白と緑 2
白樹と千里アリス、そして白夜はのんびりとした空気が漂う中歩いていた。数晩過ごしていた建物から目的地まで、そう遠い距離ではない。
欠伸をしながら白夜が二人の半歩後ろを歩いていると、くるっぽーと真っ直ぐに向かってくる影が一つあった。それは鳩。白樹が何となく餌をやって手なずけ、手品用の鳩として育成したかの鳩である。普段は放し飼いの為、外に放置していたのだが……どうやら白夜と白樹に気がついて飛んできたらしい。ご苦労なことだ。
「ほら、白樹の肩が空いてるよ。行っておいで」
腕に当たり前の様に止まった鳩の頭をカリカリとしてやりながら白夜は言った。そんな様子を少し振り返って見ていた千里は楽しそうに笑った。そのままくるりと体を後ろに向かせ、千里は言う。
「白夜さん鳩を飼い慣らしてるんですね」
「えぇ、白夜は何だかんだ動物好きだから。所で何かその鳩顔見知りのような気がするんだけど……」
前に鳩と別れた場所からだいぶ離れている気がした白樹は首を傾げた。何でここにいるのだろうと。
「顔見知りも何も白い鳩がそこら辺彷徨いてると思う?」
「……まぁ、鳩だし。ねぇ? 鳩さん」
白樹は立ち止まると、白夜の腕に止まっている鳩の喉をかいてやった。千里は背を撫でる。ハーレム状態の鳩。くるくると鳴きながら白樹と千里に甘える鳩。エジプトでは鳩を食べるんだって、とかフランスでは高級品何だって、とか言わなかったのは一重に白夜が懸命に耐えたからである。言葉は喉まで出かかっていた。
「あら? また鳩」
白樹がそう言うとほぼ同時に、白夜の頭にずんぐりとした何かがやって来た。白夜の頭を踏みつけているそれは、そのまま座り込んだ。白樹の台詞からするに二羽目の鳩なのだろうが。
「重いんだけど。降りてもらえないかな」
ひとまず重かった。
「夫婦なのかしら。白夜さんの頭に我が物顔で座ってるわ」
「さ、行きましょう」
「ねぇ! こいつの事下ろしてくれないの!? ねぇ!」
くるっぽーという鳩の声だけが響いた。
レンガ造りの建物が並び、足元を彩るのは石畳。人が歩く度にカツッ コツッと心地良い音を響かせる。小鳥達がコンサートを開いている街路樹を横切り、大人達がカフェテリアで寛いでいるそこも無視するように通り過ぎる。青い空は恐ろしい程に白い雲を従えていた。
────全てがどこか懐かしい。
「……? なぜかここに来た事がある様な気がするわね」
千里は後ろで一括りにした黒髪を指で遊びながら言った。辺りの風景を見渡し、はて? と言わんばかりに首をひねっている。
ギクリと白夜は固まった。鳩がくるっぽ? (お前どうした?)と頭をつついてくれなければ、暫く固まったままだったに違いない。真っ白い銀鳩。とある鳩の白変種。ペットとして買われることが多い銀鳩がなぜ野生にいるのか、白夜は考えない事にした。
「さぁ? 仕事でいつか来たことがあるんじゃないかしら」
勿論蒼が記憶を消したのだが。対して、白樹はここに来たことを覚えていた。悪戯ばかりしていた白夜を女装させたのはいい思い出。
懐かしい、思い出。
「一箇所目はここね」
石畳。小綺麗に整えられた地下までの通路。喧騒は遠く、通路からはヒシヒシとした闇が滲み出ているのが目に見える。
「白樹、あの……」
「宜しくね。白夜。私記憶抜かれた時、ナイフの使い方も忘れちゃったのよね」
「えぇ……」
小声での会話。困惑する白夜の肩に宜しくと言わんばかりに手を一瞬置いた白樹の後ろ手には、しっかりとしっとりとした白に塗れたナイフがあった。
──ほんっと悪趣味だよね。
