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誰が為の黄昏  作者: あめ
【3章】 空を見上げ
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話をしよう 3

 

 そんな会話をそれぞれがしてから数日経った頃、また新しい日がゆっくり始まろうとしていた。外は田んぼを覆い尽くす青々とした稲達がすっぽりとアオサギの体を隠す陽気。夏を感じさせる強い日差しは容赦なく地面を照りつけている。


 梅雨に置いていかれた事に気がついた時には、天気予報は台風を報せていた。ニュースを一日見ていないだけで世間に置いていかれた気分になる。蒼はその日の新聞を手に取った。

 ──そんな蒼の目の前には大きな欠伸をしている白樹が居た。こちらは蒼とは違い、新聞に目をくれる気配もない。青と緑の不思議なオッドアイはのんびり、人の往来を眺めていた。


「そういえば白、白夜はどこに行ったの?」

「白夜なら子供達の相手をしてるはずよ、読み聞かせが上手らしくて、隙を見ては子供達が強請っているの」


 白樹が動く度にその髪がゆらりとざわめく。蒼は新聞を横に置き、頬杖をつくとその顔を見た。白樹は何か言いたい事があるなら言って欲しい、そんな視線を送る。次に口を開いたのは蒼だった。


「風の噂で聞いたんだけどさ、白」


 蒼の目は好奇心でキラキラ輝いていた。


「この間の任務で未確認生物をとっ捕まえてニュースになったのって白の組織の子達?」

「……ん?」


 白樹は何を言われたのか分からなかった。


「何かね、人づてて聞いたんだけどショッピングモール? で人質立て籠り事件あったじゃん。その時にその場にいたうちの奴らが見事に解決したと。まぁそこまではいいよね。問題は新聞一面を飾った未確認生物事件だよ。誰が捕まえたのか分かんないんだけど、見たいんだよね〜。本物の未確認生物」

「蒼、落ち着いて。確かにそれはうちの朱里がやったけど、蒼の所の雪斗も絡んでるやつよ」

「……やっぱりこのニュースデマ?」

「当たり前よ、私も詳しい事はまだ聞いてないけど、朱里達が恐竜の着ぐるみ着て対処したから皆勘違いしたらしいわ」


 白樹は立ち上がると窓際へと移動した。

 目下では世間で言う働いている人達が忙しなく動き、時間に置いていかれないようにしている。しかし今白樹と蒼がいる部屋は二人だけしか居ない。

 ことりと音が響く。蒼はココアクッキーを一個だけ摘むとそっと蓋を閉めた。


「そんな話をしたい訳ではないでしょう」


 白樹は静かに言った。


「怒んないでよ、白。白樹さんは──暁家についてどのくらい知ってる?」


 やがて蒼はそう言った。

 言わされた、という方が正しいのかもしれない。


「白夜から聞いたのは不老長命の一族ということ、私達が使う御伽のような異能使いの集団くらいかしらね。白夜はあまり私に言わないわ。個人的に文献を漁ったりしたのだけど……手がかりは無し」

「私もそんな感じの事を知ってるくらいだよ。ねぇ白、今度その類の話の勉強会をするつもりなんだけど、来て貰えない?」


 唐突な話だ。白樹は目を丸くして蒼を見た。


「ちょっと、その自分でまいた種というか勝手に芽生えた種というか……成長し過ぎて面倒なことになってて……。最近〈魂喰らい〉の件もあったし、賢者様の所に行ってそこら辺の擦り合わせを手伝って欲しいなぁって」

「良いけど、白夜は良い顔をしないかもしれないわ」

「大丈夫、白夜には瑠雨が言ってくれると思う。それに白夜が拒否ってもいずれ知る事になるから」


 いつもより淡々とした声。

 その時の蒼の表情を白樹は見ていない。


 ◾︎



 クーラーの効いた部屋にリゼはいた。読んでいた本に栞を挟み、箱庭の学校から渡されていた宿題を確認する。リゼは義務教育というものにお世話になり始めていた。


 リゼは学校に通ったことが無い。リゼは特異ではあるが、まだ子供なのだ。相応の年齢になったら教育機関の監視の元で学ぶという仕事を成さねばならない。リゼは漢字を読むことは苦手だが、児童書ならある程度読める。算数や理科の授業はまだ受けた事がないが、恐らくリゼにとっては何の障害にもならない。

 ──幸いな事に乾いたスポンジ状態のリゼにとって、学ぶ事は好奇心の対象だった。その全てを吸収していた。


 時計の針はまだ約束の時間を指していない。今日は学校とは別の用事があった。この用事はリゼの隣で、すよすよ寝ている白鳩夫婦には内緒にせねばならない。秘密の約束だった。勿論、危険な任務ではない。もふもふな任務だ。


 約束の時間を指していないとは言え、それよりも前に支度を終わらせるのが常識。宿題は終わらせた、朝ごはんもきっちり食べた。やる事は終わらせた。


 ちなみに今日の朝ごはんは、今年最後の苺を使ったサンドイッチだった。ふんだんに使われたバターにたっぷりの餡子を塗ったパンで苺を挟む。蒼にオススメされて、翡翠に作って貰ったのだが、これがすごく美味しかった。リゼは全身で、これは大好物になると確信した。


