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誰が為の黄昏  作者: あめ
【2章】月灯に舞う・中編
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【閑話】星の声

 

 星の声を聞こう

 その発言が始まりだった。


『聞こうとするんじゃない。感じるんだ。槻なら出来る』


 槻の記憶に遠く存在しているあの人がいつも呪詛のように言っていた。幼い頃の、記憶。


『聞こえ無いくらいの音は"空気"を感じるんだ。慣れてくれば出来るようになるさ。──感覚論ってやつ?』


 当時の槻は無茶苦茶だ、と一蹴した。でも、少し成長した今なら分かるかもしれない。


 いつも勝気で、強かった。かっこよかった。いつも楽しそうに、豪快に笑っていた。

 槻と氷に色んなことを教えてくれた人。人の殺し方から、遠くにある音を聞く方法。沢山沢山叱られて、沢山沢山褒められた。

 でも、もう顔も名前も思い出せない。

 覚えている言葉だけを、そっと宝箱にしまう。

 槻はそれを登っていた。雨で濡れ、滑りやすくなってはいるが槻には関係ない。頂上まで登る。


「……んっ、ふぅ」


 時間はかからない。この程度では疲れもしない。額に伝ってきた汗を袖で拭いとる。──雨上がりということもあって湿度が異常だ。

 河とかの上流によくある様な巨大石を組み合わせた謎アーチ。暗殺組織七不思議の一つであるそれは、子供達の遊び場だ。組織建物屋上にあり、槻も幼い頃良くここで遊んでいた。諜報組織にも似たようなものはあるが、何分想い入れの度が違う。


 日付が変わって暫くしたこの時間帯、ここに来る人は居ない。槻は幼い頃からの定位置に辿り着くと腰掛けた。頭上に平たい石が突き出していて、それでいて丁度よく空が見える場所。建物の周りを囲んでいるのは森とだけあって、景色も良い。


 石に背中を預け、分厚い雲に覆われたその奥を見る。隠れてはいるが、星は確かにそこにある。ずっと、そこに。長い間変わらない姿で。


 物音。カタリ、と何か音がした。────氷だ。

 槻はひょっこりと身を乗り出しながら、声をかける。


「氷、珍しいね。まさかと思うけど、ここに座りに来たんじゃないよね」

「そのまさかだよ。何で居るんだよ。隣開けろ」

「やだよ。狭くなる」


 そう言いながら槻は端っこへと移動し、氷の居場所をつくる。ガサリ、とそのポケットから何やら素晴らしい音がしたのを槻は聞き逃さなかった。聞き逃すはずがない。


「氷、ビターがいい」

「…………は?」


 何言ってんだこいつ、という冷めた視線を氷は槻に送る。


「何ならミルクチョコでも妥協するから、ポケットに十数個入ってるひと口チョコレート頂戴」


 呆れからなる溜息を氷は吐いた。妥協とはいったい何なんだ。どこから突っ込んでやろうかと思いつつも、今日は何も言わずに渡す。ここでふざけあったり、喧嘩しあったりしたら、二人揃って仲良く転がり落ちかねない。……ここから。そしたらさすがの二人でもタダでは済まず、最悪お陀仏だ。


 湿りを帯びた風が二人のことを撫でて去る。風はそこまで強くなく、雲間から見える星の瞬きは酷くゆっくりだ。遠くに見える街の光、聞こえる喧騒。吐息はゆっくりとすれ違う。


「何年、だ?」


 自問自答だったのかもしれない。


「さぁ? 覚えてないよ」


 何も考えずに槻は返した。


「それは完全同意だ。今でも生きててくれればなぁ」


 もっと色んなことを聞けたのに。


「氷がそんな事言うなんて珍しい。死因、何だっけ」

「教えられてない。むしろ俺が聞きたい」


 知りたい。


「突然いなくなって本当に酷い人だったのは変わらない、か」


 槻は空を見上げ、隣にいる氷を見た。自分達の教え親が居なくなった日。お空に名前を返したと知らされた、日。


 ポッカリと空いた穴はどうやって埋めたのだろう。死に物狂いで殺しの練習をして、死で喪失を埋めたのだろうか。新しい記憶で蓋をしたのだろうか。見て見ぬふりをしたのだろうか。

