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誰が為の黄昏  作者: あめ
【幕間】 夢の中で。
77/96

紫晶庭へ 1



──賢者様の住処に案内され、そこで一時の休息をとった蒼、白樹、翡翠。だが直ぐに目を覚ました蒼は賢者様と一対一で話をし、今回のこと、瑠雨について聞き出すチャンスを得た。

そして一足遅れて住処に現れたのは白鼠と呼ばれる医者……白樹そっくりの少女。

リゼの状態について白鼠から説明を受けた蒼、翡翠はリゼを目覚めさせる為、紫晶庭へと行くことに────

 

 ■◆■




 ドサッという音とともに痛みを感じた。どうやら身体をゴツゴツした壁に思いっきりぶつけたらしい。


「──ったい。こんなに痛いのは久しぶりよ」


 翡翠はふらふらとしながら壁を支えに立ち上がった。衝撃で服が破れていないかと確認、そして軽くグロッキー状態の蒼を見る。翡翠以上にいろいろあれだったらしい。必死に立ち上がろうとするも、へなへなと諦めて座り込む光景が全てを語っていた。

 手を貸してやろうと思ったが、翡翠自身、まだふらついている。ふと翡翠は視界の片隅にちらりと映っているその景色に気がついた。


 ──何、これ。


 そこにあったのは暴力的なまでの美しさ。足元で白く、気高く咲く花達は、キラキラとした粉をまき散らしている。翡翠達が衝突した壁には、びっしりと紫水晶が寄生していた。キラキラと紫色に輝くそれは、視界ギリギリの所までを明るく照らしている。

 翡翠のぼんやりとした視野が輪郭を取り戻す頃には、蒼も復活していた。


「うわっ凄い」


 ふと蒼が何かを感じて足元を見ると、小柄ながら他に負けじ劣らじと輝く白い花があった。目が合った、という表現がピッタリだろうか。吸い込まれるようにそれに伸ばされる腕。指先が花弁に触れる寸前、ジャキリと小気味好い音がした。反射的に翡翠が蒼の腕を掴んで引いていなければ、肉は()()の餌食になったかもしれない。


「これは卑怯だ……」


 可愛い顔をして、触れる前は可憐な花びら。だが、標的をしかと定めると獲物を狩る鋭い刃に化ける。それはまるで寓話にある、美しい姿で、声で人間を誘い、自分の領域に連れ込む寸前に正体を表す人魚。蒼はぞっとしながら、いつか聞いたその御伽話を思い出した。

 そんな蒼の腕を離すと翡翠は少々呆れたように言う。

 獲物を見失った花は、戸惑うように揺れていた。


「触っちゃダメよ。気持ちは分かるけど、ダメ」

「ありがとう翡翠。人喰い花に食べられちゃう所だった。気をつけます」


 戸惑うように揺れていた花は光を失い、やがてパシャリと四散した。その時に舞った小さな星は宙を踊り、やがて消えた。

 その恐ろしくも幻想的な光景を見ると、蒼はぽつりと呟いた。


「──なんか前にもここに来たような気がするんだよねぇ。その時は真っ暗で彼岸花が大量に咲いていて、一本の道が目の前にあったな。その後何か……重要な何かを見た気がするんだけど……思い出せない」


 さっき打った場所が悪かったのかな、と蒼は未だ痛む場所をさする。


「……本当に? あぁ、そう言えば」


 家に乱入してきた賢者様がそんなことを示唆していたっけ。思い出し、翡翠は壁伝いに移動を始めた蒼を見た。

 紫晶庭。生身の人間なら、間違っても迷い込みなどはしないこの場所。翡翠も名前は聞いたことこそはあれど、それから感じる不気味さに、知らず関わることを避けていた。


「まぁ十中八九、夢なんだろうけどね。瑠雨に心当たりあるかって聞いてもいいんだけど、何こいつ馬鹿な事言ってんだって目で見られて終わるだろうし」


 いつもの事なんだけど、と蒼は悲しそうに息を吐いた。そしてまた、移動を開始する。蒼は"ここに来たことがあるような気がする"という小さな疑問を記憶の引き出しにしまった。暫くこれでこのお話はおしまい。夢で見たことがあるだけ。それ以上、何も思い出しては、いけない。


