7話・婚約破棄
「サイモン様が……ローラお姉様との婚約を破棄、でしょうか?」
「そうよ! シェイラが商会の権利に高度な契約魔法なんてかけるから……どうしてくれるのよ! 私、傷物じゃないの!」
「あら。それでしたらおあいこですわね。もちろん、先に仕掛けたのはローラお姉様でしたけれど」
「……!」
シェイラからの返答にローラは絶句している。けれど、すぐに気を取り直した様子だ。
「だから、私もこの後宮にあげなさいよ。陛下がお気に入りのあんたなら、お願いすればそれぐらい余裕でしょう?」
「いえ、それは倫理観的にどうかと」
「茶化すのはやめて! 私は怒っているの。……そうだわ。この前私が持たせた紅茶、もうみなさまにお出ししてしまった?」
「……いいえ。まだですわ」
「そ、そう。明日以降、私がいないときに出すといいわ。約束よ?」
ローラがこんな風に念押ししたのは、やはり紅茶には細工がしてあることを知っているからこそなのだろう。けれど、いろいろなところに矛盾がありまくりだった。
「ローラお姉様は、この後宮に上がって何がなさりたいのですか?」
「何って。前にも言ったけれど、私はあなたのことが大っ嫌いなの。あなたより地位が上の人のところに嫁ぎたいだけよ。お母様もそれを望んでいるわ」
「それにしては、この計画は杜撰すぎますわ。紅茶に毒のようなものを仕込むところまでは上手くいったようですけれど、私主催のお茶会で寵姫たちが体調を崩したら、私だけではなくローラお姉様もここには出入り禁止です。私の代わりにこの場所に来ることは叶いません」
「どうしてその計画を!」
口をぱくぱくとさせるローラを前に、シェイラは呆れた。きっと、彼女は自分で考えることはせずサイモンに言いくるめられてしまったのだろう。
「恐らく、これを考えたのはサイモン様ですわよね? 後宮で私にまつわる妙な噂を流して陛下との婚約を白紙に戻し、私を実家に戻して働かせようと。ローラお姉様とお母様はそれを信じて私に紅茶を持たせたけれど、それを確認した途端にサイモン様から婚約破棄の申し出があったと」
「そ、その通りよ……もう……どうしてなの……サイモン様……!」
シェイラに真実を言い当てられたローラは、わあああと声をあげて泣き出してしまった。
(ローラお姉様は、今でもサイモン様と結婚したいと思っているみたいだけれど……彼からはもう利用価値がないと判断されてしまったのね。家として弱くなったキャンベル伯爵家なら、婚姻を結ばなくてもお金の力で何とかなると)
「今日、ローラお姉様がここにいらっしゃったのは、サイモン様の計画とは無関係ですわね?」
「ええ。サイモン様は……ブランドが大好きな野心家よ。私が国王陛下に選ばれたと知れば、婚約解消を思い直すに違いないわ……だから、今日はお母様と相談してここに様子を伺いに……」
「……本当にサイモン様はローラお姉様とお似合いですわね」
「我ながら、心の底からそう思うわ。性格の悪さがぴったりなのよ、私たちは」
ぐすっ、と鼻水を啜り上げるローラにシェイラはハンカチを渡した。
(けれど、ローラお姉様ではあの狡猾な男を手玉にとるのは無理だったようね)
「では助言を。ローラお姉様よりもさらに性格が悪いサイモン様は、キャンベル伯爵家の名誉を貶めたところでキャンベル商会を買いたたこうとしているだけに過ぎないですわ。後ろ盾が失墜してしまえば、商会は借金を抱えるだけですもの。下手をすれば貴族ですらなくなる可能性もあるし、お父様に泣きつかれた私が契約魔法を解くとお考えなのでしょう。けれど、そうなればローラお姉様は用済みですわ。どう転んでも、サイモン様はローラお姉様と結婚することはないかと」
「シェイラ……あんたって子は本当に……姉が泣いているのに、なんて酷いことを言うの?」
「十年前だったらそう思ったかもしれません。ですが、散々いじめられた後ですので」
にこりと微笑んで見せると、ローラは涙を拭いて立ち上がった。
「あんたって、やっぱり本当にかわいくないわ。お嬢様育ちで恵まれているくせに、生まれた時からそれが当然って顔をしていて!」
「母は三歳で亡くなりました。父も気が付いたら奪われました。本当に家族と呼べるのは、優しい兄が一人きりだと思っています」
「!」
シェイラは、少しだけ表情を変えたローラの瞳をまっすぐに見据えた。
