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誰が為の黄昏  作者: あめ
【2章】つき灯りに揺れる・前編
29/96

カオスな奇遇1

諜報組織の食堂。ここは暗殺組織ではない。

なのに、槻は何故彼がここにいるか分からず、硬直していた──

 


 その日の早朝──


「何で、何で……あなたがここに……」

「今月から食堂だけは出入り自由になったんだよ?」


 知らないの? と(かなえ)は言った。

 彼……叶は、槻にちょっかいを良く出してくる迷惑極まりない人だ。昔から、昔から、槻が行く先々に現れ、現れて……現れた。振り返れば奴がいる。振り返らなくても奴がいる。ともかくそういう事だ。

 でもお陰様で、槻が他人の気配に聡くなったのも事実だった。振り返らなくても奴がいるのが何となく分かったし、嫌な予感センサーが働く時は大抵()()()()時だ。

 そして幼き頃の槻はある日、"ストーカー"という単語を覚えた。ストーカーからは身を守りましょう、という事も習った(朱里に)。叶がストーカーに該当する事もその時学んだ。その頃の槻は純粋だった。隣で呆れている氷を無視して必死に、どうやってストーカー(かなえ)を撃退するかを考えた。そして出した結論は、ナイフで刺殺しちゃえばいい、という凄〜くお茶目なものだった。尚、この案は当時の氷の「……そんなに嫌なら殺しちゃえばいいのに」という冗談を超純水よりも純粋な槻が、真に受けたものだ。

 それからというもの、槻は必死に、一生懸命にナイフ術を練習した。結論だけを言おう。──結果ナイフの扱いが異常に上手くなっただけだった。お察しの通りである。


「んな……馬鹿な……馬鹿な…………」


 足元にかかったアイスコーヒーなど、塵芥と同じだった。目の前の異様な存在感を放つ存在に比べれば。パタパタと足音が向かってきて「叶さん!」と、誰かの怒気を孕んだ声がした。

 叶は目の前でフリーズしている槻の頭に手を置くと、飛んできた箸をひょいと躱した。ちなみに箸は壁に突き刺さった。


「お、(こおり)遅かったね。息も切らして。──後で訓練つけてあげようか?」


 氷、と呼ばれた少年は槻の頭から叶の手を払った。そしてどこか青みがかった瞳で叶を睨む。


「結構です。それよりも戻りますよ。何勝手に会議抜け出しやがってんですか!」


 再び魔の手が伸びてきたが、フリーズから復活した槻は氷の後ろに避難した。本当は朱里のことを縦にしたかったのだが、逃げられたのである。


「槻ちゃんが食堂に居るって虫の囁きが」

「その虫今すぐ潰すので出しやがれ下さい」

「え? 無理」


 氷は近くにあったフォークで叶のことを突き刺そうとした。が、やっぱり避けられる。

 その時、朱里の鋭い声が辺りに響いた。その声は不機嫌を隠していない。


「うるさい。朝っぱらから元気なのはあなた達だけよ」

「おや猫ちゃん」


 叶はクロワッサンを頬張りながらやってきた朱里に目を向けた。その目はすうっと細められる。そして叶は小声で言い直した。無論、耳の良い槻と氷はその言葉を捉える。


()()()ちゃんか」


 キッと朱里は叶を睨みつけた。絶対零度の視線はあいにくなことに、叶のニコニコとした笑顔で消されてしまう。槻はどういうこと? と朱里を見たがそれには何も返されない。残念、と叶は言い朱里の頭に手を置こうとした。


 ガリッ


 叶の嫌味なほどの白肌に赤い線が三本付けられる。 氷から奪ったフォークには赤がついていた。叶は困ったように氷を見た。そしてその奥の槻を。


「叶さん、とっとと戻りますよ」

「痛いねぇ、ねぇ? 氷、どう思う? この子更に凶暴化してるよ」

「知りませんよ。それよりも槻の事を心配したらどうです。お陰様でこいつ情緒不安定で、暫く使い物にならないじゃないですか」


 "こいつ"呼ばわりに槻は何も言わないでいた。最早、どこをどう突っ込めば良いのか分からない。白夜さんがふらりと食堂に戻ってきて、何かに驚いて滑って転んだのすらどうでも良い。朱里がその様子を見て爆笑しているのすらどうでも良い。

 それだから、そんな事を見ていたから、槻は叶の目が細められたのに気が付かなかった。──本当に一瞬。


「──そうだね、でもまずは槻ちゃんを何とかしないとね」

「何とかしなくていいので戻ってください。寧ろあなたと居ると悪化します。ねぇ氷、とっとと連れ帰ってよ。どうせ数日後に私もそっちに行くんだからさぁ」


 そう言うと槻は手身近にあったポットを手に取り、冷水用のガラスコップに水を注ぎ始めた。湯気がゆらゆらと陽気にたっている。


「「「あ」」」


 槻以外の皆はその行為の危険性に気がついた。だてに色々鍛えられていない。槻は焦点の合わない目でコップを掴み……


「ちょ、槻!」

「それ熱湯だよ!」


 流石と言うべきなのだろうか。槻の扱いに長けた二人は反射的に体を動かし、彼女の──無意識にやろうとしている危険な行為のその後を処理しようとする。氷は槻のコップを振り払い、朱里は、


