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プロローグ~音が鳴る カチリ止まった 僕の時~

「っ!!」


終電よりも1本早い電車の中、いつの間にか寝ていた僕は唐突に右膝を襲ってきた鈍痛に目を覚ました。

この路線は横揺れがやや強いと言う特徴がある。きっとそれが良くなかったに違いない。


僕は右膝をさすりながら白いため息を漏らす。


「寒いな...」


窓際の席はガラスが外の冷気を取り込んでしまって、電車の内側の僅かな範囲を確実に冷却してしまう。もしかするとこの冷たさも良くなかったのかも知れない。


早く着いてくれと切実に願いながら袖を通していたトレンチコートの襟を寄せる。


窓の外は、まだら模様の雪景色。


白い布にあいた虫食い穴のように、次の季節を待つ地面がぽつぽつと眠った顔を覗かせていた。冷気に晒されている地面がさながら僕の心の中に巣くう空虚感にも見えて、目を逸らしてしまう。


いつからこんなにも空っぽのような、張り合いも欲も含まないかぴかぴの古いスポンジみたいな心境になったのか、それだけは覚えている。


「...」


以前医者に言われた診断結果の名を借りた、僕にとっての死刑宣告を思い出してしまう。


膝が不意に痛んだときはいつもこう。


この痛みを引き金に、僕に降りかかってきた不幸の一連を鮮明に思い出しては気分を沈め、重たいため息をついてしまう。


終電間近の電車には、車掌さんとちらほら残業帰りのサラリーマンしかいないので鉛よりも重たいため息をついても滅多に咎められることは無い。


別に咎めてくれる人がいて欲しいわけじゃ無いけれど、そんなことだけでも僕は世の中からいらない人間だと言われた気分になってしまう。被害妄想が逞しいのは千万承知なのだがどうしてもこうなのだから、本当にどうしようも無い。


自分のことが情けなく、そのくせ自分からどうにかしようとする気力は一切沸いてこない。


こういうとき僕は決まってこう考えては憂さ晴らしをすることにしている。


自己啓発本は的外れなことしか書いていないな、と。世の中の心が疲れた人、少なくとも僕はその本の中に書いてある解決法を知りたいんじゃ無くてもっと根本的なものを欲しているのだ。


それは自分のことを救ってくれる誰か、ないし何か。開いてしまった穴を埋めて、僕の心が心の形をしていた頃に戻してくれ。


ただ、それだけ。


だけどやはり自分で動く気は起きず、結局僕自身が一番無責任で無気力なのだという結論に至る、無限ループ。


もう一度ため息をついて、再び目を閉じる。

僕が降りる駅は、この電車の終点だ。そこまでならば、この嫌で辛い現実から逃げることだって許されるはず。


桜のの季節まであと数ヶ月。


僕はまだ、あの日から1歩も動けていない。









     冬源列車~列車に一缶加えて一冊~









クリスマスまであと丁度1ケ月の夜。


僕は大学が管理している寮への帰り道を歩いていた。時間は22時を過ぎた頃。


真っ暗な夜道の中を点々と照らす街灯と、それに反射して幻想的に輝きながら地面に積もってゆく雪達が印象的な景色だ。


今朝、部屋を出る前にちらっと聞いた天気予報では、雪が降るのは明日だと言っていた気がする。


ここ近年の天気予報は、特に絶妙に微妙な予報の外しかたをしてくれる。おかげでトレンチコートを着てこなかった僕は寒い夜道を疲れた身体を従えながら歩くハメになってしまった。


ついうっかり冷たい空気を鼻いっぱいに吸い込んでしまって、鼻の奥と頭の深いところにつんとした激痛が襲ってきた。


これはかなり痛い。


蹲って鼻を押さえたい気持ちを必死に堪えて、その代わりにくぐもった声で呻く。


今日は大学の道場の練習がきちがいじみた厳しさだったせいで、帰り道を進む足が異様に重たく感じる。勿体ぶらずに正直に白状するなら、誰か今すぐ僕を車に乗せて部屋まで送っていって下さい勿論無料で、と言うのが本音。


だと言うのにわざわざ自分の足で歩いているのはそれなりの理由があってのことだ。


大学の最寄り駅から、僕が借りている部屋の最寄り駅までは片道190円で往復380円。かかる時間は往復で15分弱程度。そこに追加情報として、部屋から駅まで、そして大学から駅までの移動時間は合計して25分から30分くらいかかる。つまり、1日あたり40分から45分の移動時間と380円のお金がかかり、それがおおむね1年間の3分の1くらいはその時間と金がかかるのだ。

対して、歩きならば僕の脚力にものを言わせれば2時間程度で部屋と大学を移動できるし、何より金がかからない。


バイトと言うごく小さな収入源しか無い僕からすれば、歩きの選択肢を取る方がデメリットが少ないのだ。


まったく世知辛い。


その上自然の空気も僕に冷たくなってきて、鼻の奥の痛さはさることながら耳たぶまで痛くてかゆくて、ついでに言うと熱を持った感覚になってきた。多分、霜焼け寸前の状態だ。


