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誰が為の黄昏  作者: あめ
【1章】サラダボウル
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パンドラ

 


「……ふぇ、ふぇ、へくしゅっ!」


 くしゃみが、止まらない。ロゼは少し不透明な葡萄色の瞳を涙で滲ませながら、さっきからティッシュを抱きしめている。

 時雨達が出かけてから暫く経っていた。日はまだ頭の上にいるが、少し強めの光を嫌という程に浴びせてくる。だがそれも今のうちだけ。あと二時間も経たないうちにその光は柔らかい黄昏時の光を帯びてくることだろう。

 またくしゃみをしたロゼは、涙目で雪斗に訴えているのだが、どうしようも出来ない。


「……大丈夫か?」

「…………なん、で」


 雪斗は持っていた本を閉じ、ソファに預けていた体を持ち上げた。


「ん?」

「なん、で……何でくしゃみが止まらな……へくしゅっ」

「……何かアレルギー持ってるのかもな。ここに居る間に〈黄昏〉支部の病院行くか? お前の姉様……リゼは髪を切りに行くらしいし。その間にでも」


 リゼという悪魔の双子の片割れは、腰のあたりまで伸びている白髪──今は染めてるから黒髪──をバッサリ切りに行くらしい。いかんせん日本で子供が白髪では嫌にも目立つ。珍しがられて誘拐されるかも知れないし、何よりも本人がそれを希望していた。髪を切ることも。

 雪斗がその人から聞いた話だとこの子達双子は訳ありらしい。その為、少し記憶が無いと言う。無い……消された、処理を受けたという方が正しいだろう。その人が言い淀むのはだいたいそんな時だ。別に雪斗は真実を聞かされても何も思わないのに。


 千里アリスたる見張り役兼子守り役がいない間、刺激を与えない様にという要望つきで"ここ"に置いといてくれと雪斗は頼まれてしまっていた。それは千里アリスと仕事で会う少し前の晩のこと。そしてそれは槻や時雨、本人達には内緒。何かあるといけないから。しかしそれはその人達に信頼されているという証でもある。それは雪斗にとって嬉しいことであった。


『いつ爆発するか分からない爆弾みたいな物ですよ。()()大丈夫だと思いますが頑張ってください、雪斗』

『と、言うわけでよろしくね。あ、千里は暫く帰ってこないよ』


 数日前の電話での会話が自動脳内再生される。

 まぁ、厳密にはその人に頼まれた訳では無いのだが。細かいところは気にしてはいけない。気にしたら神経が磨り減り、いつの間にか時雨みたいなツッコミ役になってしまうから。

 しかもその時の雪斗は流れでOKを出してしまった。元より断る理由は無かったが、今思うと厄介事を押し付けられた気がしなくもない。今そんなことを思っても何も変わらないのだが。


 思わずこめかみを抑えながら、雪斗はその記憶を振り払おうとした。しかし努力しても過去は変わらない、変えれない、消えない。忌々しい過去を消し去る"記憶処理"たる技術は〈黄昏〉で秘匿され、確かに利用されている。ただ、その処理も──それも一時期の言い訳にしかならない。


 記憶を閉じた鍵はどこかで必ず綻び、壊れ、錆びて自身を破滅へと導く。記憶を閉じ込めたパンドラの箱はいつか壊れ、壊され、溢れてしまう。その先にあるのは、何だろう?


 ロゼは鼻をかみながらコクリと首を傾げた。ちなみにロゼが使っているのは柔らかい少し高めのティッシュ。鼻をかみすぎて皮が剥けたりしたら可愛そう、という時雨の最もな意見を取り入れたのだ。


 甘そう、と口に入れて食べ始めないかと雪斗は少し心配したが杞憂に終わった。元よりこの双子は口調、振る舞い、全てをとってどんな比較をしても他の、同じ世代の子供達よりも大人びている。雪斗が心配するまでも無かったかもしれない。

 逆に行動が子供なのは槻の方だった。ワクワクした表情でティッシュを味見しようとするとは、雪斗は夢にも思わなかった。本人は冗談だよって笑っていたが絶対違うだろう。時雨に止められなかったら口に入れてたのは間違いない。


「病院、って何?」


 雪斗はこてん、とまた傾げられた首に少し驚く。突然のことに驚き、硬直。脳が思考回路を動かせず、咄嗟の判断が出来なくなる。それはリーダー格の001-01(指示組織)として失格。

