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誰が為の黄昏  作者: あめ
【2章】月灯に舞う・中編
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〈魂喰らい〉2

 


 チクタクという耳障りな音。槻はパチリと目を開けた。最初に見たのは薄い水色の天井。次に見たのはしとしとと降り注ぐ雨に濡らされたガラス。その次に時を刻む耳障りな音の発生源。そして、


「……誰?」


 腕を組み、欠伸をしながら本を読んでいる少女。伏し目がちで、濡れ羽色の髪で、適当なロングスカートに似合わないパーカーの知らない人。槻の枕元に置かれた椅子に腰掛け、我が物顔で時折お菓子も摘んでいる。ひとまず槻の記憶には覚えのない人がそこにいた。

 ツンッと微かに漂う匂いからもここは病院だと教えられる。どこの病院かは分からないが、音を聞く限り街中なのか。少なくとも組織脇では無さそうだ。しんとした空気が心地よかった。隣で目覚めた槻に気が付かず本を読み耽る少女の呼気すら、心地よかった。

 少し震える手で近くにあったコップをとり、中の水を一口頂く。潤った喉はすんなりと言葉を声にした。


「どちら、様?」


 少女はついと顔を上げ、槻を見た。恐ろしい程に深い萌葱色。閉じられた唇は一瞬綻び、声を通した。


「おはよう。久しぶりね、槻。もうちょっと眠ってなさい。精神的な反動はまだ消えてないのよ」


 諭す様な声。暖かく、どこか懐かしい声を聞き、槻はふんわりと毛布に包まれる気分になった。槻は思わず起き上がり、自分の腕を見た。白い包帯が巻かれている。ドクン、と心臓が大きく鼓動した。

 言われて気がついた。体に残る倦怠感。仮面、を久しぶりに使ったからだろうか。それにしてはやけに感じる違和感。ベッド脇の支えに手を置くと槻はベッドサイドに腰掛けようとした。少女は静かに呼吸をするだけで何も言わない。


「久しぶり……? ──ッ」


 槻は次の瞬間、ズキンとした大きな痛みを覚えた。一瞬頭が真っ白になる。これは仮面による反動。この分だと記憶は飛んだらしい。それでも立ち上がろうとする槻の額に、少女は冷たい手を置いた。少女の視線が寝なさい、と言ってくる。

 気持ちいい、と思うとほぼ同時に槻の思考は意識の奥底に引っ張られた。


 記憶にいないあなたは、誰ですか。




 少女ことローリエは槻が眠ったのを確認するとダミーの小説を膝に置き、槻の寝顔を堪能し始めた。ある種の変態である。


「うわ〜大きくなって〜可愛いわね〜」


 恐らく白夜がここにいたら、翡翠キモいよと罵った事であろう。そうなる未来は安易に想像出来たため、白樹の元へとっとといけ! と追い払いずみだ。従って邪魔者はここにはいない。……はずなのだがちくりと視線を感じた気がして、ローリエは辺りを見渡した。


「そっれにしてもねぇ……」


 三半規管が狂いそうなほど回転椅子でクルクルと遊びながら、ローリエは思考を巡らせる。〈魂喰らい〉は白夜が追っ払っていた。暫く脅威はないだろう。しばらくの間は。となると次に懸念すべきなのは、無論またふらりと姿を消した暁闇のことで。

 うーんとローリエは首を捻った。


「後は千里アリスの処理、及び双子の処理。千里アリスに関して私から言えることは何も無くて。双子の処理に関しては白樹が何やかんやしに行ったのよね」


 千里アリス。彼女の記憶を隠した身であるローリエからしたら、たとえ自分の〈譲葉〉だとしても会いに行きたくない。人間、例え都合の悪い記憶であっても思い出したくない記憶であっても勝手に記憶を隠されるのは本能的に嫌がる。ローリエは嫌われるのを怖がった。

 〈譲葉〉だからこそ記憶を隠した。それに後悔はしていない。


「借りを返してあげる、か」


 羨ましい。そんなことを堂々と口に出せる白樹が。自分もどこかで罪滅ぼしとして、彼女に何かしてあげたい。自己満足だとしてもまぁ良いだろう。

 ローリエはもう一つため息をついた。──今度は彼女の大事なものを利用しようと強いる、いや強いている自分に一体何ができるというのだろう?


