再会 1
七月も半ばが過ぎた。今まで降り注いでいた雨は、打って変わってなりを潜めていた。今まで湿らせていた空気を消し去るように、強く日差しが地を照らす。七月に入ってから幾日かは夏日と呼ばれる日はあったが、今日は今年最高温度を記録しただろう。
樹齢を知ろうとするのもおこがましく思ってしまう程の一本のケヤキがあった。そのケヤキは青々と茂らせたその葉で、空を掴み取ろうとするような枝で木陰を作っていた。そんな大樹を囲むようにいくつかの建物があった。渡り廊下で繋がっている建物達はその殆どが木陰の下にいた。パッと見た感じは近未来のキャンパスに見えなくもない。
ガラス張りの渡り廊下を人々が絶え間なく歩いている。一角ではまだ幼い子供達が教室で勉強をしているようだ。先生らしき人に引率されて、大樹の下の芝生で遊んでいる子供達もいる。点々と何ヶ所かに設置されているテラスでは、パソコンと格闘する人々の姿があった。
自由。
その言葉が何となく似合う場所だった。あながち間違ってはいないだろう。この場所は、子供達が巣立っていく〈黄昏〉の拠点でもあるのだから。
ここは〈黄昏〉の司令部、その建物がある場所である。街からそう遠くない場所にあるそこは、人の往来が途絶えることが無い。外部の人間の出入りはかなり制限されている為、その敷地内にいる人々は自然と全員〈黄昏〉関係者となる。
非常に広い敷地内には、まだ子供を育てるための簡易的な学校や004系列 医療機関関係の病院などが設けられている。
配属先が決まっていない子供たちはまずここに来ることになり、そしてこの場所で暫くの生活を過ごす。学び、遊び、自分の適正にあった機関及び組織を見つける。そして行き先が決まったあとは、敷地内のそれぞれの組織の事務所へ向かう。いきなり組織の建物へ向かわせる事はしない。そんな風にだんだんと〈黄昏〉での生活に慣れさせていくのだ。
そんなこの場所は通称 箱庭と呼ばれる。ケヤキだとか実家だとか呼ばれる事もある。時雨のように物心つかない頃からこの場所で育ち、組織に配属され大人になる人々を箱庭育ちと言う。外の世界を知らず、関わったことが殆どない。初めて外の景色を知るのは組織に配属された時。
悪く言うと世間知らずなのだが、〈黄昏〉にはそんな事で揶揄するような輩はいない。なぜならここに居る大多数が箱庭育ちだからだ。というのも外部から保護されてきた子供よりも、この場所で生まれた子の方が多いからである。親が両方〈黄昏〉関係者で、恋愛をし、子を成す。それを繰り返せば自然と箱庭育ちが増えていく。もちろん、箱庭育ちでない雪斗や槻もかつてはここでお世話になった。
なぜそんな場所に司令部の拠点があるのか。
それは司令部の役割である班の編成に関連する。班は情報機関や戦闘機関問わず、主に各相性、得意不得意や飛ばされる場所の治安などに配慮して形成される。雪斗達の班は全員戦闘機関所属だが、それは少し治安の悪い地域に配属予定だということが配慮されたからである。
003系列 情報機関のメンバーがいる場合は、配属先に重要視しなくてはならない企業の拠点がある場合が多い。
〈黄昏〉に住まう人々が必ずお世話になるこの場所にはその人数分の、個人の莫大なデータがある。班を編成するにあたって、箱庭に拠点があることは司令部にとって非常に都合が良いのだ。
そしてそれらの班に指示を出す。仕事を与える。……そして、班が何かしでかしたときに怒るのも司令部の非常に大事な役割である。
班に関する管轄の建物は箱庭の西側にある。普段から閑散としているその場所は、空気が蛇のようにまとわりついてくる。息を吸うことすら難しい、躊躇われるのはなぜなのだろうか。
その一室に雪斗、時雨と槻はいた。あまり好かない空気が漂うその場所は、はっきり言ってしまえば三人の肌に合わなさすぎた。常に見張られているような嫌悪感。ここに来た途端に気持ちが悪くなり、頭痛を覚え始めた。
げっそりとしながらもリラックスした様子でふかふかのソファに身を任せる三人は、現在進行形で怒られていた。
見た目五十過ぎくらいの司令部の長の一人、全体の班を取りまとめる人物。一枚板の机を挟んで三人の前に座っている。どこか疲れているように見えるのは気の所為ではないだろう。
長は大きくため息を吐き出すと、もう一度雪斗を見ながら言った。
「何を間違えたら居合わせた人たちが、未確認生物と勘違いするようなことが起こるのか教えてくれるか?」
時雨は五杯目のコーヒーをゆっくり飲み干した。他人事でありたい雪斗に負けたのか、長の視線が静かに時雨に向けられる。自然と説明責任は後衛の時雨へと移った。ちなみに槻は現場にはいなかったし、本来なら居合わせなくても良いのだが雪斗と時雨に泣く泣く連行された。そんな槻は今、笑いをこらえることに必死である。
時雨は呼ばれたことに気が付かないふりをして、またコーヒーを入れた。とぷんと表面が黒く波打つ。
「時雨」