 ──覚えて、ない。


「死にたくはないなぁ」


 ほうっと空に向かって槻は息を吐いた。チョコを口に放り込み、氷に体重を預ける。そのまま、欲望のままに眼を閉じる。それに対して眉を寄せながら、氷は言う。


「いつもと言ってることがズレてるぞ。……重い。寝るな」


 ピシッと指で槻の頭を弾く。それでも槻が寝やすいように寄りかかりやすいように体をずらす。言葉と体がまるで一致していない。

 槻はそんな優しさを感じながら、ふわりと大きな欠伸をした。


「眠くなっちゃって。少し寝かせて」

「戻れよ。落とすぞ」

「めんどくさーい。そんな事したら後始末大変でしょ。脳みそ飛び散るよ」

「死ぬこと前提かよ」


 前は、もう居ないその女性(ひと)に寄りかかって槻と氷が寝ていたのに。

 空を仰ぐ。


「氷、来年は、」


 星座表を持ってこよう。




 ◆■◆




「五年目、かしら」


 小指ほどのサイズの小瓶。

 とっぷりとした浅葱色が詰まっている小瓶。

 キラキラと小瓶の中で輝いているのは思い出。


 それを躊躇い無く砕いた。静かに波を立てる湖は最近の雨で水嵩を増し、夜光を反射している。映るもの全てをごちゃ混ぜにするそれは、決して鏡にはならない。なれない。

 藍色の海にシャランとした虹色の星が散った。パシャッ パシャッと小さな王冠をつくり、沈み、溶け、消える。


 また別の小瓶を取り出し、砕く。湖に思い出がまた、溶ける。消える。さよならだ。幾つもあった記憶の小瓶は躊躇わない手で砕かれ、不思議な輪廻に消える。戻るのでは無く、消える。もう会うことは、無いだろう。


 星が散り続け、溶け、湖の一部と化す。


「ごめんなさい、ごめんなさい。……もうあなたのこと、思い出せないの。今、捨てたの」


 鼠色と、藍色をごちゃ混ぜにする湖に全て。


「ずっと一緒にいたいって思ったのに、約束したのに。嘘つくの」


 あなたを捨てるの。さよならなの。


「思い出、返しすわ。もう顔も声も思い出さない」


 手元に残っているのは小さな小さな破片。そう遠くない昔の約束。


「沢山悪いこともしたわ。────許して」


 膝をつき、泣き崩れる少女は未練たっぷりに過去を捨てた。少女が愛したその人は、胸を真っ赤にして暗闇で死んだ。天寿を全うせずに、死んだ。"殺し殺される愚かな運命"をその時初めて憎んだ。

 手を伸ばせば、助けられた……かも知れない。分からない。


「次は、護るから」


 翡翠は涙と共に、人との最後の思い出を()()湖に溶かした。




「僕には分からないよ」


 疲れて寝てしまったローリエに、そっと近寄りながら白夜は呟いた。躊躇うように、一度歩みを止める。でも結局、また歩く。隣まで歩き、座る。白夜は記憶を操るべく、ローリエの頭に手を置いた。いつもは薄赤い瞳が銀に光ったのは、光の悪戯か。

 その状態のまま、後ろに向かって声を投げる。


「翡翠と僕の最大の違いがこれだよ、白樹。僕に翡翠のこういう思考は理解出来ない」

「ふわぁ……夜中どこに行くと思ったら。もう少し静かに起きて欲しかったわね」


 暗闇からそっと白樹は姿を現した。寝惚けているのか、焦点が揺れている。白樹は樹に身を預け、静かに見守っているつもりだったのに。


「全く。白樹、寝ぼけてると美味しく食べちゃうよ。湖に落とすよ」

「誰が暗闇ですっ転んででかい音立てて、目覚まし時計になったのよ。良いんじゃないの? 別に人を好きにならなくっても。生きてけるし」


 何ていう暴論。でも、嘘だ。


 白夜は少しムッとした。何で嘘をつく必要がある。本当は違う癖に。でも、それについては何も言わないでおく。


「白樹、やっぱり湖に落としてあげようか。蒼並の暴論吐いてるよ。ていうか翡翠のこと部屋に戻すの手伝ってよ」

「無理。────白夜は私が殺されて死んだら悲しんでくれる?」


 白夜は薄赤い瞳で、反射的に後ろの白樹を見た。寝ぼけてるの、だろうか? 白樹が"死"を考えるなんて。本人にとっては何気ない質問だったのだろうが、白夜にとっては非常に意味のある質問だった。

 直ぐに答えない白夜に焦れたように白樹は顔を逸らす。先程の発言と今の質問が矛盾を起こしているのに、肝心な本人は気が付いていないらしい。白夜は思わず口角を上げた。楽しい。愉快。


 ──さて、この構ってちゃんで甘えたがり屋な白樹はどんな返答を期待しているのか。


 ちらりと顔を見せ始めた星の瞬きを見つめ、白夜はようやく声を出した。言葉を選びながら、静かに。



「少しの間なら、してあげてもいいよ」


【2章】月灯に舞う・中編 終わり

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