血 2
「クローン技術。身近でそれに近しいものが使われている例をあげると、苺、ソメイヨシノがありますね。まず説明するなら桜……ソメイヨシノです。ソメイヨシノという品種は言ってしまえば偶然生まれた雑種。僕達が今、あちらこちらで見ているソメイヨシノはその元となる母樹の枝の挿し木から広まったものです」
「あぁ、挿し木か。私達も良くやるよね」
紅茶の香りが漂うクッキーを一枚摘みながら蒼は言った。研究所の知り合いが珍しい種類の椿の枝を貰い、挿し木に失敗していたのは記憶に新しい。
差し木……言うなればクローンの元祖。似たようなものに接ぎ木という物がある。この二つの違いは、切り取った枝を挿す場所。差し木は土、接ぎ木はそれと近しい植物の枝だ。
「次に苺。苺と限定するより、世に売る為に品種改良をされたクローン植物が出回っていると言えばいいでしょう。正直ここらへは説明面倒なので調べてください。あ、そうそう。苺の場合、ランナーと呼ばれる株元から伸びるツルがあるんです。今さしている苺のクローンは、そこで出来る小苗のことを指します」
「説明放棄したね、瑠雨。……いや、苺好きなんだからそこは愛を持って説明してよ」
碧眼を瑠雨に向けながら蒼は言った。確かにそこは説明が面倒なところかもしれないが、説明してほしかった。
そんな蒼を瑠雨は無視する。苺が好きだという余計な事をバラされたからではない。
「まぁ、ここまでは植物の話です。次動物。動物のクローンは意外と結構盛んに行われています。個人の範囲でもお金を払えば作れる時代ですよ」
瑠雨は小さく溜息をつきながら言う。人のクローンが造られていなかっただけまだマシか。……いや、一般に出回っていないだけまだマシか。
「ペットとか?」
いつかのニュースでそんなことが取り上げられていたなと思いながら、蒼は答えた。
「当たりです。ペットのクローンを造る人は、そう少なくはない筈です。浸透しているか、と言われれば首を横に降りざるをえませんが。……で、世界最小のチワワの話を知っていますよね? 蒼」
最早先生と化している瑠雨に、蒼は縮こまりながら首を振った。嫌な予感と共にたらりと冷や汗が背を這う。瑠雨は満足そうに頷くと、蒼の額をデコピンした。多分ここが学校だったら、弾丸並みの速さのチョークが飛んできただろう。
「痛そう……」
「瑠雨、力加減」
壱と翁は思わず身を引いた。蒼の碧眼は涙にまみれ、恨みがましそうに瑠雨を見上げている。翁から渡された氷水を患部に当ててながら。
明日には間違いなく、蒼の頭にたんこぶに近しいものが出来ているだろう。
「この間、チェックしておきなさいとリスト化した奴の最初の方にあったはずなんですけど」
「あーーーーーそんなのあったけ……いや、ありましたありましたごめんなさい」
再びさっきだった瑠雨の気配を察し、蒼は慌てて身を逃がす。そんな蒼の肩に爪をしっかり立て、逃がすまいと捕らえるのは無論瑠雨。翁の目には兎を捕らえた鷹のように見えていた。
「49匹のクローンを造られたとっても小さくて可愛らしいチワワの話ですよ。専門家がなんでそんなに小さい体なのか知りたくて興味津々なんだそうですよ」
「あ、それか。犬かわいいなぁしか思ってなかったです。ごめんなさい」
翁は無言で二個目の氷水を蒼に渡した。
「個体差、だね。瑠雨」
「翁当たりです。その犬達は、同じ遺伝子を持つクローンだとしても大きさは微妙に違うらしいです。勿論、遺伝子が不安定……っていうのはあるでしょうけど。勿論"個性"は全員違うものを持っているでしょうね。リゼとロゼみたいに」
「オリジナル個体のリゼとクローン個体のロゼ達は違う生活を送らされていたってことだよね、多分。────いや、待って。クローンが前提だとすると、雪斗達が預かっているロゼは誰なんだろ。だって……クローンで性別を振り分けることは不可能じゃん」
「さぁ? 何かのきっかけで少年個体のクローンが出来たから一緒にいさせただけなんじゃないですか? ありえない話ですけどね」
たった一年半で、と心の中で付け加えておく。有り得ない話だ。〈黄昏〉の技術を持ってしても。
黄昏色を一粒、瑠雨は口に放り投げた。
「待ってよ、瑠雨。何でリゼや他の子達のクローンを造る必要があるの? 第一の問題はそこでしょ!」
真っ青になりながら、根本の答えを求める蒼。その手には爪痕がしっかりとついている。──気がついているくせに。瑠雨の口から聞かないとそれを受け入れないのは、甘えからなのだろうか。
瑠雨は蒼が望む答えを躊躇い無く投げつけた。
「それぞれのクローン個体は食糧、だからですよ。リゼ等のオリジナルはその母樹、でしょう」
苺がクローンで育てられているのは、苺が遺伝子を固定することを苦手としているからである。Aという品種の苺の種を育てても、それが必ずしもAと同じ遺伝子を持つとは限らない。これは苺の味が変わってしまう、という可能性を芽生えさせる。