 サクッと軽い音がして蒼の手の甲が赤に染った。

 近くにあった白い花がほんの少し赤に染った。


 ──夢。

 蒼はそう結論づけたが、翡翠は違った。それは現実だ。夢なんかでは決してない。恐らく短期間の間に二回もここを訪れたことによる記憶の混濁が起きているのだろう。それくらい強力な場所だ。何が起こっても不思議ではない。

 前回、ここを訪れた時に何があったのかは知らないが、あの過保護な瑠雨が知らないはずがない。そしてその何かとは、暁家関係で間違いないだろう。

 暇な一族だ、と翡翠は口を歪めた。暁家が今になって〈蝶使い〉や譲葉(ゆずりは)を狙い始めた理由は、察するしかない。考えるしかない。想像するしかない。きっと家の内部で何かあったのだろう。強引な方法でしか解決することが出来ない何かが。身内では解決のできない何かが。


 分身体を飛ばしてみようにも捕まったら終わりだし……、と考えながら、翡翠は紫の石達に体を預けた。蒼が壁伝いに移動しているのをぼんやりとみながら、ふとあることに気がついた。

 頭数が足りない。翡翠は今までの思考を全部ぽーいと放り出すと、そこそこ距離が開き始めた蒼に声を投げた。


「ねぇ、白鼠はどこへ消えたのか知らないかしら? 見た感じあなたと私しかいないじゃない」

「え、あぁ、そうなんだよね。さっきから探しているんだけどそれらしい人影が全く見当たらないんだ。そうだと思いたくないんだけど……もしかして置き去りにされてたりするのかな」


 冗談めかして言う蒼だったが、その顔には"もしそうなら丸焼きにして食ってやろう"と書かれていた。置いてふらりとどこかへ行く人ではないと思うけど……と翡翠も遅れて四方に目をこらす。

 その時、蒼が小さく声を上げた。そして行きのカタツムリも呆れるあのスピードは何だったのかという速さで翡翠の元へ帰ってきた。何か見つけたのだろうか、と期待を込めながら翡翠は聞いた。


「どうしたの?」

「今何か頭に落ちてきた! しかも動いてるし!」


 翡翠が怪訝な顔をしながら蒼に近づき、その頭を見ると確かに何かがいた。小さくて、丸い耳を持っていて、長いしっぽを持つ何か。

 その姿を確認した時、翡翠の口は勝手に動いていた。


「──白鼠?」


 手を伸ばしてそれを誘導する。白い鼠はふるふると身体を震わせ、翡翠の手に移動した。そして後ろ足で器用に立ち上がると、背伸びをし、辺りを見渡した。


「あたりどころが悪くて少し倒れていました。ごめんなさい」


 小さいながらもしっかりと通る声だった。そして聞き覚えのある声。


「しゃべった。ということは……やっぱりさっきの白鼠さんなの?」


 蒼が指先で小さく鼠の頭を撫でながら聞いた。光量の少ない場所でも映える真っ白な毛皮に真っ赤なお目目。幼い声であるものの、どこか落ち着いた口調。確かに共通点があった。人間ではなく鼠なのは結構大きな違いなのだが、普段から蝶と人間を行き来する生き物を見慣れている蒼にとって、非常に些細な問題であった。

