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誰が為の黄昏  作者: あめ
【1章】サラダボウル
8/96

銀色 1

山桜の花びらがチラチラと迷い込む。千里アリスと吉野蒼はここ最近のことを話し合っていた。暁闇のことや、イタリア支部での出来事のことを。


 


 風が通り抜ける部屋にコトリという音が響き渡る。そして一呼吸置くと、(あお)はどこか呆れた視線を目の前に送った。


「で、あの子達に説明はしたの?」

「いや、全然」


 返答主──千里(ちさと)アリスは答えると同時に首を横に振る。


「最っ低」


 蒼は頬をひくつかせながらテーブルに置いたカップに手を触れた。木苺の柄のコーヒーカップ。何も入っていないシンプルなブラックコーヒーはとっぷりとカップを満たしていた。

 蒼が朝起きてリビングに向かえば、いつ来たのか千里がソファで新聞片手にくつろいでいた。蒼が少し期待したものの、例の双子はその場にはいなかった。話を聞けば預けてきたという。蒼は小さくため息をつくと置いたばかりのカップをとった。


「雪斗達、振り回されて可哀想に」

「まぁ、悪いとは思ったわよ」

「反省してないよね? それ。まぁ、自覚してるだけマシかなぁ」

「でしょ」


 蒼はじろりと千里を睨んだ。千里はそれに気がつくと視線を受け流すようにあっちの方向を向く。

 ──静かな空気が流れているが、ここは関東圏。大都市から離れたこの場所は名目上、蒼が借りていることになっていた。木造建築の平屋建てで、夏は涼しく冬は暖かい。年に数回しか帰って来れないとはいえ、手はかなり加えられており、少し離れた地元の人も優しい人ばかりだ。そして何より、空気が美味しい。自然豊かな周りは、非常に賑やかだ。夏にはチラホラと蛍が飛んでいるし、春には蛙の大合唱。水場が近くにないことが幸いしてか、ほっとしたことに蚊もそこまで多くない。


 蒼はコーヒーを大きく口に含むと、千里に聞いた。


「で、姫様ってどの姫様よ。何人かいるでしょ」


 コーヒーを置き、テレビをつける。ニュースが喋るのは、もう聞き飽きた国会のニュースばかり。他にネタは無いのだろうかと思いつつ、政治家達がポロリと暁闇関係とかそういうの言わないかなぁと期待してしまう。ニュースは文書書き換え問題と優しく言っているがそれは"改ざん"。蒼のような研究者に近い立場からみたら、最も行ってはならない行為だ。

 千里は軽蔑した目でテレビを見ると新聞で顔を隠しながら言った。


「白樹さん……様か。直属の部下の方も一緒だった」

「ふぅん」

「興味無さそうね」

「そりゃ、ね。聞いただけだから」


 ニュースが切り替わり、天気予報を知らせる。ここら辺は午後から雨。その事実だけを聞くと千里は蒼からリモコンを奪取し、テレビを消した。


「そう言えば……他に暁闇について何か分かった事ある? 近々会議に出なきゃならないんだけど、そこで話せるような……ネタ。面白そうなやつ」

「まだ何も。この間捕まえた奴は喋れる状態じゃ無いから回復待ちだし」


 千里は新聞を折り畳むと、ぽいとテーブルに投げた。


「そっか」


 蒼はため息をついた。収穫は特になし、か。


「元々私がこの間借り出されたのは記憶処理要因としてだけじゃ無いのよ。私の管轄も入ってたから。まぁ、それでもあそこの犬が来そうってのは元々聞いてたけど」

「あそこ?」

「そうそう。あぁ、さっき言い忘れたのか。雑魚……って(まで)でもないけれど。私達にとっては邪魔な存在に変わりないわ。強制的に記憶なくしてお帰り頂いたから安心して」

「それって…………」

 

 ピクリと蒼の眉間が動いた。

 少し不味い状況なのではないか?


