表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
誰が為の黄昏  作者: あめ
【2章】月灯に舞う・中編
42/96

無垢な秘密 2

 

 案内された部屋はまぁ生活感のある部屋だった。病院に生活感、というのも少々可笑(おか)しな話かもしれない。ソファ、机、生けられた花はどこか生々しく、光が通されている窓、薄い桃色に纏われた壁。淀みない空気はそれだけで空間に不自然を生み出す。

 女医はそっと空気を動かし、言った。


「座って。楽しいお話をしよう」


 二人は異質な空間に腰掛けた。人をどこか見下した様な……小馬鹿にした態度。不愉快この上ない。碧眼をぎゅっと閉じると時雨は隣の雪斗を見た。彼がこの空気を打破してくれないかと小さな期待を込めて。

 無言を貫く二人の目の前にコーヒーが置かれた。二人は一口飲んでゾッとした。雪斗に手渡されたのはミルクと砂糖が入った少し甘めのもの。時雨には何も入っていない、シンプルなブラック。二人がいつも()()飲んでいるものと同じ組み合わせ。同じ味。


 ──何、で。

 

 偶然なのか奇遇なのか。偶然、では無いだろう。奇遇、だとししても恐ろしすぎる。そんな二人の目の前で女医はコーヒーではなく、紅茶をこくりと飲んでいた。それを見て、二人はもう一回ゾッとした。精神的な恐怖。彼女は雪斗達にコーヒーと紅茶を与えるという選択肢があったと言うこと。

 二人の心境を知ってか知らずか、女医は紅茶をことりと置いた。きっちり縛られた髪は黒く、黒縁眼鏡の奥の瞳は茶色がかっていた。薄桃の唇はほんのりと色付いていた。


「──遺伝子ことDNAは中々に痛快でね。タイムリー、かは知らないが『23andMe』って言うのを知っているかい?」

「知ってるわ。あの遺伝子検査会社のやつ。自分のDNAを検査して貰って己のルーツを調べてもらうっていう」


 時雨が手で髪をクルクルしながら答える。コーヒーは一口飲んでそれ以降口をつけていない。時雨(じぶん)の好み、では無くいつも家で飲んでいるものと同じ組み合わせのコーヒーが迷わず出てきた。今何が飲みたいか、というのを無視して出された。何が入っているか……考えると、とても全部飲まれたものじゃない。媚びるようにコーヒーの水面はユラユラと揺れていた。

 飲まないと言う選択肢は無論雪斗も同じである。警戒をしないのは愚策この上ない。

 そんな心境を知ってか知らずか、女医は静かにこくりと頷いた。


「あぁ、それだ。──まぁ、それは脳味噌の片隅に置いておいてくれ。そんでだ。あの子達は血液検査が言った結果によるとまぁ、双子。俗に言う一卵性。違うのは性別を示す箇所だけだな」


 二人にそれらを印刷した物であろう資料を見せる。二人はそれを馬鹿正直に見た。何で定義されているのか分からないABCに単位が示されていない数値。

 ──うん。分からない。


「ま、これはただの研修生がランダムな値を用いて作ったやつなんだけど」


 雪斗は目の前の女医を捻り潰したい気分を耐えた。


「まぁまぁ、そんな眼をするなって」

「結果をとっとと言ってください」


 時雨の青眼がぎらりと殺意に輝いている。それに対し、女医はヒラヒラと手を振りながら返す。


「君は戦闘機関、とは言っても後衛だろう? そう言うのは宜しくないね」

「殴るくらいは出来ます」

「時雨、落ち着けよ」


 どれだけ自分達のことを下調べしたのか。そんな事は思えど、今の雪斗には激昴しかけている時雨を止めることしか出来ない。幸か不幸か、こういう場で時雨に悪ノリする事が多い槻はいない。


「だって……!」

「──年齢が約一歳半、か。違う」


 女医が余りに唐突に、ボソッと"結果"を言うものだから、思わず雪斗と時雨は固まった。鳩が豆鉄砲を食らったよう、とはまさにこういうことを言うのだろう。そして弾かれた様に雪斗は目の前の女医を見た。

 同じDNAを持つ()()なのに年齢が違う.


