38話・依頼と見返り
「シェイラが隣国ゼベダへ、でしょうか?」
緊張した面持ちのジョージが聞き返す。
「ああ。霧に巻き込まれたらしい。手は尽くす。このようなことになって、申し訳ない」
フィンはジョージに向かって頭を下げた。
「……シェイラはクラウスと一緒でしょうか? でしたら問題はないかと」
「? どういうことだ?」
意味が分からないという表情のフィンに、ジョージは答える。
「あの猫と一緒ならシェイラには魔法が使えます。魔導士としての彼女がその気になれば、いつでも脱出できましょう」
「あの猫は……そういう名前を」
フィンは、精霊の使いに見える猫と一緒なら魔法が使えるという事実よりも、名前の方に食いついた。
「ご存知なかったですか」
「ああ」
ジョージの顔は綻ぶ。国王に謁見しているというよりは、妹の大切な友人に話すような表情で続ける。
「6歳のときです。ある日、シェイラは変わりました。もともと泣かない賢い妹でしたが……そのうちに、あの猫を連れて帰ってきて『クラウス』と呼びはじめたのです。大事な名前を付けていたようですね」
「……とても、いいことを聞いた」
「ですから、シェイラは大丈夫です。クラウスと一緒なら」
「感謝する」
焦りばかりが先行していたフィンは大きく息を吐いた。
(そういえば……あの猫の名前を聞いたことがなかったのはそういう理由か)
気の強い彼女が、自分の前で猫の名前を呼ばない理由は容易に想像がつく。そのいじらしさとアンバランスさを思うと、やっと頬が緩んだ。
(こんなとき彼女は……敢えて自信たっぷりに振る舞って、焦りを見せることは決してしないのだろうな)
フィンは、一人異国で何かに立ち向かおうとしているであろうかつての主君を思った。
◇
「アルバート様は次期国王なのでしょう? もっとお仕事はしなくてよろしいのかしら?」
ふかふかのソファに座り、脚を組みかえたシェイラは言う。目の前にはここのところいつも運ばれてくるものと同じティーセット、スコーン、そしてアルバートの顔があった。
「大体のことは終わらせてからここに来ています」
「今のは嫌味でしたのよ。ここに来すぎだ、という意味の」
『みゃー』
シェイラは、膝の上のクラウスを撫でる。顔を上げると見えるのは、邪気のないアルバートの幸せそうな笑み。正直、シェイラはそれを見飽きたところだった。
霧のせいでゼベダに来てしまってから二週間。状況はまったく変わらない。シェイラには二間続きの貴賓室とめちゃくちゃに大きなクローゼット、そしてプリエゼーダ王国の言葉を話せる侍女が与えられた。そして、毎日のようにアルバートとのお茶がセッティングされている。
けれど、彼は暗くなる前に帰って行くしその振る舞いは極めて紳士的なもの。『軟禁される』と一瞬は思ったけれど、シェイラは完全にただのお客様と化していた。
「アレクシア様にプリエゼーダ王国のフィン陛下からお返事が来ています」
「読ませてくださる?」
シェイラは手を差し出したが、アルバートはぴらっと紙を高く持ち上げる。
「内容は、元気に過ごせ、と。それだけです」
「あら。それなら見せてくれてもいいじゃない」
「申し訳ありませんが、それは。暗号など書かれていたら困りますし」
「そんなまどろっこしいやり取りをするぐらいなら、とっくにここから出て行っているわ」
「でも、貴女には魔法が使えない」
「クラウスがいれば使えますわ」
『みゃー』
森でクラウスが力を貸してくれなかったのは、何か理由があるようだった。その証拠に、ここに来てからシェイラは普通に魔法を使っている。
この部屋には、魔法陣を描くのに適した紙とペンが置かれていた。試されているのかとも思ったけれど、置かれているのだから使うしかない。
もちろん、使っているのは眠るときに部屋に障壁魔法を張るなど身を護るためのもので、逃走を思わせる魔法には手を出さないように気を付けている。
手紙も、本当はゼベダを通さなくても出せる。けれど、痕跡が見つかって面倒なことになるのは避けたい。シェイラはもうすぐ行われる条約への調印式のことだけを考えていた。
「こんなに……まめにお返事を送るほどなのに、どうしてフィン陛下は貴女を後宮なんかに」
「ふふっ。何か誤解をされているようですが、陛下はそういうお方ではないですわ。貴族たちの不満を抑え雇用を創出するための後宮です」
「……しかし、アレクシア様は正式な婚約者ではないと」
「少し、誤解があるのですわ」
(シェイラ・スコット・キャンベルを正式な正妃候補にできなかったのは、まずキャンベル伯爵家の後ろ盾としての弱さがあるわ。けれど、前世がアレクシアだと明らかになったら、有力貴族たちが後押しする形に回った)
(それに、何よりも……フィン陛下は誤解している。ゼベダとの平和が成り立つまでは私の心がそちらには向かないと)
どんな質問にも淀みなく答えてきたシェイラの言葉が詰まったことに、アルバートは意外そうな表情を見せる。
