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誰が為の黄昏  作者: あめ
【3章】 空を見上げ
82/96

七月七日 2

 

 ◆■◆




「情報機関?」


 適当に入ったカフェテリアで甘いコーヒーを含みながら雪斗は首をひねった。七夕の喧騒の中、久しぶりに顔を合わせた朱里は幸せそうな顔でチーズケーキを食べている。なかなかなお値段がするそれは雪斗の財布の中身を不幸せにするには十分すぎた。

 今の朱里の中身は無論、椿。七夕の時期近辺になると〈蝶〉である紅は身を潜める。白夜も同様だ。六月末になるといつも何かに怯えたように白樹の影に身を潜める。髪をくるくるっとしながら、時折外を見る朱里の目がどこか寂しげなのは気の所為ではないだろう。


「えぇ。知っての通り最近大きなトラブルがあって、ただでさえ忙しいのに忙しさに拍車がかかっていて地味に人手不足と名高い情報機関よ。あたしも駆り出されてるわ。……まぁ仕方ないわね。各地に飛ばされていた人員も数名呼び戻されてると聞いたくらいですもの」

「朱里達がそこら辺のこと考えなかった結果だろ。死ぬ気で働いてくればいいさ」


 雪斗はざまぁみろと朱里を見た。その雪斗の表情が引きつったのは朱里がフォークを持ってチーズケーキに突き刺したから。たっぷりかけられていたベリーソースは、辺りに細かく飛び散った。

 朱里はキッと猫目を雪斗に向けた。そのまま真っ赤に染められた唇を舐める姿は蛇。猫なのか、蛇なのか。雪斗は一口コーヒーを飲むと舌を出しながら言った。


「白夜さんにチクッとく」

「な、それ最低!」


 抗議の声があげられようにも無視。周りに人がいなければ朱里は反撃に移っただろう。だがここは周りに沢山人がいる。いつもの如くここで大喧嘩しようものなら、仲良く揃って警察のお世話になるのは間違いない。

 朱里は舌打ちだけに留まった。


 それからしばらく。バニラアイスにソースがたっぷりかかった苺パフェを続けて食べる朱里に諦めの視線を送りながら、相も変わらず雪斗は二杯目のコーヒーを飲んでいた。適当な話をするうちに日はとっくに傾き、蝉の声が一層激しくなってきている。

 丁度手元にあったスプーンで、丁寧に残されていた大きな苺を奪うと雪斗は自分の口に放り込んだ。パフェカップからタレ落ちるソースと格闘していた朱里は信じられないと目を見開く。朱里から奪った苺は最高に美味しかった。

 そんな朱里を無視し、雪斗はボソリと言った。


「時雨もそこに駆り出されるな」

「ちょ、信じられないわ……これは言っても許されると思う。百回地獄に堕ちろ」


 朱里は思わず困惑しながらもやっぱりソースと格闘していた。そろそろアイスも溶け始めるだろう。苺一つを犠牲にパフェ全部が台無しになるのは避けたかった。朱里が故意に話を無視したと気がついた雪斗は、ある嫌な予感を確信した。頬杖をつき、雪斗は言う。時雨がとある機関へと駆り出される予定で、ここにもう一人同じところに駆り出される知り合いがいる。その他諸々から察するに、


「時雨を迎えに来たのか」


 雪斗の口から大きな幸せが逃げたのは仕方ないだろう。また一人、身近に厄介者が増える。数刻の間を空けたあと、朱里はとびきりの笑顔で言った。


「大当たり!」




 ■◆■




 暖かなコーヒーの香りが宙を漂い、乾燥した葉が天井を埋め尽くすその部屋で雪斗と朱里は思う存分火花を飛ばしていた。部屋で寛いでいた白い鼠は大慌てで逃げ、夜空にぽっかりと浮かぶ蒼い月も怯えたように隠れている。

 腕を組み、隠しきれないイラつきを滲ませながら、朱里は散々言ったセリフを繰り返した。イラつき、というのはまた違うか。どちらかというと殺意。


「別にあたしが時雨を誘拐することに何もデメリットはないでしょ?」


 雪斗はテーブルに転がっている雫色を指ではじき飛ばした。いつも冷静さを忘れないその表情は、飼い主が他所猫に浮気をし、何食わぬ顔で帰ってきた飼い猫の顔そのものだった。つまり拗ねている。


「いや、ある。大いにある。また俺はおうちでお留守番かよ!」


 ふわっふわの凶暴猫は雪斗をギロりと睨み、小馬鹿にしたように息を吐いた。その様子にさすがの雪斗もビクリとなる。


「うるっさいなぁ。蒼姉に進言すればいいじゃん。それとも何? 雪斗も来たいわけ? 寂しがり屋さんね」


 静かなランプに照らされた己の影と戯れながら、朱里は躊躇わずに言い切った。かれこれ激しい話し合いを初めて小一時間経ったのか。テーブルに置かれている金平糖を交互にツマミながらお互い一歩も譲る気配がない。ここの主も気を使ってかコーヒーを出してから現れる気配はない。

 茜色と亜麻色の金平糖を同時に口に放り込むと雪斗は言う。


「そうしたらそうしたで、今度は槻が危ないだろ」


 朱里はうんうんと満足気に頷いた。目の前の男は決してバカでは無い。ただお家にいなさいという命令に不貞腐れているだけなのだ。……酷くめんどくさいがバカではない。

 朱里は共に室内を照らしていた蜜蝋の焔をふうっと消した。途端、一瞬だが甘い香りが漂う。


「良く分かってんじゃない。あのまま組織にいさせれば良かったんだけど、さすがにむーり。子守りの氷も暇じゃない。雪斗がおうちで槻と一緒にお留守番してるのが最適解なのよ」

