生きるために必要なこと
「虎!」
「とー……?」
「とーら!」
「とー」
チビすけをヒョウの野郎から救出した後。
俺のコトをどう呼べばいいか、って話になった。
他のやつらと同じように“トラ”でいいか、なんて思ってたんだが、どうやらこいつには言いづらいらしい。
間抜けに聞こえたって仕方ねぇ。
呼び方が後々厄介なコトになるなんて、この時はまだ想像もしちゃいなかったがな。
「……ふむ。ではそやつが、例のエルフなのだな」
俺たちはとりあえずカメの爺さんのところに戻ってコトの経緯を話していた。
「ああ。やっぱりこいつの親はヒョウに殺されてたみてぇだ。もともとの狙いはこいつだったが、親が身体張って逃がしたらしいな」
「……そうか……して、こやつは何がしたいんじゃ?」
爺さんが困惑するのも無理はねぇ。
俺の側からふらっと離れたチビすけは爺さんのいる岩によじ登って、硬くて分厚そうな甲羅をべちべちと手のひらで叩いてた。
……おいおい、んなコトしてると手が生臭くなっちまうぞ。ただでさえ泥だらけになってるってのに。
けれどチビすけはすぐに興味をなくしたらしく、どうにかこうにか岩から下りて、今度はひらひら飛んでいく黄色の蝶を追っかけようとする。
……ったくこいつは。
あんまりうろちょろされてどっかで喰われちまっちゃあ俺が助けてやった意味がねぇ。
「こっち来な、チビすけ」
俺が呼んだ途端にぴたりと足を止め、こっちをくりっと振り返る。
なんでそんなにきらきらした目ぇしてんだよ。
またヒゲがムズムズしてくるじゃねぇか。
ぱたぱた軽い足音を立て駆け寄って、俺の脚にしがみつく。
そんな俺たちの様子を見て、カメの爺さんがちょっとばかり目を見開いて「ほぉ」ってな具合に声をあげた。
「なんじゃ、もう立派な“おとうさん”じゃのう」
「あぁ!?」
誰が“オトウサン”だコノヤロウ。
「……とー……?」
「ほれ、呼ばれておるではないか」
くいくい、と前脚の付け根あたりの毛が引っ張られる。
ああしまった。
「とー」って呼び方、他獣からしてみれば“虎”じゃなくて“オトウサン”かよ!
ヒトの姿だったら頭抱えて蹲ってるところだ。
「……ちっ、俺はお前の父親じゃねぇぞ」
「とー」
「……いやはや、お前さん、いったい何をしたんじゃ?相当懐かれておるようじゃが……」
んなモン俺が知りたいぜ。
勝手についてこられるんだからこっちとしちゃあ傍迷惑な話でしかねぇんだが。
「で、爺さん。ここいらでこいつの面倒見られそうなやつはいねぇか?」
「は?」
爺さんがぽかんと口を開けた。
「だって俺、こいつの面倒をずうっと見てる気はねぇし。三日間だけは一緒にいてやるけど、三日だけだ。俺が子育てできる性質じゃねぇってコトぐらいは誰にだってわかるしな。なあ、世話好きなやつ、爺さんなら知ってるだろ?」
「……おぬし、自分の手で救ったにもかかわらず、その後は責任を持たぬつもりか?」
爺さんが深くため息をついた。
「だから俺よりも子育てに向いてる奴に任せるっつったろ?第一、虎とエルフじゃ何もかも違うだろうが」
「……もったいないことよ。せっかく、おぬしのことを好いてくれるやもしれぬ存在が現れたというのに」
「ンなモン必要ねぇよ。俺ぁ一匹で十分だ。いまさら赤の他人と仲良しこよしなんざ、女々しいしみっともねぇ」
「……じゃが、その子どもはどうだ?おぬしを必要としているのではないか?」
「知るかよ」
なんだ爺さん、なんでこんなに食い下がってくるんだよ。しつこいな。
「こいつが誰にくっついていこうが、俺には関係ねえ。……ったく、爺さんが当てにならないってんなら、この話は終いだ。行くぞ」
一応チビすけに声をかけて歩き出すと、嬉しそうについてくる。
どうせ三日もすればこいつだって俺に愛想尽かして別のやつのところが良いとか言い出すんだろう。それまでの辛抱だ。
寄り添うように歩く一人と一匹に、老いたカメはひっそりと問いかける。
「おぬしは、本当に"ひとり"で在りたいのか……?」
些細な事件は、水浴びの時に起こった。
「お前、服着たまんま水浴びするつもりか?脱いじまえ。その辺にでも置いときゃあいいだろ」
素直に頷いたチビすけは、長い服の裾を掴むと勢いよく上に捲り上げた。
白くてふっくらした腹が晒されると同時に、俺は見ちゃいけねえモンを見た気になった。
……言わせんじゃねぇよ。わかんだろ?
「……オスだったのな」
そういうワケだ。
素っ裸になったチビすけは真っ白な尻をこっちに向けて湖の方に駆けていく。
そのまま勢いよく飛び込もうとしたモンだから、俺は慌てて止めに入った。
「馬鹿。お前の背丈よりも深いトコに嵌まっちまったらどうすんだ。ゆっくり入れ」
こう言えば素直に頷く。
ちゃんと親に大事にされてたんだな、なんて柄にもなくそんな考えが頭を過って、同時にわけのわからねぇもやもやした何かが渦巻いた。
そう、ぼんやりしてたのがまずかった。
「ぶっ!?」
ひんやり冷えた泉の水が、俺の顔面にモロにかかった。
犯人はわかりきってる。
「何しやがるチビすけ!冷てえだろうが!」
「みずあび、みずあび!」
小さい手ですくった水を俺にかけながら、チビすけは声を上げて笑う。
……待てよ?
