1話・面倒のはじまり
精霊祭が終わって、十日間ほどが過ぎた。
お祭りムードだった城内もすっかりいつもの風景を取り戻している。それは、シェイラ達が暮らすこの後宮も同じことだった。
「それで。ティルダ様は、一体いつになったらご実家にお戻りになられるのですか?」
「あら? サラ様こそ! 商会の運営をするお勉強をされるのではなかったのかしら!」
「そんなのいつでもできますわ。それよりも、私はシェイラ様のことが心配で。聡明さや外見の麗しさは殿方の心を繋ぎ止めるポイントの一つにしかなりませんもの」
(……!)
サラの言葉に、シェイラは口をつけていた紅茶をむせて吐き出しそうになる。
「ケホケホッ……サ……サラ様?」
「我がメトカーフ子爵家では殿方の心を惹きつけるさまざまなお品が取り寄せできますわ。今度、カタログを持ってこさせますわね」
「私も気になるんだけどそのカタログ!! 見るだけ見せてくれない?」
「ティ……ティルダ様まで……」
興味津々な様子のティルダに、シェイラは顔を引き攣らせ目を瞬かせた。
112年前に叶わなかった精霊祭を迎えてから、シェイラとフィンの関係に表立った進展はない。二人の婚約は決まったものの、いくつもの手順や儀式を経るため、正式に夫婦となるまでには年単位で時間がかかるのだ。
それをいいことに、後宮には変わらないのんびりとした日常が流れていた。国王・フィンの時代で後宮は廃止されることになったものの、実際にはまだ誰も出て行っていないし、出ていく気配もない。
むしろ、二人の結婚を見守ってから解散しようという空気まであるのだ。ちなみに、彼女たちがシェイラの心の支えと知っているフィンは好きなようにしていいと言ってくれている。
フィンは有能で冷静な国王として支持を受けながら、シェイラだけにはどこまでも甘い。それもまた、皆にとってはいじりがいがあるようだった。
「サラ様。シェイラ様もわかっておいでです。優しく見守りましょう」
唯一、シェイラの侍女として後宮に残る予定のメアリでさえこの対応だった。
ところで、今日のお茶会はシェイラの部屋で催されている。出されている紅茶もキャンベル伯爵領で人気のベルガモットフレーバーのものだった。自然と話題はシェイラのことになる。
一通りはしゃぎ終えたティルダが、あ、そうだ、という様子で口を開いた。
「そういえば、この前シェイラ様はご実家にご婚約の報告に行かれたんでしょう? ご両親がお喜びになったのではなくて?」
「……ええ、まあ、それが」
「シェイラ様、元気がないわね? 何か面倒ごとがあるならブーン侯爵家から手を回すわよ?」
「ティルダ様、ありがとうございます……」
いつもなら冗談と理解しつつきっぱりと断るのだが、今日は違った。シェイラが言葉を濁してしまったのには理由がある。
三日前、シェイラはキャンベル伯爵家に里帰りをした。それは、国王・フィンの正妃となることを報告するためだった。
手紙で済ませてもよかったけれど、兄ジョージへ向かうしわ寄せをできるだけ少なくしたかったのだ。
その裏には、キャンベル商会の権利やキャンベル伯爵家の存続にかかわる確執がある。
シェイラが後宮に上がることが決まったとき、キャンベル商会の権利を義姉ローラとその婚約者サイモンが奪おうとしているのは明白だった。
邪魔なシェイラがいなくなってやっと目的が達成できる、そう思ったところで、高位の契約魔法によって商会の権利が守られているということを知った二人はカンカンだったらしい。
(面倒なことになっているというのはジョージお兄様に聞いていたけれど……サイモン様は浅はかではないわ。顧客がこちらについていることを知ったうえで、実権を手にする機会を伺っているのよね)
強かで貪欲なサイモンは本当に食えない男である。
けれど、そんな状況の下でのシェイラと国王・フィンの婚約。キャンベル伯爵家へ報告すると、里帰りは案の定阿鼻叫喚となってしまった。
(キャンベル伯爵家は……予想通り、祝福するというよりは私ではなくローラを後宮にやればよかったと残念がっているのよね。サイモン様はサイモン様で企みがありそうだし。これ以上、面倒なことにならなければいいけれど)
実家からの扱いには慣れている。けれど、ここにいる後宮メンバーやフィンの妨げになることだけは避けたい。
そんなことを思いながら、シェイラは三日前の里帰りを思い返すことにした。





