表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

再掲 世界で一番可哀想な

作者: ころね





おとぎ話に出てくる、うさぎを追いかけるような少女の格好をした少年は、血みどろになった両手が朝日で照らされるのを見た。夜が明けてすぐの広い館。床に転がるその館の主からはもう寝息は聞こえないし、ましてや二度と目が覚めることも無い。あたりはしんとして、少年の上がった息の音だけが微かに響く。足元に転がるリボンのついたチェーンソーも血にまみれ、そこから肉片まで繋がるように溜まった血液が変色し、肉は固く冷たくなっていく。それをほんの少しでも温めるように、朝日が照らしていく。その時後ろから、男達の走ってくる音と「いたぞ!!」という声が聞こえてくる。少年には何故か、それまで何をしていたのか全く思い出せなかった。




「ハリー、ピアノの時間です」

冷たい声が僕を呼んだ。絵本を閉じて、お手伝いさんの方を見た。僕の方には目もくれずに、さっさと部屋から出ていってしまった。

「今晩が本番です。ミスは許されません」

冷たい声で、ぽつりと言った。真ん中に寂しそうなピアノがあるだけの部屋で、僕はお手伝いさんが横に立っているところでピアノを弾く。カーテンは締め切られ、ほこりっぽくて暗い部屋。それなのに、その部屋から聞こえてくるピアノの音色はいつも、妙に明るくて華やかな曲ばかりだった。

ピアノのレッスンが終わって部屋から出る時、綺麗な召物を着た弟とすれ違った。弟は僕の顔を見るなり笑いかけたが、その横にいたお父様が弟の顔を無理やり僕の方から背けさせた。お手伝いさんはピアノの部屋に外から鍵をかけると、お父様に深くおじぎをして、僕の背中を強く押し、部屋に戻らせた。

今日はこの家で舞踏会が開かれる。毎週のように行っているものだが、そこでいつも僕はピアノを弾かせてもらえる。僕は…それ以外には、得意なことがない。けれど弟は、僕が出来ないことは全部できる。だからお父様とお母様は僕が最初からいなかったかのように、この家も弟に継がせるつもりだろうし、いつかはこの汚い捨て犬みたいな僕も追い出すつもりなんだろう。でも僕にはピアノがある。このピアノでお父様とお母様から認めてもらえれば、僕はまた……弟が生まれてくる前みたいに、愛してもらえるはず。




舞踏会が始まる少し前、僕は先程の暗いピアノの部屋にこもってピアノの練習をした。少し後でお手伝いさんが僕を呼びに来た。僕は1週間ぶりに、ちゃんとした服を着せてもらえた。もちろん…男の子ものの、細かい装飾が施された、きらびやかな服。

「似合っているではありませんか」

「……」

その言葉に、目を伏せる。

金の刺繍が入る赤いカーペットが敷かれた壇上にお父様が登る。手短に挨拶を済ませ、ホールに集まった人々はグラスを手にしながら僕にはくだらない話を始める。今ですよ、と言いたげな、僕のピアノの横に立つお手伝いさんの顔を見て、改めて鍵盤に触れる。

軽やかだけど重厚な音色、突然鳴り出すピアノの音色に人々はくだらないお喋りを止め、静かに聞き入る。そしてピアノに合わせて皆踊り始めた。



「お母様、僕…お母様みたいなキレイなドレスが着たい。ドレスを着て踊りたいんだ。」

いつだったか、そう小声で言ったとき、お母様の身体はびくりと揺れ、開いた瞳で僕を見つめた。

「…ふっ、いきなり何を言い出すのハリー。あなたは男の子でしょう。ドレスは着れないのよ」

「…ちがう………僕は…女の子に……」

そう呟いた時に、お母様は一瞬で僕を蔑むような目付きになった。そして、僕の頬をぶった。

「ヘンリー!あなたはこの家の跡継ぎよ!そんな…汚らわしい!あなたは何か悪魔に取り憑かれているんだわ!!あぁ、可哀想なヘンリー!!」

そう言ったお母様は僕を残して部屋を出ていった。僕はそのあと、悪魔祓いをされた。それでも僕は、涙ながらにドレスを着たいと言ったが、今度はお父様に身体中痣ができて自分では身体を動かせないほどに殴られた。


