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誰が為の黄昏  作者: あめ
【幕間】 夢の中で。
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紫晶庭へ 2

「記憶処理によって記憶を失う前のリゼ?」


 傷を見ないように、見ないようにと目を逸らしながら蒼は呟いた。記憶を失う前のリゼには会ったことがない。確実に会ったことがあるのは白樹達とその(ごえい)と────


千里(ちさと)だ……」

 

 千里アリス。

 今は亡き、蒼の親友。〈譲葉(ゆずりは)〉としての使命を知らず知らずのうちに全うし、役目を終えたら〈黄昏〉に殺された子。ぞくりという感覚と共にしまっていた罪悪感が、後悔が蒼の記憶の引き出しから溢れ出そうとする。

 全部教えればよかった、〈黄昏〉のことも〈蝶〉のことも。

 翡翠も翡翠でぎゅっと唇を噛み締めていた。


「はい。会ったことがあるのは極数人でしょう。姿形は同じなのですが、二人とも性格がまるっきり違うのです。結構最近までのリゼは、記憶処理前と後の別々な人格が共存していました。まぁ、ただの人間の容器(からだ)に二つの人格が住まうのは、さすがに負担が大きかったらしく、いつの間にか今のリゼだけが残っていましたが」


 白鼠はロゼについて意図的に触れなかった。今触れても良いことなど無い。


「経緯はともかくその、前の人格のリゼを探します。でも、そのリゼはオリジナルではありません。()()()()()()()()()()形成された……」


 もしかして、と白鼠はあることに気がついた。白鼠は少し黙り込んだ後、真っ赤な瞳に蒼と翡翠を映した。


「御二方に聞きます。〈黄昏〉の技術の一つである記憶処理。これは白夜が行う記憶の操作を参考にしたものです。それで──〈黄昏〉の記憶処理は完全ですか?」

「完全? つまり?」


 食い付いたのは蒼だった。


「一度処理された記憶を本人が思い出す可能性はありますか?」

「それなら記憶処理は完全では、ないな。知り合いがいつも言ってる。うちの記憶処理は記憶とか思い出の引き出しに大きな鍵をかける方法をとっている。そしてまぁ、特定の記憶を忘れさせる」


 でも──、と蒼は真っ赤な瞳を真っ直ぐ見た。


「記憶を閉じた鍵はどこかで必ず綻び、錆びて、壊れる。思い出しちゃいけないパンドラの箱の中身はいつか絶対溢れる。記憶処理は完全じゃない」

「やっぱりそうか……ありがとうございます。では、終わったようなので始めましょう」


 白鼠はようやく一歩前に出た。ずるり、と片足を引きずっているのが明らかだ。


「ねぇ、白鼠。あなたはなんでそんなに深くまで知って……──────っ!」


 突発的に蒼の口から出た言葉はきちんと紡がれることは無かった。布の塊。それを視界の隅に確認した途端、体が自然に回避行動を起こした。


「あら、残念」


 それは花畑の真ん中にふわりと舞い降りた。真っ白な髪には点々と赤い花弁が散り、生地が薄めのワンピースは赤を貪欲に吸って染まっていた。白髪の下からちらりと覗いたのは粋なまでの紫。

 翡翠はもちろん、蒼もその瞳を知っていた。見覚えがあった。いつか日本に帰ってきた千里を訪れた時、扉の影からこちらを見てきた紫瞳。その瞳の持ち主は、


「『リゼ』──!」


 『リゼ』は名前を呼ばれちらりと蒼のことを見たが、ついに座り込んだ白鼠にすぐ目をやった。


「白鼠さん、ありがとう。お陰様で助かったわ」


 白鼠は答えない。ただ血の塊を静かに吐くだけ。蒼が慌てて駆け寄ると、少し安心したように白鼠は静かに目を閉じた。翡翠はそんな二人を庇うように立つと乱入者に聞いた。その声は驚きを隠せていない。


「彼女達に何をしたの、『リゼ』」

「こんにちは翡翠。お久しぶりとでも言うべきかしら? 吉野蒼から勝手に、白鼠からは自主的に血を貰っただけよ。白鼠からは貰いすぎたけれど。あなたの血はダメだし」

「どうして……リゼに何かされたの?」


 問いかける翡翠の言葉は、見つめる目はひたすら優しい。リゼだから、という理由もあるだろうし何より、


「どうしてそんなに怪我してるの……」


 『リゼ』の体はどこもかしこも傷だらけで、血塗れだったから。新しい傷、古い傷、それぞれから血が滲み出て滴り、白い布を染めていたから。


 『リゼ』は悲しげに微笑み、言った。


「ちょっとね、間違えちゃった」 

「間違え、た……?」


 翡翠は思わず『リゼ』に駆け寄ると手を伸ばした。へにゃりと『リゼ』は笑い、その手をとる。翡翠がそのまま『リゼ』を抱きしめると、ぶわりと血の香りが広がった。幻想の香りだと理解していても、翡翠は恐怖で体が強ばった。

