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誰が為の黄昏  作者: あめ
【2章】月灯に舞う・中編
38/96

朱 1

雨降る夜。槻と氷は訓練の一環で廃工場にいた。

 


 闇夜にチロチロと(ほむら)が二つ、浮かんでいた。チラチラと見え隠れする笹色の焔。蛍の様な、そうでないような。見て畏怖を覚えるのは間違いない。

 ──しとしとと雨が再び降り始めてきた。それは少女の頬に付いた血飛沫を溶かし、滲ませていく。湿気を気味が悪い程に含んだ風が肌を這う。枷のように。

 彼女が纏っている大きなフードのついたレザー調のポンチョ。それは少女と顔から腰までをとっぷりと隠している。緋に染められたそれは闇夜に不思議と溶け込んでいた。

 唐突。彼女が猫の様に身を震わせると、鮮やかな雫が雨の中飛ぶ。鉄の香りがするそれは、誰が何と言おうとも血に変わりない。少し不愉快そうな顔をした少女はじっと手元のナイフを見る。そしてどこからか取り出した真っ黒い布で、血糊を綺麗にふき取った。


 ──これ、いつもどう処理しているんだろう? 


 少女は出来立てほやほやの屍を見、思う。ただの肉塊に()()するのは簡単。だってナイフで突き刺したり、毒を盛ったり、銃でバンって撃つだけで人の命は簡単に奪えるから。でも、後片付けってなるとそうも行かない。どこに捨てるか、どう処理するか──つまりどうやって証拠隠滅するか。


「〈黄昏〉の誰かがやってくれるには変わりないか。じゃあ()はその恩に預かるだけ」


 ほうっとため息を一つつく。自分にできるのは後片付けがしやすい様、なるべく綺麗な死体を()()ことだけ。他のことは考えなくていい。余計な事は考えるな。自分の仕事を全うしろ。情けは無用。

 辺りに誰もいないことを確認し、少女は後ろ腰のベルトにナイフを戻した。今日持っているのは予備を含めて三本。一本は普段使いのナイフ。今戻したやつ。また別な一本は血液毒に分類される、とある植物の毒が先にちょっぴりと塗られている。

 それの扱いは非常に難しい。何せ生きている人間の血液に霧粒程でも入ったら、あっという間にお陀仏させちゃう代物だから。大きな象さんでも秒で死んでしまうと聞いた。一歩間違えれば少女が死ぬ。言わば最終手段。──使ったのは一回だけ。錆を心配する程度にはそれ以来扱われてない。そして三本目は予備のただのナイフ。何の変哲もない。時々使う。


「ごめんねぇ、あなたが何をしたか僕は知らないけれど〈黄昏〉に歯向かったてことは想像つくよ。そういう人、たくさん()()してきたからさ」


 無邪気な笑顔で、少女はその顔を見た。開いたまま剥き出しになった双眸が何ともいたたまれない。仕方ないなぁ、とでも言う様に息をそっと吐き出す。そして返り血がこびりついた手をポンチョの下から出し、そっと瞼を閉じさせた。


「ふふっ」


 まるで眠っているみたいなそれに思わず顔を綻ばせる。

 だんだんと勢いを増してきた雨は、彼女の手に──粘着質にこびり付いた血を少しずつ洗い流しゆく。辺りを彩っていた様々な赤も透明な雫によって、また違う色を見せ始めている。ある種の芸術品。普通の人には理解してもらえない芸術品。


「……ん」


 その光景をぼんやりと、恍惚として眺めていた少女の鼓膜、に聞き慣れた声が届いた。


 "戻ってこい"


 二重の意味を持つ命令を正確に察し、仕方ないと名残(なごり)惜しく立ち上がる。そのまま身を翻し、一歩進んだところで思い出したように少女は立ち止まり、振り返った。


「あなた、一人であの世に行くわけじゃないから。私の仲間が他の人達殺したから」


 おもちゃ箱を開ける子供のように、クリスマスプレゼントを目の前にした子供のように、あどけない顔で少女は嘲笑(わら)った。一つの鈴が鳴り響くように。


「あの世でみんなに会えるから──心配しないで、ね」




 ■◆■




「うわっ」

「何、(こおり)。何か言いたいことでもあるわけ」

「何をどうしたらそんな血まみれになるのかなーとか思ってないから。……血塗れでナイフ構えるな。ハロウィンの下手なコスプレよりも痛いものがある」

「酷い……」


 少女こと(つき)は氷の反応に少し傷ついた。いや、少しではない。結構傷ついた。ハロウィンの下手なコスプレ以下は意味分からないけど、酷い。ともまぁ、ひとまず槻は今の姿の弁明をする。