咎めるような視線は決して怒ってはいない。別に素直に報告しても良いのだが、時雨たちは気持ち悪さを覚えながらものこの状況を楽しんでいた。最近では大人しくしていたのだが、それこそ班を結成した当初の三人は、暴れすぎて司令部にしょっちゅう呼び出されていた。未確認生命体扱いされるのも今回が初めてではない。確か、今回で七回目だ。
時雨は熱いコーヒーに砂糖を一杯入れるとゆっくりとかきまぜた。ちらりとその碧眼が長の眼とぶつかる。時雨は諦めた様に大きく息を吐いた。通る声で渋々説明する。
「未確認生物呼ばわりされる原因を作ったのは、今この場にいない朱里さんと……雪斗です」
「おい、何でだよ」
クッキーに手を伸ばしていた雪斗は、ばっと顔を上げた。でたらめな事を言うんじゃないと言おうとした雪斗だが、不穏そうな時雨の気配を察して口をつぐんだ。全てを諦めきったかのような、断頭台へと歩を進める罪人の様なそんな表情。……の裏の表情を雪斗は見たのだ。同じくそれに気が付いた槻は横の壁を見ながら、これからに備えて深呼吸をしている。
そんな中、時雨は一人淡々と続けた。雪斗のことは勿論無視する。
「詳細は後日纏めますけど、朱里さんと雪斗の二人は暗闇の中、静かに作業を行っていました。恐らくその際、朱里さんが顔ばれしない様にと身に着けていた怪獣の着ぐるみが勘違いの原因かと」
その話を再び聞いた槻は思いっきりふき出した。
着ぐるみを着ようとした朱里を時雨と雪斗は止めた。だが、嬉々として身に着け始めた朱里にはどこ吹く風だったらしい。雪斗も誘われたが、機嫌を損ねない様に丁重に断った。
人々が闇に慣れ、夜になり、朧にその姿を確認できてしまったのが失態だろう。さもなければ少なくとも見られ、騒ぎになることなど無かった。泣き喚いていた子供たちはサプライズの怪獣ショーだと途中から思い始めたらしく、パタリと泣き止んだ。隅で丸まっていた大人達は、やけに俊敏に動く怪獣に開いた口が塞がっていなかった。
時雨はそんな様子を饒舌に語った。
「静かに作業を行えばいいものを二人はどったんばったん更に暴れ始めたんです。朱里さんが来ていたのは、先ほども言ったように怪獣の着ぐるみでした。恐らくですが、未確認生物と言うのは、場で混乱した人が誤って伝えた情報かと。誇張された情報が出回っているみたいですし」
長の目は死んだ魚になっていた。
「俺は止めました」
雪斗も光を失くした目で言った。
長はぼんやりと聞いた。
「……うん、まぁ、もういいや。出回っている情報の何割くらいが正しい?」
「まぁ三割くらいが妥当じゃないですかね」
クッキーをもぐもぐしながら、時雨は適当にそう言った。
「分かった。後はこっちで適当に処理しとくよ。君たちに任せると二次災害が増えそうだし」
槻は、チョコチップがたくさん入ったクッキーを全滅させる勢いで頬張っていた。既にクッキー缶の中は空になりかけている。口直しとでも言うように槻はブラックコーヒーを飲み、言った。
「やけに早いですね」
三人は既に立ち上がっている。早くこの気持ちが悪い場から帰りたい。その一心だった。特に雪斗は早く家に帰る必要があった。朱里が野放しになっている。早く捕まえないと何をしでかすか分からない。
時雨は早い解放に素直に喜びながらも眉を寄せた。こういう時、大抵ろくな事がない。そんな時雨の心配にも気がついた長は、手元の紅茶を含むと教えた。
「正直なところ、情報機関関係で忙しすぎてそれどころじゃないんだよ」
三人は全てを察した。最近、至る所で情報機関関連が地獄になっていると聞く。槻は何も知らないふりをした。時雨はこれからの己の身を案じた。
長は続けた。
「時雨くんは確かこれから情報機関と兼業だよね」
「はい」
「強く生きるんだよ」
その言葉に全てが詰まっていた。
「──そう言えば、」
ふと、そんな長は何か思い出したかのように身を乗り出した。今までとは打って変わって、少し明るい声だ。
「君たちに会いたがっている人がいるんだよ」
「俺たちに……?」
雪斗は思わず眉をひそめた。面倒事は勘弁だ。いつでも逃げられる様に槻は扉に手をかけていた。
時刻は四時を示している。日は傾いてきたが、夏至前の今はまだ暗くなることを知らない。空を飛び交う鴉たちだけが、刻々と日没が近づいていることを教えていた。
「そうそう。どこで待つって言っていたかな……」
「思い出してください。てか会いたがっているのは誰です?」
三人はそれぞれざっと会いたがってそうな知り合いを考えた。が、分からない。会いたがっているのなら、直接連絡をくれれば良い。そもそもの話、わざわざ司令部の長を経由する理由がない。
──誰だ?
やっぱり思いつかない。三人は揃って首を傾げた。逆に長は傾げていた首を垂直に戻すと、ぽんと手を打った。どうやら思い出したらしい。
「彼女は教育エリアのテラスにいると言っていたな。待たせすぎたかもしれない。早急に向かいたまえ」
「だから誰なのか教えてくださいよ」
槻がガブリと噛み付いたのは仕方ないだろう。
遠くで鈴がちりぃんと鳴った。




