今夜、サキュバスになってお邪魔します
同性愛やTSは多め、性的な描写は僅かに含まれます。
苦手な方は引き返してください。
一体いつからだっただろうか。
「好きです! 付き合ってください!」
「え! その、ごめんなさい!」
この思いが憧れではなく別の何かであったことなど。
「くっそー! また駄目だった!」
「懲りないな丸野」
「今度こそ行けると思ったのになー! 結構あの子にいい事したと思うんだけどなー! そういう恋宮はモテモテでうらやましいよ全く!」
「……俺は恋愛とか興味ない」
そう思っていた。今この瞬間を迎えるまでは。彼を見ると動悸が速くなり、顔から汗が流れ出す。俺は汗を何度も拭う。
「俺も恋宮みたいにイケメンで運動神経があればなー!」
「お前は性格は良いだろ」
「……異也くん! キュンと来ちゃった!」
「気持ち悪い」
そう、自覚してしまえばよく分かる。ずっと社会に流されてきていたからよく分かる。この想いは気持ちの悪いものだ。
「まぁそれは僕も思った。同性愛は別に構わないよ、自分に来なけりゃね」
「……そう、だな」
ああ、俺は最低だ。今自覚してしまった。顔を流れる汗をポケットに入れていた布きれで拭きながら、俺は青ざめているであろう顔を隠す。
「ん? どうしたんだ恋宮?」
「少し暑いだけだ」
「夏はまだ先だぞー! 気を付けろよ!」
「……分かってるよ」
俺、恋宮異也は、目の前にいる彼に、丸野忠人に恋をしている。俺は同性愛者だった。
今の社会では同性愛者は様々な運動や行動を起こしているため社会には比較的受け入れられつつあった。だがそれでも、受け入れている者の殆どは自身には来ないと思っている者も多いだろう。結局のところ、自身に降りかからなければ何でもいいのだ。
だが社会的に正常である者に同性愛が来るとどうなるか。拒絶するのだ。そしてそれを異常だといい、社会に知らしめる。こいつは同性愛者であると。表向きは受け入れられても、影では異常だと言われる。
まだまだ同性愛は異常に分類される。そんな時代であった。
「恋宮ー!」
「……なんだ」
「遊び行こうぜー!」
「分かった」
俺と丸野の出会いは小学校に通っていたころまで遡る。俺は現在とは異なり中性的な容姿をしており、その事を理由に同じクラスの男子に虐められていた。
『女男! 女男!』
『チンコあんのかよお前―!』
『気持ち悪い! アハハ!』
いじめの主犯以外にも傍観していた者たちにも陰口を言われ続けた。俺はずっと耐えていた、中学に行けばすべてが変わるってそう思っていた。でも上級生になっても虐めが続いて、当時の俺はもう心がボロボロになっていた。本当に俺は男でも女でもない化け物なんじゃないかと思いかけていた。
でもそんなときにあいつが現れたんだ。
『いじめてんじゃねー!』
『なんだお前、女男の味方かぁ?』
『うるせー! 知らねーんだよそんなこと! でも人の見た目を弄る奴は屑だ! こいつの見た目は綺麗だろうが! 嫉妬かお前!』
『は!? 嫉妬なんかしてねーよ! この野郎!』
丸野は俺の前に立ち、いじめの主犯に殴られた。そして丸野は殴り返した。俺には正直意味が分からなかった。それから先生が来るほどの大騒ぎになり、丸野は学校に歴史を残した。
丸野はその日一緒に帰ってくれた。俺を帰り道で襲われない様にとの事だった。俺は丸野に尋ねた。
『何で助けたの。君も虐められるかもしれないよ』
『知らん。気に入らなかったからやっただけだ!』
俺はそんな我が道を行く丸野に憧れた。それから丸野は虐められる様になったが、何かやられるたびに仕返しをし続けた。俺はそんな丸野の傍に居ることが多くなり、虐められても俺の分ごと丸野が仕返しをしていた。
そんな事が続いた結果、俺は何時の間にかいじめられなくなっていた。丸野も普通の日常に戻っていた。俺の憧れはますます強くなった。
『異也、お前、虐められてたんだってな』
ある日、俺は父親にそんな事を言われた。
『ごめんね、気付いてあげられなくて!』
母は涙を流しながらそう言った。心にもない事を良く言うと当時の俺でも思った。この二人は世間体を気にしているだけだった。虐められているなんて言う異常を許さなかった。それだけ。以前も怪我をそのままにして帰ってきても、いつも通りにしか接してこなかった。見え見えだ。
こいつらは正常であることにしか興味が無いんだ。
『異也、空手をやってみないか? お父さんも昔は弱くて虐められてたが空手を始めてから勝てるようになったんだ!』
『あらそれはいいわね! 力を付ければもう虐められないわ!』
そんな勧め、正直言って強制ではあったが俺は空手を習わされた。中学に入ってからも続けさせられたが、そのころには中性的な容姿も最早利点になっていた。
丸野だけが癒しであり光だった。丸野は変わらずに、気に入らないことがあれば突撃していった。俺はその尻拭いや支援を行っていたが苦に思った事なんて一度も無かった。
そして変わらず真っ直ぐであった丸野への憧れは何時しか無意識に恋になっていたんだ。あの場で失恋をして悲しんでいた丸野を見て、俺はこの恋心を自覚した。
「ヒャッハー! バイトで得た資金で禁断のレンコイン!」
「やめろ」
「ぐえっ!」
ゲームセンターで丸野と遊ぶ。何時もの事だがこの恋を自覚してからは至福の時間となっていた。丸野の頭にチョップをくらわしながら、後ろに並んでいた子に席を譲る。その時に手をふと己の顔まで持ってくると、手からは丸野の髪の匂いがした。我ながら気持ちが悪いが、この柑橘の匂いは嫌いではない。
だが許されないんだ。丸野は普通だから。
「あーくそ。何で駄目だったんだろ? 結構いい線行ってると思ったのに!」
「珍しく引き摺ってるな」
「マジで好きだったんだよ!」
ゲームセンターを離れ、ファミレスで勉強をする。昔から丸野は勉強が嫌いだった。だが同じ高校に通うために中学の頃から俺が勉強を見ていた。今はもう身体能力も学力も俺の方が上であった。容姿ももう中性的とは言えない程、俺は男になっていた。
「アーここ分かる恋宮?」
「教科書をちゃんと読んだのかお前。基礎中の基礎だぞ。ここはこのページをよく読んでだな……」
「おほー! 流石恋宮! 昔から本当に助かるぜー。ぼくぁ馬鹿だからな!」
「胸張って言うんじゃない、恥ずかしい」
「はっはっは!」
丸野といる時間だけが、本当の俺を出す事が出来る。家族の前ですら仮面を被っている俺にはこの時間だけが癒し、至福の時間であった。
だけどこの想いは異常なんだ。俺は異常だ。長らく正常なる社会にいたから分かっている。今の俺は異常なんだ。
俺は理解している。ずっと一緒だったから理解している。丸野は同性愛者には絶対にならない男だ。
それにこの想いを表に出してしまえば、この想いの対象になった丸野は勿論、嫌いとは言え育ててくれた恩がある家族に迷惑がかかる。