「ハリー。今日はお父様とお揃いのお召し物よ。」

僕が虚ろな目でその服を見つめ、腫れた頬に手をあてがいながら目を逸らした。

「…ハリー。まだドレスを着たいと思っているんじゃないでしょうね?」

お母様は僕の首を片手で掴み、指先に力を入れた。

「……いいえ、お母様…」

息が苦しくてもお母様に笑いかけると、お母様もにっこりと笑って、手を離した。



少年はふと目を開く。もうすぐ来る曲の山場まで一気に登り詰めていく。いつもよりも上手に弾けている気がした。



僕が女の子になりたいと言った後、スチュワートが生まれた。僕の弟だ。僕の弟は、お父様とお母様が跡継ぎの僕に望んだものを全て備えていた。いつの間にか、僕には出来ないこともスチューにはできるようになっていた。出来損ないの兄を軽蔑せず、むしろ尊敬するような目をする弟が憎かった。弟が生まれなければ、お父様もお母様も僕を愛してくれた。今はどうだ?今は出来損ないの僕なんて、まるで最初からいなかったみたいじゃないか!そしてお手伝いさんは僕を冷たい顔で見るんだ。僕の体が男なのに、僕の心は女の子になりたいと願ってしまうから!!



そんな少年の瞳にふと、大きく熟れた果実のような満月がうつる。手を触れただけで落ちそうな大きな果実。そのとき、ピアノを弾く手が止まった。

ピアノの音と共に踊りをやめた人々は再びざわめきだした。異変に気づいた少年の父親が、ピアノの方へと駆け寄ってくる。

「ヘンリー、どうしたんだ、具合でも悪くなったのか?」

そんな父親の問いかけに目が虚ろの少年は消え入る声で話す。

「…いや……そうじゃなくて、僕は…」

「ならピアノを続けなさい。みなヘンリーの音色を待っている」

「そうじゃなくて、僕は……」

1度言いかけた言葉を飲み込んで、それでも吐き出しそうになる言葉を、手で押さえて止めた。そんなとき、頭の中で誰かの声がする。

『自分のしたい通りにするのよ、ヘンリー』


その声にはっとした途端。視界が暗闇に包まれ、ピアノの方へと崩れた。





気がつけば月の下で薄い光に照らされた僕とピアノがいた。何故そこで立ち尽くしていたのか分からなかった。真っ赤に塗られた鍵盤の上に、小さなネズミが横たわっている。僕は一瞬で、そのネズミを僕がこの手で殺めたんだと理解した。その死体の下に、小さな手紙があった。宛名は僕で、差出人は…。僕はその手紙を夢中で開けた。


『世界で一番可哀想なヘンリー

貴方…いや、この書き方はもうやめましょう。あなたはもう女の子として生きるべきなのだから!あなたの好きそうなドレスをピアノの中に入れておきました。このドレスを着て、ずっと踊りたかったダンスを素敵な満月の下で踊りましょう!

私はアリス・イン・ディスペアーランド。あなたのことは何でも知っているわ。あなたの今までの苦しみは私が解放してあげる。困ったことがあればいつでも私に話してね。


あなたの一番の理解者

アリス・イン・ディスペアーランドより』


僕はその手紙を読み終えたあと、急いでピアノの蓋を開けた。その中には手紙通り、水色のドレスが入っていた。僕が好きな、アリスみたいなドレス!夢中でそれを取り出して、胸にぎゅっと抱きしめた。

先程までは僕のピアノの音色が響いていたホール。ドレスに着替えた僕は辺りを見回せば、赤い血飛沫と共に人間が横たわったり、腹から真っ二つに切断されているものがあるのに気づく。それを見ても、僕は怖気づきはしなかった。なぜならその光景を、前にも1度見ていた気がしたからだ。僕は何の感情にも駆られず、むしろ楽しいような陽気な気分で一歩足を踏み出した。グラスの中に注がれた赤色の液体、それに何故かすごく惹かれて、グラスを手に取ろうとする。その横で、見覚えのある小さな手が動かなくなっているのを見た。その手を握れば、硬く冷たくなった塊でしかなくなっているのがわかる。僕の顔からは笑みがこぼれ、その顔面にグラスの血液をゆっくりと注いだ。