通路をすたすたと降りていった千里を、白樹が追いかける様に降りゆく。頭と腕でくるくるぽっぽーと鳴いている鳩二羽をどうしようかと白夜が思った矢先、察した様に二匹は空へ舞い上がっていった。空に揺蕩う恐ろしい程の純白を一枚、残して。
「賢いね。君たち」
帰り道に鳩用のご飯でも買ってやろうか。それとも日本に連れ帰ろうか。ついつい白夜は微笑んだ。彼にしては珍しい、"笑い"。普段、嘲笑とか悪戯に成功した性格の悪い子供の笑みしか浮かべないのに。そんな白夜が"微笑んだ"。きっと白樹が隣にいたら目を疑っていた事だろう。
微笑みが溶けるように、解けるように白夜の顔から消えた時、紗が溶け落ちるようにふっと空気が変わった。肌で感じる殺意。大分綺麗に隠してはいるのだが甘すぎる。白夜が気付いているのだ。〈黄昏〉の戦闘員ではない千里は気がつくはずが無いだろうが、白樹は勿論とうに気がついているだろう。
「また現れたね〈譲葉〉殺し」
白夜が意味なく名付けたそれは、別に殺しに来てるとは限らない。捕まえに来ただけかもしれない。どうしてなのか分からないが。
──ちゃんと捕まえて吐き出させなきゃ。
白夜は二人を追い、通路に入って行った。罠だとは知っている。手に黒いナイフを握りしめた。
覚えのあるコンクリート造りの階段を白夜は軽やかに進む。階段という名の通路を降り切った直ぐそこに、白樹と千里は立っていた。何かの遺骸が壁の片隅に転がっている。
扉を締めると光は入ってこず、真っ暗闇となる。地下だからか窓のようなものは見当たらないが、空気はそこそこに新鮮だ。少なくとも、そこまで淀んではいない。恐らく時折換気されているのだろう。その場に染み付いた匂いは剥がれないが。
恐らく上からコンクリートとかペンキとか、塗り直されたのだろう。不自然なくらいに綺麗な壁。前に来た時は血痕がみっちり染み込んでいたのに跡形も無い。
「明かりはないのね」
千里はスマホの明かりで足元を照らしながら、諦めたように言った。黒髪がキラキラと人工的な明かりを反射している。
「夜目に切り替えれば無くても問題なしよ」
やがて千里アリスも夜目に慣れ、備え付けのテーブル等を見て避けられるようになった。白夜が以前来た時には、文字通り足の踏み場が無いくらいにガラスやら何やらが散乱していた。前まで点滅を繰り返していた機械もさすがに撤去され、本当に何も無い。
「うーんすっからかん」
「さすがに片付けられているわね」
ふっと白夜は吉野蒼と言う〈蝶使い〉が、千里アリスという名の〈譲葉〉の記憶をどこまで消し去ったのか気になった。ここに来た事がある様な言動をちまちまとしていたり、していなかったりする。不完全な記憶処理。それは故意なのか。
「……あれ? 白樹さん」
「はい」
「何で今、私たちここに居るんでしたっけ」
「……双子の過去を洗いざらいする為に片っ端から、順繰りにまわっているからですよ」
「ふむ……」
嘘、ではない。ただ、もう一つの目的が本命だというのは言えるはずない……無かった。口が裂けても。だが白樹は記憶を断片的に消されたとは言え、千里アリスという人物に約束をしていた。約束、では無いか。
『貴方のあの場での仕事の一つは〈囮〉だったのよ。今はあなたも意味がわからないだろうけど。いずれ、きっと分かるわ』
ぼんやりと過去に言ったその台詞が白樹の脳内に湧き出る。なんて自分勝手な。
ぼんやりとしている白樹の後ろで、コトリと白夜が遺骸を蹴っていた。そして彼の遺体があった場所を無意識に千里は見た。千里はやや首を捻ったようにすると、その場所を指さしながら白樹と白夜に聞いた。どうにも腑に落ちないことがあった。