 白鼠はどこか遠くを見たまま、こくりと小さく首を振った。


「そうです。諸々の事情で今はこちらの姿を取らせていただきます。とはいってもこちらが本来の姿なのですが」


 鼠姿が本体と言われても、やっぱり蒼にとっては些細な問題だった。白鼠は長いしっぽをゆらゆらと揺らしながら、蒼達の方を振り返った。


「状況を説明します。ここは紫晶庭、その場所です。今、私達の本体そのものがここにいるのではなく、それぞれの魂だけがここにいます。私達の本体──身体は抜け殻状態です。その状態だと良からぬものが喜々として入ってくるのが常なのですが、今は賢者様が傍にいるはず……いなくても白樹さんが傍らにいるはずなのでその点は安心です」


 本当に安心なのかな、と思った蒼と翡翠の背中を冷たい汗が流れ落ちた。


「そしてこの場所全体をさらった感じ、リゼという例の少女ともう一人()()()()がします。これは少々おかしいのです」


 白鼠のしっぽがしゅんと下がった。

 真っ赤に染まった白い花は、いつの間にかに闇に紛れて姿を消していた。 


「おかしい?」


 蒼は訳が分からないと聞き返した。何でもありな、何でも起こりうるというこの場所で、おかしいという事は起こるのだろうか。なんとも言えない違和感。白鼠は普通のネズミより明らかに長いしっぽをくるりと丸めた。──出来ればその矛盾に気が付かないで欲しかった。


 少しの沈黙。

 翡翠は黒髪を赤い紐でひとつに結いながら静かに言葉を待っていた。風も吹かないこの場所で蒼の髪は、はらりと悪戯に動いた。


 すうっと本当に微かに息を吸う音。

 白鼠はその真っ赤な瞳に碧眼を映した。


「────はい。もう一人()()()()……本来この場所では、()()が薄くなることは無いのです。その状態を私は"おかしい"と表現しました。存在が薄い感じ、適当な言葉を当てはめた時、ピッタリくるのは幽霊でしょうか。そこにいるのにいない感じ。感覚論で察して下さい」

「感覚論って適当すぎよ」


 翡翠は微妙な表情をしながら、白鼠に翠眼を向けた。そして少し躊躇った後、手を伸ばし、白鼠のことをつんつんとつついた。

 ふと、蒼の脳内機能ののひとつである"何かおかしいよセンサー"がピピッとまた起動した。本日二回目である。念の為、今の会話を反芻してからその疑問を口に出す。


「……待って、()()()でふよふよしてるんだよね? リゼとその、もうひとりの子は」


 楽しげに笑う翡翠に満更でもない様子でかまわれていた白鼠は、ビクリと明らかに身を固まらせた。蒼は小さな毛皮の塊が逃げないようにそっと掌を丸めた。ふわふわと毛皮が手の中で暴れる。


「存在が薄いも何も無いんじゃないの?」

「………………何で賢者様が人間に好奇心旺盛っていうか、あなたと話したかったのか分かった気がしました。ここまで変に頭の回る人間はなかなかいないです」


 くぐもった声。白鼠が逃げませんから出して下さい、と訴えると蒼は少し疑いながらも手を開いた。白鼠の言葉を聞いた翡翠は大きく頷き、同意した。


「彼女は相当よ。あの瑠雨がべったりな理由もそれなんだから。変に頭が回るし、無駄に好奇心が強くて、突発的に行動するから見張っていないといけないんですって」

「褒めてる? 絶対褒めてないよね?」

「もちろん褒めてるわよ?」


 蒼は絶対嘘だ……と思ったものの声には出さなかった。こういう時は何も言わないのが吉だと経験が語っている。

 蒼の手の上で白鼠はくるりとまわった。


「存在が薄いも何もない……これは言葉のあやということにしておいて下さい。ちなみにですが、私達も幽霊状態でふよふよしてる感じです。今の状態の私達をリゼが視認することはまずできません。物には触れられますが……それだけです」