「お、もうこんな時間か。俺もう帰るわ。またなー」
「ああ、また明日」
丸野は自身の分の料金を置いてファミレスを去っていった。自身ももう用も無いファミレスには滞在しない。コーヒーを飲み終え早々に会計を済まし、俺は家への帰路に就く。
この想いは伏せて生きていかねばならない。だったら消し去ってしまおう。こんな異常な愛など。周囲を傷つけるだけの愛なんていらない。
「……」
「あ、異也。おかえりなさいー。そろそろご飯だけど――」
「不要」
階段をのぼり自室へと向かう。自室にて制服を脱ぎ去り、着替えてベッドに横になる。眼を瞑りただ思うのだ。正常になれ、丸野を苦しめる異常な愛など消え去れ。ただそれだけを思い続け、眼を瞑り続けた。
消えない。消えない。消えろと願う程、この恋心は燃え滾る。何故諦めねばならないともう一つ心があるかのように己に響き続ける。
理由はただ一つ、社会的にも生態的にも異常だからだ。これを続けることは丸野への裏切りだ。
何故裏切りだと思う。丸野は真っ直ぐだ。受け入れてくれる。受け入れてくれる。あいつは何時も俺を受け入れてくれたのに。
俺は知っている。アイツは俺の様には絶対にならない。理解しているだろう。目を逸らすな消えて無くなれ恋心。
一生耐えろというのか。幼きあの日の様に。丸野によって解放されたあの苦痛を、丸野の為に再び戻るのか。丸野が助けてくれたことを無駄にするのか。
この想いは表に出すだけでも許されない。耐え続けるしかない。お前が消えないなら、それしか道はない。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。丸野が好きだ。丸野の優しさが好きだ。丸野の行動が好きだ。丸野の勇気を愛している。丸野の匂い、丸野の体、全てが好きだ。今日だって喜んでいただろう。丸野の匂いは心地が良かった。
やめろ。それは気持ちの悪い事だ。異常なんだ。やめろ。ふざけるな。丸野は友達。こんなことで苦しめたくない。
こんな事なんかじゃない。この初恋は決してこんなことではない。同性を愛する事の何が悪い。彼しか愛せないんだ。彼の前でしか本心を出せないんだ。彼の体に触れたい、彼に愛されたい。彼に愛を囁きたい、彼に愛を囁かれたい。
己の中で無限にも思える時間が流れる。押し問答に引き問答。しかし次第に恋心は強くなる。それはさながら病原菌の様に体を蝕んで行く。欲望が高まり、体が興奮し始める。
それを必死に抑え込む。丸野の為に。全ては丸野の為に。これは絶対にあってはいけない思いなんだ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
体を汗が流れる気持ち悪い感覚が伝わる。目を開けて時計を見ればもう数時間も経過していた。今日はもうこのまま目を閉ざし寝てしまおう。
疲れによって俺の意識はいとも簡単に消えていった。夢を見ることなく純粋なる眠りに沈んでいった。
「よっこいしょっと」
体にかかる体重が増した感覚があった。それに思わず目を開ける。
「んー。ん? 起きちゃった?」
「誰だアンタ」
それは異様なまでに容姿の整ったスレンダーな女であった。異様なまでに肌を露出している最早服としては機能していない何かを纏い、悪魔の角に悪魔の尾、そして蝙蝠の様な羽を着けていた。
「露出狂のコスプレイヤー変質者?」
「なにそれひどい! アタシは変質者じゃないよ!」
「お前の様な常人がいるか!」
女を押しのけ即座に立ち上がる。女はベッドから転がり落ちてベッド近くのクローゼットに背中をぶつけていた。
「うわーひどい! 女の子にこんなことするなんて!」
「不法侵入者に性別は関係ない! 通報する」
「わーっ! やめてやめて! あなたに危害を加える為に来たんじゃないよ! むしろ、そう気持ちいい事をしに来てだね!」
「痴女……」
「褒め言葉だわ。兎に角携帯置いてください。お願いします」
痴女は即座に土下座をする。俺はその余りにも整った姿勢に思わず携帯を仕舞ってしまった。
「ありがとうございます! アタシはその所謂サキュバスと言うもので」
「気でも狂ってらっしゃる?」
「いえいえ、至って真面目でございます。本日貴方様の前に現れたのは、そのおせっせして精力を頂きたいなーって思って……」
「……」
「うわすっごい冷たい視線! 今までは喜ぶ人ばっかだったのに!」
サキュバス。あのサキュバスか。男に淫らな夢を見せて搾り取る。丸野が好きなあれか。
「なんならその手でするだけでもいいので、そのお願いしますぅ……」
「なぁ、サキュバスには男を魅了する力が有るんだろう」
「ええ! ありますあります」
それを使えば、俺は正常になれるのではないか? この考えが頭を過る。これさえあれば丸野の隣に居続けても恋心なんぞを抱かなくてもいいのではないだろうか。思えば思うほど消えない恋心。それを上回る魅了なら。若しかしたら。
「アンタが本当にサキュバスだっていうなら俺に魅了を掛けてくれ」
「ええ! もちろん! ではいきますよー! うっふん!」
「うわ古」
「酷い!」
女は投げキッスを俺に向かって投げる。すると宙に謎のハートの形をした物体が現れ俺に向かって進んでくる。恐らくはこれが魅了なのだろう。これを受ければ俺はノーマルになれる。
ハートが俺に命中し俺の体へと浸透する。体は徐々に興奮しているのか熱を感じていた。だが俺はすぐに分かった。興奮はしている。だがしかし、陰茎は立ってはいなかった。
女も不審に思ったのかもう一度振い投げキッスを行うが、増すのは熱だけ。目の前の女に対して俺は何も興奮してはいなかった。
女が膝と手を床に着け項垂れる。あり得ないと小声で何度も、何度も呟いていた。
体から力が抜ける。思わず尻を床につける。
「は、ははは。そうか俺は其処まで、サキュバスに魅了されてなお動かない。異常になっていたんだ……、はっ、ははは!」
何故だろうか、視界が悪い。ああこれは涙だ。こんな手段に頼ってなお、俺の中の異常な恋は消え去らないのか。
無意識に体育座りの体勢になり、俺は肩を揺らして泣き続けた。
「いやだぁ、これじゃ丸野の傍に居られないぃ……。ううぅ……」
「ど、どうしたの? 何か辛い事があったの? お姉さんに話してみ、深くない関係だからこそ話せることもあるよ」
泣いている俺に女は寄り添ってきた。俺はこの気持ちを押さえつけることは出来ず、思わずこの痴女にすべてを話してしまった。
「そっか、同性愛。通りで通用しないわけだ。同性愛は悪い事ではないよ」
「そうだな。悪い事ではない。でも社会は認めてくれないんだ」
「……そうだね。人間は集団から離れた者を異常として拒絶する性質があるから、そういうものはそうなっちゃうよね」