「熱いっっっっ!」


 バケツに氷水を一瞬で用意した。尻尾を踏まれた猫のように悲鳴をあげた槻の手をバケツに突っ込む。冷たいっ!と、槻がまた悲鳴をあげたがお構い無しである。

 その速さ、コンビネーションにさしもの叶も目をみはった。そして迷うこと無く氷水を用意した朱里(あかり)を見る辺り、槻のそういう事に関する信頼性が見れてしまう。




「……何で火傷程度で報告書なわけ……? 訳わかんない。大怪我しても書かないくせにぃ」


 しくしくと槻は泣く。その目の前には一枚のシンプルな紙が置かれていた。真っ白なコピー用紙に最低限の事柄(いいわけ)を書いた槻は、氷水に指を泣く泣く突き刺す。傷に染みはしなくなったが、そろそろ手の感覚が無くなってきた。


「そりゃ、なぁ?」


 氷がズバリと悲しい真実を言う。頬杖をしながら、面倒くさそうに。切れ長のその目はついっと叶に向けられる。

 その台詞、動作だけで全てを察した槻は、器用に紙をビリビリ破き、ゴミ箱に捨てる。何で言っちゃったの? と不満げな顔で氷に文句を言う叶の為、槻は腰からナイフを抜き取った。そして躊躇いなく投げる。鋭い一線を描くそれを叶はギリギリで避ける。そしてセーフとでも言うかのように、ピュウッと口笛を吹いた。

 彼を刺し損じたナイフの向かう先には──


「あら?」


 一人の黒髪の少女が、いつの間にかポツリといた。槻が見ない顔だ。伏し目がちなその目に少々の驚きを添え、少女はナイフを適当にいなした。ナイフはカランという子気味良い音を立て、重力に従った。

 苦もなくナイフから(おの)が身を守った少女は、槻達の方に眼を向ける。その顔には驚き、微笑み、苦悩が順序よく映されていた。少女は少し悩んだ雰囲気を出した後出直した方が良さそうね、と誰に言うことなく呟くと消えていった。


「ナイフ……逸らした……?」

「さすが」

「お見事」

「新人? にしては動きがプロか……」


 あれやこれやと議論する四人の元に駆け寄る影が一つあった。ふわふわの総白髪を持つその姿は、白夜。なぜか息を切らし、慌てた風貌である。軽く羽織ったパーカーは乱れ、いつも一緒に居るはずの白樹は居なかった。


「ちょ、ごめん……今女の子一人来なかった……?」

「あれならあっちに行ったわよ」


 クロワッサン三つ目を抱えながら、朱里は教えた。ちなみにチョコチップが練り込まれているクロワッサンである。朱里の大好物。食べ過ぎた分はその分働けばいいという都合の良い精神の元、毎日沢山食べる。──朱里の台詞を聞いた白夜の顔が、少し絶望に陥ったのは気のせいか。


「ありがとう朱里……まさかのすれ違いなの……」

「頑張ってね〜」


 ヒラヒラと手を振り、朱里は再び駆けて行った白夜を見送った。暫くシーンとした空間が広がり、雨音だけが響き渡る。唐突に槻はバケツを水道にひっくり返した。もう限界だったのである。これ以上冷やしたら手の神経が全滅してしまう。後は念の為保険棟と呼ばれる建物で、薬を塗ってもらえば仕事に支障無いはずだ。

 そんな様子を横目で見て少し安心した(こおり)は再度、(かなえ)を咎めた。その手には今度こそナイフが握られている。


「叶さん」

「分かった分かった。怒られる後輩を見ておけないからね、行こうか」

「あんたが怒られるんですよ」


 先輩、後輩関係にあたる二人はそう言うと、白夜よろしく去っていった。槻はいつも振り回される氷を少し哀れに思いながら、この場から叶を追い出してくれたことに感謝する。


 ──それにしても人少ないな。出払ってるのかな?


 何か今、仕事が入ったら槻達にお鉢が回ってくるだろう。槻はどことなく覚える違和感に眉をひそめながら椅子に座った。ところで、と槻は相も変わらずクロワッサンを幸せそうに頬張っている朱里に声をかけた。


「朱里、あれとかあっちで良く白夜さんに伝わったね」


 純粋な称賛と苦笑。


「ん〜〜以心伝心?」

「白夜さん物分りいいからなぁ……」

「今スルーしなかった?」

「したした」

「酷いなぁ〜泣くわ〜」


 他愛ない話。朱里は槻の針と火傷で泣いている手を目の高さまで持ち上げた。


 ──冷えて真っ赤。たこさんウィンナーみたい。かわいそ。


 ご飯食べたら保険棟行くか、と朱里は思い無慈悲に槻の手を離した。雨が降る日は何も出来ないも同然だ。高いところや狭いところを、仕事の都合上良く移動するこの組織の天敵は、雨。その恩恵を受けこそすれ、動きが鈍くなってしまう。ちょうど良いのは、雨が降るか降らないか微妙な曇天。強いて言うならぽつり ぽつりとスポイトからそっと、ちょっぴり雫が垂れらされる程の雨が降っていればとても良い。


「……朱里」

「ん? 何?」

「クロワッサン何個目?」

「数えてないから知りません」

「数えたくないの言い間違えなのかな?」

「食べたいなら言えばいいのに」


 そこで槻は初めて自分が何も食べていないことを思い出した。コーヒーすら飲んでない。途端腹の虫が己をアピールして来た。


「ご飯食べましょう」

「うん」



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