afterstory 1
槻と朱里の共同部屋で、二人はゴロゴロダラダラ遊んでいた。仕事後の一休み、というものである。
唐突に朱里は呟いた。
「……にしても槻のその傷引くわー」
「引かないでよ。擦過傷ですんだだけまだマシ、褒めてよ」
槻は溜息をつきながら言った。頬や腕に得た多くのかすり傷。腕や腹には青黒い打撲痕。夏も始まりだと言うのに長袖を着て隠してはいたものの、朱里にはバレバレだったらしい。
気を使ってかガン見はしてこないものの、チラチラと槻の瘡蓋達を見ている。
「そんなに気になる?」
「そりゃあ、ねぇ? 槻が階段から転げ落ちたり、訓練の時の罠に全部引っかかったりした時よりも酷そうだからねぇ」
「人の黒歴史掘り返すのやめて欲しいな。朱里、何でそういう事ばっかり覚えてるの」
都合良すぎる記憶力だよ、と槻はボヤいた。ハート型のクッションをぎゅっと抱きしめ、朱里の方を向く。豊かな髪の毛を好きにさせている朱里は、ぼんやりと天井と睨めっこしていた。
「────朱里も。胸の辺りに包帯巻いてるでしょ」
「んふふ、さらしよ。槻には必要無いでしょうけど」
朱里は自分のことはそっちのけで心配してくる槻を軽くいなした。槻は珍しく逃げを選択した朱里に対し、思わず眉をひそめた。何か隠してる。そう気がつくのはただの勘なのか、それとも長年の付き合いによる経験からなのか。
もしかしたら、両方。
「朱里のバカ」
「詮索屋は嫌われるわよ」
「なんか今日の朱里、いつも以上にひどい言葉しか言わないね」
言われた朱里の口元が歪んだ。
詮索屋は嫌われる。
それだったら諜報組織は──槻はどうなるのだろう。
嫌われているか? 否。
好かれているか? 否。
どちらでもない。好かれてもいないし、嫌われてもいない。普通の人間。槻が普通の人間と大きく違うのはきっと、殺した数だけ。槻が思わず苦い顔をすると、朱里はどこかからかう様な表情をしながら槻に視線を向けた。
「なんか難しいこと考えてるでしょー? 槻が考え事なんて珍しいじゃない。きっと明日は雪が降るわよ」
「朱里が変な事言うから。それにうちの班では雪斗と時雨が色々考えてくれるから。特に何も考えなくて良いんだけど。朱里といると考え事ばっかりさせられるよ」
「あぁ、あの二人ね」
朱里は微妙な顔をしてごろりと背を向けた。その仕草に槻の勘がピピッと働いた。今日の勘は非常に優秀である。好奇心半分、純粋な疑問半分で聞く。
「もしかして、二人と知り合い?」
「…………」
「知り合いなの? ねぇねぇ」
「ノーコメントで」
槻は朱里の脇に移動すると優しく揺さぶった。優しく、だ。本人はさらしだとほざいていたが、そんな戯言を信じる程槻は素直ではない。本人が何と言おうが、十中八九怪我をしている。
少しの間、無言の押し問答が続いた。
「"時雨"って名前は、昔小耳に挟んだから知ってるのよ。細かいことは知らないし、知り合いでもない。更に顔も知らない。少なくとも……そうねぇ、情報系ってことは知ってるくらいよ」
朱里は観念したように言う。つまらないの、という表情を隠さず槻は次の質問をした。その目はかつてない程爛々としている。
「雪斗は?」
その言葉を聞いた瞬間、朱里は苦虫を噛み潰したような表情をした。言わなきゃダメ? というような視線を槻に向けた。槻が知りたい、という気持ちを込めて視線を送ると、やて堪忍したように朱里は言った。
「あいつは、仕事関係で指示組織に行った時に少し、ね」
お茶を濁しに濁した解答だ。呆れ半分、賞賛半分。槻は更に問う。
「雪斗のことをあいつ呼ばわりなんて……いったい何があったの。で、その"少し"が気になるんだけど」
「濁したままにさせてよね。全く……指示組織にいた時にタッグ組んだのよ。凄くやりにくかった覚えがある。仲は悪くはない……と思うけど、常日頃口日中夜間問わず喧嘩してたわ。頭固いのか柔らかいのかどっちかにしろっちゅーのよ。あの頑固石頭。意地っ張り価値で物事を考えるのは組織の性としか言い様がないけど、ほんっと気に食わない」