涙は話した事でおさまり、女に俺はどんどん思いを語った。この女は恐らく、俺以前にあった男にもいろいろ語られていると思う。不思議とこの女にはいろいろと話せてしまう。謎の魅力があった。惹かれないけど。
「それで想いを消そうとしたけど、より強くなってしまって」
「愛とか恋はそういうものだよ。禁じるほど大きくなるのよ」
「……流石サキュバスだな。欲望には詳しいか」
「君はとても優しい子だね。友達の為に抑え込んで。よーしお姉さんに任せなっさい!」
サキュバスは立ち上がり、ガッツポーズをする。するとどこからか取り出したチョークで何かの模様を床に書いていく。それはいわゆる魔法の陣のようにも見える。
「でーきた。さて君、名前は? アタシはリバーシア!」
「恋宮異也だ。それでこれは何なんだ。人の部屋の床にこんな」
「ここからは大事な話だよ異也」
魔法陣にリバーシアは俺の名前を書き足し遮るように呟いて真剣な表情に変わる。その表情に思わず自分も真面目な表情になってしまう。
「これはアタシの呪いでね。乗った人をサキュバスに変えるんだ」
「サキュバスに変える呪い?」
「女性が乗れば普通にサキュバスになるけど、男性が使うとちょっと違うんだ。男性にこの呪いを使うと、普段の男性としての体の他に、サキュバスとしての女性の体に変身できるようになるんだ! ちなみ容姿はめっちゃかわいくなれるよ!」
「女に!?」
俺は思わず床に書かれた魔法陣を見る。これを乗れば俺は女に変身できるという。リバーシアはニヤニヤと笑顔を浮かべ、傍に寄ってくる。
「身体に悪影響はないし、そもそも種族の違いから条件満たさないと妊娠とかもしないんだよね。安心安全のお呪い! 解呪も余程の事が無ければ問題なく解呪できるお手軽だし、どうよ」
「どうよってお前……」
「女の子になれば君はもやもやしなくて済むし、恋を実らせることが出来るかもしれない。更にはサキュバスの力で夢を操る事が出来る。これで暗示の様に女の子の自分を好きな彼に焼き付ける事ができるやも知れないよ!」
「それって洗脳じゃ……」
「自分で判断する事が出来るから洗脳ではない! ただちょっと有利になるだけよ!」
リバーシアの言葉に俺の中で欲望が強まるのを感じた。これを使えばこの想いを実らせられる。何て言う誘惑か、蠱惑的だ。更にずっと女になる訳ではない、男として活動できるから怪しまれないし、何より丸野を傷つけない。体の関係は避け、夜にだけ会う様にすれば男の俺が怪しまれる事は無いだろう。
俺は口の中のつばを飲み込む。
「わかった。試してみよう。ただし何かあればすぐに解除してもらうからな!」
「お姉さんは恋路に関しては絶対に邪魔しないわ! あなたの幸福を祈っているわ! さぁ魔法陣の上に!」
俺は心臓の鼓動が速まるのを感じながら、ゆっくりと魔法陣へと向かう。そして両足を魔法陣に乗せると光が魔法陣から放たれ、俺の体を覆っていった。
体に何かが書き足される様な、そんな不思議な感覚が体を覆っていく。そして僅かな時間が過ぎていった。
「はぁ、はぁ、はぁ……。リバーシア、うまくいったのか?」
光が消え、俺は思わず片膝を着いた。そしてリバーシアを呼び成否を問うた。するとリバーシア嫌らしい笑顔を浮かべたまま壁に立てかけていた鏡をを目の前に持ってきてくれていた。
俺は鏡を見ると、思わず目を見開いた。
俺の太い筋肉に纏われた腕は、今やもうない。そこにあるのはテレビや雑誌で見るようなモデルのような白く細い腕であった。そっと指でなぞるとモチモチとしており触り心地は最高であった。
胴体は割れていた腹筋も、逞しかった胸襟も無くなった。大きな胸に細い腰、おまけに大きな尻が出来ていた。逆三角形の体系ではあったが、これもまた逆三角形。例えるなら砂時計だ。とてもグラマラス。
そして一番変化したのは己の頭だ。短いボサボサの黒髪は、今や絹の如くの銀髪のロングヘアーになり、目は二重ですらっと細長く瞳の色は赤かった。顔つきは男らしいと多くの女子に言われた顔は跡形も無く、残っていたのは少し影はある感じだが、所謂守りたくなる女性、それでいて母性を感じさせる暖かな清楚な顔つきであった。
鏡にはテレビでも見た事無い様なとてつもない美人が映っていた。というか俺であった。あとしっかりサキュバスの特徴三点セットはあった。今着ている寝間着は非常にミスマッチな服装であった。
「きゃー! かーわーいーいー! 大成功よー!」
「こ、これが俺なの、か……?」
「そうよ! これがサキュバスとしての貴方! あ、服をちょっとめくってお腹見せてくれる?」
「ん、ん? あ、ああ。分かった」
言われた通りに服を捲る。すると俺は目を見開いた。下腹部にはタトゥーの様な物、というかイヤらしいハートのタトゥーが存在していた。
「それこそサキュバスの証! さて、変身方法だけどその刻印に触れて男の体を念じれば変身できるわ。やってみて!」
「男の体……。んっ……」
念じると再び体が光に覆われ、すぐに男性の、普段の姿に切り替わった。
「よし大丈夫ね。サキュバスとしての力は本能ですぐに理解できると思うわ。暫くは経過を観察させてもらうから夜に来るわね」
「本当に女に……」
「ふふふ、楽しんで! それじゃバイビー!」
「あ、ありがとうリバーシア! というか古いな!」
リバーシアは窓から外に飛んでいった。俺は再びあの女の姿を思い浮かべる。するとすぐに体がサキュバスに切り替わった。
「よ、よし。夢を見せてみよう! 話をするくらいで……」
俺は体の興奮を抑えきれず、丸野の夢に言ってみようと考えた。リバーシアの言う様に、俺の脳裏には夢の操作方法が浮かびやり方はすぐに分かった。
「ん? んあ……」
「あ、あの!」
「なんかふわふわ。モチモチするー」
「んんっ。ってあの、起きてくれませんか?」
「……へ?」
何とか夢の中には入れた俺は、夢を操り、教室を再現した。ただ眠りが深かったのか、丸野は目を覚まさない。目を覚まさない丸野の為にベッドを作り上げ、太腿に丸野の頭を乗せた。暫く頬をぺちぺちと優しく叩くと夢に入り込んだのか、丸野は目を覚ました。
俺という一人称だと丸野は気づくかもしれない。シンプルに私で行こう。今回の目的。失恋で悲しんでいる丸野をこの美人なサキュバスボディと優しい会話で癒すのだ。健全に。
「うわすっごい綺麗」
「へ!?」
そう言われて私の顔は熱に包まれた。嬉しかった。彼に綺麗と言われた事が。男では聞けないであろう、その言葉を聞けたことがとてもうれしかった。思わずにやけてしまう。
「ってうわーっ! ふとももー! だれー! 何で教室ー! ふかふかベッドー!」
「お、落ち着いてください!」
丸野は驚き太ももから勢いよく後退る。なんというか、内気な感じの女の子になってしまう。照れてしまうからだろうか。
丸野にそういうと直ぐに丸野は正座をした。
「わ、ワタクシは何か貴女様にやらかしてしまう事がおありなのですか!?」