「ふーん……まさか自分が幽霊になる日が来るとは思わなかった」


 ふと蒼は足元を見た。なるほど、言われてみれば影がない。元々存在していたのであろう白い花達が影を持っているのを見ると、紫晶庭という場所に影という概念が無いわけではなさそうだ。そして物に触ることは出来る。蒼は少々ためらった後、手身近にあった白い花を手折ろうと手を伸ばした。確かに手は触れた。だが、手折ることは出来なかった。

 白鼠は蒼の手から頭へ移動し、ふんふんと何かの匂いを嗅いでいる。翡翠は疑問を漏らした。


「あの子が、リゼが私たちの姿を視認できないなら接触できないじゃないの。それに幽霊状態……それって見える人もいるってことよね?」


 見える人もいる。幽霊が霊感の強いと言われる人々に存在を知られるのと同じことだ。見える人には見える。


「ここにリゼを突っ込んだのは暁家の人物です。今は亡きとはいえ、その関係者がここを私たちと同じように訪れる可能性は完全に否定することはできません。私達がこの常態をとっているのは、暁家の輩と接触することを……見つかる可能性を極限までなくすためです。それに最初の目的はリゼではありません」


 白鼠はすくっと二本足で立ち上がったかと思うと、不意にとんっと蒼の頭から飛んだ。慌てた蒼が手を差し伸ばすが、間に合わない。


 パサり


 蒼と翡翠が驚いて白鼠が落下した辺りに目をやると、白髪の少女がふらりと立ち上がっていた。長い白髪を鬱陶しそうに頭をふり、ふわふわとした白い毛皮に顔を埋めている。

 花畑に、薄暗闇にポカリと浮かぶ少女──白鼠(しろねずみ)は真っ赤な瞳も相まって儚げだった。その、白い足が真っ赤に染まっているのに気が付かなければ、ただ綺麗だった。


「ちょ、あなた!」


 翡翠が慌てて駆け寄ろうしたが、白鼠は静かに首を振って制す。血の香りで思わず酔いそうになった蒼の手が、不意に小さく悲鳴をあげた。


「いたっ」

「あなたも?!」


 翡翠は手を掴み、蒼が反射的に抑えた箇所を見た。蒼も釣られて見る。閉じかけと思われる傷口の隙間から尋常ではないスピードで血が滲み出していた。


 ────いつ、怪我をした? すっごく痛い。毒?


 蒼はハッと周囲に生えている花を見た。真っ赤。白鼠の声が響く。


「私は大丈夫です。多少は維持できますし、それに今はこの姿の方が都合良いのです。最初の目的は『もう一人』を説得することです。この様子だと少々骨が折れるかもしれませんが、あなたがたもいますし、更に幸いながら時間があります」

「説得する……? まだ見つけてすらいないのに?」


 蒼の声が軽く悲鳴じみていたのは気の所為ではないだろう。


「ええ。大丈夫です」


 蒼の傷を持ち合わせの布でぐるぐる巻きにしながら、翡翠は未だその場所を動こうとしない白鼠に早口で聞いた。


「聞くけど、そのもう一人って私たちが知っている人だったりするのかしら? 私たちが顔を知っている人なら話が早いわ」


 まさかね……と翡翠は脳内でちらりと最悪の想定をした。絶対違う。今、彼女は翡翠の管理下にある。それは分かっているのだが、どうも胸騒ぎがする。凄く嫌な胸騒ぎ。

 蒼の手をじんわりとぐるぐる巻きにした布から、早くも血が滲み出てきた。少しずつ、少しずつ血は布を侵食していく。その紅は本物ではないとしっかり理解していても、脳の一角で混乱している。

 早く止めないと、早く止血しないと……。翡翠は一瞬目の前が真っ暗になったのを感じた。本当に一瞬だったが。

 もっと酷い傷を、怪我を負っているはずの白鼠の声は恐ろしく静かだ。


「会ったことあるといえばあるでしょうし、ないといえば無いでしょう。なんて言ったものか……。言うなれば記憶処理をされる前のリゼでしょうか」


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