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誰が為の黄昏  作者: あめ
【1章】サラダボウル
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恐ろしい程の青空 1

先の仕事の後、千里アリスは用事があると言い、雪斗達にリゼとロゼを預けた。


そして暖かい日差しが心地好い5月の初め。

槻と時雨はリゼを連れ、近くの公園を訪れていた。


(つき)姉様! 時雨(しぐれ)姉様!」


 トタトタと可愛らしい足音を響かせながら悪魔の双子の少女の方──リゼは走っていた。かつて白だった髪は黒く染められ、葡萄色の瞳はキラキラと暖かい日差しを反射していた。

 桜が緑色に染まり、小鳥達が(さえず)っている。風は暖かく優しく吹き、たんぽぽはのんびりと綿毛を飛ばしていた。時雨とリゼ、(つき)は近くの公園を訪れていた。リゼの双子の兄弟であるロゼ、雪斗はどうやらほんのりと花粉症の気があるらしく留守番している。眼科や耳鼻科に行けばいいのに、その為の外出すらもしたくないと言い出す始末だ。


 公園と言っても街中にあるような遊具が置いてる公園とはまるで違う。強いて言うならば自然公園と分類されているそれが近いだろうか。街中ではあまり見ることの無い植物や虫を見、リゼは目を輝かせながらくるくるとはしゃいでいる。千里アリスは別件があるらしく、数日前に双子を雪斗達の元に預けると呑気(のんき)にどこかへ消えた。


 空は恐ろしいくらいに青く、そこを最早恐怖を感じるくらい白い雲が揺蕩(たゆた)っている。


 リゼがパタパタと走っていくのは木でできている小さな橋。その水面ではアメンボが滑り、水面下ではタナゴやメダカが泳いでいる。チラホラと見える黒い何かはオタマジャクシだ。泥の中にはそれらを虎視眈々と狙うヤゴもいるだろう。澄んだ池の中には水草が青々と生え、眼を凝らせばエビもぴょこぴょこ動いている。リゼはそれらを捕まえようとそうっと水の中に手を伸ばした。が、察しの良い生き物達はリゼの影が水面に現れると同時にすうっと姿を隠した。

 時雨達が名前の知らない花が沢山咲き誇り、蜜を目当てにしている蜂が、カラフルな蝶達が、一緒に踊っている。どんなに沢山の虫たちが食事に来てもここでは蜜が尽きることはないだろう。こんなに花で溢れかえっているのだから。


「どうしたの? リゼちゃん」



 ふと、とんと体当りしてきた体を受け止めながら時雨は聞いた。槻はそこら辺のたんぽぽを摘み取って息を吹きかけ、綿毛を飛ばしている。ふわりふわりと高く、遠く、風に乗って種は旅を始める。高く飛んでゆく綿毛を見ながら、シャボン玉を買えば良かったと槻は少し後悔していた。ここで飛ばしたら楽しいだろうし、何よりリゼが喜ぶはずだ。

 槻の服が風になびいてふわりと舞い上がった。その腰に黒を基調としたナイフが三本、当たり前のように装備されていた。シンプルなそれは諜報組織御用達のもので、切れ味も抜群。本来なら今日、インドア派な槻は家に残るはずだった。……というより杏仁豆腐を作る予定だった。しかし、そうすると時雨とリゼだけで人気(ひとけ)のない秘密の野原へ行くことになる。二人で行く分には何の問題もないのだが、もし二人の身に何かあった時に対応出来ない。それを懸念して……避ける為に槻は護衛としてついてきたのだ。

 何かあってからでは遅いから。


「あのね、あのね……! あっちで桜餅が逆さまに木になってるのよ!」


 そんな馬鹿な、と時雨と槻は思った。それも仕方の無いことだろう。棚から牡丹餅ならぬ、木に逆桜餅なんてならない筈なのから。


 ──いや、でも子供の想像力はバカにならないし……もしかして桜餅に似た何かなのかもしれない。


 時雨は真面目に考えていた。


「ほら、姉様方来て!」


 小さな手に服を引っ張られ、槻と時雨は歩いた。三人の目の前をふわりふわりと緑色の蝶が飛ぶ。恐ろしい程に綺麗な羽をした蝶の姿が見えなくなるまで、リゼは立ち止まり、目で追っていた。

 時雨と槻リゼに案内されるように池を抜けるとそこは雑木林の一角だった。新芽が成長し、若い葉となって空を覆う。先程とは風景がガラリと変わり、ここにこんな場所があるなんて誰も気が付かないだろう。いつの間にこの場所を見つけたのだろうか、と槻はこっそり感心していた。


「ね、あるでしょ?」


 片手で時雨と手をつなぎながら、リゼが小さな手で指さしたのはその場所の中心にひっそり生えている八重の桜。ソメイヨシノなどの桜が花を落とし青々と葉を解放させるこの時期、八重桜はどっしりとした花を咲かせ、それと同時に葉をしげらせる。山桜もこの時期旺盛に咲いているが、ここではあまり見かけない。