 蒼の考えを読んだように千里はこくりと頷いて見せた。二人が心配している事は千里の強制的記憶処理についてでは無く、"情報が漏れた可能性"についてだ。別に二人とも邪魔な存在の心配をするほど優しくないし、暇でも無い。

 一度頷いた千里だったが、少しして首を振った。そして前言撤回するように言葉を(つむ)ぎ始める。


「いや、待って。それは無いわ。情報関係となったら003の情報機関(うち)だけど漏れるはずが無いもの。あそこのセキュリティは皆が思っている以上に堅いわ。蟻一匹通れない位のレベルじゃない。ミジンコ一匹通れないレベルなのよ?」


 その言葉を終えると千里はゴクリとコーヒーを飲み干す。

 003の幹部に限りなく近い存在である千里の言葉だ。蒼は素直に納得した。内部の人間が言うなら余程なのだろう。だから、きっとミジンコ一匹という表現も過言では無いのだろう。


 ──でも。


 どんな所にでも穴は出来るものだ。まだ情報が漏れたというのも推測、可能性、憶測。あらゆるケースは常に想定し、対処出来るようにしていなくては行けない。最悪のケースでも。

 そこまで考えた時、唐突に蒼は立ち上がった。ふらふらりと千鳥足で台所に向かっていく。千里が何となくつけたテレビはいつの間にかに子供向けの番組に切り替わっていた。


「蒼、どうしたの」

「飢え死にそう」

「そう言えば何も食べてないわね」


 千里はテレビを消し、蒼の元へ駆け寄った。

 蒼は手馴れた仕草で季節的に終わりかけの苺を半分に切っている。そして冷蔵庫から取り出したパンにバターをタップリと塗り始めた。綺麗な黄金に輝くように見えるバターはわざわざ輸入した物。国内のバターが高いならと外国産のバターを取り寄せたのだ。牧草のみ牛に食べさせて得たそのバターは後味がサッパリしている。


「千里、餡子取って」

「ほい」


 蒼は持って千里から餡子を貰うとパンに塗る。隙間なくタップリ塗ってやり、いちごを挟んでサンドする。パンの隙間から苺が盛大にアピールしている。そのサンドウィッチを包丁で切れば、これまた苺の断面図がアピールしてくる。瑞々(みずみず)しいしい赤に餡子、黄色いバター。

 千里は摘み食いしたくなるのを必死で堪えた。テキパキと使った物を片付けながら蒼が横目で千里を見ると、彼女はちぎれんばかりに尻尾を振っていた……ように見えた。

 そんな姿を見るとこっちまで嬉しくなる。そう思いながら残った早速苺を摘み食いしようとした千里の手を蒼は(はた)いた。


「ダメ。それは別に使うんだから」

「これ好きよ、蒼の十八番」


 ソファに戻り、半分に切られた苺サンドウィッチに千里はかぶりつきながら言った。


「バターと餡子塗りたくって苺をサンドしただけだよ。こんなんで好きって言うなんて千里ちょろいね。全く」


 部屋の窓は解放されており、暖かい空気が入ってくる。時折、山桜の花びらが風に乗って入ってくるのも中々良い。


「これは特別なのよ。あの子達に作ってあげようかしら」

 

 千里はパンを取る手を休めずに言った。


 "あの子達"


 ピクリと蒼は一瞬動きを止めた。止めたと言っても傍から見たら気づけない程の一瞬。殆ど動作ないその仕草に千里も気がつけなかった。蒼は何事も無かったかのように千里同様サンドウィッチにかぶりつく。でもその心中は結構複雑で。

 蒼はやや躊躇いがちに聞いた。しかしその眼光はどこか鋭い


「あの子達って」

「リゼとロゼだよ。聞きたい?」


 何もかもお見通しだよと言うように悪戯な色を千里は緑の瞳に浮かべた。千里の瞳を綺麗だと思いつつ、見詰めているとろくな事が起らない事を知っている蒼は直ぐに目を逸らした。不透明でいて深い緑色。それはまるで翡翠のよう。蒼の透き通った純粋な青とは少し反対の方向にあるのかも知れない。

 そう言えばと蒼は思考を少し飛ばす。あの時ちらりと見た紫色の瞳の双子はどこか濁っていたかもしれない。


 ドコガ?


 深く胸に突き刺さる問を何も考えないまま、蒼は千里にこくりと頷いた。そして苺サンドウィッチを食べようと手を伸ばしてもただ、空気があるだけだった。





  ■◆■◆■



 試験管。フラスコ。薬品。

 骨。内蔵。死体。

 血。白衣。人。


 街中から少し外れた場所にあるとある地下階段を千里アリスは降りた。足音だけが響き渡り、降り切った先の扉を開いた。錆び付いているとばかり思っていたが、案外あっさり開いた。


「……これは」


 声が、無機質なコンクリートの建物に響き渡る。

 最初に千里が見たのは外の光を受けて反射する埃。次に見たのは足元にたくさん散らばっているガラス片だった。

 灰色のその建物内部は意外と乾燥していて、湿気なんか知らない感じだった。ただ、そこにいたのは新鮮な空気ではない。腐敗臭。外のある程度新鮮な空気が扉から入ってこなければ耐えられなかっただろう。