 ──同じDNAを持つ双子なのに?


 その一文が私に気がついてと言わんばかりに、時雨の脳内を彷徨(うろつ)く。思い込みには気が付かない。時雨は両手で頭を抱えると結果から逃げるように声を絞り出した。


「待って。血液検査で……この短時間の検査でそんな事細かに……決めつけていいの?」


 女医は冷たい目を時雨に向けた。現実を見ろ、と。


「時雨、と言ったね。君は。〈黄昏〉の技術を舐めちゃいけないし、それに──別に今やった検査の結果では無いよ。まぁ、察せるよな? あぁ、双子の少年の方は花粉症と猫アレルギー持ちだな。少女は温度差アレルギー。まぁ、至って普通だ。良かったな」

「クソ野郎……」


 時雨がそう唸るほど、異常に手回しがいい。まるで待ち構えていたように。


「私なりに、簡単に結論を出そうとはしてみた、が──」


 まるで聞くまでも無いという様に、雪斗はボソリと後を継いだ。


「どれも非現実的だったと。四億と少しの確率で存在すると言われているDNAが同じ()()。こう都合よく居る訳ないよな」


 女医はぴゅうっと口笛を吹いて雪斗を見、パチパチと拍手をした。一瞬前までの冷たい視線は消え、とても楽しそうな表情をしている。雪斗は頭の後ろで腕を組み、うっすらと笑っていた。──まるでずっと考えていた難問が解けた、そんな顔。


「君は私と同じ意見を出したっぽいね。お嬢さんは考えまいとしているみたいだけど。心当たり位はあるんじゃないか?」

「とっても愉快痛快な意見なら出せるわ。聞きます?」


 時雨は唇をかんだ。


「いや、いい。どうせ似たり寄ったりの意見だろうから。この私でさえ、たった一つの予想しかたてられなかったんだ」


 その後少しの間沈黙が続く。ニコニコと女医はただ笑い、雪斗と時雨は怪訝そうな顔をしながら何事かと沈黙を保つ。ゆらゆらと揺れていたコーヒーの湯気も、いつの間にかに黙り込んでいた。

 沈黙が破られたのは結構早くて。唐突に雪斗はただため息をついて両手をあげた。いわゆ?降参を示すポーズだ。


「で? ここまで俺が気づいてしまったからには共犯だって言いたいんでしょう? 何をすればいいんですか」


 投げやり、ぶっきらぼう、やけくそ。そんな言葉を体現した声。


「いやに物わかりがいいね。気づかなかったら良かったのにね。──私は情報、それを取引材料にするのか凄く好きだ。私の取引に乗ってくれたら、私が知っている双子の情報を全て与えよう」


 胸に手を当て彼女は、言う。どこか挑戦じみた表情。


()()の情報を知って私達に何の得があるんです? 私達はただ、預かっているだけです。他意は無い」


 時雨は思いっきり噛み付いた。関わりたくない。関わりたくないんだ、と。


 チクリ


 今度は時雨の脳味噌が何かに気が付いたかの様に、己に気付けと訴える。何か……違う。そう思えど、考えど、ワカラナイ。依存とは恐ろしい。


 時雨のその台詞(ことば)を聞いた女医は楽しそうに笑う……いや、(わら)った。


「そうだねぇ。私が与える情報は火花飛び散る前線に来る事が出来る……まぁ、一つ目の切符だな。上手く行けば命を駆け引きに動き回る事が可能だし、まぁ……ここだけの話に留めて関わらない事を決意するなら、君達の事は放っておいてあげよう」


 時雨は足を組み、顎を手のひらに置いた。正直、最近暇していただけあって少しの刺激を欲していたところだ。この良く分からない取引に乗るか乗らないか、で言ったら今すぐにでも乗りたい。

 だがしかし、そんな感情論で動けるような話ではきっと無いだろう。異常に手回しが良い事、さっきのコーヒーによる自分達への牽制、それに今は槻が居ない。彼女に何も知らせずに事を動かすのは、何か違う。

 目を閉じて、時雨は考え、気がついた。


 ──あれ? ()()……"は"?