「ローラお姉様の境遇には客観的に見て同情いたします。ですが、何とかしてあげたいと心を砕くほど、私はできた人間ではないのですわ」
シェイラは、これまでの人生でローラに本音を話した記憶はない。たとえ家族といえども、初めから敵意を持っていると分かっている相手とは表面上の付き合いで十分のはずだった。
けれど、今日だけは割り切ることができない気がした。
まだ六歳でシェイラの中の『アレクシア』が目覚めたとき。虐げられながらも誰を憎むわけでもない純粋で前向きな感情に、自分は感動したのだ。
いつの間にかアレクシアとシェイラは一つになったけれど、あの時に感じたもう一人の自分が『すべてを享受する恵まれたお嬢様』だなんてどうしても思えなかった。
てっきり、さらに逆上すると思えたローラだったが、意外なことに押し黙ってしまった。
「……少しは、悪かったと思ってるわ」
「謝罪はもう不要ですわ。それよりも、キャンベル伯爵家のためにサイモン様との結婚は諦めてください」
「なにそれ? 謝ってるのに!」
「謝れば許されるなんて、高慢だわ。私への謝罪の感情を少しでも持ってくださるなら、キャンベル伯爵家の未来を。今回、サイモン様を退けたとしてもまた同じことの繰り返しでは困るかと」
「……」
ぐずぐずと目をこするローラに、シェイラは嘆息した。
(もっと早く本音を言えばよかったのかもしれない)
「サイモン様が手配した“薬物紅茶”は、市場で流通しつつあるものだそうですね」
「そうよ。わざわざこのためにつくるなんて馬鹿らしいから、フォックス商会の新商品を渡したの。商店の棚に並ぶことはないけど、裏ルートを通じて貴族の間で高く売買されているみたい」
「紅茶の件は、明るみに出ることになると思います。ただ、キャンベル伯爵家から後宮への献上品としてではありませんが」
「どういうこと?」
「そのあたりはフィン陛下に相談しますわ」
国王の名前を出すと、ローラの泣いて真っ赤になった目がわずかにびくりと動く。
「本当に……シェイラは国王陛下のところに嫁ぐのね……。羨ましいし許せないけど……お、お、お……」
「“お”? ……あら、お祝いの言葉を下さるのですか」
「! 何でもないわよ。だけど、私はサイモン様との結婚を諦めるし、サイモン様との縁談がだめになっても後宮に上がればいいって言っているお母様にも諦めるように言うわ」
「よくお分かりになったようで。本当によかったですわ」
シェイラの返答に、ローラが顔を赤くして唇を噛んだのがわかった。
「じゃあ、帰るわ。……私が泣き喚いたこと、ジョージお兄様には言わないでよ⁉ あの兄、本当に腹が立つんだから……!」
「……努力はしますわ」
実家でのジョージとローラのやりとりを想像したところで、ぴらり、シェイラの手もとに一枚の写真が落ちてきた。
印刷されている紙自体は新しいものだけれど、そこに写る人物は古い。着飾っているはずなのにそれを感じさせない華やかさと、凛とした眼差し。
「こ、これは……?」
「あっ! 私の大事な写真よ。返して!! 商会の契約魔法を解くために有名な魔導士を捜し歩いていたら、百年以上前にいらっしゃったというこの方に出会ったのよ」
ローラがシェイラの手もとから奪い返したのは、『アレクシア』の写真だった。
「まぁ……、そのルートで辿り着くのはわからなくはありませんが、なぜ写真を持ち歩いて……?」
意味が分からな過ぎて、顔が引き攣る。自分をいじめてきた義姉が『アレクシア』の写真を肌身離さず持ち歩いているとは、一体どういうことなのだろうか。
「私、知らなかったのよ。悲劇の女王・アレクシアが歴史に名を遺すほどの有名な魔導士だったなんて! どうして私はもっときちんと近代史を勉強しなかったのかしら。そうしたら、もっと早くアレクシア様の存在に出会えていたのに」
「ローラお姉様……?」
あまりに話がおかしな方向に進みすぎていて、さすがのシェイラも着地点が読めない。まさかこの展開は、と思っていると、ローラは手を胸の前で組んで瞳をキラキラと輝かせる。
「この国の長い歴史の中で、唯一の女王。この美貌で、偉大な魔導士。憧れるわ!」
「……アビー……ローラお姉様を王宮の出口まで送って差し上げて……」
シェイラは気まずさにローラから目をそらし、侍女を呼んだのだった。
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