【閑話】 企
「最悪だ……」
一人の少年は草を踏みつけながら全身についた泥を落とした。うっそうと茂った雑木林の中を通るのは、さすがに辛い。雨上がり直ぐで土は泥のままで、葉は飛沫をまき散らしている。
確か招待された目的地はすぐそこにあるはずなのだが、見当たらない。一度GPSを起動し、己の位置を確認したが、それも意味なかった。どこかで場所を悟られない様に妨害電波でも出されているのだろう。その管轄は恐らく003系列。つまり情報機関。連絡を馬鹿正直に受けてここに来る前に、情報機関に寄って案内役でも雇った方が良かったかもしれない。
急がば回れとはよく言ったものだ。
無暗に進んだらさすがに迷子待ったなし。かと言ってここから動かず、考えている暇はない。微かな希望を胸に空を見上げた。人が通る道に沿って、日が差す、気が開いていると聞いたことがあるのだ。が、葉の隙間から見える光は曖昧で分からなかった。
軽く腕を組み、木に寄り掛かる。
ふと遠くに白い点が見えた。何だろうとそれを見ると、白い点は段々と近づいてきた。
「……は?」
少年の頭の上にそれは上手に着地した。固い羽とモフッとした羽毛が暖かい。頭に手をやり、剥がすようにして腕に乗せると、それは一羽の綺麗な銀鳩だった。どこかで脱走しない限り、日本の野生では見かけることのない品種だ。
タイミングと言い、偶然ではないだろう。少年は鳩に聞いた。周りに他の人がいたらきっと何あの子鳩に話しかけているんだろう、近づいてはいけません、とか思われたり子供に言ったりされるに違いないが、幸いなことに周りには鳩しかいない。
「案内役か?」
鳩は何も答えない。ただその嘴でフードの紐を遊ぶ。時折首筋を鋭く啄いてきたのはわざとじゃないだろう。多分。
少年はため息を吐くと、鳩を抱き寄せ、フードを目下まで引っ張った。旅の道連れが出来ただけ、まだ心強かった。
その場所は、草木に覆われた扉の奥にあった。崩れ落ちたコンクリートの瓦礫。そこに入口があると思わなければ引き返すような場所。行き止まり。
そこまで着くと鳩は役目を終えたと言わんばかりにどこかへと飛び去って行った。鳩が結構あっさり居なくなったことに少年は呆然とした。鳩何匹いれば羽毛布団用の羽が集まるかな、とかちらりと考えたのがばれてしまったのかもしれない。
扉を半ば強引に開け、僅かに開いた隙間に身を滑らせる。真っ暗な部屋には夜目で対応……しても良いのだが、ここは文明の利器であるスマホの懐中電灯を使う。
強い光で一気に照らされ、見えたのは土作りの壁。細く伸びているその壁は道を作っており、それに沿って進めばポツリと木の扉があった。
扉で行き止まり。更にその奥から人の気配が確かにする。少年は少し悩んだ後、数回ノックし、返事を待たず中に入った。
部屋の中央に煙草をくわえた白衣の女性がいる。そのボサボサの髪と、各所から溢れ出ている変人感には覚えがあった。いつかリゼとロゼを連れて、時雨と訪れた〈黄昏〉支部の病院。そこで兄と慕う人物と話していた女医だ。
そして、今回のリゼとロゼに関してガッツリ噛んでいる重要人物。
「あなたか」
少年こと雪斗は、どこか合点がついたとでも言うように深いため息をついた。フードを下ろす。伸びた前髪が邪魔だった。
「ヨーホー 遅かったね、少年。もう一人はとっくについてるよ」
この狭い室内で女医は煙草の煙を吐き出した。それを見た雪斗は無言で煙草を取り上げ、火を消し、一応使われてはいるらしい換気扇を動かした。酸欠で倒れたくはなかった。あと、煙草を持っていた手をわざとらしく見つめ続ける女医は無視した。
「遅かったも何も……こんな分かりづらいところにある組織も中々無いですがね。それ以前に俺は山地での訓練なんてされていません。あれと比較しないでください」
雪斗は苦々しい顔をすると、背中を向けて何やらごそごそしている"あれ"にコインを投げつけた。遠慮は必要無い。銃口を向けてやっても良いくらいだ。
その程度で死ぬはずが無いし、そのくらいの信頼はある。
「"あれ"なんて酷いぞ。こっちの情報横流しにしてやった礼はないのかよ。槻にばらすぞ。バラされろ」