「お、おちついて。深呼吸をしましょうね、ね」
丸野にそういうと何度も彼は深呼吸をした。そして落ち着いたのか、ベッドの真ん中から端に行き、腰掛けるようにベッドに座る。
「あのここは一体?」
「ここはあなたの夢の中です。大丈夫です、安全ですから」
「夢? それで君は一体?」
「え、えーっと。ヘ、ヘテロアです。サキュバスです!」
「サキュバス!? あ俺は丸野忠人です」
適当に思いついた名前を言って、サキュバスであることを告げると彼はものすごい動揺したような姿を見せた。
「サキュバスって、あのいわゆる、えっちぃなの!?」
「そ、それはそうですけど。私は温厚というか、ただあなたの夢を間借りしているだけで……」
「サキュバス本当にいたんだ。サキュバス……。いくらでもいていいですよ俺の夢で良ければ!」
丸野は鼻息荒くそう言った。何だか罪悪感が湧いてくる。元は恋宮異也なんだ、すまない親友。でもこれでも使わなきゃ抑えきれないんだ。
「そのあなたの夢に来たのは、あなたとお話がしたくて」
「お話?」
「あなたは一週間ほど前に失恋をなさっているでしょう?」
「うっ。なぜそれを?」
「え、えーと。記憶を拝見してしまいまして……」
「あーはい。そう言う……」
丸野は俯き渇いた笑いを零す。
「結構本気であの子のこと好きで、あの子の為に色々やったんですけどね。届かずで。自分磨きに付き合ってくれた親友にも悪い事したなーって」
「……彼はきっとそんな事は思っていませんよ」
「あはは、だといいですね。昔は俺がいっつも先に行ってたんですけどね、気付いたらアイツに導かれるようなことも増えて。ほんとこんな俺についてきてくれてうれしいっていうか。良い親友なんです」
丸野は想いを零していく。知らない相手だからこそ言える。私がリバーシアに零したように。そして初めて聞いた。私の事をそういう風に思っていたのは、私でも分からなかった。
「でもしばらく恋はいいかなって。なんつーか結構フラれるのってキツイっすね」
「あの!」
悲しそうな丸野に思わず声を出さずにはいられなかった。
「はい!」
「暫くこの夢に居てもいいですか?」
「それはいいですけど……。ヘテロアさん綺麗だし」
「っ! あの、私はあなたを癒したいです! こうやって夢で話しましょう! 夢で話して辛かった事は忘れちゃいましょう!」
「ヘテロアさん……。ありがとう、貴女は優しい人だ。これからもよろしくお願いします!」
「くぅっ! あ、ありがとうございますぅ! よ、よろしくおねがいします!」
こうして私と彼の奇妙な夢でのお話が始まった。彼に褒められたときはとてつもない喜びが体中を走り回った。夢から戻ったらもうフラフラだった。
それから俺は夜は変身してサキュバスになり、丸野の夢に入って話をするようになった。他愛のない話からこの先の進路の話、その日の出来事や恋愛相談まで聞いたりもした。
夜に夢で話す事で、現実の丸野の悲しみも解消されていく。俺にはサキュバスになるまで読み取る事の出来なかった丸野の仮面。俺の前では格好つけていたいという想いを、私になる事で俺は知った。
少し自分に嫉妬した。出会ったばかりの女性に親友にも話せなかった事を話す彼に。でも嬉しくもあった。知らない彼を知る事が出来て。
「いやー最近眠るのが心地よくてさー」
「そうか」
「何と夢の中で綺麗な女の子が出てくるんだ!」
「夢だし、過去に出会った女の子のいいところを集めた集合体かもな」
「でも銀髪赤目はマンガやアニメ以外じゃ見た事ねぇわ。んでもってあの子自分をサキュバスだって言うんだけど、滅茶苦茶恥ずかしがりやでさ!」
「……夢の話だろ」
「正に夢のような話なんだよ! 彼女のおかげでここ最近すっげー楽しーの! 早く夜になんねぇかなぁ」
「それは良かったな」
「ん? なんか嬉しそうだな恋宮? いい事でもあった?」
「まあ少しな」
今思えば失恋したばかりの丸野は無理をしている場面が多々あった。それに気付けないとは何とも自分が情けないと思えた。
俺も本音を言えば早く夜が来てほしかった。夜になれば私になって、夢で彼を癒す事が出来る。幸せだった。彼に尽くす事のできる喜びに満ち溢れていた。今日はどうやって癒してあげようか。マッサージとかもいいかもしれない。
心の中であのサキュバス、リバーシアに感謝を続ける日が続いていた。
「謳歌しているみたいだねー」
夜の自室に呪いの調整の為にリバーシアが現れる。
「ああ感謝してるよリバーシア。彼を癒す事が出来るし心のもやも消えてる感じがする」
「呪いとも相性がいいみたいだし、安定している。解呪する気はある?」
「ないよ。もうヘテロアは必要不可欠だ」
「うーん。それならアタシも仕事に戻れるね」
窓を開けて窓枠を掴むリバーシア。指を二本、額に当てて彼女はウィンクをした。どうやらもう彼女は来るつもりが無いらしい。俺は彼女に再び感謝を告げた。
「いいってことよ! じゃ、いい恋路を! じゃーねー!」
窓から飛び出したリバーシアは夜闇へと消えていった。俺は心の中でも彼女に感謝を告げながら、サキュバスの自分を思い浮かべた。
今日も私は彼にいい夢を見せてあげるのだ。
それからの日々は満たされていた。俺は丸野に友情を、私は忠人に愛情を、それぞれ異なる思いを載せて接していた。丸野もとても満たされているのか、いつも以上に笑顔を見せる事が増えていた。
「よっしゃ! 今日は後ろがいないし大人のレンコイン!」
「クリアを目指すか」
「とーぜん!」
朝昼は俺の時間だ。平日は学校で共に行動し、放課後には共に遊び、その後勉強を見る。休日は街に遠出したり、家に行ってこれまで通りに遊んだ。友情を満たし、彼の傍にいた。
「ヘテロアー!」
「いらっしゃい、忠人」
「極楽!」
夜は私の時間。疲れた彼の話を聞き、甘えてくる彼に極楽の時間を提供する。楽しい雑談は勿論、健全なマッサージや耳かき、夢の世界を操作して冒険なども楽しんだ。愛情を満たし、彼と共に在った。
俺も、私も、これで十分幸せだった。たとえ恋が実らなくてもそれでいい。今の環境は俺と私の飢えも無く、彼や周囲が傷つく事も無い。これがいい。これがずっと続けばいいんだ。
そう考えて、俺は今日も私になり、明日に私は俺になる。朝昼、夜で切り替わる。これを繰り返す。死ぬまで、死んでからも。ずっと彼と共に在るんだ。
「恋宮! これみろよ!」
「ん? ああ、今年もこの季節か。夏祭り」
春も過ぎ去り、木々は緑の葉を付ける。太陽は天高くに昇り、この世界を暑くする。正直夏は嫌いだ。暑いのは苦手だ。
この街の夏祭り。花火大会で有名だった。毎年俺は丸野とともに参加している。近年は丸野のナンパに付き合わされていた。
「今年も頼むぜ恋宮」
「俺がいても勝率はそれほどだと思うがね」
「僕だけだと確立はゼロなの! だから頼む!」
「はいはい。ふふ、仕方のない奴だな」