奇跡的に持参していたネックウォーマーをぎりぎりまで伸ばして耳を大気から隠す。すると、やんわりとしたぬるさが耳を包んで少し幸せな気分になる。


幸せついでに僕は歩きながら視線を少しだけ上げて周囲をちらちらと観察してみる。なんてことない、ちょっとした捜し物。


それは、少し歩いた先にあった公園で見つけた。


自動販売機。


こんな季節なら、中にある商品全部を温かい飲み物にすれば良いのに、とワクワクした心持ちで思いながら赤いタグの値段の飲み物を少しゆっくりと観察する。


何を買うかは最初から決まっているが、それとは別にこうして並んでいる飲み物をじっくりと眺めるのが何となく好きで急ぎじゃ無いときはたまにこうしている。


ブラックコーヒー、微糖コーヒー、カフェオレ、無糖カフェオレ、紅茶、ミルクティー、緑茶、麦茶、ココア。


大まかな分類だけでもこれだけあるのに、それぞれ更に消費者のニーズに合わせて細かく種類が分かれてくる。一番顕著なのがコーヒーで、ブレンドだったり焙煎だったり色々な手法で消費者の好みに応えようとしている。どちらかと言えば甘党の僕には、コーヒーはブラックでも飲めないことは無いが味の違いはよく分からないままだ。


鑑賞することにも満足した僕は、いよいよ本来の目的のためにズボンのポケットから財布を取り出した。中から出したのは130円。


お金を自販機に入れると、130円で買える飲み物のボタンが点灯する。


その中から僕が選んだのは丁度130円の缶ココア。


自販機の中の機械が無愛想にココアを1本押し出して、取り出し口へと落とす。僕はこの一連の音が好きだ。


握りしめるには少し熱すぎるそれを取り出して、僕はまた帰り道に戻った。


あともう少し進んだ先にある交差点に着けば、寮まで半分の道のりだ。


帰り道は楽しみなことがいっぱい思い浮かぶ。そして楽しみなことは、1度始まったらけっこう続いて思い出せるものだ。


明日は道場の練習は休み。だったら先日買った小説をようやく読むことが出来る。早速帰ったら読み始めることにしよう。確か内容はファンタジーみたいな雰囲気だった気がする。僕は基本的に温かい内容の小説が好みだけど、件の一冊は特に期待値が高い。と言うのも、その本を書いた人は僕が好きな作家の中でも1、2を争う人で、筆が遅い代わりに出した本は必ず大ヒットの渦に飲み込まれることで有名だ。そんな人が、8年ぶりに手がけた新作なんだから本を開く前からドキドキしている。


早く帰らなきゃ。


嬉しさや興奮で浮き足立つ。


すると、いつの間にか帰路の半分を教えてくれる交差点に着いていた。歩行者用信号は運悪く赤になったばかり。心ははち切れんばかりに暖まったのに、身体は徐々に冷めていく。


早く変わってくれと祈りを込めて信号機を睨み付けるけれど、勿論機械にそんなことが伝わるはずも無い。


この交差点の信号機は1分15秒ごとに切り替わる。


その時間を、僕が好きな歌数曲分のサビを頭の中で再生させることで潰そうかと考えていたときだった。


頭の中でまず一番好きな歌のサビの直前のミュージックが鳴り出した頃、それをかき消す勢いで自動車のタイヤの悲鳴が鼓膜を揺さぶった。


「え」


一瞬、時間の流れが酷く緩慢になる。景色の動きは遅いくせに見え方だけは嫌なくらいに鮮明で、そのとき僕は暴走する軽トラックに振り回されているドライバーのおじさんと目が合った。



ヤバい。



僕が持っているありったけの語彙の中から本能が反射で選び出したした警告は、それ。


スローモーションの景色はそこで唐突な終わりを迎えた。


ラグビー選手のタックルの5倍くらいの勢いを孕んだ衝撃が僕を押し倒した。


視界は反転し、揺さぶられ、体中が地面の冷たさと衝撃のショックになぶられる。


多分、時間にして3秒も経っていない。


でも永遠と錯覚するくらいの止め処ない力の濁流は、最後に一番耳障りな音を僕に残して終わった。


今、僕の視界に映っているのは黒々とした夜空。街灯の光に遮られて、星の瞬きは僕には見えない。


体中の感覚がふやけてしまって、僕の身体がどうなってしまったのかが判断できない。けれど、僕はこの感覚に経験がある。


心の中で激しく波打つ衝撃を、少しずつ飼い慣らしていく。


すると、背中から冷たさが体中にすっと染みこんでくるのが分かった。その冷たさはきっと僕のことを励まそうとしてくれたに違いない。慰めようとしてくれたに違いない。


だって、今。


僕の右膝が泣きそうになるくらいに痛いんだから。


ココアの缶は滅茶苦茶に凹んで、中から血のようにココアのシミが雪を染めていく。


僕に突っ込んできた軽トラックは頭に電柱をめり込ませていて、中から煙が出てきている。見える限り窓のガラスは粉々に割れていて、雪の中に埋もれては破片が夜空の代わりに偽物の星空を僕に見せてくれる。


そのちらちらと苛つく輝きの中に、僕は僕にとって一番大切な部分が吸い出されていってしまうような感覚を感じた。


待ってくれ。


いくら願ってもどれだけ祈っても、身体の中が、心の奥底が、少しずつ確かな喪失感によって食いつぶされていくのだ。僕の中に黒い穴が広がっていく。


止まることを知らない黒い穴は、そして僕の心の中の何かを食べて飲み込んでしまった。そう感じた。


その瞬間、僕の中で僕の知らない何かがカチリと音を立てた。


でも、僕はその音の意味を悟っていた。直感的に理解してしまったのだ。


時間が止まってしまったのだ、と。



雪の降る真っ黒な夜。寮への帰り道。

時計の針は、丁度23時を指していた。


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