「刺しが最初浅くて一発で動けない様に出来なかったんだよね……デブだったから。それが原因かな」


 これでも一応綺麗にしてきたんだよ、と心の中で叫ぶ。


「それで暴れられて血が降りかかってきたと。なるほど。……腕、さらに悪くなってるな。戻ったら特訓待ったなしだな」

「もうちょっとオブラートに包んでくれてもいいと思うよ……? そもそも私諜報組織だし。本領発揮出来るのは現地での情報収集だよ? 殺しじゃないの」

「諜報も似たようなもんだろ」

「……まあ、ね」


 槻はよいしょと首周りに巻かれていた皮ベルトを外し、ポンチョから身を開放する。パラパラと鈍色の粉が零れ落ちたが、面倒なので無視する。そんな事より、顔に付いた血糊だか何だかを早く処理しないと。槻の肌が見える場所は、滴り落ちる汗と血が混じり、なかなかに愉快痛快な事になっていた。

 ふと槻は辺りを見渡し、気づく。


「ねぇ(こおり)(かなえ)さん達は? もしかしなくても残ってるの私と氷だけ……?」


 恐る恐ると槻が聞く。氷から紺色のパーカーを渡される。羽織ったものの、これは暑い。誤魔化すように冷たい水をゴクリと飲んだ。


「もしかしなくても、だ。もう皆一仕事終えて組織の建物に戻ってるはずだ。いつものことだ。他の人はもう風呂からあがってる頃なんじゃないか」


 どこか攻めるようなその口調に、槻は軽い身の危険を感じる。


 ──怒ってる。


「物凄くごめんなさい、とっても反省してるから許して。何ならこの間の、『食堂に殺人鬼乱入事件~なぜあの様な悲劇が起こったのか。被害者が語る~』の原本見せてあげるからさ」


 槻は思わずにやりと笑った。ちなみに作ったのは槻では無い。


 二人の頭上を蝶が越しゆく。銀色に輝く鱗粉を微かに撒き散らしながら。

 二人がいるのは、組織の建物が置かれている山脈を少し下ったところにある廃棄工場。建物からここまで片道一時間、というところだ。足元には割れたガラスが散らばり、壁には雨に溶けたコンクリートが紋様を描いている。適当に生えている草も、鮮やかに、可憐に咲く花でさえその場所の雰囲気を醸し出す脇役でしかない。それはどこか──皮肉。


 夜を彩る華やかな(どくどくしい)明かりは程遠く、喧騒もまたここには届かない。きっと晴れていれば、贅沢な程の星粒共が客を迎え入れるだろう。残念ながら今日は、雨だから星空はチラとすら見えない。星は曇天の奥に隠れて、隠されている。その代わりとでも言うかのように、鉄骨を、鉄線を這い落ちていく雫の音が静かに響いていた。雨降る音の中、ひっそりと。


「──ん?」

「む?」


 ────何か、来る。恐ろしいものが!


 ニヤリとしていた(つき)の口元は瞬時に引き締められ、文句を言おうとした(こおり)は"音"のした方向を即座に見た。二人の背後。槻も遅れてそちらを向く。その方向から、来る。


 ──────視力、聴力、嗅覚……から始まって第六感で締められる人間の持つ感覚。戦闘機関に属する人々は皆、幼い頃からそれ等の能力を伸ばす様に訓練される。訓練、と言ってもそう堅苦しいものでは無い。鬼ごっことか隠れん坊、色鬼とか昔ながらの遊びの中にそう言うのを組み込むのだ。そしてある程度大人になると、それ等の中で特に突出している、または伸び代のある感覚を個人個人伸ばしていく。