「あ〜ほんっと私って何も出来ないのよね」


 自分の、最初にできた大事な人を何も出来ずに奪われた頃から、何一つ変わっていない。変わったと思ったのに。力を手に入れたと思ったのに。今度は他人にとって大事な人を自分が消してしまう。大事な人を失って泣きわめく双子の姿は安易に想像が出来た。

 全ては翡翠という一匹の〈蝶〉のせいで。


「早く"決断"しなかったから……」


 〈譲葉〉は、〈蝶〉が主人を変える度に必ず生まれる訳では無い。一定の条件が揃った時に出現する。そして〈譲葉〉となった者はどこか体の一部に対応する"色"が現れる。瞳だったり、髪だったりのパターンが普通だ。

 そして、〈譲葉〉の識別方法として匂いがある。人間には見えていない色が蝶を初めとした虫に見えている様に〈蝶〉達自身もまた、本人達にしか分からない色を持っている。嗅覚。本人達にしか分からない、とは言ってもつい最近それは崩れた。

 春先にイタリアで千里アリスが襲われた。幸いなことに白樹の影がそれに気が付き、白夜で対処できたが、もし彼女を奪われていたら……〈黄昏〉の姫こと〈蝶使い〉の存在が暴かれていたかもしれない。深読みのし過ぎは無いだろう。実際、白樹は先の先を見越して自身の影を蒼に貸した。

 奪われるなら殺してしまえばいい、と思ったことは誰にも悟られてはならない。

 あぁ、とローリエはまた小さく溜息をついた。


 ──……私は彼女にだけでなく、白樹にも迷惑をかけていたんだ。


 ポケットから取り出した蕎麦切色を一つ口に運んだ。吸う感覚で色を味わう。ちなみに白夜はしゃくしゃくと食べているが、あれは頭……じゃない歯がおかしいのではないだろうか。良くもあんな硬いものをしゃりしゃりと食べられるのだ。

 ネガティブ思考に癖飽きしたローリエは、槻の寝顔を見て精神を落ち着かせようとした。実にカメラが無いのが残念だと思いつつも、今度は溶けかけているチョコレートを口に投げた。


 ──雨の日はどうも思考が憂鬱だ。




 ■◆■




「良く食べますね……」


 槻は偉い子なので控えめにそう言った。控えめ(当社比)。それに対して食指を止めることなく少女は返す。


「槻は食べないのかしら? 美味しいわよ」

「ちょっと今そんな気分じゃ……」


 反動も終わり、退院したての槻に食事はまだきつい。


「あら? そう?」


 もくもくとその細い体にどうしてそんなに入るのかという量を、ローリエは口に運んでいた。その食べっぷりに、槻に絡もうとやって来た叶すら、どん引いている。

 ここは諜報組織に隣接されている暗殺組織のお食事処。目覚めてすぐに退院(だっそう)した槻はローリエと言う少女を引っ張り、ここに来た。お腹が空いたという彼女を流れ流れて食事処に越させたが、ぶっちゃけなくても彼女が誰だか分からない。目が覚めたら枕元の椅子で文庫本を読んでいた、

 大食らいの正体不明の美人。前世はヤギかという程に食べている。

 ローリエは気が付いていないが、それはなかなかにシュールな光景その一であった。しかも肉料理には手を出さないで生野菜を中心に食べている。健康的なのか、そうでないのか。ローリエとしては死肉を喰らえるはずがない、という一応しっかりとした理由があるのだが、他の人には知りようがない。

 ぺろりと最後の一皿を食べるとローリエは満足そうに唇を舐め、ご馳走様と手を合わせた。何枚かは察してほしい。沢山。ともかく沢山。

 槻は助けを求める様に、叶の後ろでチョコを摘んでいる氷を見た。氷は目を逸らす。そしてその後逃げようとし、叶に捕まっている所を見ると、役にたたな……全快では無いらしい。