机に置かれている得体のしれぬもので満ち溢れている小瓶。それで遊んでいた氷は後ろから飛んできたそれを受け取ると、ポケットにしまった。緑石のピアスが髪間から覗く。コトリ、と小さな音を立てて小瓶を元の場所に戻すと氷は雪斗を振り返った。
「冗談無くバラされそうなのが物騒すぎる」
顔色悪く、ブルりと震える雪斗。槻なら本当にやりかねない。
氷にここ一ヶ月間、組織に帰っていた槻の動向、諜報組織及び暗殺組織の動きを逐一報告してもらっていたのだ。だから槻から連絡が殆ど無くても慌てなかった。心配しなかった。
そして今回の結果──誰が生きて誰が死んだか、全て把握することができている。後から別ルートで教えて貰うことになるはずだが、情報は早いことに越したことがない。
「朱里達にも横流ししたのばれてないんだから、誉めて貰ってもいいくらいなんだよな」
「うちの姉さんたちにはばれてるっぽいけどな」
胸を張りながら自慢げに言う。そんな氷に思わず冷たい目線を送りながら、雪斗はばっさりと切り捨てた。
氷は思わず目を逸らしながら言う。足を組み、頬杖をつく。
「それはもう……諦めてる。でもどうしてそう思うんだ?」
「何の説明もされずにここに来るように命令されたんだよ。姉さんと瑠雨兄からも頼まれた」
「あぁ。それはご愁傷さま」
雪斗は手頃な椅子に腰掛けた。氷の同情するような瞳を遮断するように背を向ける。
いつの間にかに新しい煙草をくわえる博士は、ひらりと裾を翻して立ち上がった。雪斗は煙草を見て眉を寄せた。
「少年達、話は終わったかい?」
パンっと博士は手を叩いた。無駄話はそこまで、と言う様に。
「自己紹介をしよう。所属は004機関……つまり医療機関の研究開発関連。そして吉野蒼達の知り合い、知り合い以上の仲、かな?」
それを聞いた氷は思わず顔を上げた。目は見開き、暫く博士を見つめる。雪斗はその様子を横目で眺めた。
「──ということはあんた本部の、」
「さぁ?」
氷が続けようとした言葉を博士は制した。暗黙の肯定。
「名前は……弟切とでも読んでくれ。呼び方は特に気にしない。私は名前に縛られたりしないからね」
「あんまり印象良い名前ではないな」
悪戯気に言う。弟切博士はまだまともに吸ってすらいない煙草を灰皿に擦り付けた。そして手元にあったコーヒーに口つける。その一挙一動を目線だけで追いながら、雪斗は面倒事に巻き込まれたと息を吐いた。
「で、何しているかと言うと」
弟切博士は長い人差し指で何かの鍵をくるくると弄ぶと、言った。
「人とか監禁してる」
その言葉に雪斗と氷は顔色一つ変えなかった。氷は暗殺組織という組織柄、雪斗は指示組織という組織柄。そんなことは有り得るな、とは思っていたからだ。むしろそれが当たり前。それに二人はもっとエグいことを知っているし、〈黄昏〉がもっと極悪なことをやっている事も知っている、身をもって知っている。
今更驚くことなどない。
弟切博士は淡々としたままの二人を見て、丹念に仕組んだサプライズが失敗した子供のような表情を作った。
「さすがだね。こっち来て」
博士は地下室への扉を蹴るようにして開けると、二人を手招いた。
煉瓦作りの壁にそぐわないコンクリートの道を進む。ふと、氷は雪斗の耳元に囁いた。
「雪斗、ここの近くには暗殺と諜報組織の塔がある」
「あぁ、そういう事か」
「お前がどこまで悟ったかは知らないが、そういう事だ」
「氷よりも深いところまで悟ったのは確かだ」
「うわっくそ生意気」
小言の言い合いに発展した。
先頭を進んでいた博士は不意に立ち止まった。案の定、扉という名の行き止まりである。二人はそれを見ると、ピタリと良い争いをやめた。
カチャリと音がして、開かれる扉。着いたのは空調設備が完備された幽霊塔の一室だった。
「「「……………………」」」
その一室にいた三人の先客を見て、博士、雪斗、氷は思わず固まった。その三人の先客も先客で何があったのか分からない、という表情をしている。
「そう言えば、ここそんな隠し扉があった気がしなくもないね。長らく使われてないから錆び付いてると思ったんだけど」
白夜は口が裂けても"チェロ"という新しいゲームの最終確認をしていました、なんて言うまいとテーブルを背で隠した。
「失礼ね。ここの管理者はつーちゃんよ? そんなのあるはずないに決まってるでしょう」
紅はどこか自慢げに言うと、そそくさとテーブルを片付け始めた。