朱里はもう隠し通すことが面倒になったのか、愚痴りモードだ。そして起き上がると、クッションに身を預けた。おやつをリスの如く蓄えている籠からポテチを取り出すと、袋で食べ始める。寝転がりながらポテチを摘むその手に躊躇いはない。槻の前で、みるみるうちにポテチが無くなっていく様子はいっそ清々しい。
槻には、そんな事をしても整った体つきをしている朱里という生き物が謎でしかなかった。きっと隠れて有酸素運動とかエアロビとかそういうやつを行っている、と槻は信じていた。見たことがないので信じるだけである。
何で世の中はこんなに理不尽不平等不公平なのだろうか。
「そんな話、初めて聞いた」
「そりゃあね、今まで言ったことが……と言うより聞かれなかったから。あと言う必要が無かったし。あぁ、でもあいつの作る料理が至極なのは認めるわ」
取ってつけたように朱里は雪斗を褒めた。
「朱里餌付けされてんじゃん。今度うちにおいでよ。雪斗に言っとくからさ。いや、私たちの班においでよ。歓迎するよ? パーティ開いちゃう」
「くそ生意気な蝙蝠が飛び回っている家は、絶対嫌よ」
断固拒否と意地を張る朱里は、眉間に皺を寄せている。
唐突に朱里は起き上がった。そして、がさごそと何か探し始めたかと思うと、槻に何か放って渡した。少なくともナイフだとか、触れたらヤバイ系の何かではないと察した槻は、それを受け取った。
投げ渡されたのは小瓶。透き通った水色のそれは、可愛らしいネズミの形の蓋がされていた。何だろうと光に透かすと、とっぷりとした液体が入っていることが分かった。底を見れば、何かガラスのようなものが沈んでいる。
舐めまわすように見た後、槻は思い出したように聞いた。
「何、これ?」
お菓子のような、飲み物のような。そもそも口に入れて良いものなのかすら分からない。親指程の小瓶をもう一つ取り出した朱里は、それを手で弄んだ。
そして磨りガラスの蓋を開けると、こくりと一口飲む。ペロリと唇を舐めた朱里は槻に教えてやった。
「魔法のお薬よ。それを飲むと傷が全部治るの。副作用は軽く酔っ払った状態に少し陥ることくらいかしらね。頑張ったご褒美よ。飲みなさい」
傷が全部治る? 槻は眉をひそめた。
「そんな都合の良い飲み物がこの世に存在するの?」
至極まっとうな疑問。疑いながら、槻は白いネズミが描かれているラベルを外した。白いネズミが何か抱えてる姿のラベル──それは作っている店のロゴマークなのだろうか。普通に可愛らしい。
緊張した手つきで蓋を取ると、不思議な果実臭がふわりと辺りに広がった。甘い香りだが、決して甘すぎない香り。中に沈んでいるガラスのような何かは、月長石の様な不思議な色合いをしていた。それはお互いぶつかり会う度、シャランという綺麗な音を立てる。
それに暫し見入った、聞き入った後、槻は一気にそれを飲み干した。香りからは予測不能だった、着飾らない味。すっと素直に喉を通る。
「毒は入ってないよね」
もう遅いが、一応確認。
「飲んだ後に聞いてもねぇ……入ってないわよ。美味しいでしょ?」
答えが分かり切っている質問に返答はしない。最後の一滴まで味わい尽くしてから、槻はごろりと布団に身を預けた。小瓶は後で洗って時雨にあげよう、と思いながらクッションをまた抱きしめる。
体がホカホカしてきて、眠くなってきた。即効性の睡眠作用でもあるのだろうか。とろり、とろりと瞼が落ちてくる感覚をどこか懐かしく思いながら、降ってくる朱里の声に耳を辛うじて貸す。
「翡翠さんは今、集中治療受けてるわ。無事よ」
〈黄昏〉裏話
雪斗、槻、時雨の様な"班"と呼ばれる構成は全国各地に点在している。また幾つかのエリアに別れており、雪斗達の班は東エリアの一角。
班を統括する機関、または組織が〈黄昏〉内に別枠である。その機関は一見キャンパスで、中央に大きな公園のような広場を持っている。
尚、3人はそこのリーダーが大嫌いな模様。