 『リゼ』は翡翠の体に力なく寄りかかると、静かに目を閉じながら言う。碧眼と一瞬視線がすれ違ったが、気が付かないふりをした。


「そう、間違えたのよ。どこで間違えたのか分からないけど。あの子壊れちゃった」


 どこか泣きそうな声だった。傷だらけの手を、血がつたっている腕を持ち上げながら、『リゼ』は白い花を一輪摘み取った。そして静かに自分の腕に突き刺すと、静かに目を閉じる。腕に突き刺さった華は新たな切り傷をその周りにつくった。そしてまた新たに流れ始めた朱色のそれを、いつ生やしたのか分からぬ細根で吸い始めた。

 真っ白い華のその花弁に点々と紅がつき始めた。翡翠が驚き、止めようとするも『リゼ』は二本目を腕に刺した。それも切り傷を作り、花弁を紅に染め始めたのを確認すると『リゼ』は安心したように、薄ら開いていた紫眼を閉じた。やがて二本の華が十分な程に染った。

 すると『リゼ』は根元でそれを折り、何でもないようにぽいっと捨てた。真紅に、深紅にそまったそれは他の華達がこぞって触手を伸ばしてくる前に四散した。パリン、と音を立てて。ガラスが粉々になるように。

 蒼と白鼠が思わずその光景に見とれているのを背に、翡翠は静かに聞いた。


「話を聞かせて頂戴。──全て」

「もちろん」


 『リゼ』は翡翠のその言葉にかすかに頷いた。そしていらないと判断したところは省き、翡翠達が望む全てを話した。正直、覚えていないところもある。記憶が曖昧な箇所がある。もしかしたら虚偽の記憶が混ざっているかもしれない。でも、全部話した。トクトク、と真っ赤な血を流しながら。

 気がついたらここにいたこと。最初に感じたのは、気付き。自分が不完全なこと、多分現実世界では自分が死んでいるということに気がついた。次に気がついたのは『リゼ』という人格が、リゼという後から作られた新しい人格に乗っ取られ済みという事実。


「私は明らかに元になった人格とかけはなれた性格をしていると思うわ。少なくともナイフを持って人を殺そうとは思わないわね。言葉を使ってリゼをいじめることを好む程度よ。私の推測だけど、私が不完全な状態でここに来たのはリゼの記憶を元にここに生み出されたからじゃないかしら。自分でも何言ってるか分からないけれど」


 数え切れないほどの矛盾に顔を顰めながら、『リゼ』はそう言った。今のセリフが答えではないことは重々承知だ。でも数多の推測の中から『リゼ』自信が納得のいった答えがそれなのだ。そう言うしかない。


 翡翠の肩に頭を置きながら、『リゼ』は続けた。

 リゼが来た時、独りぼっちで暇をしていた自分は喜んだことや真実を伝えてから泣き始めて動かなくなったリゼにちょっかいを出したことを話した。どうして真実を、ロゼが死んだという真実を知っていたのかは言わなかった。知らなくていいこともある。この願いを叶えてしまう紫晶庭という場所の悪戯だなんて言わなくていい。


 紫晶庭は意思を持っている。紫晶庭という場所は()()()願いが叶う? そんな馬鹿な。確かに()()()かもしれない。いくつかの……()()()()()()に引っかからなければ。『リゼ』はこの気紛れを今思い知っていた。生きたいと願っても生きられない。どんなに願っても体は確実に死に向かっている。それも紫晶庭のせい。


 ちらりと脳裏でそんなことを思いながら、『リゼ』は最後の記憶を言った。その時のことを思い出して思わず身を震わせた。恐怖、トラウマからなるそれとはまるで違う。言うならば武者震いのようなものか。


「ここからの脱出方法を教えてあげたの。そしたらね、あの子私の心臓抉りとったのよ! お陰様で私はここで存在することすら難しくなっちゃって」


 その声が少し興奮じみていたのは決して気の所為ではないだろう。


「でも存在してる」


 翡翠は震えた声で小さく言った。それを『リゼ』はあっさりと否定する。


「いいえ、私は死んでるわ。ここにいるのは偶然。それにリゼにあんな事されても今話してられるのは、白鼠が血をくれたからよ。一時的な復活には大量の血が必要だったの。まぁ、消えないように必死こいて血をかき集めていたのも事実だけど」

「だから」


 翡翠は自嘲気味に言う『リゼ』が傷だらけの理由に気がつくと、苦しそうな表情をした。


「言っておくけど翡翠、私そんなに優しくないわよ。リゼを壊したのが私っていえば分かるでしょう」

「でも優しくなかったら自分を代わりに傷つけることなんてしないわよ。優しくなかったらリゼを傷つけて存在を保っていればよかったじゃない。自分で血を流して、華に集めさせて、それをまた取り込んで……そんなことをしなくても良かったじゃない。優しくなかったら私たちを待つ必要なんてなかったじゃない!」