「白樹さん、昨日確か『主犯の男は私が──』って言いましたよね」
「うん。白樹がその人処理してたよ」
曖昧に答えようと口を開いた白樹の代わりに、白夜がスパッと答えた。骨までスパッと切れそうである。
顎に指をやりながら、千里はまた聞く。
「白樹さんの部下が手記を見つけたんですよね。この場所で」
「えぇ」
何か千里アリスは気がついたのだろうか。白樹はただコクリと頷いた。思慮深い千里の翠眼は伏せられている。そしてそのまま彼女は黙った。
その脇で、白夜はそっと白樹の脇へ移動する。温もりを吸収する壁に手を当てながら。もう片方の手でしかとナイフを掴みながら。そして唇だけで白樹に言う。そろそろだよ、と。
「情報機関に所属する身として一つの言わせてもらうとなると──────」
静かに、そして大きく空気が動いた。
「あの手記は女性が書いた物と言えますね」
「となると後一人残ってたわけね!」
白樹と白夜はトンっと音無く床を蹴った。
どんなに素早かろうと、どんなに翻弄しにかかってこようと白樹と白夜の敵ではない。普段どれだけのほほんとお気楽頭お花畑であろうが、二人は一応戦闘機関なのだ。そして〈黄昏〉を牛耳る人々の一人。この程度、相手に出来なくてどうする。
二人は直ぐに敵が一人しか居ないことに気が付き、捕らえた。
諜報組織の技術を持ってして黙らせ、縛る。
「…………あれ? 本当に一人なのかしらね」
どちらかと言うと今捕らえた人は偵察に近いような……そんな雰囲気を纏っていた。単なる感覚に過ぎないのだが、こういう時のそれは結構当たる。
──何か可笑しい。
白夜はそんな白樹の意志を察すると身を翻し、通路を駆け上がって行った。外見てくる、と言う言葉を残して。治りかけの傷がジンジンとまた、鼓動に合わせて脈打った。
通路とは言え、少し複雑に入り混じんだ階段だ。それでいて光を上手く通す様に設計されている為、暗くはない。地上に上がるにつれ、白夜の耳に何やら騒がしい声が入ってきた。……それと鳴き声。白夜が地上に顔を出した瞬間、白い羽根がふわふわと白夜の頭に落ちて来た。
場違いな白い羽根。
「えぇ……」
何が地上で分かった時、白夜が感じたのは困惑。どうすれば良いかさすがに分からず、一瞬頭を引っ込めた。とっても長い時間を過ごしている白夜ですら、こんな体験は初め……初めて……いや、初めてじゃ無いかも知れないか。
白い羽根が舞う。舞う。舞う。ここに猫がいたらきっと放心するだろうという程の大量の羽根。やがて、バッサバッサくるくるぽっぽーという音(声?)に混じる様々な悲鳴が聞こえなくなった。
ぴょっこりと兎が巣穴から頭を出すように、白夜は地上に顔を出した。と、同時に文字通り重なって意識を失っている人間三人の元へ、白い鳩が二羽降りる。くるりと螺旋を描きながら。そして鳩はつんつんと人間の頭をつつくとドヤ顔(白夜意見)で、真っ直ぐ白夜を見てきた。赤眼のはずの銀鳩の目が一瞬青く見えたのは、光の悪戯か。
鳩達が褒めて褒めてと言っている様な、そうでないような。
「君達前世犬でしょ」
呆れた様な声で白夜はそう言うと通路の最後の一段を踏み、石畳に足をつける。そのまま気絶状態の人々に組織御用達の薬を一回嗅がせ、暫く起き上がれないようにする。足元を仲良く歩く二匹は、自分達がやった事を自覚しているのだろうか。
鳩は強いらしい。鳩が当たり前の様に白夜の頭と腕に止まった。腕に止まった鳩の方がくるっぽ、と白夜を見上げてきた。赤い瞳で見つめられても何を言われているかさっぱり分からない。
──鳩語が分かったら今凄く楽なのに。