「さぁ、どうする? 蹴るか蹴らないか」


 女医は楽しそうに。

 そして選択肢を迫った。


 唐突。

 恐ろしい程にタイミング良く、時雨と雪斗後方の扉が開いた。音無く。静かに。空気が揺らめいた。花瓶の花は花弁を落とし、地面に頭をつけた。怒り気味の声が静かに響いたのはそのすぐあと。


「──蹴るか蹴らないか。いったい何の話なんですかね、博士。どうせなら僕も混ぜてくださいよ。……そろそろいい加減にしないと今度こそ塩辛にして海にぶち込みます」


 猫目をぎらりと女医──博士に向けながら瑠雨は雪斗に向かってひらりと手を振った。少し息を切らしている瑠雨は少し大きめのパーカーに身を包み、手に何か紙の束を持っている。いつも瑠雨と一緒にいる蒼の姿は無かった。

 瑠雨は音無く扉を閉め、雪斗の隣に立って博士を見下ろした。


「雪斗。これに言われた事を一字一句間違えないで教えてください。人が目を離した隙に……本当に何やらかすか分からないですね、どうしてくれましょうか」

「瑠雨兄……一字一句間違えないで、は無理」


 雪斗は小さな声でそう、進言した。雪斗と瑠雨。師弟(してい)久しぶりの再開である。状況が読み込めていない時雨は眼をぱちぱちとしていた。


 ──……ええっと、さっきの白衣の人が乱入してきて……? 雪斗の知り合いで?


 the キャパオーバー。順位弱点したのは違いない。


 ────暫くして。


 瑠雨は凶悪猫をどう調理しようかと睨んだ。


「博士、楽しかったでしょう。わざわざ僕の目を掻い潜って」

「瑠雨に……瑠雨さん、何かいつもよりも怖い気がします」


 少し瑠雨から体を逃がしながら雪斗は言った。纏っているオーラがいつもと違う。


「自分の弟分を虐められたんですよ。その仲間も。さて選択肢、でしたね」

「はい」


 キレ気味の瑠雨を見て、博士は素直に従うが吉と悟った。生き延びるためにはどうすればいいか人は皆、知っている。


「004の解剖実験にまわされるか、塩辛にして小魚の餌にされるか──」


 ──……塩辛って小魚食べられるのか……?


 雪斗の脳味噌は現実逃避に走っていた。脳内で小魚を塩辛で釣るというシミュレーションが始まった。ぱくぱくと魚が塩辛を食べながら海中を進む。


 博士を見る瑠雨はあくまで笑顔であった。にっこりとして慈悲を持った悪魔。


「とっとと素直に謝って状況を二人に説明し直すか」

「謝ります」


 即答。


「宜しいです。博士、まともな思考を持ってて良かったですね」


 瑠雨の拍手とその言葉を聞いた博士は、彼に本気で塩辛にされかけた事を悟った。そして今後の雪斗と時雨への対応次第では、小魚の餌にされるとも。立派な殺人だが瑠雨(かれ)の事だ。上手に隠蔽しちゃうのだろう。

 ブルりと身をふるわせ、雪斗と時雨に向き合い、ぺこりと頭を下げて言った。心の底から、謝罪の気持ちをたっぷり込めて。正直に、言う。


「からかってごめんなさい。とっても楽しかった」


 瑠雨の拳骨が落ちたのは言うまでもない。



「──状況は僕が説明します。ひとまず双子の身柄はこちらで預かりました。恐ろしいくらいに賢いですね。想像以上です。で、時雨さん初めまして。戦闘機関指示の瑠雨と言います。今は訳あってこれの世話をしています」


 蒼が白樹の元へ向かうと言うので瑠雨は研究所に顔出ししに行った。タスクが溜まっているだろうから先に少しでも終わらせようと思ったのである。しかし仕事を確認した瑠雨か見つけたのはたった一つの文章。