「別に。暇つぶしがいなくなるのが嫌だったから干渉しなかっただけよ。それにあなた達がここに来る可能性はかなり低かった。多分、だけどここに来るよりもっといい方法があったんじゃないかしら」


 それだけ早口で言い終わると、『リゼ』はただ唇をかんでいる翡翠を離れた。そしてこくりと黙っている蒼に目をやると、キッパリと言った。


「早く私を消しなさい。今あなたに出来るのはそれだけなんだから」

「と、言いますと」


 蒼は珍しく、物凄く不愉快そうな顔をした。別に貶められたからではない。単に今の蒼にそれが出来るとは思わなかったからだ。目の前の『リゼ』はそれを承知で蒼にやれという。

 ──せめて瑠雨がいれば。


「御伽を使って私を殺すのよ。私が瀕死状態の今ならあなたの〈蝶〉が……傍らにいなくたって安易に殺せるわ。迷いビトを救う方法はその場にいる()()()()を正しい方法で殺すこと。もう一人は幻影でも幻覚でもなんでもいい」


 『リゼ』は饒舌に続ける。


「以前あなたがやったのと同じ方法でやればいいのよ。彼女が私に変わっただけ。あの子の代わりに御伽で私を殺すの。それかね、私の首を跳ね飛ばすのよ」


 『リゼ』はにたりと笑った。



「ここは紫晶庭。願いが叶う場所よ」


 ここから出たいという願い以外はね。

 紫晶庭に都合の悪い願い以外はね。





 ■◆■



 パチリと目を開いたとき、喪失感を覚えた。何か大きな穴が心に空いているような。そんな感覚。

 次に横になって寝ていたようだから、起き上がろうとした。が、体に力が入らない。無理矢理起き上がろうとすれば、声がふってきた。


「だめ。起き上がれる程の体力は残ってないでしょうから」


 鈴を鳴らしたような声。酷く懐かしい声だった。リゼはその言葉を、声を聞くと無理矢理起き上がろうとするのをやめ、ふうっと息を吐き出した。

 流れるように声主を探すと、直ぐに見つかった。真っ黒な髪には赤いリボン。翡翠色のどこまでも澄んだ瞳、額に触れる白い肌。

 目の前の少女に千里を見て、リゼは思わず目を逸らした。


「おはよう。リゼ」

「ありが……とう」


 優しく語りかけてくる声に、嬉しそうに泣きそうに笑うその顔に、リゼが最初にかけた言葉はそれだった。

 何についてのその言葉なのか、イマイチ分からなかった。沢山助けてくれたお礼なのか、それとも裏切らないでくれたお礼なのか。一瞬、リゼの脳裏に自分とロゼを庇って血まみれになった少女の姿がフラッシュバックした。はっと息を飲み、リゼは額に置かれた手を触る。本当は起き上がり、腕をつかみたかったが体がそれを許さなかった。声すら上手く出せない。


「けが……」


 それだけで少女は何を言いたいのか分かってくれたらしい。服の袖を捲りあげ、腕を見せてくる。──無傷。


「大丈夫。私はどんな傷でも治るのよ。他の兄弟とは比べ物にならないくらいの速さで。心配しなくていいわ」


 少女は、この時ほんのりと嘘をついた。あの時負ったのは体のパーツが吹き飛ぶくらいの大怪我。回復には自信のある少女でも、日を置かないと全快しなかった。

 ふと、リゼはぐっと体が持ち上げられ、ぎゅっとされる感覚を覚えた。少女に抱きしめられたのだ。あたたかいその感覚が、凄く久しくて、懐かしくて…………それを思い出させて。


「──うっ」


 涙がボロボロと溢れ出させた。少女はリゼの頭をゆっくりと撫でながら言う。


「ごめんなさい。私のせいなの。いつかちゃんと説明する。────今はでも、子供らしく泣きなさい」


 酷く暖かな声はリゼの心の隙間にするりと入り込んできた。欲に従ってリゼは少女に抱きついた。

 寂しい。大事なものを一気に失ったリゼの脳で、その言葉がひたすら溢れていた。子供らしく、ぐちゃぐちゃに泣けば少女はただ慰めるようにリゼのことを撫でてくれた。

 嗚咽がようやく収まった頃、リゼはその言葉を聞いた。


「私は翡翠。今からあなたに従うものよ」


 思わずリゼが目をぱちくりさせれば、翡翠と名乗った少女はにっこりと笑った。


リゼ→記憶処理後現在の人格

『リゼ』→記憶処理前過去の人格



◆白い花達は『リゼ』が願って出した血吸い花。その花を通して『リゼ』に蒼と白鼠の血を送っていた。何故血が必要だったのか等は近いうちに。

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