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誰が為の黄昏  作者: あめ
【2章】月明かりに泣く・後編
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after story 3

 槻はふと朱里を見た。


「朱里……?」


 朱里な、大きな目を見開いて固まっていた。文字通り。その手からスマホが滑り落ちても、その角が膝に当たっても、動き出す気配はない。槻は一瞬、ポテチの食べすぎかな? なんてことを思ったが、ありえない、と直ぐに否定した。その程度で硬直するやわな神経を彼女は持ち合わせていない。

 真夜中に板チョコを食べるような人だ。体重どころかニキビもあまり心配したことはないだろう。

 となると、


「朱里……? まさかさっきの飲み物に本当に毒が入ってたんじゃないよね……?」


 仕事柄、そういう思考をしてしまう。パッパッパッとこういう状態を引き起こす毒が頭の中に閃く。でもやっぱり朱里の事だ。槻程度が思いつく毒達の耐性くらいは持っているだろう。それこそ未知の有用な抗体が、血液の中に沢山あるかも知れない。


 ──朱里の血液、004機関に高く売れるのでは……?!


 004機関。すなわち医療機関もとい〈黄昏〉の研究所。



 違う。そうじゃない。



 槻の脳内で誰かが突っ込んできたが、所詮気のせい。無視である。それは雪斗の様な声をしていた気もするが、割愛。

 槻は少し考えてツンツン、と朱里のほっぺたのあたりを優しくつついた。軽く爪痕が着いてしまったので、世間的に言う"軽く"ではなかったかもしれないが、些細な問題である。そんなの気にしなくても、人間十分生きていける。

 丁度その辺にスイッチがあったのか、何なのかは知らないが、朱里の生存反応があった。ピクリ、と眉間のあたりが動いたのだ。

 手応えを感じた槻は、脳震盪を起こさない程度に揺さぶる。


「朱里さーん、大丈夫ですかー?」


 生命反応があったとはいえ、硬直状態が続いているままの朱里にさすがの槻も心配になった。


「やっばい……」

「あ、喋った」


 槻は膨らませていた風船を後ろ手に隠しながら言った。

 幸いなことに朱里は気が付いていない。


「まずいまずい」

「喋ったけどどこかおかしいな、ってうわぁ!?」


 朱里はいきなり立ち上がると、真っ青な顔のまま槻に言った。壁に激突しかけた槻は涙目になりながら、恨みがましい視線を朱里に向けた。風船はふわふわと空中を飛び跳ねる。

 そんなことは露知らず。朱里は一瞬で身なりを整えると、宙に言葉を置いてどこかに消える。


「槻、ごめん。ちょっと用事思い出したから! いってきます!」

「いいいいってらっしゃい」


 辛うじて槻はそれだけ言った。

 過ぎ去った嵐のいた場所を、ポカンと見る。ほのかな残り香はすぐに掻き消えた。槻は窓枠を支えにして立ち上がると、風船を回収した。それを手で弄びながら、開けっ放しにされた扉を閉める。嵐が勢いに任せてぐちゃぐちゃにしていった部屋を簡単に片付けると、槻はやれやれとベッドに腰かけた。


「…………えぇっと、どこに行くんだか聞いとけばよかった」


 朱里がこんな感じに嵐と化してどこかに行くのは初めてではない。今までにもちょくちょく何回もあったし、それに対して特別何か不満を思ったこともない。そして何でいなくなったのかを聞いたこともあまりない。恐らくと言うか確実に朱里が嵐になるのは、仕事関係だろうから。

 ただ、今は少し状況が別だ。この間の事に関して説明されていた時に、説明役がどこかへ飛んで行った。せめてキリの良いところまで説明していって欲しかったものだ。


「まいったなぁ。『お菓子を置いておきました』 ──ヘンゼルとグレーテルみたいなセリフだったけど」


 朱里が硬直して飛び出して行った直前の会話がそれだから、それが関係しているとしか思えない。槻は布団にごろりと寝転がりながら、脳を働かせた。枕元の一口チョコレートを摘む。苦味のある香りが咥内に広がった。


 ヘンゼルとグレーテル……。千里アリスに連れられてやってきたリゼが、持っていた本でもある。槻はそのお話の名前を聞いたことこそはあれど、幼い頃に読んだことは無かった。二人に読み聞かせるため、少し前に軽く読んだのが初めてだ。感想は特に持たなかった。別に魔女を可愛そうだと思わなかったし、物語の兄妹が何やかんやされていても特に何もなし。

 あの本はまだ、家の本棚にあるのだろうか。時雨の本とともに、今も並んでいるのだろうか。


 ──あるんだろうなぁ。


 時雨に連絡しないとなぁ、と()()()溜息をつく。その連絡が回っているならまだいいが、時雨が今の二人の状態を知らないなら槻には関係者として伝える義務がある。伝えたところで、どうにもできる問題ではないのだが。まぁ、何も知らないよりはいいだろう。

 どう思うかは時雨次第だ。雪斗は全部……知っている気がした。なぜだか分からないけれど、知っている気がした。もしかしたら全部。指示組織だからかな? と槻は少々不満げに息を吐いた。そしてガーゼケットを首元まで引っ張り、脳に任せて好き勝手考える。

 もし仮にその、ヘンゼルとグレーテルことお菓子の家が関係するとして当てはめるなら。ヘンゼルとグレーテル。性別がそれどれどれなのかは分からないが、確か男女の双子。それをリゼとロゼとする。悪い魔女とかそこら辺の悪い人達が暁闇。

 五秒ほど考えて槻は唸った。


「うん、分かんないや」


 面倒になったので槻の脳は思考を放棄した。そもそもその理論で行くと槻たちの出番がない。悪い魔女を倒す何かは物語の中では兄妹だ。悪い魔女を倒すヒーローそんなものは作中には存在しないのだ。

 強いて言うなら……魔女を殺した大釜?