 まぁ簡単に言うと、戦闘機関に配属されている少年少女大人達はそれぞれが感覚に関する得意分野を持っているという訳だ──────


 槻、氷は共に聴力に特化している。

 不意にぼんやりと槻の意識が遠くなった。一瞬感じる浮遊感。意識の奥に無理やり引っ張られるような。


『聞こうとするんじゃない。感じるんだ』


 槻の記憶に遠く存在しているあの人がいつも呪詛(じゅそ)のように言っていた。幼い頃の、記憶。


『聞こえ無いくらいの音は"空気"を感じるんだ。慣れてくれば出来るようになるさ。──感覚論ってやつ?』


 "無茶苦茶だよ"


『皆やってるから大丈夫じょぶじょぶ』




 ザスッ


「槻!」

「え、あ、うん!」


 槻を氷は呼び、揺する。直ぐに目に光が宿ったのは幸い。"仮面"を付けて外したばかりなのだろうから、言わずもがな反動だろう。久しぶりなら尚更。


 ザスッ ザスッ


「迎え撃つ、か?」

「記憶が言うにはこれ任務外なんだけど?! 良いのかな!?」


 殺す事前提の小さな会話。髪はべったりと頬に張り付き、服もまた肌に張り付いている。風に煽られて飛んでくる雨粒が二人の体を濡らすのだ。槻の頬を伝う雫は赤く、ほんのり染められていた。

 ザスッ ザスッ ザッ


「氷! 迎え撃てると思え無いんだけど!」


 勘が言う。"やばい"、と。


「逃げるが勝ち……?」

「逃げれるかな?」

「無理」


 小声で論争しながらも、二人はそれぞれ無線で組織に連絡を飛ばす。防水性で良かったと思うこの瞬間。

 近くの塀を滑らないように踏ん張りながら、よじ登る。工場の二階に足をつけ、それぞれがそれぞれ小さく息を吐き出した。

 槻は無線をちらりと見た。


 《Error Code 02》


 とんでもない文字を無線は吐き出していた。空気読んでよ、と思いながら必死に思考の網を展開する。


 考えろ 考えろ 考えろ 思い出せ


 エラーコード02は……


 ──圏外?! 嘘でしょ?!


 どうしようもない。使えない無線機はただの金属ゴミ。いや、それ以前に先程までは圏内だったはずだと気が付き、槻は思わず硬直した。冷や汗がタラりと背中を使い、這い落ちる。ちらりと槻は氷を見た。同じく固まってるその表情が全て物語っていた。

 雨は容赦なく槻を、氷を打ち付ける。胸元のネックレスがピタリと張り付き気持ち悪い。

 雨が弱まった一瞬、槻はそれを見た。氷も見た。揺らりとした長身の大きな影、ザスッ ザスッと()を立てながら真っ直ぐこちらへ向かってくる。顔と思わしき場所には白布がひらりと巻かれている"それ"。


 人じゃない。現世(うつしよ)()()()()()()()もの。



 鬼胎(きたい) 恐慌 恐怖 畏怖(いふ) 憂虞(ゆうぐう) 嫌悪 立つ鳥肌



「氷、あれ……」

「そうだけど、無理。死ぬ」


 ゆらりとそれは顔を上げ、真っ直ぐに氷達を見つめた……様な気がした。大きく深呼吸し、落ち着いてみれば別に殺意は感じない。あちらが危害を加えないなら氷達は逃げ帰るだけ、なのだが。


「「──っ!」」


 影はおいで おいでと二人に向かって手招きした。一応氷は他に誰かいないか確認したが、案の定槻と氷しかいない。


 おいで おいで おいで


「む、無理無理無理」


 降り注ぐ雨で槻の頬についていた血糊は流れ落ち、手についていた血痕も洗い流されていた。青い唇は限界を示している。

 ──二人は"そういう類"の物がめっぽうダメだった。逃げようにも体が(すく)んで逃げられない。地に足が張り付けられている様に、枷が巻き付けられているように動けない。魅せられている様に視線をそれから逸らせない。

 ただ竦んでいる二人に痺れを切らしたかのようにそれはまた近づいてきた。相も変わらず手招きしながら。


「──っ」


 ナイフにすら手が届かない。銃にすら腕が伸びない。

 それが通った近くに咲いていた花は、茂っていた草は、茶色に枯れた。


 ──助け、て。誰でもいいから、アイツを────!



「ごめんね、遅れた」



 二人の意識が遠のく寸前、何かが頭上を飛び越えた。

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