「あの、どちら様?」


 前にも似たようなパターンがあったなぁ、と思いつつ槻は目の前の少女に聞く。確かそれは春先だったか。少女ことローリエは首を捻った。そしてなぜか氷に狙いを定めた。深い緑色の目の圏内にいる氷は圏外に逃げようとするが、ローリエは逃がさない。

 ローリエはにっこりと微笑むと氷を呼ぶ。


「氷、来なさいよ」

「げえっ」


 叶は来なくていいわよ、と釘を刺すのを忘れない。そして氷にお前ちょっと来い、と手招きでローリエは伝える。ローリエが手を招く度に、ちりぃんと言う心地良い鈴の音が辺りに響く。


「氷〜おいで〜お姉さんと優し〜くお話しましょ〜」

「絶対やだ。……いや、誰が姉さんだよ」


 聖母のようなローリエの笑み。断りながらしっかり突っ込む氷。槻は暫く氷とローリエの顔を交互に見た。蟻地獄の様だとか、罠だとか、悪魔だとか思ってはいけない。そして槻は手をぽんと打つと言った。


「なるほど氷のお姉さんか」

「そんなとこよ」


 違う! 、という氷の心の声は当たり前だが槻は気が付かない。一睨みで氷を黙らせるローリエは、ニコニコと(悪魔の)笑みを絶やすことない。


「槻騙されるな……」


 氷の蚊の呟きはやっぱり槻の耳に届くことは無かった。様子を見ながら、叶もやって来る。さしもの叶も氷すら黙らせる事が出来る圧倒的捕食者に歯向かおうとは思えない。


「氷、君お姉さんいたっけ?」


 控えめに叶は聞く。


「らしいです」


 諦めた様な氷のそれを聞いて、叶は隔世遺伝かな? と納得することにした。やはり長い物には巻かれてる人生を送っている(※本人談)叶は、触れてはならないラインを本能で察していた。


「ローリエさん……ローリエって月桂樹か」


 槻はどこからか取り出したオレンジジュースを飲みながら言う。月桂樹──その葉っぱは、肉料理に使われる香辛料となる。肉厚で、深緑の葉を乾燥させたものは、清涼感溢れる香りを出す。控えめに言っても良い香りだ。


「えぇ、そうよ」


 ローリエは楽しそうに頷いた。そしてその笑顔のまま叶に向き直る。


「叶、消えなさいよ。サブリーダーがどうせまた探してるわよ」

「随分直球な言い方ですね。ローリエさんは」


 少し傷ついたふりをしながら、やれやれと叶は言う。


「私の幸せタイムを邪魔しないで頂戴」

「はいはい」


 ぼうふらが溜まった池を見るような目付きをされれば、さすがの叶も退散するしかない。


「あ、氷は連れていちゃダメよ?」

「…………」

「ね、氷?」


 これからこき使うから覚悟しとけよ?、と言う意味を嫌に性格に悟った氷は己が運命を悟った。


「……はい」

「氷大丈夫? とっても忙しそうだね」


 ニヤニヤと状況を楽しむ槻の肩に、ふいに手が置かれる。すかさず振り払うと槻はゲテモノを見るような目で叶を見た。


「セクハラですよ。何の用です」

「あの本、書いたの槻ちゃん?」

「私が書くはず無いじゃないですか。何でわざわざ貴方のことを本にまとめなきゃいけないんです」


 ハエが集っている生ゴミを見る目付きで槻は叶を見る。書いたのはまごうこと無く朱里(あかり)だ。ここ数日、パソコンに向かってコーヒー片手に文字をずっと打っていた。朱里から槻にアンケートに答えてと頼まれたが全て断り捨てたのは、槻の記憶に新しい。


「じゃあ、朱里?」

「本人に聞きなさいよ。二人とも、ちょっと部屋移動しましょうか。ここじゃ虫がうるさいわ」


 ふわりと大きな欠伸をし、その髪の如くローリエは叶の言葉を切り捨てた。そしてすたっと立ち上がると、槻が立つのを支える。何を隠そう槻は脱走して来た身である。恐らく病院側にはもう連絡が届いてはいるのだろうが、向こうからしたらいきなり患者がいなくなったのた。肝を冷やしたに違いない。

