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誰が為の黄昏  作者: あめ
【3章】 空を見上げ
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話をしよう2

 

「いかにもあの人がつけそうな名前だよ」


 白夜は懐かしむように言った。その手は緑色をくるくると弄んでいる。白夜のその言葉に翁も同意を示した。瑠雨は無言。

 蒼は詳しいことこそ知らないが、〝その人〟が優しい人だということだけは間違いないのだろう。

 月桂樹(ローリエ)にスグリ、どちらも庭木に分類されるものだ。


 ──それにしても……。


 蒼はどこか諦めたようにため息を吐くと、鉱物をしゃくしゃく食べている白夜を見た。

 蒼の記憶に無くとも先代の〈蝶使い〉達にはそれぞれ一回ずつは会ったことがあり、さらに言葉を交わしたことがあるはずだ。なのに先代についての情報が記憶の片隅にも今は残っていない。

 それ即ち、


 ──白夜にどれだけ記憶操作されてるんだろねぇ……。


 まさかその思い出だけぽっかり忘れたとかそんな事はあるまい。

 蒼の殺意に満ちた視線に気がついた白夜は、ひらりと手を振った。その顔は何も知りませんよと笑顔、だが薄赤い瞳の奥を見れば犯人だと確信するには十分だった。


「あーお、そうしたのは瑠雨かも知れないじゃん。瑠雨だってその気になればそのくらい出来るよ。僕だけを疑うのは良くないと思いまーす」

「なーんで私が話題降る前から何言いたいか分かるんだか教えて欲しいなぁ、白夜」

「蒼の考えてることなんてお見通しだよ、ちょっと瑠雨睨まないでよ。こんなの僕と蒼の間じゃいつもの事じゃん」


 蒼の後ろに立つ鋭い瑠雨の睨みに白夜は肩を竦ませた。


「白夜が前科者すぎるんだよ」


 蒼は思わず苦笑した。


「それなら良いんですけど。まぁ……言われてみればって感じはしますね」


 黄色の猫目がツイと一匹の鼠を向く。この同意は〝彼女がつけそうな名前〟という白夜の意見に同意したものだ。

 少々意外な参戦。蒼は少し目を丸くして瑠雨を見上げた。肝心の瑠雨はその視線に気がつかないふりをしている。蒼は少し不服そうにすると直ぐに諦め、その双眸をスグリへと向けた。

 いつの間にか翁の影に隠れるようにして顔だけを覗かせている。それをちらりと見ると瑠雨は腕を組み軽く頷いた。


「ええっと、申し訳ございません。詳しいことは覚えていないのです。ただ、賢者様の使いで様々なところを訪れた記憶があるので名付けはきっとその関係かと」


 目に見えて怯えたスグリは白い鼠の姿をとった。翁の肩の上で背中を丸め、視線だけは蒼の方を見ようと努力している。白夜はそれを目に入れた時、あからさまにうげっとした表情をした。直後瑠雨に思いっきり足を踏まれてそれどころでは無くなったのだが。


「待って待って落ち着いて、スグリさん。別に取って食ったりはしな……え? 今なんでビクってなったの!?」


 蒼に次に声をかけられた時、完全に平伏を示したスグリは涙目だった。


「あー蒼、そいつ僕達のことを人喰い蝶って賢者様から教えられてたらしいですよ」


 そう瑠雨から教えられた蒼は思わず天を仰いだ。──そりゃ怯えたくもなる。


「ここ少しの間に賢者様の人となりがだいぶ分かってきたよ」

「申し訳ございません……」


 うなだれたスグリは確かに何も悪くなかった。翁の指がそっとその頭を撫でる。スグリの丸い耳が安心したようにぺたりと倒れた。

 翁はすぐりの頭を撫で続けながらクックと笑った。


「賢者様は今も昔も人をからかう悪い癖は治っていないようだねぇ」

「悪い癖ですね」


 瑠雨は白色を口に放り投げながら同意した。暫くの間、特に意味もなく沈黙が続いた。時間がゆっくり進んでいるように見えるが、兎穴の時間たちは言いつけを守って何もイタズラをしていない。