「へへサンキュー……。あでも」
「ん?」
丸野は俺に感謝を告げたが、すぐに表情を変えた。何か申し訳なさそうな、そんな感じの表情であった。腕を組み、丸野はうんうん唸る。
「どうしたんだ?」
「んー。話したら引きそう。聞く?」
「今更だろ、聞くよ」
「そうかー。実はさ、やっぱナンパやめて普通に楽しもうかなって」
「それはどうして?」
丸野に尋ねると彼は頬を赤くした。鼻を擦り、彼は恥ずかしそうに答えた。
「実は気になる人が出来てさ」
「…………は?」
「その人に悪いなって思ってさ」
「だ、れだよ。誰を好きになったんだ」
「んー。さっき引かないって言ったし教えようかなー。前に話しただろ夢の中のサキュバスさん! ヘテロアさんって言うんだけどな!」
「……ヘテロア?」
青ざめていた肌に生気が戻る感覚がした。だがそれと同時に俺の中に焦りが生じる。私を丸野が気になっている。丸野は勇気ある人間だ、たとえ夢の存在でも本当に好きになれば告白する。
でもそれはダメだ。夢の中であろうとヘテロア、私に、俺に恋をするなんて駄目だ。
「ちょっとトイレ行ってくる」
「えちょ! 引かないって言ったじゃん!」
頭の中が空っぽになるような感覚。焦りと喜びがそこに共に現れる。欲望が高まっていく。
トイレの個室に駆け込み、気持ちを整理しなければ。ああ今すぐ変身して会いに行きたい私がいる。そうなってはいけないと悩む俺がいる。そして想いによって姿が連続で変わっていく。俺は私に、私は俺に。
必死に欲望を押さえつける。もう満たされているんだと、これ以上は破滅に繋がるかもしれないのだと。必死に深呼吸をしながら私を俺が抑え込める。次第に光は収まり、変身が止まる。
「忠人が、俺を、私を、気になっている……。駄目だ。喜ぶな。この関係が壊れてしまう。丸野が、傷付いちゃう。駄目だ。落ち着け俺。私も落ち着かないと」
完全に光が収まるのを見て、個室を出る。そこには心配そうな丸野が入ってきていた。
「大丈夫か? 腹でも下したのか?」
「まあそんなとこ。もう大丈夫」
「保健室行かなくて大丈夫か?」
「大丈夫だ、戻ろう」
そう言うと丸野は安心したような表情になった。二人で教室に戻り夏休みの予定を計画する事に決めた。俺の中には不安が募っていた。
「それじゃあお決まりのセリフだけど言っておくわね。羽目を外し過ぎず、学生の本分を忘れず、休みを謳歌する様に。課題を忘れないようにね」
そして数日後、夏休みが始まった。
「いやぁー。ビバ夏休み! 恋宮のおかげで赤点も回避したし遊ぶぞー!」
「そうだな。あんだけ見てやったのにあの点数は少し傷ついたぞ」
「すまんかった…………」
「反省してるみたいだし許す」
試験をギリギリで超えた丸野にやや呆れてしまうが、俺はそれ以上に楽しく幸せであった。今日は海に行く日の為に、買い出しに来た。ついでに夢の中でのことの為に、女性用水着を見て学び、サキュバスの力で再現できるようにならねばならなかった。
これも丸野のためだ。やるだけやるしかない。不審者にならない様にこっそり見よう。自分の水着はどうでもいいが、私の水着は丸野の好みに合わせなくてはならない。
ショッピングモールに入り、水着を見に回る。男だからそう選ぶのに時間はかからない。出来る限り女性水着を記憶しておかなくては。
「際どいなこれ、やばくね! 僕は好き!」
「おい、なに堂々と女性エリアにいるんだアホ。こっちこい」
丸野は気づけば女性用の水着を見ていた。そして丸野が見ていた際どい水着を俺は記憶する。あれは少々派手過ぎる。恥ずかしい。でも好みだし覚えておかなくてはならない。あれを着るの? マジで?
二人で水着を選び、昼食を取って今日の俺は終了した。ここからは私の時間だ。部屋で変身し、今日の昼に記憶した水着を選ぶ。サキュバスの力で次々と水着を再現する。サキュバスは衣装も変幻自在だ。
「黒い、ゴシック。かっこいいな。大人って感じ。似合うな」
「カラフル、ビキニ。ギャル? 私にはあまり似合わない」
「紐だ。何でこんなのがあの店に。恥ずかしい。無理。そりゃあ普通の男は好きだろうな」
「ゴシックな奴に白いパレオを合わせて清楚かつクールに決める。大人な感じ。モノクロでこれはいい。これなら間違いない」
今日は大人な感じの水着で行こう。海を夢に作り上げて丸野を待とう。どういう反応してくれるのだろうか。楽しみだ。
夢の海、パラソルの下のシートで待つこと数分。砂浜の向こう側から彼が歩いてきたのが見えた。立ち上がり彼の下へ行くことにした。向こうもこちらを発見したのか、走って寄って来た。その顔には笑顔があった。それだけで私は嬉しかった。私も早足で彼に近付いた。
「ヘテロアさーん!」
「忠人ー!」
「うーわ水着! すごい似合ってるよ、大人って感じ! 綺麗だ!」
「本当に? 頑張って選んだ甲斐がありました! とても嬉しいです……!」
ああ心地がいい。彼に褒められるだけで心が滾る。でも距離間には気を付けないと。彼に好きになってもらう事はとても嬉しい。でも彼だけは破滅させたくないから、彼が好きになったら、きっと私は決壊してしまうから。
二人で夢の海を堪能する。水を掛け合い、砂浜でビーチバレー。時々パラソルの下で休んだり、そして海で泳ぐ。二人で長い事、夢で海を予定よりも先に堪能した。
時間帯を操作し、夕暮れの海を作り出す。二人で浜辺に座り、ゆっくりと沈み往く太陽を見ていた。彼はどうやら眠くなってきた様だ。この日の夢はこれで終わり。私は今日は終わり。
「ねぇ、ヘテロアさん……」
「どうしたの?」
今にも眠ってしまいそうな彼が私に何かを言おうと此方へ向いた。
「夢の外でも、貴女に会いたいな」
「……それは、私は」
「うんぅ。お休みヘテロアさん…………」
「おやすみなさい。忠人、私も会いたいよ」
そして夢が終わった。俺に戻って明日に備えてもう寝よう。
海水浴を終え、遂に夏祭りの時がやって来た。だが俺は一つ心残りがあった。夢の中での海水浴、その時に聞いた丸野の願い。夢の外でも会いたいという彼の想い。是非とも叶えたい。でもなぜか、それをしてしまうのは良くない予感がしている。
「よ! お待たせ恋宮!」
ラフな格好の丸野がやってくる。何時までも考えて丸野を心配させるのは良くない。今までの様に一緒に楽しもう。
二人でで店を周り、微妙な味を夏祭りというスパイスで隠した飯を腹に入れる。嫌いなわけではない。寧ろこういうのは好きだ。丸野にもそう言うと驚かれたが。
食べるだけではない。射的、輪投げ、紐くじ。型取りなど、この時でしか楽しめない事を精一杯楽しんで行く。
「やっぱ恋宮といると楽しいわ!」
「俺も楽しいよ。今年の祭りが今までで一番楽しい」
「俺もそう思ってた! 男二人でも楽しいもんだな!」