 そんなのは勘弁だと槻は首を振った。せめて生き物がいい。無機物は嫌だ。


 潔く諦めたのが良かったのか分からないが、次の瞬間、槻の脳は朱里のことを考えていた。槻の幼馴染である彼女。まさか雪斗と知り合いだとは思わなかった。案外、世界は狭いものである。


 ──いや、私が知っている世界が狭いだけかな。


 もし〈黄昏〉という名の箱庭にすんでいなかったら、もっと世界が広かったかもしれない。学校で友達とお昼ご飯を食べて、放課後バカ騒ぎをして、テストに苦しんで、平和な世界を歩き続ける。ifストーリー。


 槻は自嘲気味に笑った。それは確かに楽しいだろうし、幸せかもしれないだろう。でも槻は人殺しとして生きて、諜報部隊として生かされ、今を生きる。そんな生活を楽しんでいた。安全圏で生きているよりも、命の綱渡りをしている。そっちの方が楽しいと知っていた。消して、奪って、殺して、盗んで、殺される。なんて楽しい"今"なのだろう?


「ん、あれ……?」


 ふと、シャボン玉が割れるように思考の片隅で何かが弾けた。

 ──気がついて、気がついて、と。


 暇を貰って帰ってきたと言っていた朱里。暇を貰った……すなわち少し前まで何か仕事をしていたのだろう。そして組織に一時帰宅。組織の部屋を実家として帰ってくる諜報組織の人は少なくはない。もとより、戦闘機関の諜報組織は、配属されている人数が他組織にくらべて圧倒的に少ない。003 情報機関みたいな大規模な組織のように、部屋を開ける必要が無いのだ。


 でも、暇を貰ったとはいえども、数週間前に槻と一緒にリーダー室に呼び出されていた。ハニトラ組織が引っ張りだこな、その一面を少し見た気がしなくもない。


 呼び出されていた理由──その直前に行っていた仕事の報告、ではないだろう。諜報組織の中にありながら、別枠として設けられているハニトラ組織のリーダーは諜報組織のリーダーではない。ハニトラ組織のリーダーに位置するのは本部の人間。言ってしまえば、ハニトラ組織は本部直属とも言えるだろう。詳しいことは相も変わらず、機密情報という非情な壁があるため分ならない。朱里が話せる範囲で教えてくれた情報を持っているのみだ。

 朱里が仕事の報告をするなら組織のリーダーではなく、指示を出した本部の人間にだろう。

 となると、


「矛盾してない……?」


 基本的にリーダーの部屋に入れるのは、仕事の関係の話をするときだ。報告も然り。他の雑談や訓練の話をする時は、必ず別の部屋で行われる。例外はあるのかもしれないが、その仮定で行くと朱里が槻と共に呼ばれたのは、同じ仕事を行わせるためだったのではないか。あの部屋で槻と朱里は同じ内容の話を白樹達も混じえて話されるはずだったのではないか。

 でも、実際にはそうはならなかった。朱里の体調不良とやらに白夜が気付いてしまい、朱里は退室させたからだ。


「多分別に朱里はまた呼び出されて、同じ話をされたはず……でも、私と一緒の仕事を指示されなかった」


 暁闇のことに気を取られて、他のことに気を取られて、仕事中に周りの気配を伺わなかったのが悔やまれる。槻の勘というか思考は、あの場に朱里がいた可能性を叩き出した。槻の推測の通りなら、朱里が槻の影に潜み、別な仕事をしていたはずだ。だから、朱里は槻と一緒にリーダーに呼び出された。朱里も槻の動向を把握するために。

 でも、確信するのに必要な何かが足りない。でも、そう考えると今回のお仕事の手厚さ、すなわち白樹や白夜、そしてローリエが待機していた理由もしっくりくる気がした。


「朱里が私の影で行っていた何かは失敗できない何か、確実に本部絡み……」


 月と太陽が逆だよ、と槻は眼を伏せた。昼間の月という言葉こそはあれども、夜中の太陽とかいう矛盾した聞いたことがない。槻は一本取られた気がした。

 そして朱里もといハニトラ組織……さらにその後ろに隠れている本部の存在を確実に感じとった。今まで雲に隠れていた本部という存在が、一瞬だけ姿を見せた。

 ぞっとした。


 そんな時、タイミング良くか悪くかは知らないが、シャボン玉がまた弾けた。

 パンっという大きな音を立てて。

 ふんわりと思考を飛ばしていた槻は、思わず優しく抱きしめていた風船を見た。──割れていない。そして頭の中でぐるぐるとぐるぐると渦巻き始めた違和感に手を伸ばし……捕まえた。

 それはつい先程の朱里のセリフ。


『くそ生意気な蝙蝠(こうもり)が飛び回っている家は、絶対嫌よ』


 どうして、どうして…………


 朱里はどうして、槻の家の蝙蝠のことを知っているのだろう?


「言ってないはずなのに………………」



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