 リゼはちらっともう一つの机を見た。きちんと整理された机に突っ伏している影がポツリ。


「翡翠」


 カランと風に誘われて一人愉快げに氷が鳴く。リゼの言葉に答えたのはただのそよ風だった。机で寝落ちしてしまっているローリエに薄掛けのブランケットを掛ける。ペンを握り締めたまま静かに寝息を立てる、その頬の横で白鳩夫婦が身繕いしていた。



 ──私の前の主、見殺しにしてしまった人よ。



 少し震えていた声が鮮明に思い出される。リゼはローリエのその告白に何も言うことが出来なかった。

 あの時からローリエの様子がおかしくなった……とリゼは思う。口数が少なく、ぼんやりしている時間が増えた気がする。


「リゼ様、時間です」



 その声にリゼは意識をこちら側に戻した。揺蕩う夢現のような心地良さは掻き消され、頭の中に雑音が響く。最近、白樹の命を受けて千鈴はリゼの傍に居た。リゼにはまだ影たる存在は居ない。千鈴はその代役のようなものだ。

 リゼは千鈴の呼び掛けに軽く返事をすると、静かにその場を去った。



 ──パタパタと駆けていく足音を背後に一羽の蝶がそっと降り立った。一般的にはモンシロチョウと呼ばれそうな蝶の羽。実際には光を煌めかせ、凡との格の違いを見せつけている。蝶がその姿で居たのは一瞬であった。


「バカ翡翠」


 リゼが消えた部屋の中に声が響く。遠慮のない棘を込めた言の葉。大抵のそれなら無視するローリエもさすがに狸寝入りを終わらせた。蝶が軽やかに止まっていた場所には、一人の少年がいる。テーブルに軽く腰を掛け、無遠慮に居座っている。ポケットに突っ込まれた手、不機嫌そうに刻まれる靴音。

 長く伏せられていた瞳がゆっくりと開き、その薄赤で翡翠色を睨んだ。


 ローリエは顔を軽く上げると、手だけで白夜にあっち行けと伝えた。一人になりたい時だってある。だが白夜はそれを無視してローリエの脇に来た。何も言わない。珍しい、白夜なりの気遣いなのだろう。


「……白樹の所にいなくていいの」

「泣いてたんだ?」


 当たり前のように返答はない。


 白夜は天音色をぱくりと食べた。しゃりしゃりとした食感が僅かな甘みと共に消えていく。それは光に透かせば数多の色を見せてくれる。

 ローリエは紅茶を一口飲んだ。氷がすっかり溶けきったそれは、淡い夏の味がする。じっと水面を見やれば、とぷりとした赤茶がこちらを覗くのだ。

 ゆらゆら ゆらゆらと。

 深淵を覗く時またこちらも見られている。しかし、ただの紅茶が映すのは憂い顔をしたローリエ自身だった。ずっと気がついていた。そんな表情を見せたくなくて寝たフリをしていたのだから。


 幾度目かの溜息。溜息をつけば幸せが逃げると言うが、幸せな人が吐く溜息は人に幸せを分ける為でもあるだろう。だがそれも度があるものだ。無意識のうちにすっかり行われていた、その行為。

 見逃せるわけもない。


「大丈夫じゃないのはどう見ても翡翠でしょ。そんなぼーっとしてちゃ何に取り込まれるか分からないよ。ただでさえ、〈魂喰らい〉が一匹現れたばかりなのに」


 冗談混じりに言う。白夜は最近、心の隙間に潜り込んで悪さをするお化けの絵本を読んできたばかりであった。勿論、杞憂に過ぎないが。


「本命はあれじゃないわ」


 ぷいっと翡翠は白夜から顔を逸らした。ようやく立ち上がり、ほんのり開いていた窓を閉める。風の残りがローリエの髪を撫で、最後に紅茶を波立たせて消えた。

 白夜はその背中に声を投げた。


「大物は近く暫く現れてない。小さいの程度だったら白樹でも追い払えるよ」


 無言が返される。


「追い払っても私たち以外の人を襲うかもしれない」


 ──自身の感情にもう少し聡くなって欲しい。

 後に白夜は黄燐(おうり)にそうボヤいた。



「もう覚えていないのにリゼに隠れて涙を流すなんて。未練タラタラじゃん。安心しなよ、槻達は覚えてる」



 記憶を手放しても、心のどこかで、体はずっと、後悔の二文字を切り刻み続けている。時計の針に合わせてグサグサと。

 夢に見るのだ、目の前を霞むのだ、声が聴こえたのだ。それを白昼夢と呼べたらどんなに幸せなのだろう。無知は罪と宣う輩も多くいるが、無知とはいつも寛大だ。目を逸らす盛大な理由を捧げてくれているのだから。

 忘れないと前には進めないよ? お節介な誰かはそう諭してくれるに違いない。でも忘れ物があるのなら、帰り道を引き返して取りに戻らないと。どちらも道に変わりない。ただ、歩ける数には限りがあるだけだ。


 自分は知らないのに、周りの人は知っているという。

 皆が知らない彼女を過去の自分は覚えていたのだろう。


 ただ虚ろに空いた穴をローリエだけが眺めていた。



 これからもずっと、ただ惚けて眺めているだけなのか?



 否。


「未練タラタラだったのよ、他の子達とは違って。助けられたかもしれない、でも私は助けられなかった」




「今度また同じことを繰り返したらどうしよう、そういう不安でいっぱいだったのよ」



 紅茶は全て飲み干した。

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