここに座れ。」
「うす。」
もうそろそろ夏本番にちかずいていたので、夜は風が涼しく、心地よかった。
「世の中の奴はみんな目が眩んどる。こうやって、自然と一杯やんのがいいのよ。」
「そうすね、でもキャンプとかしてる人いるっすよ。」
「まぁな。」
「これもいい感じっすね。」
「そうだろ?これだからやめられんのよ。」
「ホームレスがっすか?」
「なんでもねーよ。」
「そういえば今日…」
それからというもの僕は、晴れの日によく飲むようになった。おじさんは話し上手でも、聞き上手でもある。時間を忘れてしまうほどだった。世渡りが上手そうだったので、ホームレスなのが不思議に思えた。
「…それでな、その時に魚群がバァーって。」
「水族館の話すか?」
「ちげーよ、パチンコだ。知らんのか?」
「僕行かないっすもん。」
「なんや珍しいな、あのな、金髪の姉ちゃんが…」
そうだ。私はギャンブルが嫌いなのだ。
むかし、ギャンブルに漬け込み闇金から金を借りるドラマを見てしまった。その時に、返せなくて酷いことをさせられてたシーンがトラウマで、ギャンブルそのものが嫌いになったのだ。そのおかげか、僕は借金をしたことが一度もない。唯一誇れることだろう。
おじさんは他にも、いろいろな話をしてくれた。冬の寒い日に、ここで焚火をしてたら警察が来て怒られたとか。ホームレス仲間が月一で会いに来るとか。夜は寝袋を使っているとか。昔はここによくカップルが来て、手を繋ぎながら夕陽を見ていたとか。…
ポケベルの使い方も教えてもらったけど、実践することはないだろう。
出会ってから半月ほど過ぎた日のことだった。会社帰りに、いつものようにおじさんに会いに行こうとしたら、荷物がまとまっていた。住み着いた橋の下で、まるで生活感があったかのようだったのに。僕の目の前には、引っ越しの前日のような寂しさが広がっていた。
ふと、荷物のまとめられたカバンからはみ出た手紙らしき紙を見つける。興味本位で手に取ったその手紙には、こう書いてあった。
「私はたぶんもう長くはないです。
あなたから今までたくさんの幸せをもらいました。
でも、いつも私は迷惑をかけることでしかそれを返せていなかった。
あなたはそんな私を今まで愛してくれた。ありがとうね。
最後に一つだけ、私のわがままを聞いてください。
あなたがくれた大切な指輪を私のお墓の中に入れてください。
あの世でも身に着けていたいのです。」
そこからだんだんと、文字が歪んでいた。濡れた紙の上にインクを滑らせたかのように。
「私はこうして幸せのまま最後を終えることが出来てうれしいです。
本当にありがとうございました。愛しています。」
手紙には強く強く握られたような跡があった。ちょうど手紙を読み終えたとき、おじさんが戻ってきた。
「まさか、読んだのか?」
「はい、もしかして妻がいらしたんですか。」
「はぁ…そうだな。」
おじさんはそう言って降り始めた雨のように、ポツリポツリと言葉をこぼしていった。
「昔はな、会社でバリバリ働いててな、ちょうど四十くらいだったか。その時、子宝には恵まれなかったが、幸せな家庭を一緒に築いてきたパートナーがいたんだ。」
声がだんだん潤み始めた。それを紛らすためか、ビニール袋に入っている焼酎を一気に飲んだ。
「だけどよ、癌が見つかってよ、もう末期だとか言って先に死んじまったんだ」
もう抑えきれなくなっていた。土砂降りだった。
「もうそうなっちまったら会社なんていけねぇし、人生いっそのこと終わらせようとすべてを売り払ったんだ。でも死ねなくて、ふらふらしてたんだ。」
「そう…だったんすか…」
「それでなぁ、公園で野宿してたらどうでもよく思えてきてよぉ。そこからホームレスになったんだぁ。」
おじさんは袖で顔を拭き、笑顔になった。
「じゃあ、僕に最初に言ったことって。」
「ありゃ嘘だ。」
「はぁ。なんで?」
「同情は嫌いだからな。」
「そうなんすか。」
「今は警備員しながら月に二度お墓詣り行って生きてきたんだがな、もう五十五だしアパートでも借りて、屋根の下で暮らそう思ってな。金ならあるし。」
「…ホームレス卒業っすね。」
「そうだな。…あー辛気臭い!ほれ、最後に一杯やるで!」
そうして今夜も杯を交わした。
おじさんはこんなことを言っていた。
「俺ぁよ、今グチャグチャな泥の道を歩いてるんだ。そんな道でもいいこともあるんだ。後ろ見たら、深く深く足跡がついているんだ。もしアスファルトの上歩いてたら、こんなにつかんからな。俺たちみたいな奴らはこう言う泥道に一歩ずつ足跡を刻むことが幸せなんだって。先にある光を追い求めるんじゃなくてな。こうやって必死に足跡練りこむほうが、生きてるって感じれるだろ。」
「…確かに。」
「だから俺たちは泥酔しながら泥水を歩くってな!」
そう言っておじさんは笑った。
日付が変わる頃、河川敷の僕たちだけの店を閉めることになった。
「お元気で」
「兄ちゃんもな…」
二日後にはおじさんの住処は跡形もなくなっていた。多分今頃布団ででも寝ているのだろう。
「さて、どうしようか。婚活でもすっかな?」
そうしてまた一歩足跡を刻むのだった。
読んでくださりありがとうございました。