「叶さんを消せば……」

「あれはダメ」

 

 雪斗は冗談半分真面目半分に言ったセリフは、鋭利な朱里の一言によって真っ二つにされる。朱里の片目は赤く、鈍く光を反射し、じっと雪斗を見据えていた。


「あれが居なくなったら困るのはあたしたちよ。雪斗にその代理は無理。少なくともあたしは雪斗にそんな事させるなんて受け付けないわ」

「……わかった。大人しく槻と過ごすことにするよ」


 雪斗は残りのコーヒーを一息に飲み込んだ。仕方ない。今はこれで妥協しよう、と。幸いなことに暇つぶしはいくつかある。ちらりと雪斗の脳裏に少し前の出来事が思い出された。

 カプセルで眠らされている一人の女。

 地下に設けられた怪しげな施設。

 人を小馬鹿にする博士。

 そして──


「あたしは何も知らないわ。だから聞かないでちょうだい」


 どくり、と雪斗の心臓が跳ねた。


「何を」

「〈魂喰らい〉についてあたしから話せることは無い。あたしたちは知らないわ。蒼姉と白姉くらいしか知らないのよ。……あからさまにつまらなくなったという顔をしないでよ」

「なーんで考えてることばれたんだろって思っただけだ」


 朱里はその言葉に嬉しそうに笑うと言った。


「そこそこの付き合いになるでしょ」


 雪斗がそれに対してなにか言おうとした時、少し錆びたベルが響いてドアが開いた。空気が一気に動き、頬をさする。暖かなコーヒーの香りを従えて一人の老人が部屋に入ってきた。


「話は終わったかい?」

「終わったわ。こいつを黙らせるにはだいぶ根気が必要だったけど。ありがとう、(おう)


 翁と呼ばれた老人は朱里と雪斗を交互に見、目を細めた。

 とある路地裏を正確に進めば、大きな酒樽を見つけることができる。その脇に──適当に立て掛けられている木の板をずらすと、壁と同化している灰色の扉が現れる。そこを開け、進んだ先にまた扉がある。どこかの童話に出てきそうな小洒落た扉が。ほんの数名にしか渡されていない鍵を差し込むと現れるのは、小さな小さな喫茶店。身内専用のそこは通称うさぎ穴。

 蒼たちも訪れるそこの主は翁と呼ばれていた。秘密の話ごとをするには最適な場所で、翁も理解者であるため何も気にする事はない。


「雪斗、同居人の方々には帰りが遅くなるって言ってあるのかい?」

「……え? もうそんな時間なのか」


 雪斗は動かない時計を見ると、慌てたように遅くなる旨を槻たちに伝えた。時刻はもう夜の九時。さすがにのんびりしすぎたか。

 その脇で翁はコーヒーを四人分入れ直していた。そして何気ない動作で朱里の脇の誰も座っていない椅子に鉱物をいくつか転がす。朱里の影がランプに揺られてか、大きくうねる。そして影はもそもそと辺りを侵食すると実態を持った。


「相変わらず食い意地はってんな」

「うるさい雪斗。ブラックでコーヒー飲めるようになってから言いなさい」


 影があった場所に座っているのは、後ろで黒髪を括った一人の少女。顔右側にある一筋だけの紅いメッシュをクルクルしながら、朱里にもたれかかっていた。凛とした双眸は綺麗な赤。


「そもそも、」


 赤眼の少女はその指で雪斗の影を指さすと言った。


「人間様が私に文句言うのは百年早いのよ」


 ランプに照らされた雪斗の影は勝手に動き、とぷんと雪斗の腕を飲み込んだ。

 ──冷たい。雪斗は静かに感じる恐怖に思わず身震いした。


「紅、ちょっと雪斗に何してんのよ」

「べーだ。つーちゃはこいつに甘すぎなのよ。生意気。私のつーちゃに近づくな。カタツムリみたいに家に籠ってろ」


 朱里が近づいてきた、とは言い訳できずに雪斗は翁に助けを求めた。とぷんと自身の影に飲み込まれた腕はだんだん感覚をなくし、もはや本当に存在しているかすら危うい。

 少女こと紅。彼女は〈蝶使い〉の一人、朱里の〈蝶〉であった。


「紅、朱里が困っているだろう。雪斗の腕を返してやりなさい」


 翁の宥めるその言葉に雪斗は、感覚が無くなっていたのではなく、本当に腕を奪われていたことを暗に察した。ぞくり、と背筋が凍ったのは気の所為では無い。


「……はぁい」

「あとつーちゃ、雪斗にあれ渡してあげて」

「……? 何かあったっけ?」


 朱里のその一言に紅は首を傾げた。雪斗の隣に翁が座り、それぞれに新しいコーヒーが渡される。雪斗のコーヒーはブラックだった。


「おーかちゃんからの預かり物だよ。雪斗が目の前にいるし渡してもらおう」

「時雨に?」

「うん。賄賂じゃない? おーかちゃん情報機関だから」


 その場にいる全員は情報機関という単語を聞くと色々察した。そして時雨たる人物の今後を願った。


「ほらこれ」

「ありがと。渡しとく」


 紅から雪斗に渡されたそれは一つの腕時計だった。銀色のシンプルなそれはオシャレ用ではなく、見た感じ実用的なもの。だが、本来の数字を表すところの一部は青い雫になっていた。薄い水色に染められた文字盤に相まって、それは雨が降っているようだった。鎖を絡ませないようにしながらポケットに雪斗はしまった。


「そしておーりから伝言」


 朱里はその部屋の動かない時計を見ると言った。



 "時を忘れないように" 




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