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誰が為の黄昏  作者: あめ
【2章】月明かりに泣く・後編
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悪夢 2

 ◆■◆




「氷!」


 槻は氷の姿を見つけると、安心した様に溜息をついた。コンクリートの壁に付けられている外階段に腰掛け、身を潜ませていた。その下までくると槻は安心した様に溜息をついた。

 遠くを見ていた氷は無論槻の存在に気がついており、横に降りてきた。そっくりのポンチョが空気を孕み、萎む。隣に立つ影に槻は安心するとへなへなと膝から崩れ落ちた。


 湿った風が吹き、分厚い雲は凛と鳴く満月をちらりと見せた。魅せた。風に乗せられ、ふわりと漂うその香り。最早感覚が狂い、心地よい香りにすら感じるそれに、氷は眉をひそめた。反射的に下を向く槻を見、そのフードを剥ぐ。

 ぎゃっと猫が鳴いた。

 そのフードの下に隠されていた槻の顔は、血が滲んでいた。瘡蓋になっている所こそあれども、一部はまだぷっくりとした半円を描いている。氷の鋭い眼と、手負いの猫の怯えた眼が交錯する。


「その怪我────」


 確かに槻はさっき何かと交戦していた。後を追おうとした瞬間、気配諸共消えていたが。神隠しみたいに。

 恐らくその時の交戦で負った傷だろうが、何かおかしい。槻の様子がおかしい。

 ────まるで何か隠してるみたいに。


 暫く睨み合いが続く。折れたのはやはり槻だった。自嘲気味に嗤うと地に膝をつけたまま、言う。血で固められた茶色の髪が、顔の脇にあった。


「あぁ、さっきの暁闇、ね。倒してきたよ。その時にね、返り血とかいっぱい浴びて」


 槻は不安定に笑った。

 ローリエのことは説明しなかった。今説明しても無意味だろうから。彼女のことが心配で心配で心配で心配であっても、今はそれを心の奥底に押し込める。


 大丈夫。ローリエさんは大丈夫。


 そう思っても槻の脳裏では、肉が抉られたローリエの姿がチラチラと瞬いていた。


 でも、そんなことで動揺していたらプロではない


 キッと瞳に力を込め、己に喝を入れる。手を借りて、立ち上がる。こんな事をやっている場合ではないのだ。幸いなことに擦過傷は多く、固まった血が気持ち悪いがまだ、動ける。槻は探るような氷の眼から逃げる様に辺りを見渡し、音を聞いた。────静か。


「氷が危ないって聞いて来たんだけど」


 槻は来なければ良かった、と本音丸見えの顔をして氷を見た。

 逆に氷は厳しい顔つきになると、ぐるりと辺りを見渡した。


「今は撒いたから大丈夫だ。顔に白布つけた女が斧持って襲いかかってきたんだ」

「白布……?」


 心覚えの有りすぎる槻は思わず聞き返した。顔に白布……まるでさっきの男ではないか。槻は斧のくだりを華麗にスルーした。


「そう、白布の女」

「白布────」


 今日のアンラッキーアイテムは絶対白布だろう。ろくなことが無い、と槻は溜息をついた。十中八九さっきの男のお仲間だろう。だとしたら、暁闇。


 ──殺さなきゃ。


 槻は不思議な快楽を覚えつつあった。

 一つ大きく深呼吸をする。そして槻は慣れた仕草で、腰に手をやり──気が付いた。三本のうち、一本しか腰に残っていない。たらり、と冷や汗が流れた。残りの一本は抜いたことがない──毒塗りのナイフ。柄に手を置いたら、ひんやりとしたそれが何か訴えかけてくるようだった。自分を使う勇気があるのか、と。槻の答えは否。

 左腰のホルダーにある小さな投擲用のナイフは……ダメだ。五個ほどまだあるが、小さくてしっかりと握れない。切り合いに使えないこともないが、滑ったりして自分の身体を切るという大きなリスクを負わなくてはならない。