 ──花の部分が道明寺で、葉はそのまま。なるほど、たしかに言われてみれば逆さまの桜餅だ。


「そう言えば今日は偶然かな? この間の残りの道明寺も持ってきた……から…………」


 食べよう。


 その言葉を発する前に槻は持っていたバスケットを時雨に押し付け、桜に向かって走ろうとしていたリゼを蹴るようにして倒し、うつ伏せにした。いきなりの行為にリゼの目は驚きで見開かれた。時雨は何か察したのか、起き上がろうとするリゼの頭を抑え一緒にうつぶせになった。

 先程の緑の蝶が二人の近くの葉に止まる。それを見ようと頭を上げかけたリゼを時雨は止めた。

 二人がうつ伏せになったのを確認する前に槻は手馴れた仕草で腰からナイフを抜き取った。木漏れ日を反射してそれは鈍く、黒く輝く。辺りに一般の人はいなく、これからのことを見られる可能性は低い。すうっと息を吸い、瞬時にそれらのことを確認した槻の表情は、自分のテリトリーに入ってこられた猫そのものだった。毛を全て逆立て、警戒できるだけ警戒してる。


「誰」


 槻は桜に向かって声を上げた。


 ざわりと風が木々を、草を、髪を、水面を揺らす。

 ふと桜の木の一部分が溶けるように形を変えた。槻の目に映ったのは、黒を基調とした服に金属製のナイフを持った男。────その姿、忍者と形容するのがしっくりする。


 やっぱり、と呟くと槻はちろりと唇を舐めた。見た目の通り、本当に忍者だとしたら厄介極まりない。別に刃物同士の戦いだったら、敵側の援軍が来ない限り応戦できる自信はある。時雨たちを連れ、街中に逃げ切れる自信はある。槻の得物はこの黒檀(こくだん)のように真っ黒なナイフ。これは黒曜石を改造したもの、とでも言えばいいのだろうか。西洋の一部ではメスの材料にされる黒曜石は、本当に切れ味が素晴らしい。


 さて、何が厄介か。

 おそらく、忍者は手裏剣とか撒菱(まきびし)で戦ったりするイメージが強いだろう。違う。忍者の怖いところはそんな武器じゃない。そいつ等は"毒"を巧みに操り、人を殺していた。

 無言で互いの距離が縮まり、近距離戦が唐突に始まる。槻は身軽な動きでナイフを避け、反撃に出る。

 途中剣先が鈍く濡れていたという事実を槻は有り得ないほどに鍛えられた動体視力で確認した。


 触れたらアウト。


「くっそ……!」

「ちいっ……!」


 後一歩で剣先が届くというのに。

 接戦だった。五分(ごぶ)だった。時雨とリゼがその演劇のように美しい戦いに見蕩(みと)れている間でも互いの剣先は届かない。


 土が舞い、葉は千切れ、草が潰れ、花弁がどんなに舞っても二人の側から蝶は飛び立たなかった。まるでその蝶も戦いに見とれているように。

 泥を被り、汗が舞い、どんなに無言で殺りあっても血は舞わない。

 金属の鋭い音と黒曜石の鈍い音は曲を(かな)で続ける。








 ────その時が訪れるまで大した時間は掛からなかった。

 名も知らぬ草の摩擦係数が(つき)を裏切ったのだ。槻の身体はがくんと揺れ隙を作る。重力に従い、落下する体に為す(すべ)など無い。ナイフは弾き飛ばされ、木に刺さる。無防備。



 槻目掛けてチャンスとばかりにナイフが終わり()を刻みにくる。槻は何がダメだったのだろうか。気の緩み? 運の悪さ? 技術不足?



 槻の、その目に宿るのは絶望。



 時雨はその様子を双眸(そうぼう)で見ながらも決して顔は上げなかった。声すらあげなかった。




 槻の心臓にナイフが届く────直前。槻はにやりと笑った。その表情に何か察した忍者は反射的に身を引こうとする。


 ──遅い。



(こおり)!」




 槻の黒曜石のナイフにすら勝る鋭い声が彼女の"相棒"を呼ぶ。槻の胸元のネックレスは激しく揺れ、響き渡る槻の声は木々の間を鋭く駆け抜けた。

 一瞬の無抵抗は何だったのだろうか。槻の左手はいつの間にか新たなナイフを掴み、忍者の得物を弾き飛ばしていた。同時に右手に負荷を掛けながら足を瞬時に縮め、相手の鳩尾(みぞおち)を蹴る。

 その反動で槻はくるりと身軽に一回転すると距離を取り、体制を立て直した。今までの戦闘での疲れは塵も(あくた)も感じさせない。



 ────たーん



 槻が体制を立て直すのを待っていたかのようにどこか──近くから銃声が響き、副産物として草をとろりとした朱に染めた。


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