 その心地良ささえある沈黙を破ったのはスグリだった。

 翁の手のひらの上で立ち上がり、しっぽを体にまきつけて言う。


「……私のその……名付け親にまた会うことは出来るのでしょうか?」


 沈黙。心地よいそれではない。スグリは残念なことにあまり触れてはいけない領域に声をかけてしまったことを察した。

 はぁっという大きなため息。その主は瑠雨。


「彼女は──」


 仕方ないとばかりに紡ぐ瑠雨。だが、その手が不安げに蒼の肩に触れていたことに本人は気がついていない。


 ■


 すっと息を言葉にしたつもりだった。


「結界に、飲み込まれて……消えた人がいるのよ」


 実際には絡まった毛糸玉のようになってしまったのだが。何度反芻して、練習したか分からない話をローリエは語ろうとしていた。広く青い空の下、直射を遮る屋根の下、話をさえぎる不都合は何もいない。聞かれて不都合な人影も何もない。

 嫌だ嫌だと深層で思う心を無にする。まだ早いかもしれないが、一度話すと決めたのだ。この機会を逃したくはない。

 少しかげる表情を見られないように、ローリエは下を向いて亜麻色を食んだ。かしゃりと軽い音がして口の中でそれは弾ける。


「結界に呑み込まれて消えると言う意味が良く分からないの」


 夏の香りが漂う紅茶。リゼはその香りを楽しみながらこくりと首を傾げた。


「分からないほうが幸せよ。近しいもので言ったら……リゼ、紅についてどのくらい知っていたかしら?」


 少し話が逸れたことにこっそり喜びながらローリエは聞いた。

 紅。朱里もとい椿の蝶。リゼは以前一度だけあったことがあった。


「えぇ、話したことは無いけれども。朱里姉さまにぞっこんな人なんでしょ? 翡翠が前言ってたわ。紅が……関係あるの?」

「えぇ、紅が持っている固有能力? っていうのかしらね。それを今度実際にやってもらうといいわ。近い感覚を知ることができると思うから」


 紅の万物の影を自在に操り、動かし、物を飲み込む能力。

 紅が仲間内で最凶だと謳われている理由がそれだ。あまりにやりすぎた能力。紅がやる気になれば気に食わないものの全てをパクリと食ってしまうだろう。


「それって……いいの?」


 リゼの瞳が不安げに揺れた。


「えぇ、心配しなくても大丈夫よ。あの紅もちゃんとそこら辺はわきまえているはずよ」


 ストローで氷をからりと遊びながら、ローリエは続けた。


「それにあの子は確かに最恐かもしれないけれどもね、実際には少し違うの」

「……? どういうこと?」

「うーん、少しズレるかもしれないけれどもどんなに強くてもね、封印されてしまえばそれまでなのよ」


 リゼは思わず目を丸くした。ローリエが紅を封印してしまえばいいとか、そういう話をしたい訳では無いのは分かる。

 ただ、倒すとか降伏させるとかばかり思い浮かんだリゼには思いつかない考えだったのだ。


「ま、ただの理想論なんだけれどもね」


 リゼの翠眼を見てローリエは笑いながら言った。釣られてリゼも笑う。

 そろそろこの場を離れようとした時、ふとリゼは聞いた。

 それはもし聞かれたらどうしようと、ローリエが少し脅えていた問いかけでもある。


「そう言えば、翡翠が言っていた結界に飲み込まれた人って……」


 リゼは何となく皆まで言えなかった。軽い沈黙が降りて、リゼが質問を取り消そうとした時、ローリエはすっと息を吐き出した。


「私の大好きだった人よ」


 関係する殆どの記憶を捨てたローリエにはその言葉に全て詰めるしか無かった。

 そしてローリエは傾いてきた太陽を見て、少し悲しそうにリゼを見た。


「そして、」




 ◽︎





「翡翠という一人の蝶の主……蝶使いだった人ですよ」


 ひゅっとスグリは息が詰まった。己が今聞いているのは、これから聞かされるのは踏み込んでは行けない領域なのではないかと。

 瑠雨はそんなスグリの心境など知る余地もない、必要も無い。ただ淡々と事実を紡いだ。


「翡翠の目の前で彼女は呑み込まれました」


 ほらやっぱり、聞いてはならなかった。

 どこか意識の遠くでそんなことを思いながらスグリは素直に息を飛ばした。


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