15話・お茶会
「……よし、できたわ!」
シェイラはペンを置いて、描き上がった魔法陣を窓の光に透かす。
この後宮に来てから一週間。
シェイラの魔法陣ケースを持ち出した犯人は今のところ分かっていない。
(そもそも、部屋にはきちんと鍵をかけてあったのよね。衛兵がそこら中にいるこの王宮内で、誰かがこの部屋に侵入できるはずがないわ)
『みゃー』
今日はお天気がいい。書き物机の隣にある出窓で、クラウスはのんびり寝そべっていた。
シェイラに与えられた部屋は広い。今は後宮には4人の側室しかいないけれど、普通であればもっとたくさんの寵姫がいるはずだった。恐らく、この4つの離宮のようなものはその中でも特別な側室に与えられる予定の部屋なのだろう。
一つ一つの部屋が独立していて、二階建てになっている。入るとロビーとらせん階段があり、右手にはもてなし用のサロン、左側には主室がある。そして二階は書斎のようなものと寝室だった。
一階には庭、二階には広いテラスがあり、小さな噴水まで造られている。
(ほんっとうに、お金の無駄。だけど、この離宮のサロンを使えばジョージお兄様のお手伝いができそうだわ。……でも、無理よね。王宮の中、しかも後宮でなんて)
コンコン。
すっかり商売人になってしまった自分の思考に呆れて頭を振っていると、階下で訪問者の気配がした。
「シェイラ様、ブーン侯爵家のティルダ様がいらっしゃっています。お茶にお招きしたいと」
侍女の声に、シェイラは微笑んだ。
「はい、すぐに参ります」
この後宮での暮らしは、はっきり言って暇である。
当然国王陛下は来ないし、商人を呼んでお買い物をするぐらいしか娯楽がない。正妃ではないのでお妃教育も不要。シェイラは嬉々としてキャンベル商会の仕事をこなしているが、もしそうでなければ21歳になる前に退屈で死ぬところだった。
そんな暇な日々を紛らわすために行われるのが、この茶会である。
「まだ、誰のところにも……陛下はいらっしゃっていませんわよね?」
神妙な顔で皆のことを見回すティルダに、全員が目を瞬かせて頷く。もちろん、シェイラもだった。
「……はぁ~。やっぱりそうかぁー。てことはあの噂は本当なのかなー」
砕けた言葉に似合わない輝かしいプラチナブロンドに、翡翠の瞳。シェイラの姉ローラにも似たキツめの美人であるブーン侯爵家のティルダは、この側室たちの中でもリーダー的存在だった。
「といいますか、ティルダ様はどうしてここにいらっしゃるのですか? ご身分から言っても、正妃でもおかしくはないはずですのに」
清楚な笑顔を浮かべつつ、強烈な嫌味を放ったのはメトカーフ子爵家のサラである。けれど、確かに、ブーン侯爵家を後ろ盾に持つティルダは正妃になっていてもおかしくなかった。
「お父様は、もちろんそのつもりだったのよ。でも! 向こうから正妃は間に合ってますって断られたんだから仕方がないじゃないのよー!」
テーブルに突っ伏すティルダは22歳である。18歳と聞いている国王との歳の差を気にしているらしく、着ているワンピースは可愛らしいデザインのものだった。華やかな顔立ちと襟につけられた控えめなリボンが意外とよく合っている。
(ティルダ様は可愛らしくて面白い方ね)
ニコニコと眺めていると、隣席の令嬢に声をかけられた。
「シェイラ様、こちらのクッキーも召し上がりませんか。とてもおいしいですよ」
「メアリ様、ありがとうございます。いただきますわ」
シェイラにクッキーのお皿を差し出してくれたのはハリソン伯爵家のメアリである。控えめながらも、気が利いて優しいメアリとシェイラは仲良くなりつつあった。
シェイラも、後宮に入ると決まったからには多少の問題やトラブルに巻き込まれる可能性があるということは十分に承知していた。けれど、毎日穏やかに時間は過ぎていく。端的に言うと、平和である。
「……ねえ。本当なら、ここで腹の探り合いとか、お茶に塩を混ぜるとかそういうドロドロがあるんじゃないの!? ねえ! 私達、何で暢気にお茶してるのよ!」
ティルダが叫ぶ。
「ティルダ様がご招待くださったからですわ。ありがとうございます」
シェイラが微笑むと、メアリとサラも軽く頭を下げる。サロンに面した中庭ではチュンチュンと小鳥がさえずっていて、やはり平和だった。
「はー。国王陛下が一度でも後宮に来てくだされば、少しは張り合いが出るのに。……なんだか、ここはいいとこのお嬢様ばっかりねえ。つまんないわ」
「ティルダ様が一番のお嬢様ですわ」
シェイラの微笑みに、サラが続く。
「ティルダ様、国王陛下はどんな方なのでしょうか。王太子時代からあまり表には出られないお方でしたので、私は詳しく存じ上げないのですが」
「え? 私もよくわかんないわ。4歳も年下だし、表に出ないのは昔も同じよ。ただ、噂されてる『正妃を大事にするために後宮をないがしろにしている』っていうのは納得がいかないわね。だって、そんなタイプじゃないと思う。大体にして、どこに本命がいるのよ。そんなの見たことないわ。むぐっ」
ティルダはもそもそとスコーンを頬張っている。クロテッドクリームとジャムがたっぷりのっていて、とてもおいしそうである。
それを見ながら、シェイラもスコーンに手を伸ばす。メアリと、サラも。どうやら、同じことを思っていたらしい。
とにかく、平和だった。
(この前……後宮の奥で陛下にお会いしたことは言わない方がよさそうだわ。せっかく仲良くやれているのに)
この後宮では、過去には物騒な噂が聞かれることもあった。一人しかいない国王の寵愛を取り合うのだから当然のことではあるけれど。
それに、世の中にはシェイラの姉ローラのように性格の悪さが分かりやすい者だけではない。前世も含めて、分からない人ほど怖い、というのもシェイラは身を以て知っていた。
(本当は、この前のあの場所にもう一度行きたいところだけど……また会ってしまったら面倒なのよね)
この前、国王・フィンと偶然会ったあの場所は、小さな頃に過ごした思い出の森に一番近い。もう一度あの場所に行って、外壁に上って、景色を見渡したかった。
――そう、アレクシアとクラウスがしていたように。