 ロゼは置かれていたクッキーを一つ摘んだ。中央に窪みがあり、その中にステンドグラスの様な苺のジャムが入っているやつ。ほろりと崩れるそれをロゼは幸せそうに食べ、そして潤んだ紫色の瞳でこちらを見てきた。


「雪斗兄様? どうしたの?」


 置かれていたジュースに手を伸ばしながら聞いてくる。


 プチッ

 脳のどこかでそんな音が聞こえた。何か繋がったような、そうでないような。そんな感覚。


「あぁ……、そうか」

「?」


 雪斗が少し脳みそを捻ってみれば直ぐ分かること。この子達が"訳あり"で日本にきたばかりで、特にロゼは鼻水が止まらないからと家に居てばかり。ちなみに雪斗がここに残ったのは単に出掛けたくないからである。詰まるところ、ロゼは"外"を知らない。ここにやって来てからずっと家の中。時折散歩しに行っても怯えた様子ですぐに家に帰ってくる。外を知らない猫のように。

 ──まるで何かに怯えているように。

 箱入り娘ならぬ箱入り息子。感性豊かなこの時期にそんな事があってはならない、思う。せめて外の様子を教えてやらないと。ただ、爆弾を刺激しないように。雪斗は少し迷ったようにちらりとロゼを見た。


「はぁぁぁ……」


 べチリと目を覚ますように頬を叩く。

 自分たちの常識に当てはめて行動してはダメなんだ。さあ、何から始めよう? ひとまずリゼ達と一緒に散歩させるか。

 そんな事を思いながら雪斗は立ち上がった。


「兄様、変」

「よしっロゼ。明日出かけるぞ。〈黄昏〉支部の病院なら特に何も……必要な──」


 玄関の方から騒がしい音が聞こえてきた。音、それは声、悲鳴、文句、疑問。察するに時雨だろう。それとリゼ。


「瞬間移動ってやつかしら? 時雨姉様」

「か、考えちゃダメ。衝撃で記憶吹っ飛んだだけよ……こんちくしょう」


 キャッキャと何か喜んでいる声が一つ、悪態をついている声が一つ、雪斗の耳に飛び込んできた。やはりあの二人だ。ただ、あの騒がしさの中に槻がいないのは少々不思議だった。一緒に帰宅しなかったのだろうか。

 少し首を捻りながら二人を迎えに行く。


「あ、雪斗。今なら私目の前に宇宙人とかUMAとか現れても驚かないわ。……いや、驚けない」

「ただ今帰りましたわ。雪斗兄様」


 雪斗は足元に擦り寄ってきたリゼの頭に手を置いた。そしてなぜか玄関先で尻もちをついている時雨に手を貸してやる。時雨の服は所々泥や土、少し湿っておりいったいどんな遊び方をしてきたのかっていう汚れ方をしている。リゼはそれに比べてまだましだ。雪斗は咎めるような視線を送った。


「槻ったら思いっきり突き飛ばすんだもの……」

「そうだよ、槻はまだなのか?」

「楽しく遊んでる。私たちは気がついたらここにいたのよ。槻に突き飛ばされてうつ伏せになってたら急に。記憶処理受けたのかなぁ」

「誰と」


 雪斗は少しため息をついた。


「分からない。でも、大丈夫……だと思う。無茶しないと思うし」


 最後に見た光景が殺されかけてたなんて、時雨は言えない。

 時雨はリゼを部屋の中まで送ると、手早く身なりを整えた。すぐ戻るために。槻の元へ向かうために。雪斗もそれに釣られる。そんな時、足元からチリィンと鈴を鳴らしたような声が聞こえてきた。


「槻姉様は大丈夫よ」


 リゼだ。

 時雨と雪斗はその言葉に少し目を丸くしながらリゼを見る。すると大きな紫色の瞳は真っ直ぐに見返してきた。


「あそこに隠れてる人は三人いたの。槻姉様合わせると今あの場にいるのは四人ね。でも──」

「でも?」

「こっそり遠くにもう一人いたの。何だかその三人とは雰囲気が違う人」


 リゼは指折り数えながら説明する。少々驚きながらその話を聞く。その場に──リゼと一緒にいた時雨も目を丸くしている。


「だから今槻姉様のところにもう一人いるわ。つよいひとが」


 そんなタイミング良く、誰がいただろう。


「あ……!」


 雪斗は自分が一人忘れていたことを思い出した。



「氷だ……」





 槻の、幼なじみ。

 氷が槻を迎えに来たという連絡は昨日、雪斗の元に確かに来ていた。

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