彼が喜んでいる。だが違和感を感じた。楽しんでいることは間違いないだろうが、誰かを探すかのように周囲をよく見ていた。その探す者はだれか予想がついた。決してナンパなどではない。彼はヘテロア、私を探していた。
若しかしたらいるのかもしれない。彼はそう思って辺りをよく見るのだ。でも彼女が現れるのは夢だけだ。そう、夢の中だけ。絶対の決まり。
もうすぐ最後の目玉、花火が始まる。
「うおー。やっぱ綺麗だなー」
「風情がある。この匂いも好きだ」
空に打ち上げられる、火の花。綺麗で目が奪われるが、それ以上に俺の視線を奪ったのは彼の花火を見る純粋な瞳だった。彼の黒い瞳に花火が反射され映し出される。
花火よりも君は綺麗だった。
でも悲しくもあった。君はそう、私とこれを見たかったんだ。
「ヘテロア、君も見ているのかな」
彼のつぶやきが耳に入る。祭りが終わる。俺の役目、それも終わる。もう抑える気はない。
「ん? すまない家族に呼ばれてるみたいだ、先に帰る」
「お、そうか。じゃあまた今度な」
「また、会おう忠人」
「お、珍しい。名前呼びなんてな」
彼から離れていく。夜は私の時間だ。人混みを離れ、人のいない場所に移る。そして思い描いた。女の俺を。
「はー。ヘテロアさん、いるわけないか。また夢で逢うのかな。花火、一緒に見たかったな」
「こんばんは、忠人」
ただいま。あなたの願いを叶えるよ。決まりを破って。
「ヘテ、ロア?」
「隣座りますね」
女性の着物を再現し身に纏った私は、花火が終わる前に彼の隣に座り、空を見上げた。彼はただただ驚いている様だった。私を求めていたが、会えるとは思っていなかったようだ。
「な、なんでここに……」
「忠人に会いたくて、夢から来ちゃいました」
「最高の夏来たれり!」
ああ、喜んでくれている。だけど決まりを破ってしまった。ああ、でも心地良い。彼の笑顔が心に染みる。君の笑顔でもう、花火を見る事は無かった。花火に照らされる君の笑顔だけをずっと見ていた。
彼にとっても最高の夏、私にとっても最高の夏であった。
花火はすべて発射を終えた。花火を見ていた観客は皆帰路に就く。だがその中で私と丸野は残っていた。きっと今の私と彼の気持ちは同じだった。少しでも一緒にいたかったんだ。
私にとって、これが最後の現実での逢瀬だ。もう夢以外では合わない。距離が近くなりすぎた。私はもう自身の欲望を押さえつけるのに必死だった。何時私の恋心が決壊してもおかしくはなかった。
でもそれでも、今この時だけでも、少しでも一緒にいたかったから、立たなかった。彼の隣で座り続ける。この幸せを限界まで噛み締める。そうすればきっと死ぬまで耐えられるから。
「あ」
彼が近づいてくる。すぐ隣に、座り直す。ああ駄目だ。匂いがする。彼の柑橘の様な匂い。心地の良い匂い。私は離れようとするが、彼が私の手を掴む。決して離そうとはしなかった。
二つの心臓の鼓動の音が聞こえる。彼の顔をちらりと見ると、彼もと鉄も開く緊張しているようで、顔が真っ赤になっていた。私も恐らく同じくらいには真っ赤だ。
ああ駄目だよ。丸野。
ああ駄目だ。忠人。
私を狂わせないで。
俺を狂わせないでくれ。
お願い、私は満足していたの。
頼む、俺は満足していたんだ。
ああ来て、忠人。
来てくれ、丸野。
私を狂わせて。
俺を狂わせてくれ。
お願い、もっと欲しいの。
頼む、全部欲しいんだ。
彼が私を見つめる。まっすぐに漆黒の瞳で。綺麗な綺麗な瞳が、ただただ私を見つめている。彼が私の前に移動する。
「ヘテロア、僕は、僕は君が……」
彼は言葉を発そうとしている。俺を終わらせる。俺の枷を壊してしまう言葉を出そうとしている。
ああ、これが決まりを破った末路か。
「僕は君が好きだ」
もう俺の恋は止まらない。
「私も君がずっと好きだった。ずっと、ずっと好きだった」
彼の手が体に触れる。空いている手は俺の長い髪を掻き分けて頬に触れる。私の唇に彼の口が近づいていく。やがて間はなくなって、互いの唇は触れ合った。体も唇の様に絡め合い、互いに触れ合う。
それはやがて互いに快感を齎し合う。
ああ、一線を越えてしまった。
「ぐがぁー。ぐごご……」
「気持ちよか、じゃねぇ。やっちまったぁーッ!」
隣ですやすやと眠る裸の丸野を見て私は思わず叫んでしまった。叫ばずにはいられなかった。今までさんざん気を付けて来た事なのに、彼に愛をささやかれた結果、私はいともたやすく一線を越えてしまった。
幸い、サキュバスの本能でやり方は理解していたし、リードする事が出来たと思う。いやそう言う問題じゃねぇだろ。
どうやら欲望に呑まれた間に丸野の家に移動していたようだ。流石に外で本番をしない理性はあったようだった。
いやそれどころではない。やってしまった。告白すらしてしまった。すごい多幸感と焦燥感が私の中に蓄積する。取り敢えず、ここを離れなくてはならない。
「…………ごめんね。ごめんな。私なんかが、俺なんかがお前にこんな事をしてしまって」
心配しない様に書置きを残し、丸野のご家族にばれない様に家を出た。
「はー! ノルマの精力収集達成! そういえばこの前サキュバスにした男の子元気かなぁ。ちょっとお呪いの調整でもしよっかな」
誰も居無い森の奥深く、サキュバスのリバーシアはかつてサキュバスのお呪いをした青年を思い出していた。そしてふとお呪いの調整をしばらくしていないことに気付いた。その場で魔法陣を書き、内容を確認するリバーシアだったが、魔法陣のある構築式を見て手が止まる。
「あ、ここミスってる。……あばばばば!?」
リバーシアは青ざめ大量の冷や汗をかく。そして急いで街へ向かって飛んだ。目指したのはお呪いを施した彼の家であった。
俺は私から戻った。昨日の思い出が湧き出るのが止まらない。顔が赤くなるのがよく分かる。だがとても幸せであった。だが直ぐに幸せは何処かに消える。
「これからどうしよう。丸野に夢で逢えない……。告白受け止めたのも最悪過ぎる。逢わないと傷つける!」
考えていると突如窓を何かが叩く音がした。驚き俺は窓を見るとそこには懐かしい顔があった。
「……リバーシア?」
俺は窓を開けてリバーシアを中に入れると、リバーシアは俺の体に触れる。だがそれはサキュバスの仕事を行うようなものではなく、何かを調べる様な触り方であった。
「うそ……、解呪できない……」
「どうしたんだリバーシア? 解呪は必要とは……」
「実はね、あのお呪いバグがあってね!」
「バグ?」
リバーシアは語り始める。俺に施されたお呪いには欠陥があり、ここには解呪の為に来たが、お呪いと俺の体の相性が良過ぎた為、お呪いが体に浸透しており
、今の自分には解呪できないという事だった。
「それバグってどんなバグだ?」
「えっとね、悪魔って実名を看破されると姿が固定されちゃうんだよね。もう二度と変えられないの。このバグはそれを封じる術式を無効化しちゃうやつでね、その……」