 薄暗い部屋にある光は、不健康なコンピューターの鼓動だけ。

 思わず千里は眉間にシワを寄せた。そして静かに足を前に出し、部屋の再奥へと向かった。この場所が判明してから真っ先にここに来た。〈黄昏〉の関係者には伝えては来たが、ここに踏み込んだのは千里が初めてだろう。だってほら、彼は背中を向けてまだここにいる。

 そこまで高くないヒールの音が部屋を反響する。散らばっている、表の光指す世界では普段見ないものを足で払うようにして退かす。べチャリと音がする度に靴が汚れるがいちいち気にしていてもしょうがない。血だろうが、泥だろうが、洗えば綺麗になる。


 ──この部屋にずっと居たら呑み込まれてしまう。


 ふと、そう思った。ホルマリン漬けにされた何かの赤子か、何かの臓器を見たからだろうか。千里は思わず身を震わせた。出来ることなら今すぐこの場から逃げ出したい。誰か他にも連れてくるべきだった。そんな感情が心を占め始めていたからなのだろうか。

 やがて、再奥についた。


「あなたね」


 千里は溢れ出す怒りの感情をあらわにしながら、動かない彼の座っている回転椅子を脚で蹴って動かした。ある程度離れした千里が、その状態に気づいていないはずがなかった。でも、やるせない怒りの向け場が欲しかった。

 くるりと男が椅子ごと前を向く。何かに引っかかったのかマウスがガチャリと音を立て、床に落ちてあっさり砕けた。

 ぐしゃりと、耐え難い音が、響く。


「───っ!」


 想定していたとはいえ、心地良い光景ではないだけに息をのみ、口を両手で塞ぐ。パソコンの画面は無意味にERRORを吐き出していた。

 剥き出しの目はトロンととしていて焦点を持たない。力が抜けきった全身は衝撃で椅子から崩れ落ちている。少しして白髪混じりの頭がゴツンと鈍すぎる音を立ててコンクリートと衝突した。

 ──欠片が飛び散る。

 そこからじんわりと広がるどす黒い血、肌に感じさせる温かさは千里が来る直前に死んだ事を無理矢理にも悟らせた。無機質な光の点滅は彼を弔うようにも見え、また冷たいコンクリートのこの部屋は途端に霊安室に変わる。画面は何かを訴えるようにずっと、ずっと、ずっと、誰か止めるまで半永久的に、なにか訴えるようにERRORを吐き続けていた。


 千里はため息をついて腕を組んだ。見ていて心地よいものではなかった。そこから少し離れると、他よりは綺麗な壁に寄りかかった。壁が体温を奪い取る。呼吸をする度に空気が動き、唯一の生命を感じさせる。


 ──さて、援軍もそろそろ来るかしら。


 そう思った瞬間、


 ゾクリ


 まさにそんな効果音が似合いそうな程に鳥肌が一瞬で、一気にたった。感じたのは命の危険。動いたら食われる。だけど動かなくても食われる。大量の冷や汗が流れると共に、ピキリと音を立ててと中枢神経が凍りつく。生憎だが、戦闘系では無い千里は抵抗する術がない。やっぱり護衛をつけてくれば良かったな、と後悔した。

 唯一逃げる事だけが千里に出来る行動だが、もう遅い。向かってくるそれを避けようとしても、恐怖で体に力が入らない。


「………………うっ…………っ…………」


 いつの間にか蛇に締め付けられるように首を締めあげられていた。容赦(ようしゃ)なく、それは千里が息を吐く(たび)にゆっくりと力が加わっていく。目の前が点滅して、脳に酸素が足りないのを感じた。が、どうしようにも無いものはどうしようも無い。


 ──詰んだ。


 目の前が点滅すらしなくなり、真っ暗な闇に意識が沈む寸前、腐った──それでも今は美味しく感じる空気が、一気に肺に流れ込んできた。文字通り、貪るように呼吸をした。空気が動く。揺れる。咳き込みながら辺りを確認すると、いつの間にかに千里はコンクリートに座っていたらしい。尻餅をついていた。酸素が届き始めた指の末端。それはいつの間にかに首を(さす)っていた。

 目の前の空気が揺れる気配がした。眼はまだ回復しきっていないらしく、(もや)がかった光景しか見せてくれなかった。


「……悪かったね。勘違いしちゃった」


 その時に、凛とした心地の良い声が聞こえた。少し低めのその声になぜか身震いをし、鼓膜を震わせた本人を見ようと顔を上げる。

 たっぷりの銀を溶かしこんだような、それでいて真っ白な髪がぼんやりと確認できた。



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