僕はホールを歩き回って死体で遊んだ。もう動かなくて硬く冷たい肉塊でしかなくなったそれを見るのがとても可笑しかった。ふふ、ふふふ、と、次第に口からこぼれる笑い声は大きくなる。足で蹴ったかわいいリボンがついたチェーンソーを拾い上げ、動かない死体の背中に更に刃を入れた。吹きあがる血飛沫を浴びる遊びをした。1人ずつ頭を切って、ピアノの上に頭を並べる遊びもした。楽しい、今まで生きてきた中で1番楽しいよ!僕はアリスの手紙を抱えながら、チェーンソーでめいっぱい遊んだ。

満月の下で血まみれながら遊んだ少年はピアノの鍵盤に突っ伏した。疲れて眠りたくなってしまった。満月に照らされたピアノの上で、幸せな眠りについた。





何か幸せな夢の中にいたとき、ふと目が覚めた。次第にはっきりしていく視界で寝ぼけ眼を擦ろうとしたとき、その手が濡れていることに気づく。思わず掌で目を拭うと、掌は真っ赤に血塗られる。その手を見て身体中の鳥肌が立ち、ぶるぶると身体が震えだす。

なに、これ…?

血塗れたドレスを着ているのも、どうしてピアノの上に突っ伏して寝ていたのかも、奥に見える薄暗いホールが真っ赤なのかも、全く理解が追いつかなかった。辺りをちゃんと確認すれば、肉塊と変色し始めた血液ががぼとぼとと落ちている。次第に夜が明け始め朝を迎えようとする静かなホールで、ほんのりと淡い光が次第に辺りを照らし出す。少年には不可解な景色がひとつの疑念を抱えさせ、心拍の上昇と共に冷えた汗が流れる。息が上がる少年の後ろで、何者かが走ってくる音が聞こえてくる。

「いたぞ!」

その声に反射的に後ろを振り返ると、警察官の男2人がこちらへ走ってくる。その疑念は少年の中で確信へ変わる。

どう考えたって、この場で1人だけ無傷で血塗れのドレスで生きている僕が1番怪しいだろう。でも、何も思い出せないんだ!僕じゃない!!

その男達が僕の腕を掴もうと手を伸ばしてきたとき、その手を振り払った。

手を振り払われた男たちが驚いてうろたえているうちに、僕はその場から逃げ出した。ただひたすらに、まだ夜が明けない外の街へ走った。左手で握った紙の存在に気づいても、後ろに気配を感じてひたすら走った。走って走って、もう誰も追いつかないところまで逃げたところで、暗い路地裏の中に入る。

サイレンの音が早朝の街に響く中、僕は影になった暗闇で封が開いたその手紙を読んだ。

アリス・イン・ディスペアーランド、の差出人の名前を見た時ふと、手紙の後ろをめくった。

『ありがとう、ぼくのアリス ヘンリー』

その血文字を見て僕はとても恐ろしくなって、その手紙を破って捨てた。

僕はこの手紙を今初めて見たはずだった。けれど僕はこの手紙の通りにドレスを着ているし、まるで手紙の内容に返すように裏に文字が書かれている。僕はヘンリーだ。僕がヘンリーだ。でもこの返事を書いたのもヘンリーだ。じゃあ僕は?僕は誰だった?

「ぼくは…ぼくは………」




手紙の宛名を書いて、ネズミとピアノの鍵盤の間にそれを挟んだ"アリス"は血塗れた服を脱いで丁寧にたたみ、ピアノの中にそれを入れた。元の服を着て再び"ヘンリー・ボシュワトーレ"となったアリスはまず、両手を真っ赤な水たまりに浸けた。月の光が当たると赤黒く光る両手。それから滴る血液で、楽譜を真っ赤に染め上げた。

「僕がもう1人で苦しむことはないよ…もう1人の僕がいる。…いや、わたし、かな」

そう呟きながら、目を閉じる。

再びこの身体が目を覚ますときは違う僕だ。

でもそれは偽物の「僕」で、この身体を支配するべきなのは本物の「私」よ、ヘンリー。

あなたの本当の苦しみが消えるのは、この身体からあなたが消えること。早く楽にさせてあげたいわ、世界で一番可哀想な…

「……私のヘンリー…」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