「誤解とは……。やはり、フィン陛下は貴女に寂しい思いを」
「違いますわ」
否定する声が、少しだけうわずった。それを動揺と捉えたアルバートの顔色が変わる。
「もう一度、伺います。アレクシア様。私の元に嫁いできてはくださいませんか」
さっきまでの軽い口調が嘘のように、真剣である。
「私は、前世より貴女をお慕いしてまいりました。今はクラウス様のことをお想いかもしれませんが、きっと幸せにする自信があります。メイリア王国の第二王子では分不相応だったでしょう。けれど、今はプリエゼーダ王国と肩を並べるゼベダの王太子です」
「……」
熱っぽく告げる彼の瞳を見て、これは軽口で答えてはいけない、とシェイラは思った。そしてきっぱりと告げる。
「私は、シェイラです。アレクシアではありません」
「あ……これは、申し訳……」
「いいのです。……陛下も、シェイラ、とは呼んでくれませんし」
最後は少し小声になった。それに気付いたらしいアルバートは身を乗り出す。
「きっとフィン陛下にも複雑な想いがおありなのでしょう。前世の彼は、貴女に完璧な忠誠を誓った臣下だった。本当に大切な貴女のことを自分のものとして扱っていいのか、そんな葛藤があるのでは」
「……。貴方は随分いい人ね。グレッグ殿下と同じだわ」
「はい、私の前世ですから」
振られたばかりのはずの彼は、ニッコリと微笑む。まるで、この会話を予想していたかのように。つられて、シェイラも思いがけず心の内を明かしてしまった。
「正直、フィン陛下は私のことを随分と美化しておいでだと思うことがあるのですわ。前世での心残りも……ゼベダとの平和だと思われています」
「ああ。だから、フィン陛下は無理に迎えに来ようとなさらないのですね。無事に平和条約が結べるように」
「ええ。なぜ……その、心残りは些細な望みだったと言えなかったのかと。今とても後悔しています」
「あらゆる面で完璧に見えた貴女に、そんなにお可愛らしい面があったとはな」
アルバートがニコニコとこちらを見下ろしていることに気がついたシェイラは、赤くなった頬を隠すように両手をあて、強い口調で返す。
「……そ、それで。そろそろ話してくださいませんか。貴方が、私に何をお話しになりたかったのか。ここに来て二週間、私の行動に怪しいところはないでしょう? そろそろ信頼していただくのに足るのでは、と」
「……そうですね」
アルバートはティーカップに口をつけてから続ける。
「話したい……というか、相談です、これは」
「どんなご相談でしょうか」
「私の寿命に関することです」
その答えは、シェイラにとっては予想通りのものだった。
「失礼ですが……かつてメイリア王国の第二王子だったグレッグ殿下は平均的なご年齢まで生きられたと記憶しております」
「生まれ変わった後でわざわざお調べになってくださったのですね。ありがとうございます」
彼は、心底嬉しそうな顔をして続ける。
「私に、グレッグとしての記憶が戻ったのは今から10年ほど前……12歳の頃でした。その頃の『アルバート』は既に第一王子として頭角を現し、国王の座に就くことが決まっていた」
「アルバート殿下が優秀なのは、グレッグ殿下としての知識や記憶を使ったからではないのですね。さすがですわ」
「はい。どうやら小さな頃から随分な期待を背負っていたようです。だからこそ、転生者だと知られたときの周囲の動揺は相当なものでした」
ずっとにこやかだったアルバートの表情が少しだけ陰った。
「寿命を心配してですわよね? けれど、前世が誰なのか知られれば問題ないのでは……」
そこまで言いかけてシェイラは口を噤む。
(ううん、そんなことできっこないわ。だって彼は他国の第二王子の生まれ変わりなのだもの。かつての祖国と通じることを心配されるだけで済めばいいけれど、メイリア王国はゼベダから見れば完全な格下。彼を大国の王として相応しくないとする者が出てくるのは当然のこと)
「私の前世は明かすことができません。それを知るのは、ごくわずかな者だけです。けれど、残念なことに精霊との契約が解けていないことを判定する道具だけはありましてね」
「!」
シェイラは息を呑む。
「今ではなくても後に不安の種を残さないために、何とかしたいのです。寿命を延ばすというよりは、ただ契約を解きたい」
アルバートの目は真剣である。そして、アレクシアとしての知識を持つシェイラならできなくはないと思われているのだろう。
「それは、依頼ですわね」
「はい。見返りは」
「予定通り、プリエゼーダ王国との平和条約に調印していただくことと、私をフィン陛下のもとに帰す。たったそれだけの簡単なことですわ」
「約束しましょう」
(とは言ったものの……私自身は生きることを諦めていて精霊との契約を解くことすら思いつかなかった。……できるのかしら)
けれど、自信がないことは表には出さない。
アルバートに差し出された手を握って、シェイラは微笑んでみる。そう、アレクシアのように。