「遅いです。遅すぎて遅いです。でも良好なデータが取れましたね。白夜が負け続けてくれたおかげで」
そう言って白夜に笑いかけるのは瑠雨。彼は堂々としていた。
隠し扉からやってきた氷と雪斗はそっと目を瞑り、先客の用意が終わるまでしばし待つことにした。弟切博士は先客に二人のことを頼むと、何も見なかったふりをしてこっそりその場を退散した。
「こっちです。二人とも」
後片付けが大体終わると、瑠雨は二人のことを部屋の外へと連れ出した。そして更に奥の部屋へと案内する。
「こっちまでは来たことないな」
「むしろ入った事があったら僕が驚きますよ、氷。ここからは004系列機関のエリアです。関係者無しで入ったら首が飛びますよ」
数多のゲートをパスした瑠雨達は白い部屋にいた。冷たい空気が肺に刺さる人気のない部屋。ゴムの床が音を立てた。
「氷は当事者だったから、雪斗は氷から話を聞いてるから知ってると思いますけど、リゼとロゼの母を語る女が暗殺組織の槻達の前に姿を現しました」
やっぱりばれてる、と二人は顔を見合わせた。瑠雨は二人を振り返ると、念の為言っておいた。
「普段は蒼と共に怒りますよ? なんなら白樹達も加えたいところです、が今回はことがことです。特別に見逃してあげます。代わりに戻れないところまで来てもらいますけど。氷、問題です。今回、死体確認されている奴らは誰ですか」
「千里アリス、ロゼ、暁闇の良く分かんない奴」
パチパチと瑠雨は拍手した。これが言えなかったら崖まで連れて行って突き落とそうと思っていた。まぁ、死なない程度に。
「では、雪斗。ここまでの話を全て踏まえて推測してください。今から知ることについて」
雪斗は一番大変そうな内容が出されたな、とか思いつつ歩きながら答えた。
「〈黄昏〉はそのリゼとロゼの母親を殺さずに監禁している。その女の人が持っている技術がかなりヤバいやつだから」
だからその母親の死体が確認されていない。瑠雨は素直に感嘆した。
「思った以上に簡潔に纏めましたね。正解です。ちなみにここまで連れてきたのは紅ですよ。あの能力は本当に便利です」
あの能力、とはあらゆる物体の影を自在に操るという能力の事だろう。それを紅は自在に使って身を隠したり、ものを移動させたりしている。
瑠雨はこんこんっと白い扉を叩いてここだと示した。音が全く響かないところを見ると、かなり分厚い壁に覆われているのだろう。
「彼女はカプセルで寝かされています。そして洗脳も同時に行われています。その知恵を正しく使えば〈黄昏〉の糧になるのは間違えありませんからね」
「正しく使わなければ……」
「とっても楽しいことになるでしょう」
瑠雨は目を細めた。
「二人には組織柄知っておいた方が良いという判断と、こっちの勝手な事情で知ってもらうと決めました」
「勝手な事情?」
雪斗は思わず顔を上げ、瑠雨を見た。その瑠雨の猫目はどこか迷うように揺れている。いつも返事は直ぐに返す瑠雨は、少しの間何も言わなかった。迷っているように後ろで括られている長髪を弄ぶ。
やがて、小さく言った。
「暁闇こと暁家が結界に守られたぬくぬくとした場所を出てきたのは、目的があったからです。そのひとつは暁家の家訓を冒涜した者を殺せ。槻が殺した相手がそれです。蒼への依頼でしたが、少々蒼が弱っていたので彼女に結果お願いすることになりました。これは、達成。あぁ、蒼は今そっち系の養分を得たので元気になりました」
そして瑠雨は独り言のように続けた。
「話している内容は蒼にも言ってはいけません。他の誰にも。今は意味が分からなくていいです」
「姉さん、や白樹さん達にも……?」
「心労を増やすのみです。それは今、好ましくないんですよ。あぁ、白夜達も気がついていますよ。口に出していないだけで」
罪悪感があるのだろうか。瑠雨は顔を完全に伏せた。そしてボソリと暁家の二つ目の目的をいう。
「もうひとつの目的は、〈蝶使い〉もしくは〈譲葉〉を捕らえること。実際蒼が少し危なかったです。拒否の意思は示しておきました、が」
氷はひゅっと息を飲んだ隣の雪斗を見た。顔がこれ以上無いくらいな真っ青である。瑠雨も雪斗に視線を向けた。
「彼女が、狙われるのは間違いないでしょう」
蒼の〈譲葉〉が次に狙われます。
2章 完