「君がサキュバス状態で異也だと指摘されると永遠にサキュバスのままで、男の状態でサキュバスだってバレるともう変身できないの」
「……は?」
つまり俺の正体がばれると、性別が固定されるのか。なんだそれは。
「男の状態でバレればこれまで通りになるだけだろうけど、サキュバス状態でバレたらやばいよ。いきなり女の子になった様な物だもの」
「そんな事になれば俺だけじゃない、丸野も、家族にも迷惑がかかる!」
「だからアタシが解除の術式を構築するまでサキュバスになっちゃダメ! 絶対に隠し通して! それじゃあたしはさっそく作り始めるから!」
「待ってくれ、それはいつ終わる?」
「わかんない。だからすぐにでも始める!」
そう言うとリバーシアはとてつもない勢いで窓から出ていった。変身せずに疑われないように過ごせと彼女は言うが。
「そんなの出来ない! 丸野が傷付いてしまう! それに一番バレる可能性があるのは丸野だ……、一体どうすれば……。」
体に力が入らず、ベッドに座り込み、俺は一日中考え続けた。夢に入る事すら、今の俺には出来なかった。
「夢に出てきてくれなかったときはどうなったかと思ったけど、また現実で会えるなんて嬉しいな」
「そう、ですね」
結局私は丸野の事を考えて傷つけたくないという考えが頭を埋めた。その結果がこれだった。恋仲になってしまった以上、夢だけではなく、現実でも会わなければ。一線を越えてしまった分、会うのに苦悩はしなかったし。ただそれでも会うのは夜に限定しているが。それに私が恋宮異也という事は絶対に分からないようにしないと。
ああ、しかし幸せだった。彼と共に過ごせる時間。これは男であったら絶対になかった。こんなにも近く、そして抱き締める事すらできる。リバーシアが来るまでこの幸せくらいは味わってもいいだろう。
彼に対して男である私が出来るのは友情まで。愛情は彼を傷つけてしまう。だから、私は愛さなければ。終わりの時を迎えるまでに、この愛を放出しよう。彼にとってもいい思い出になるように。
「夜以外も会いたいけど、都合があるなら仕方ないね」
「ごめんなさい忠人。でもその分、夜は一緒に居ましょう」
「ああ、もちろんだとも」
彼はそう言うと私の肩を抱きかかえる。こんなにも愛おしいのに、こんなにも苦しい。罪悪感と幸せ。隣り合わせで私の中に溜まっていく。ああ、まるで、小学生の頃の様。
でも耐えるしかない。終わりを迎えるそれまでは。
「僕、今が一番幸せだ」
「……私もです。今が、永遠に続けばいいのにって思います」
「僕もだよヘテロア」
ああ、何故私は女に生まれてこなかったんだ。女に生まれていれば、彼を苦しめる事も無かったのに。”普通の愛”であれたのに。何故この体は、男で生まれてきてしまったんだ。
俺は何で私で生まれてこなかったんだ。考えれば考える程、心は曇り、想いは強まっていく。
リバーシア。どうかこの夢がいいものである内に、終わらせてくれ。
「ヘテロア、あそこに行ってみよう」
「はい」
私と彼の逢瀬は続く。
「いい景色だね、君と見るとまた違って見えるよ」
「そうですね、何時もと違って見える」
続く。彼に私という消えゆく存在の影を残しながら。
「こういう店って興味はあったけど、男だけじゃ入りにくかったんだよね」
「確かに女性向けですものね」
終わらない。彼にとってはこれが永遠に続くと信じているのだろう。
「これ、ヘテロアに似合うね。う、値段が! でも似合うから買う!」
「無理をなさらないでください! もう!」
贈られたペンダント。君と会う時は忘れない。宝物。
けどいずれ埃を被って輝かなくなる哀れな宝物。
「はぁ、はぁ、はぁ! 好きだ、ヘテロア!」
「私も好きです! ずっとずっと愛していたいです! あぁっ!」
歩みを重ね、体を重ね、二人の夏は過ぎていく。
私の心は罪悪感に穢されひび割れる。まるで虐められていた時の様に。
「最高の夏休みだったなー。ヘテロアと過ごせて、親友とも遊べた」
「それは、よかったです。きっと親友の彼も、喜んでいるでしょう」
夏の終わりが近づく、私の終わりも近づく。
終わりを迎えれば彼の心に傷がつく。その事実が俺の心を蝕んで行く。
「……ヘテロア?」
「貴女の事は昔から見ていました」
割れた心から想いが零れ落ちる。零れ落ちた想いは言葉となって吐き出されて行った。もう止まらない。
「小学生の頃、いじめられっ子を救うのを見た」
「何で君がそれを……」
「憧れました。あなたの我が道を行く勇気に」
「ヘテロア、君は一体誰なんだ!」
「ずっと近くで見てました。憧れは止まらない」
「――ずっと、近くで?」
「憧れは、やがて、恋に、変わり、ました。――ああ、ああ!」
もう気付いた時にはただ遅かった。座っていた椅子から立ち上がる。冷汗が止まらない。動悸が収まらない。丸野の視線が心に突き刺さる。
「私は! 俺は! 私は! 俺はああああああッ!」
「ヘテロア!」
足が動き出した。この場にいたくないと言う思いが、勝手に足を動かした。涙が溢れる。もう一緒に居られない。私はもう出てこられない。壊れた心から漏れた言葉が、余りにも多すぎた。
サキュバスの力が勝手に使われる。常人以上の身体能力。彼が追い付けないのは確定だった。もう彼の姿は見えなかった。
だが壊れた心から溢れる言葉は止まらない。
「愛してる、駄目だ、好き、許されない、ずっと一緒、別れなければ、貴方に触りたい、俺には触れない、愛、友情」
想いの言葉に、相反する言葉。部屋の中で変身を解除しながらも呟く事を止められない。その日俺は夢を見なかった。
「恋宮、ヘテロアを覚えてる? 俺の夢に出て来た」
「ああ、サキュバスだったか。良い夢だったんだよな」
「恋宮はヘテロアの事を知ら――」
「知らない。ヘテロアなんか知らない」
「恋宮? ちょっと待ってくれ――」
知らない。知らない。俺は知らない。私を知らない。喋らない。いつも通りの事しかしない。夏の終わり、私の死。だから早く来てくれリバーシア。俺が壊れて無くなる前に。この欲望の波に、この絶望の傷で死んでしまう前に。
私はもう出せない。丸野はずっと探してる。ヘテロアを求めて夜を行く。俺にも何度も聞きに来た。でも返す言葉は決まっている。
「俺は知らない。ヘテロアなんてしらない」
丸野は馬鹿だがマヌケではない。いずれ気付いてしまうから。だから早く終わらせて。傷が深くなる前に、突き抜けて穴が開いてしまう前に。
「俺は知らない。ヘテロアなんてしらない」
俺はもう壊れてしまったんだろう。同じ行動すらとれない壊れた人形。ほら、聞こえて来た。終わりの足音が近づいてくる。
足音は夏の終わりとともに訪れる。
『恋宮、明日に学校の屋上に来てほしい』
電話越しに聞こえる愛しの彼の声は、壊れた俺には死刑宣告に聞こえた。
「はい、行きます」
夏の終わり。恋の終わり。私の終わりで、二人の終わり。