 氷も当たり前のように立ち上がる。"ローリエ"という存在に感じる違和感。しかし槻は"絶対的に信頼している氷の知り合い"と彼女を認識してしまった事で、その違和感の根本に気づけないでいた。精々わだかまり程度にしか感じてない。恐らく氷の知り合い、という情報が無ければ今頃槻は牙を剥いていただろう。それ程までに彼の存在はでかい。

 ローリエが二人を連れて行った先は、長年組織で過ごしていた二人も知らない部屋だった。あまり使われていない部屋、なのだろうか。簡素な扉を開けるとふんわりと清々しい香りが揺蕩(たゆた)っている。壁側に青色のポプラが飾られているところを見ると、発生源はそこからなのだろうが……。果たしてここまで香るものなのか。


 ローリエこと翡翠は奥側のソファに身を沈め、二人を手招きした。二人は翡翠と向かい合わせになるようにして座る。ここからは槻の耳でも外の音が聞こえない。組織の建物内に数多(あまた)ある防音室なのだろう。逆を返せば外で何があるか分かりづらいという事なのだが。


 さて、と翡翠は口を開いた。静かに独特な鈴の音が鳴る。


「この間の殺しが練習ってのは白樹とリーダーから聞いているわ。お疲れ様、とでも言っておきましょうか」


 翡翠はニッコリと笑って槻を見た。まるで質問をするなら今じゃない? と言う様に。槻の脇で暇そうに氷が欠伸をする。──これじゃあ翡翠の思うままだ、と。


「ローリエさん、は一体どこの組織なんですか? 氷のお姉さんっていうは理解しましたけど」


 スラスラと()()()()()言ってから、槻は暫し驚いた表情をする。訝しげに。どうやら槻の中で翡翠が氷の姉というのは決定事項となってしまったらしい。やっぱり翡翠の思うままだ。ぼんやりと遠い目で宙を仰ぎながら、小さく氷はため息をついた。

 槻は槻で、自分が言ったセリフを他人事の様に反芻(はんすう)していた。〈黄昏〉関係者でありながら、身を置いている組織を明かさないというのは"自分が不審者です"と自己紹介しているも同義。〈黄昏〉で身を置いている、もしくは身を寄せている組織を相手に明かすことは、いわゆる身分の証明。

 そしてローリエという()()()()()()()も実は〈黄昏〉内では怪しむ対象だ。ここでの名前は、都合の良い暗黙の了解として漢字が主に使われる。吉野蒼みたいに"苗字付き"は殆どいるかいないか……のラインだ。勿論外の世界で働く〈黄昏〉の人々は偽名として、名字を持っている。

 詰まるところ名前にカタカナを持ち、尚且つ組織を明かさないローリエは槻が良く考えなくても怪しい人。

 少し意外なことに槻の質問に答えたのは氷だった。険しい表情をしている槻の事をデコピンしながら言う。


「ひす……こいつは難しい立場にいるんだ。ほら、諜報組織も他組織の抜き打ち調査……監察に行く時、身分を偽るだろ。そんな感じだ」

「私は完全に戦闘員だからそんなことしたことないけどね。そういうもんか。……ってか痛いよ! なんで?!」


 どうやって誤魔化そうかと考えていた翡翠は氷のフォローに全力で頷いた。


「まぁ、そんな所よ。強いて言うなら今は白樹専門のパシリね」


 あながち間違っていない。


「白夜さんみたいな?」

「白夜と比べないでちょーだい。まぁ、そんなこんなで白樹にあなた達二人の世話を頼まれたのよ。本当は白夜がやる予定だったんだけど、白樹が寂しがってたみたいで代わりに私が」


 パチリと翡翠はウインクをした。まるっとかりっといつも通り思考を放棄した槻は、悪寒に固まる氷に気が付かないでいた。


 ──翡翠が上司とかやばい気配しかしない。


 氷の背中を使って、冷やりとした汗が這う。


「よろしくね、二人とも」


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