 ならば、


「氷、」


 借りよう。返せないとは思うが。


「出来ればその、ナイフを一本貸してもらえない?」

「予備含めたいつものやつは?」

「さっきの戦闘で色々あって……死体にあげちゃいました」


 仕方ないな、と言う言葉を呑み込んだ氷は二本のうちの一本を槻に渡した。ただし条件を含めて。


「それ、予備の予備な。次の戦闘では毒塗りの使えよ」

「………………鬼だね……善処します」


 槻は腰のホルダーに借り物をしまった。

 束の間の休息は、ガンッという重たい音で終わる。

 反射的に二人は顔を上げ、見合わせた。


「行こ……ん?」


 次の瞬間、槻の体がふわりと浮いた。




 ◆■◆




「…………────?」


 パチリ、と目を開いたリゼが最初に見たのは白髪の美人さんだった。厳しい顔つきで、隣にいる青年と話している。


 アリス嬢がいない。

 記憶が飛んでいる。

 この女性と青年と前に会ったことがある。


 リゼの賢い脳みそはパチパチッとそれ等を弾き出した。兄弟であるロゼはすやすやと何も知らない顔で眠っていた。


「脳への損傷は無し、ね」


 目覚めたリゼに気がついた女性──白樹はそのひんやりとした繊手をリゼの額に置いた。体温を奪わんばかりの、それでいて妙に心地よい冷たさ。思わずリゼはまだ瞼を閉じそうになった。

 が、それに抗うように己に喝を入れ、必死に起き上がろうとする。


「問題ありまくりよ。アリス嬢はどこ」


 確かはぐれたアリス嬢を見つけて、ロゼと共に細い路地に身を滑らせて行って────目覚めたらここだ。なんでアスファルトの上で寝かされているのだろうか。


「今は安全な場所にいるよ。おはよう、リゼ。生意気な表情見ると元気そうだね。結界の中に暫く居たみたいだから、戻って来ないと思ったよ」


 こんな状況だというのに白夜はのんびり言った。薄赤い瞳でチラリと隣のロゼを見やり、空を仰ぐ。


 ──こっちはダメかな。


 まだ、分からない。


「────? 結界?」


 白樹は座ると、疑問を呟くリゼの事を抱きしめた。


「ふふふ、可愛い。お人形さんみたい」

「え、あの、ちょっと、」


 こういう事をされるのに慣れていないリゼはただ戸惑った。白樹から感じる体温は温かく、どこか懐かしい。


「人形狂いさん、その子生きてる人間」


 白夜がビシリと言うと、白樹はリゼに抱きついたまま言った。その不思議なオッドアイで睨みつけながら。


「そのことに関しては未だに許してないわよ。……過去を掘り返してる暇があるんだったら、今すぐ氷と槻の場所を調べなさい」

「リゼに抱きついてる人が良く言えるよね……どうするー? 殺すの?」


 白夜はいつの間にか取り出していた黒いナイフを弄びながら言った。槻の使うものよりも刃先が短いそれは、雲間から漏れる月明かりを反射して鈍く輝く。

 怯えた紫の眼でそれを見ていたリゼだったが、不意に身を固まらせた。


「何か、引きずる音がするわ」


 白樹はその怯えっぷりに楽しそうに笑うと、さらにリゼを抱き寄せた。


「大丈夫。私達が守ってあげるわ。お姫様。────千鈴」

「はい」


 名前を呼ばれた白樹の影はすっと暗闇からその姿を現した。


「ここら一区の完全な人払いを」

「御意」

 

 溶けるように消えた影を見送ると、白樹は楽しそうに、不敵に笑っている白夜に命令した。


「結界使っちゃダメ」


 白夜は少し不満そうな顔をしたが、リゼを見、眠り続けているロゼを見ると何か納得したように頷いた。その顔に楽しげな笑みが一瞬浮かんだのは気のせいか。

 ────何も体制のない二人がこれ以上結界に入ったら……結界に食べられてしまう。槻や氷みたいに普段から〈蝶〉の持ち物を身につけていれば、そんな事は起こらないのだが。

 槻や氷が常に、無意識に身につけている緑色の石。あれは元々ローリエの一部だった。その為幼い頃から身につけている二人は結界に長時間いても食われることなく、活動出来るだろう。なぜ一部を二人に渡したかは、白夜は知らない。

 翡翠があの時結界を解かず、放置したまま意識を失っていたらどうなっていたのか。答えは簡単。誰にも見つけられずに、そのまま終わり。結界の中で皆仲良く屍となる。ローリエのように探して、見つけてくれる可能性もある。でもそれは、ローリエだから出来たことだ。普通は〈蝶〉であっても、結界を容易に見つけ出すなんて……無理だ。


 そう考えると、ある意味運が良かったのだろう。


 ──槻だけに。


 白夜は楽しそうにまた口角を上げた。

 でもその表情は直ぐに溶け消える。翡翠が感じたであろう、痛み。死ななくても痛みは感じる呪い。あれだけの傷を負えば、生きている人間は直ぐに死ぬ。ショック死や失血死で。

 でも翡翠は死ぬことなど出来ずに、子供を守り、結界を解き、白樹や白夜に頼み事をしてからようやく意識を失う事ができた。


 本当に、酷い。残酷だ。大切な兄弟を傷つけて。


 白夜はキッと月を睨みつけた。まるまると太ったそれに八つ当たりするように。


 その時、そう遠く離れていない場所──近くでガンッという重たい音が響いた。何か重い金属が壁に当たったような音。

 怯えたリゼを背に隠すようにすると白樹は立ち上がった。


「野放しになっていた女性だと嬉しいわね」


 白樹のため息混じりの声に白夜は思わず振り向いた。紫の瞳と一瞬目が合ったが、直ぐに逸らされた。かなり傷ついた。


「もしかして──」


 この子たちを囮に使ったの?