八月三十一日。その日は夏の終わりであるにもかかわらず、暑くて仕方なかった。暑いのは嫌いだった。この夏を思い出すから。
解放されている校舎の中は、教師と一部の生徒が明日の準備の為に忙しなく動き続けていた。俺はその人の波をすり抜けて目的地へ向かう。愛しの彼が待つ屋上に向かって階段を上る。
常に解放されている屋上は、転落防止の高い柵で囲まれていて、今の私には牢屋のように見えた。事実、俺は捕まったんだ。彼に捕まった。私の親友、俺の愛しい人。丸野忠人に。
彼は屋上の奥で静かに待っていた。恋宮異也を待っていた。彼は足音に気付いた。私の方を見る。その愛しい顔を見せてくれる。今日の彼は何処か悲しそうだった。
「一体何の様だ。課題の手伝いならもう手遅れだと思うぞ」
何時ものような口調で俺を語る。俺はもう、今が私なのか俺なのか、それすら分からなかった。
「それは大丈夫だ。一緒にやってくれた子がいる」
「そうか、安心した」
ヘテロアが現実に出れた頃、アイツの課題を見てあげた。俺の役目であったそれをヘテロアが代行した。
「なあ恋宮正直に言ってくれ、ヘテロアの事」
「知らない」
何時もの答え。だが彼はそれを許さない。彼が近づいてくる。柑橘の匂いはしなかった。
「ヘテロアは、お前の小学生時代を知っていた。一度も会わせた事もないのに。お前があの時のことを口にするはずがないのに。あの小学校で俺が関わった虐めの件は、お前絡みの一件以外は存在しない」
「……」
「そしてあの時、ヘテロアの様な銀髪で赤い目の子はいなかった。卒業アルバムも漁って確かめた」
「……」
「あの子は言った。ずっと見ていた、憧れていた。そしてこうも言った。ずっと近くにいた」
「ヘテロアの憧れは時を経て恋になったといった」
「でもこの学校に、あの小学校出身の同期は、あの時のクラスメイトはいない」
「だから俺は一つの考えに至ったよ。突拍子も現実的でも無い。でもこれしかなかったよ」
やはり辿り着いてしまった。そして次に発する言葉は分かっている。それを止めないわけにはいかない。
結局選びきれなかったな。
「お前が、お前がヘテロ――」
「黙れェッ!」
「なっ!?」
「黙ってくれ……。まだそれを言わないでくれ……」
「恋宮……」
涙が流れ始めた。もう全部吐き出すしかない。
「俺がそうだよ。お前の考えは正しい」
「……なんでこんなことを」
「お前が好きだったから」
「え? それは友情で――」
「違う。好意があった。恋だった。愛していた。そうだよ、俺は丸野忠人に惚れていた。俺は同性愛者だ」
「っ!」
「始めは憧れだった。お前みたいに道を自分で開く事の出来る人間になりたかった。お前は変わらず、ずっと前を見続け進み続けた」
「そして気づいたら好きになっていた。でもそれの異常性を俺は知っていた。今年まで普通だったから、同性愛はやっと社会に知られ、受け入れられ始めた段階だ。しかし実態として現在はまだ同性愛を嫌悪する人の方が多い」
「俺はこの想いを打ち明ければ、お前も、お前の周辺も、俺の家族も全部社会的に傷つけられると思った。だからこの想いを伏せ、一生普通の振りをしようと思ったよ」
俺は柵に近付いていく。柵の向こうには沈もうとしている太陽があった。俺も今すぐにあんな風に沈んでしまいたかった。丸野は驚いたようで、ただその場で俺の話を聞くしかなかった。
「でもな恋心は何度消そうとしても、その度より強くなっていった。俺はもうお前の前から消えようかとすら思ったよ」
「でもあの女と出会った。あのサキュバスは俺の同性愛に気付いて、力をくれた。それが変身能力、女のサキュバスになる力だった」
「それが彼女の、正体か」
俺はその言葉に頷いた。
「最初はお前の失恋を癒す程度で済まそうと思ってた。でも夢で逢うと、お前への愛が強くなっていった。夢に入らないという選択を奪う程、現実で女になりお前に会った程に」
「でもこの力には欠陥があった。正体が看破され指摘されると、その時の姿の性別で固定されるというね。男なら問題が無いだろうが、女なら最悪だ」
「現実を歪める力はない。完璧な性転換者。世界は黙ってないし、お前を含めた周辺全てが傷つく果てが待ってるだろう」
「でも告白を受け入れ恋仲となったお前の事を考えると、合わないという選択肢は取れなかった。でもこの逢瀬で私の心は傷ついていった。お前を騙すということで生じる罪悪感で」
「そして俺は耐えられなかった。そして現在に繋がるって訳だ。失望したか?」
「そんなこと――」
「お前と何年の付き合いになると思ってる。お前が絶対に同性愛者になることはないということくらい理解している」
「――」
俺は夕陽に背を向けて、両腕を丸野忠人に向かって差し出した。その様子に彼は困惑していた。
「俺はずっと考えた。固定するならどちらか。でも考えれば考える程、罪悪感と俺の愛が鬩ぎ合って答えが決まらなかった」
「これはとてもひどい事だと思ってる。だけど決めてくれ」
涙が止まらない。俺は本当に最低だ。だけどもうこれ以外に方法はない。
最初は俺が行こう。
「俺は正常な男になる。お前への愛を絶対に封じ、社会的、生態的にも正常な男になって、お前の親友のままでいる」
次は私。光が体を包み込む。そして恋宮異也はヘテロアへと姿を変貌させた。
「私はあなたを愛し続けます。性別を完全に変え、普通の愛へと変え、周囲を傷付けようとも、貴方と共に在り続けます」
姿を連続して変えながら彼に選択を求める。
「さぁ」
「選んでくれ」
「友の男か?」
「愛の女?」
「貴方が選んでくれるなら」
「絶対に後悔しないから」
「お前に罪は」
「背負わせません」
「選んで」
「選んで」
俺は、私は、選択を、委譲した。
「僕は、僕は――――」
その日、夏が終わった。
「夏が終わるまでに間に合わなかったー! 大丈夫かなー異也?」
一人のサキュバスが目的の存在がいる窓を叩く。その音に反応したのか、部屋の住人は窓を開けてリバーシアを受け入れた。
「あれ? ……もしかして間に合わなかった?」
「――もう大丈夫。彼が、決めてくれた」
「それでいいの異也?」
「これでいい」
「そっ、か」
部屋の住人は荷物を纏める。この住人は親元を離れ、彼と共に暮らすことを決めた。サキュバス、リバーシアは窓枠を掴み、振り返って住人を見る。
「もう多分、会う事は無いと思う」
「うん」
「幸せになってね」
「もう、幸せ」
「……じゃあね」
「さようなら。ありがとうリバーシア」
リバーシアは窓から飛び出し、新たな男を探しに行く。住人はしばしリバーシアを見送った後、再び作業を再開した。
秋の風が、開けっ放しの窓から入って来る。
一つだけ確かに言える事がある。絆はある。ただそれだけ。
読んで頂きありがとうございました。
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