卒業(スマイルジャパン)
2月27日、総理大臣は新型ウイルスによる感染拡大を防ぐため、休み明けの3月2日から春休みに入るまでの期間を全国の全ての小学校・中学校・高等学校・特別支援学校において、休校要請をする考えを示した。これを受けて、翌28日文部科学省は全国の教育委員会などに要請を行うこととし、その対応は自治体や学校に判断を委ねるとした。つまり、政府の要請を受け入れるとするなら、2月28日の当日で今年度の全過程をそこで終了せざるを得なくなったということになる…。
「どうしてなんだろう…」
卒業式が行われないまま中学校を卒業することになった和彦が呟く。
「俺たちはそういう星の下に生まれたんだよ」
半ば諦めた様な口調で幸司が唱える。
「そうね。9年前もそうだった…」
希美がそれに同調し、幼い日の思い出を呼び起こす。
三人は幼馴染で幼稚園、小学校、中学校とずっと同じ時間を過ごしてきた。希美が言った9年前の出来事はまだ幼かった三人も決して忘れることのできないものだった。
翌週に幼稚園の卒園式を控えた2011年3月11日、14時46分。昼寝の時間だったにもかかわらず、なぜか寝付けず、布団の中で寝たふりをしていた幸司は突然の異変に布団から飛び出た。それは地震だった。しかも今まで経験したことがないほどの大きな揺れだった。幸司は和彦と希美を傍に呼んで三人で頭を抱えて丸くなった。
今年度で廃園が決まっていたこの幼稚園には幸司と希美、和彦の三人しか在籍していない。
異常な事態に担任の雅子がすぐに飛んできた。
「みんな起きてる? 先生について来て」
雅子は子供たちを引き連れて園庭に出た。園庭は地面が波打つようにうねっていた。雅子が子供たちを外に連れ出したのは、それでも、古い木造の園舎の中に居るよりは安全だと思ってのことだった。
揺れはしばらく続いた。それは終わることのないもののようにも感じた。園舎の建物は屋根から瓦が音を立てて滑り落ち、建物そのものも飛び跳ねているように見えた。子供たちは雅子にしがみつくように、しかし、だれ一人泣かずに揺れが収まるのを待った。
そして、ようやく揺れが収まった。その時、希美がふらふらと園舎の方へ歩き出した。
「希美ちゃん、危ないから戻ってきて」
雅子が呼び止めると、希美は立ち止まって雅子に訴えた。
「ノンちゃんを連れて来るのを忘れたの」
「解かったわ。先生が連れて来るから希美ちゃんはここで待ってて。幸司君、和彦君、希美ちゃんをお願いね」
「うん。任しといて」
二人の自信に満ちた返事に雅子自身も勇気づけられた気がした。そして、雅子は園舎に入って行った。
ノンちゃんとはこの幼稚園のおもちゃでクマのぬいぐるみだ。希美はそのぬいぐるみをいつも昼寝の時に抱きかかえていた。
雅子は希美が寝ていた布団の中でぬいぐるみを見つけた。それを手に取ると素早く園舎から出て子供たちが居る園庭に戻った。その時だった。二度目の揺れが雅子たちを襲った。最初の揺れと同じくらい大きな揺れだった。揺れ始めた直後、園舎は積み木の家が壊れる様に崩れ落ちた。
卒園式どころではなくなった。建物が無くなったのだから。その日から子供たちは自宅待機となり、後日、園から三人の自宅に形ばかりの卒園証書が届けられた。
小学校の卒業式は何事もなく終えられた。その時は6年前のことなど思い出しもしなかった。三人そろって同じ中学校に進学し、三年間同じクラスで過ごした。来年度からは隣接する中学校と統廃合され、新築の新しい学校になるため、幸司たちがこの学校、この校舎での最後の卒業生だった。
2月28日の教育委員会からの要請を受けて学校側は生徒達には3月2日から休校することを告げ、この日が実質的な全過程の終了であることを言い渡した。
その日の放課後、職員会議が行われた。
「このまま黙って従うのが得策でしょう。子供たちにももう、そう通達していますし」
校長、副校長は教育委員会の要請に従うという見解を示した。
「待ってください。この子たちは特別なんです。この子ちだけはどうしてもちゃんと卒業させてやりたいんです」
担任の中山が校長に異を唱えた。
「中山先生、気持ちは解かりますが、もし、子供たちから感染者が出たら先生は責任をとれるんですか?」
「他の学校と違って、ここに居るのはたった10人の3年生だけなんです。しかも、彼らは9年前の震災の被災者なんです。あの時と同じ思いを僕はさせたくないんです。こういう事態ですから休校することに異論はありません。なので、せめて卒業式だけでも挙げさせてもらえませんか」
中山は食い下がる。しかし、校長も副校長も立場ばかりを気にして顔色一つ変えることもない。
「私も中山先生に賛成です」
副担任の三村が中山に賛同した。他の教員たちも頷く。
「しかしねぇ…」
「万全の対策を講じて行います。だから、お願いします」
教員全員が立ち上がって頭を下げた。校長と副校長は顔を見合わせた。
「準備はどうするのかね?」
「僕たちだけでやります。子供達にはもちろん、その日まで自宅で待機してもらいます」
「それで、いつやるんだね?」
「もちろん、3月11日ですよ」
早速、副担任の三村がその日のうちに卒業式の案内を子供たちの自宅へ届けた。
「日奈子先生、どうしたんですか? これって…」
希美は突然訪問してきた副担任の三村に驚いた。
「中山先生や他の先生たちが校長に掛け合ってくれて、みんなのために卒業式だけは挙げさせてやりたいって頑張ってくれたのよ」
「ホント?」
「ええ。本当よ。式は3月11日。だから、ここにかかれていることをしっかり守ってそれまで待っててね」
三村が持って来た案内状には当日、そしてそれまでの間の過ごし方などが書かれていた」
「先生、ありがとう! 中山先生や他の先生たちにもお礼を言っといて」
幸司や和彦の元にも同じように三村から案内状が届けられた。三人はお互いに連絡を取り合い、その事実に喜びを分かち合った。もちろんほかの生徒たちも同様だった。子供たちの晴れ姿を目にすることが出来るとあって、その親たちも中山たちの粋な計らいに感謝した。
子供たちは案内状にかかれた注意事項を守りながらその日を待った。そして、訪れた3月11日…。
来場した保護者はもちろん、子供たちも教員もマスクを着用している。講堂の入口には消毒液が置かれ、来場者の一人一人にアルコール除菌のスプレーがなされた。在校生は元々居ない。しかし、参列者の中には幸司たちの幼稚園の担任だった雅子の姿もあった。校長と副校長は欠席していたため、卒業証書を授与するのは中山だった。僅か30分足らずの卒業式だったが、子供たちも参列した保護者も誰もがはばかることなく感涙を称えた。
「こんな星の下に生まれたのも悪くはないな」
幸司がそう言って笑った。
「俺たちはどこの誰よりも幸せ者かも知れない」
和彦も満面の笑みを浮かべている。
「帰ったらノンちゃんにも報告しなくちゃ」
希美の顔にもこれ以上ないほどの笑顔があった。
「お前、まだ持っていたのか?」
希美の口から“ノンちゃん”という言葉が出て来て、幸司と和彦が顔を見合わせて驚く。
「だって、幼稚園が壊れて住むところが無くなっちゃったんだから、ずっと私が預かっていたのよ」
「そりゃいいや」
春の日差しの中に三人の笑い声が響き渡る。この先、彼らはこの日の陽射しの温かさと人の心の優しさを生涯忘れないことだろう。