白夜は後悔した。
ふと、腕に止まった方の鳩(一号)が自分の翼の根元を漁るような動作をした。毛繕い……ならぬ羽根繕いでもしているのだろうか。ふわふわと綿毛状の羽が風にのって舞い上がった。
くるっ
一号が翼から嘴を出し、白夜を見上げた。ちなみに鳩二号は相変わらず白夜の頭を温めている。二号は嘴に加えていた何かを受け取れと言わんばかりに、白夜に差し出した。言われるがまま白夜が手の平を差し出すと、そこにころりと何か落とされる。
そして一号は役目を終えたと言わんばかりに、眠り始めた。
ころりとしたそれは歪な形の小さな石。碧瑠璃色のそれはとっぷりと濃く、それでいて澄んでいる。白夜はそれを視認するなり固まった。その場で叫ばなかったのは一重に白夜のプライドが許さなかったからである。腕の傷がジンジンと傷んだ。
そんな時、なかなか戻って来ない白夜を心配した白樹がやって来た。千里のまだ地下にいる。さっきまでいた地下の部屋は美味しくなかった。大きく深呼吸をし、白樹は白夜を探す。すぐに見つかった。あまりにも異様な光景の中心にいた。
「────?」
白夜の頭の上にいた二号が、パタパタと羽根を広げて白樹の元に飛んでくる。白樹は止まれるように腕を差し出した。
「────ん?」
手の甲に置かれた小さな歪な石。ポクポクポクと丁寧に三拍置いてから、白樹は気がついた。
「近くに瑠雨でもいるのかしら」
ヒラリと、ここに居るはずの無い蝶が飛んだ気がした。
◆■◆
「白樹達に増援? 反対はしないけど、今から行くのは時間かかるよ」
二日か三日前──つまり壱がうさぎ穴を去って暫くした頃。夕飯をせっせと食べながら、瑠雨が蒼に提案していた。欲張り三点セットが一箇所に集まっている今、危ない。だからこっそりと増援を送ってやらないか、と。
「確かにねぇ。恐らく〈魂喰らい〉の相手をし終えた白夜は大怪我……とまではいかない怪我を負ったはずだからね」
「え」
〈魂喰らい〉、という単語を聞いた瑠雨は硬直した。発言した翁は珍しくしまった、と言う表情をして助けを求めるように蒼を見た。そんな蒼の顔にはやっちったねぇ……と書かれていた。
瑠雨がゼンマイ仕掛けのカラクリのように蒼の方を向いた。
「あーたんこぶ痛いなー」
そして瑠雨はスクっと立ち上がり、わざとらしくたんこぶを撫でている蒼の脇へ行くと、
「蒼、説明して頂きましょうか」
胸元を掴んで静かに言った。心なしか、瑠雨の猫目の奥で青い炎がゆらりと燃え上がっている気がする。冷たくて、とっても熱い炎が。冷酷に、冷徹に、蒼を捕らえた。
──めちゃくちゃ怒っている。
蒼は全力で碧眼を逸らしながら言った。
「詳しくは本人に聞いて頂きたく〜」
「何で言わなかったんです! あいつの相手は僕が受けると言っているでしょう!!!」
「……ごめん」
囮を使って〈魂喰らい〉を誘き出した、とまでは言えなかった。そしたら火に油どころじゃない。火に花火、ガソリンを投げ入れることと同じだ。
「白夜も後でお説教ですね」
舌打ちしながら蒼の胸元を離した。蒼が咳き込まずに済んでいた辺り、手加減はしていてくれたらしい。コッコッ、と翁は机を叩いた。そして、見計らった様に鎮火し始めた瑠雨に一つ聞いた。
「で、まさかと思うけど瑠雨が増援に行く訳じゃぁ無いよね?」
「当たり前です。今白夜に会ったら殺しそうです」
ゾクッと蒼は鳥肌をたてた。冗談なのか、そうでないのか分からない。ごくりと唾を飲むと、数日後の白夜の安否を願った。
「ちょっと地元の方に頼みましょうか」
「地元の方?」
欲張り三点セット
〈蝶〉、〈蝶使い〉、〈譲葉〉




