2話・キャンベル伯爵家であったこと
◇◇◇
「おかえり、シェイラ。後宮に上がってから初めての里帰りね? 私、あなたにお話ししたいことがたくさんあるのよ」
シェイラが久しぶりに戻ったキャンベル伯爵家の扉を開けた瞬間、目の前に現れたのは義姉・ローラだった。
「ローラお姉様。お出迎え、ありがとうございます」
「出迎えなんかじゃないわ。あなたがどんな顔をして戻ってくるのか見てあげようと思ったの。後宮ではつらいことがたくさんあるでしょう? いつも自信に満ちていたあなたの顔がどんなふうにやつれているのかな、って楽しみだったけど……意外と普通じゃない。つまらないわ」
(……ローラお姉様はあいかわらずね)
シェイラは呆れてため息をついた。それを見たローラは、得意げな顔をしてこちらにくるりと背中を向け応接間へと入って行く。どうやら、シェイラの沈んだ顔を見て満足だったらしい。
父親の再婚相手の連れ子である義姉・ローラはシェイラと同じ18歳。4歳のときにキャンベル伯爵家の養子になった彼女は、格上の伯爵家に生まれお姫様扱いで育ったシェイラのことが気に入らなかったようだ。
中身が『アレクシア』だったシェイラは、そんなローラの幼い感情を理解し、ひどい目にあっても父親に告げ口をするようなことはしなかった。けれど、そのせいでローラは増長し、シェイラが後宮に上がるきっかけをつくることになってしまった。
結果自体には感謝しているものの、これはキャンベル伯爵家にいた時の振る舞いでシェイラが唯一後悔している点である。
(ローラお姉様の性格がおかしくならなければ、フォックス男爵家のサイモン様なんて狡猾で残念な方をこの家に引き込むことにはならなかったのに)
ローラと手を組んでキャンベル商会を取り込もうとしている元婚約者の食えない笑顔を思い出しながら、ローラが入って行った応接室に足を踏み入れる。三か月ぶりの、父親と継母との再会のはずだった。
「やあ。シェイラ嬢。ひさしぶりだね?」
その応接室でいち早くシェイラを出迎えたのは、たった今顔を思い浮かべていた元婚約者・サイモンだった。
ある程度は予想していたことなので、シェイラはまたため息をつく。
「久しぶりって、その前もほとんどお会いした記憶はありませんわ」
「あら、一度でもゆっくり会ってお話しすれば十分でしょう?」
高慢なローラの返答に、サイモンが同意する。
「そう。シェイラ嬢は書類上だけだったとはいえ前は僕の婚約者だった。今は婚約者の妹だし、君は僕の義妹になる。そうだろう? だから……」
その後に続く言葉は、『キャンベル商会の全権は兄ジョージに任せる』という内容の契約魔法を解いてくれということなのだろう。思った通りの展開にうんざりしたシェイラは、サイモンを遮って無視することにする。
「お父様、お母様、お久しぶりにございます。お元気そうで何よりですわ」
「あっ……ああ。ジョージとはやり取りをしているようだったが……私たちにはあまり知らせがないから心配していた」
「後宮の様子はどうなのかしら。隣国ゼベダと和平条約が結ばれた話は知っているけれど、国王陛下と寵姫の話は全然入ってこないのよ? まぁ、シェイラには関係ない話だとは思うのだけれどね」
応接のソファに座ったローラとサイモンの向こうで、両親が立ったまま応じた。父親はおろおろとしているけれど、継母は余裕たっぷりの微笑み。これが今のキャンベル伯爵家の力関係なのだろう。
(ローラお姉様とサイモン様は婚約しただけというのに……サイモン様はもうこんなに家で大きな顔をしているのね)
シェイラが前世の記憶を取り戻したころ、キャンベル伯爵家は没落寸前の貧乏さだった。それを立て直す一助となったのが、まだ子どもだったシェイラとジョージで立ち上げたキャンベル商会の存在である。
初めは子どものお遊びの延長上と見られていたものの、その評価はあっという間に変わった。わずか数年で『キャンベル商会』の名で流通する良質な魔法陣は貴族の間で知らぬ者はいなくなったのだ。
(私とフィンの婚姻の話をするのに、サイモン様がいてはだめだわ。王宮ではもう皆が知っていることだけど、国民に向けて正式に発表される前に知られては利用されかねないもの)
大体にして、この家には二人の兄がいるはずだった。優秀な長兄ルークと、キャンベル商会を任せた次兄ジョージが。二人は一体何をしているのだろう。そう思ったところで、後ろの扉が開く気配がした。
「シェイラ、遅くなって悪い」
「ジョージお兄様。三日ぶりですわね?」
「ああ。王都の城ではなく家で会うのは三か月ぶりだけどな」
入ってきたのはジョージだった。相当急いで来たらしく息を弾ませている。シェイラと軽口をかわしてから、応接のソファにどっかりと座ったサイモンに向き直る。
「今日は家族だけで大事な話がある。サイモン、お引き取り願いたい」
「やだなあ。僕だってキャンベル伯爵家の一員みたいなものだろう?」
「なわけねーだろ。今朝、キャンベル商会あてに急ぎの案件が入った。手を回したのはサイモンだろ? 俺がこの時間に不在になるようにって……ふざけんな」
のらりくらりとかわそうとするサイモンを、ジョージは怒り心頭で応接室から追い出した。なるほど、この家に入り込んでいるように見えるサイモンだけれど、ジョージだけは掌握できていないようである。
サイモンがいなくなった応接室のソファに、まずシェイラとジョージが並んで座る。その向かいに両親とローラがついた。やっとのことで訪れた一家団欒だったけれど、まだ一人足りない。
「ルークお兄様はどちらへ?」
シェイラの問いに、ローラが声をあげて笑う。
「ふふっ。お兄様は婚約がまだだったから、サイモン様の伝手で子爵家のご令嬢を紹介してあげたの。今日も彼女のところに呼ばれていて……。あの堅物のお兄様が彼女に夢中なの。後継ぎがいないお家だから、頼み込まれたら養子として行っちゃうかもしれないわね?」
「ローラ、冗談でもそういうことを言うんじゃない。不快だ」
きゃらきゃらと笑うローラを窘めたのは、やはり父親ではなくジョージだった。
(……なるほど。この家は、ジョージお兄様で持っているようなもの。サイモン様に崩されて、ぼろぼろみたいね)
シェイラの母親の死後、わずか一年を待たずにして継母をこの家に招き入れた上にシェイラを守り切れなかった父親など、狡猾なサイモンにすれば赤子の手をひねるようなものなのだろう。
むしろ、いまだにのっとられていないことが奇跡と言ってもいい。
「ごめんなさぁい。……それで。キャンベル商会の全権を早く私たちに返してくれない? 契約魔法を使うなんて、嫌がらせもいいところだわ。それを解くための魔法陣を手配しようとサイモン様が奔走してくださっているけど……どんな高名な魔導士に聞いても、これを解くのは無理だって言われちゃうの。シェイラ、あなた一体どうやって商会の契約にかかわる魔法陣を入手したの?」
眉根を寄せ、母親に髪を撫でられながら話すローラに、シェイラは嘆息した。そして、きっぱりと告げる。
「あの魔法陣は私が描きました。よからぬ輩によって破られることがないように、丹念に仕上げた自信作ですわ。たとえ王宮の魔導士にだって、破られることはありえません」
「「「え?」」」
にっこりと微笑んで見せると、目の前の三人は目を丸くし、口をぽかんと開けて固まったのだった。