『博士の世話 一週間コース』

 博士──それは突然山菜刈りに行ったり、何事も体験と称して体に毒を与えたり、睡眠時間が足りないからと結界内で昼寝をして体調を悪化させる蒼よりもタチが悪い大人である。彼女の過去の経歴。それは〈黄昏〉で屈指の悪戯……じゃない悪行として本に纏められている。『博士の世話 一週間コース』。瑠雨は初めて何でもして良いと言われた蒼といた方がまだマシだと思った。


「双子の年齢の差……さぁ、どう説明しよう」


 頭を氷水で冷やしながら博士は言った。そこにはぷっくりと愛らしいタンコブが二つ、山となってた。瑠雨は持っていた紙束を脇に挟み、手をパンパンと叩いていた。何があったのか言わなくても分かるだろう。

 金平糖を一粒、口に時雨は放り込む。脳味噌は糖分を欲していたようで、心地よい感覚が広がった。


「それについて説明できて、あの子達を知って、暴いて……何になるって言うんです?」


 不快さを顕にしながら、言葉を選びながら時雨は言った。分からない。なぜ雪斗や女医がこんなに乗り気なのか。上機嫌な隣の雪斗を小突いた。雪斗はとっても楽しそうな表情だ。

 時雨の疑問は至極単純。

 "自分達に利があるか、否か"

 この際、未だある違和感はどうでも良い。博士は不思議そうな顔をこちらも隠さず、時雨を見た。時雨の青眼に浮かんでいたのはその、純粋な疑問。博士はただの美味しい紅茶を口に含みながら、それに答えてやる。唇を三日月に歪ませながら。


「面白いから。単なる知的探究心」

「……やっぱり分からない。雪斗は?」


 自分で入れたコーヒーを飲みながら時雨は聞く。


「ん? 単なる好奇心」

「むむむ……」


 分からない、と再び呻く時雨に雪斗は船を出した。


「時雨、美味しそうなお菓子が売ってたら買うだろ? そして部屋に貯蓄するだろ」

「うん。……ん?」


 ──部屋に貯蓄してるの何で知っているのかしら?


 時雨は狐に包まれた様な気分に陥った。理由を問う雪斗に「……お菓子がそこにあるから」、と返す。雪斗は少し首を傾げた。


「今の時雨の気持ちがわかった気がする。でもそんな感じ。楽しそうな事がそこにあるから、後先考えないで飛び込む」

「ふぅん? 感覚論ってやつ」


 いつもの事だが時雨は考えるのを放棄し始めた。世の中、考えるだけ時間の無駄という物がある。これもその一つ。でもまぁ、何となくわかった気はする。雪斗は無言で肯定の頷きを返した。


「まぁ今の雪斗はまさに飛んで火に入る夏の虫、って感じがするけど。頑張ってね」


 ヒラヒラと手を振りながら時雨は言った。それなのに雪斗はえ? と時雨を見る。嫌な予感とは当たるもので。時雨の嫌な予感センサーは久しぶりにフル起動していた。脳内に響く警告音。

 髪の毛をクルクルとしながら時雨は一応確認した。念の為雪斗からじわりじわりと距離をとる。


「もしかして、私もなの?」

「勿論」


 "行ってらっしゃい"、"行ってきます"の様に極自然に返された単語。


「時雨、俺一人火に入ったら槻が悲しむだろ」

「大丈夫。遠くから見守っててあげるわ。精一杯燃えてきなさい」


 ニッコリと微笑む時雨の横で、瑠雨がボソリと呟いた。


「彼女も遠かれ遅かれ巻き込まれますね」



 遮光カーテンを抜けて行進して来る光は、どこか暗かった。もうすぐでまた雨が降り注ぐということか、それとも単に日が沈み始めているのか。

 それとも、それ以外なのか。




『23andMe』

(https://www.23andme.com/en-int/)

遺伝子検査会社の1つ。所謂遺伝子解析サービス。Googleが出資している。

(2018/08/15 20:08 現在の情報)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