「食糧……」
クローンを使えば遺伝子変異はある程度、長期間に渡って避けられる。味が変わらない。安定した味を提供できる。
「カニバ、リズム……」
線が繋がった。
「で、暁家は……」
瑠雨がついと壱に顔を向けた。顔を伏せた蒼のたんこぶを氷水で冷やしてやりながら。しんとした空気が漂っている中、そのたんこぶだけが阿呆な雰囲気を醸し出している。
それを断ち切るのは壱の声。眼鏡を外し、またかけながら壱は低めの声で言う。
「人のクローンを造るのは命を弄ぶことと同義。ここで私が送られてきた一つ目理由を言いましょう。兄の最期を見届けることです」
「……? ん? 良く分からないです」
「蒼、自分の血縁大好きな暁家の決まりの一つにそんな感じのがあるんですよ。"命を大切に"とかいうふざけた文句が」
蒼は顔を上げると、勢いに任せ瑠雨を見た。突然蒼が動いたが為に瑠雨が持っていた氷水袋はずれ、膝が当たったテーブルはガコンと揺れた。
──なぜだろう。さっきから瑠雨がおかしい。
過去に何かあったのだろうか。さっきから言葉に棘がありすぎる。目が合った瑠雨は相変わらずの鋭い猫目で壱を見ていた。碧眼を揺らしながら思考を脇に置き、蒼は壱を見て言う。
「それ、ふざけてるの? でも分かった、そういう事ね。間接的にもそのルール破ったから、向こう側としてはお兄さんを処分したいんだ」
「そういう事です。引き受けて頂けますか?」
壱は合格、とでも言うかのようにぱちぱちと小さく手を叩きながら言った。目を細め、楽しそうに笑ってすらいる。いったい馬鹿にしているのか、はたまた粋に褒められているのか……蒼には区別がつかなかった。
「良いですよ。その代わり、あんた達が知っている僕達の情報を他に広めないでください」
「ちょっと瑠雨?!」
自分の判断だけでは決められない。そう判断し、保留したいと思った蒼の脇で、瑠雨が引き受けてしまっていた。これには蒼も目を丸くする。いったい何を考えているのか。その後ろで瑠雨はニヤリと三日月に口を歪めていた。凶悪犯罪的な顔をしている。
──あーこれ絶対何か企んでる顔だよ。
こうなった瑠雨には誰も逆らわない。
壱は嬉しそうに頷くと「大丈夫です」、と答えた。そして怪我が治りかけた掌に何か出すとそれを蒼に渡した。
「暁家のお兄さんの情報について何か知りたいことがあったら、それを使ってください。姫様なら使えますよ」
「は、はぁ。そりゃどうも」
御守りみたいな白の袋。「開けてみて下さい」という壱に従い、蒼はするりと紐を解く掌の上で逆さまにすると、紫色の石の欠片が愉快に転がり出てきた。
「紫水晶?」
光に透かすとそのとっぷりとした色の濃さがありありと分かる。そこら辺の店で売っている安物とは大違い。重量も小さいくせにずっしりとある。
「まぁ、そんなところです」
壱はゆらりと立ち上がると翁に小さく頭を下げ、何か呟いた。
──そして空間が少し歪む。
「移動用の結界ですよ、姫様」
「色々あるんだ」
壱がそれに足を踏み入れる寸前、瑠雨はぼそりと言った。
「蒼には出来ませんよ。第二の目的は素直に諦めてください」
「────?」
蒼の両肩に手が置かれる。氷水は外された。
それを聞いた壱は少し意外だと言うような顔をすると、足を止めた。
「いったいあなたはどこまで知っているのです? 誰も知らないはずなんですけど」
「あんたの知らないことまで知ってますよ」
「……そうですか。ま、諦める事は視野に入れて置いてあげましょう。すぐに会うと思いますが、暫くお別れです。……外の空気は本当にまずい」
「瑠雨、あの人達私達のこと知ってるぽかったけどいいの?」
壱が溶けるようにいなくなった空間で、コクリと甘めのコーヒーを飲みながら蒼が言う。
「ん、口止めしたから大丈夫です。そこだけは信頼出来る人達なんで」
「白樹達に言っちゃダメな感じ?」
「言わない方が良いに越したことはないです……白夜達は知ってますよ」
「……そう?」
全く納得いかない顔で、けれども分かったと蒼は頷いた。ふらりと姿を消していた翁が戻ってくる。
「瑠雨、リゼロゼは今どこに」
「今は白樹の管轄にあるんで僕は知らないです。……ただ、最期くらい一緒にいさせてやろうとはしているみたいですよ」
銀色を一粒、口に含みながら瑠雨が言った。本来ならば雪斗達に返したかったのだが、状況がそうはさせない。
────増援に向かわねば。
「暁闇と暁家はまぁ、意味としては同じーとかいう説明、あったじゃないですか」
「う、うん。同じじゃないの。てか敵」
「それは少し違うねぇ。今の敵は彼のお兄さん、そしてその傀儡さ」
暁家の定義──迷惑極まりない人達の血を引くもの全員
暁闇の定義──暁家+その配下
今の敵──暁家のお兄さん+その配下
「めんどくせぇ…………」
用語の整理整頓を終えた三人は、あまりにややこしい単語共に暫し放心した。