 リゼに聞かれない様に白夜は唇だけで紡ぐ。べっとりと白樹に甘えているリゼの視線はロゼに向いていた。

 そんな少女を愛でるように撫でると、視線だけで白樹は言う。


 わざとじゃないわよ、と。


 オッドアイが悪戯に光ったのを白夜が見逃すはずがない。


「本当かな」


 耳を澄ましながら白夜は呟いた。すーすーと一定のリズムを保つロゼの寝息が、そっと宙を揺蕩っている。


「……槻と氷は」


 ひたひたとした足音は確かに人間が奏でる音。確かにそれを感じ取りながら、白樹は下らない会話を断ち切った。立ち上がり、リゼを誘導するようにして物陰に移動する。白樹の護衛である千鈴達は人払いを済ませたらしい。感じ取れる気配は僅か。


 二人は槻が傷を負っていることを知らない。


「大きな音がしたのよ。絶対こっちに来るわ」

「どうする? 判断は任せるよ」


 先手を打って殺すか否か。白夜は白樹に問いかけながら、脳の片隅で静かに悩んでいた。


「槻と氷を待ちましょう」


 白樹が吐いたと同時に、その音は形をもってして三人に姿を見せた。


 白布の、女。薄汚いドレスを身に纏い、その細腕で斧を引きずっている。高身長。


 白樹たちは何とも思わずにそれの様子を見ていたが、白樹にしがみついて何事かと怯えていたリゼは違った。はっと鋭く息を吸い、幾度目かの硬直。ぎゅっと白樹の腕を掴むと、苦悶に歪んだ声色で呻いた。


「お母……様……」


 その紫の瞳は、恐怖と言う名の洗脳に染められていた。リゼは後ろで寝かされているロゼを見ると、白夜を見た。


 ──あの人を殺してくれるの?

(お母さんを殺そうとするなんて、守らなきゃ)


「──────うぅ」


 リゼの中で二つの正反対の気持ちが反発しあう。

 〈昔〉と〈今〉が反発しあう。


 リゼは頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 紫の眼は濡れ、黒い髪は重い風に踊った。


「記憶処理が完全にほどける可能性は」


 白樹はリゼの視界を隠しながら白夜に聞いた。


「記憶の鍵はいつか必ず綻びるものだよ、白樹」


 とある人の受け売りを言うとニコッと白夜は微笑んだ。彷徨う女を見ながら、緋色を一口放り込む。

 たらりと白樹の背を使い、冷や汗が流れ落ちた。空はゆっくりと黄昏を終えようとしている。雲間から垣間見える光は、確かに薄くなっていた。


 その時、白樹達の元に槻と氷が到着した。槻は白樹と白夜を見ると、ようやく体の痛みを感じて顔を苦痛に歪めた。

 ──二人が揃っているなら何があっても大丈夫、と思いながら。


 そして槻は紫色を見つけた。オレンジに耀くアメジスト。槻は瞠目し、目を疑った。

 リゼは聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、槻の名前を呼んだ。


「槻姉様……」

「リゼちゃん!」

「駄目」


 槻の元へ寄ろうとしたリゼを白夜は険しい顔で止めた。


「再会してる場合じゃないの。──白樹」

「白夜、別に良いわよ。──だけど」


 白樹はちらりとリゼを見た。その恐怖がくっきりと刻まれた瞳には、強い意志が宿っている。その意思は果たしてリゼのものなのか。ゆらりとその影が蠢いた気がした。

 白樹が何を言わんとしているか察した白夜は、不愉快な顔を隠さない。殺す前に戯れはいらない、と吐こうとしたが槻とリゼがここに居ることを思い出して言い換える。


「やだよ」

「少しくらいお話させてあげなさいよ。──好きにして良いから」



 ざっとアスファルトを踏む音がした。

 ゆらりと風が塵芥を動かした。

 雲はまた月を、星を囲い込んだ。

 しっとりとした空気は更に湿気を孕んだ。

 コンクリートは音を吸い込んだ。


「──お母、様」


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