3話・驚き
「一体……どういうことだ。確かにシェイラは魔法陣を描くのが得意だったが……魔力はないし、契約魔法の魔法陣は希少で相当に高価だ。どんなに頭が良くて器用でも、国から派遣された魔導士の教育を受けた程度のシェイラに描けるはずがない」
数秒の放心の後、何とか意識を浮上させたらしい父親はまだシェイラの能力を認められない様子だった。一方、継母とローラはすっかり取り乱している。
「シェイラ。この場面で冗談はやめてちょうだい。確かにあなたは魔力を持って生まれなかったし、きっと後宮でも地位を得られなくて大変なのよね? だからって、現実以上に自分を大きく見せてはいけないわ」
「お母様の仰る通りよ。たしかに、あなたはすごい子だけど……。そんな嘘をついて恥ずかしくないの? とにかく、あの契約魔法の魔法陣をどのルートで仕入れたのか教えなさいよ!」
(敵意を隠すことすらしなくなって……私は一応嫁いだ身だから当然と言えば当然なのかしら)
「ローラお姉様も少し落ち着いてお考えになった方がよろしいのでは。キャンベル商会をジョージお兄様から無理に取り上げても何も残りませんわ。残るのは、バラバラになったキャンベル伯爵家だけです」
「シェイラ。あなた、いつからそんなことをいうようになったの? 少し前までは商会の後見人になったお父様とお母様に感謝していたのに」
「もちろん、今でも感謝はしています。ですが、ローラお姉様の婚約者に生家が乗っ取られようとしているのを見過ごせませんわ」
「まあ!」
シェイラの返答にローラが目をつり上げたところで、やれやれ、という様子でジョージが口を開く。
「母上、ローラ、もういいだろう? キャンベル商会主として俺が保証する。シェイラが描く高位魔法の魔法陣は一級品だ。今生きている人間の中で上を行く者はいないだろう。だから、商会を護っている契約魔法が解ける奴なんていないんだよ」
「だ、騙されないわ! 早く契約魔法を解除する魔法陣の入手先を教えなさいよ!」
それでも、ローラは諦めない。あの狡猾なサイモンのこと。恐らく、ローラと婚姻誓約書を提出する条件として、キャンベル商会の権利を引き渡すことを入れているのだろう。
破れ鍋に綴じ蓋、お似合いの二人に見えるのに、こんなところに障害があるなんて意外である。
(こんな手は使いたくなかったけれど……信じてもらえないのなら、見てもらうのが一番だわ)
「これなら、わかるかしら?」
シェイラは紙を二枚取り出すと、ローテーブルの上でペンをサラサラと走らせ、二枚の魔法陣を描いた。できるだけ早く使いたかったので、線も数字も省略してしまい見た目は美しくない。けれど、確かにめったに手に入らない類の魔法陣である。
「お兄様。これ、お願いしてもいいかしら? あの車に向かって、5秒おきに」
ちょうど、応接室の大きな窓越しにキャンベル伯爵家を出ていくフォックス男爵家の車が見えた。後部座席にはサイモンの姿がある。それを指差すと、ジョージは呆れたように頷く。
「……はいよ」
ジョージが魔法陣を小さく折りたたみ魔力を吹き込むと、サイモンがのっている車は透明な球体に包まれる。
「あれは……防御魔法の一種……か?」
「その通りですわ、お父様。さらっと描いたものですから10秒ぐらいしか持続できませんが」
額に汗を浮かべた父親の問いに答える間に、もう一枚の魔法陣が発動した。ジョージの手元から窓をすり抜けて大きな火の塊が車へと一直線に飛んでいく。そして。
バァン、と大きな音を立てて爆発した。
けれど、車は防御魔法で守られていたため無事である。そのうちに、車を包んでいた透明な球体がするりと消えた。
しばらくして、バタンと扉があく。すると、中からはサイモンがよろよろと出てきた。腰が抜けていたのか、地面に足を突いた瞬間にぺしゃっとくずおれてしまったけれど。
「「サイモン様!!」」
ローラと母親の悲鳴を背に、シェイラは微笑んだ。
「これで、わかっていただけましたか? 商会の権利を守る魔法陣を描いたのは私だと。ということで、ローラお姉様。サイモン様のためにキャンベル商会を乗っ取るのは諦めてください。頑張るだけ、お金と時間の無駄になりますわ」
シェイラが言い終わらないうちにローラは庭へと向かって飛び出して行き、両親は空いたソファによろよろと腰を下ろした。やっと、まともな話し合いができる状況が整ったようである。
「嘘でしょう……? シェイラにこんな才能があったなんて」
「魔力なしの私には子ども用の魔法書が与えられませんでしたので、書斎で一般の魔法書を使って勉強したのが良かったのかもしれません」
ちなみに、これは嘘である。シェイラが魔法陣の書き方を教わったのは前世の師からだ。
継母からの問いに答えると、両親は顔を見合わせた。「魔法書を与えなかったのか」「いえあのそれは」という気まずいやり取りが聞こえてきそうで、シェイラはため息をついた。
(せめて、それは十年前にしてほしかったわ)
「……今日、私が帰宅したのはお話したいことがあるからです」
「まだあるのかよ。父上も母上ももう今日は無理っぽいぞ?」
やっと本題に入れたところを、今日の議題を知っているはずのジョージが茶化す。シェイラはそれを一瞥してから続けた。
「私はフィン国王陛下と正式な婚姻を結ぶことになりました」
「は?」「ええっ?」
両親の口が同時にぽかんと開いた。追及されることなく手短に済ませたいので、すぐにフィンから預かった親書を広げる。
「詳しくは、こちらのフィン陛下からの親書に記してあります。内容を簡単に説明すると、今から数年以内にキャンベル伯爵家から正妃が出ることになります。お父様お母様には、その支度をお手伝いいただきたく」
「ど、どどどどど」
「どうって、こういうことだよ。後宮に上がらせるんだったら、こういう展開になる可能性も考えていただろう」
口をぱくぱくとさせている父親にジョージが毒づいた。シェイラはそれを柔らかく制してから微笑む。
「フィン陛下は、私と実家はそりが合わないということをよく理解しておいでです。疎遠になってもかまわないと仰ってくださっていますが、やはり私が生まれ育った家ですので」
「そんなの気にする必要ない。いつも言ってるだろ。シェイラはこんな面倒な家と縁を切って幸せになればいい」
(ジョージお兄様はいつもこうだわ)
シェイラがキャンベル伯爵家を大事にするのは、ジョージがいるからである。言葉が足りないけれど、確かに優しい兄は子どもの頃からシェイラを守ってくれた。
相変わらずの不器用さに、ほっこりしていると。
「ええと……国王陛下に嫁ぐのは、シェイラではなくローラでもいいのよね? ロ……ローラ!」
やっと全容を把握しつつある継母はとんでもない勘違いをしたようである。ソファで放心したままの父を放置し、庭でサイモンを助け起こそうとしているローラに向かって叫んだ。
「んなわけねーだろ。この家にはバカしかいねーのかよ」
「……けれど、予想の範囲だったわ、お兄様?」
シェイラとジョージは顔を見合わせて呆れたように笑ったのだった。