こいつの笑った顔を見るの、初めてじゃないか?
きゃっきゃと子供らしく笑うチビすけの髪が、跳ね躍る飛沫を浴びてきらきら光る。
星明かりよりも眩く、日の光よりも柔らかい煌めきが、明るい声のたびに揺らめいて広がる。
騒がしいのは嫌いだが、こいつの笑い声は……まあ、耐えられないこともねぇ。
俺も埃まみれの身体を洗い流そうと泉に入れば、猫の仔よろしくすり寄ってくる。
触れた肌は予想以上に冷たくて、俺は思わず小さく悲鳴を上げた。
「お前、随分と冷えてんじゃねえか。先に上がってろ。風邪でもひかれちゃ迷惑だ」
ほれ、とせっつけば、ぷるぷる身体を震わせながら草地に上がるチビすけ。
言わんこっちゃない。寒かったんじゃねぇか。
しかも、こいつが着ていたボロ布以外に身体を拭けそうなモノがない。
俺たち獣は水を浴びてもすぐに払えるからいいが、こいつらはそうもいかないのが厄介だ。
「……ったく」
ざばりと勢いよく泉から出た俺は全身の水気を払い飛ばすとチビすけを被毛で包んだ。
乾いたはずの右半身がまた湿っていくが、まあいい。
ヒトもそうだが、なんだってこういう生き物どもには俺らみてぇな毛がねえんだろう。
チビすけはまんまるな目を更に見開いて、俺を見上げてる。
今度はなんだ。
「……かぜ、ひかない?」
どうやらこのチビは、濡れている自分のせいで俺が風邪をひかないか心配しているらしい。
「お前と違って俺は強いからな。風邪なんざひかねぇよ。……それより、よく拭いとけ」
俺の毛がそういった布の代わりになるかは知らねぇが、ないよりはマシってモンだろう。
「……あったかい」
「お前が冷えてんだよ、馬鹿」
あらかた身体が乾くと、チビすけはもう一度ボロボロの服に袖を通した。
……せっかく水浴びで綺麗になったってのに。
まあ、こいつらにとってみれば着てないコトの方が問題か。
仕方ねぇな。
俺がここまでしてやる義理もないが、薄汚れた格好で引っ付かれちゃあ迷惑だ。
「……はあ」
今日何度めかわからないため息をつくと、ふくふくした手が慰めるように俺の頭を掻き撫でた。
狩ったばかりの立派な雄の鹿を一頭、俺はそいつの前にどさりと置いた。
「これで良いか」
「あら、早かったわね。……ええ、これで結構よ。ご苦労様」
そう言って艶っぽく笑うのは、“交換屋”のユキヒョウ。
人間の持ち物に珍しい薬、俺らが手に入れるのは難しいモンをどこからか集めてきては森の奴らに売っている。
まあ、売るって言っても人間みてぇに金を払ったりするわけじゃなく、こいつの提示した対価を持ってくるコトが条件なんだが。
……で、チビすけの服と交換に要求されたのが、雄の鹿一頭、ってワケだ。
ユキヒョウのところにチビを預けてだいたい三十分かそこらで獲物を仕留めて戻ってきた。
狩りついでに昼メシを済ませてきたのは内緒だが、そのぐらい勘弁してほしい。
俺はしたくもねぇ子守りのせいで腹が減ってたんだ。
帰ってきた俺を見てチビすけが真っ先に飛びついてくる。
「その子、あなたが帰ってくるまでずうっとそわそわしてたのよ。ま、獣の仔よりは大人しくしてくれてたからいいんだけど。……それにしても、子供ができたのならひとこと言ってくれれば良かったのに」
ユキヒョウの最後の言葉に、全身の毛がぶわっと広がった。
「できるか!!別にこいつは俺の子供じゃねえ!」
「……いやね、冗談よ。見ればわかるわ。間違ってもその子があなたの子供だなんて思わないわよ」
こいつ……俺を揶揄って遊んでやがる。
「それはそうと、あなた、私のところへ来た理由を忘れているんじゃないでしょうね?」
「あ」
「……まったく。ヒトの子供用の服が欲しいって突然おしかけてきたのはあなたでしょう?ついてらっしゃい。ほら、そこのおチビちゃんも」
きっと人間もそうなんだろうが、女には敵う気がしねぇ。
……ちなみにこの後、こいつの親になってくれとユキヒョウに頼んでみるが、間髪入れずに断られることになる。ちくしょう。
ユキヒョウの後をついていった先にあったのは、小さな洞穴みてぇな場所。
ここに、やつが集めてきたモンが蓄えられている。
中に入っていったユキヒョウを待つことしばし、戻ってきたやつの口には麻袋が咥えられていた。
「その子の身体に合うものがあまり無くってね。これくらいしか見繕ってあげられないけど……」
「無いよりはマシだ。あればそれでいい」
「そう。なら良かったわ」
手と口を使って麻袋から服を取り出していくユキヒョウ。
器用なやつだな。
出てきたのは柔らかそうな生成りのチュニックと胡桃色のズボン、あと小せえブーツ。
「一応確認しておくけど……この子、性別は?」
「オスだ」
「男の子、ね。まあ仮に女の子だったとしても問題なく着られるものを選んだつもりだから心配はないけど」
こいつの言うとおり、人間はオスとメスで着るモンが若干ちがう。
まったく、人間てのも難儀なやつだ。
「ほら、着てみろ」
「……くれるの?」
「……ああ」
本当は俺が狩ってきた鹿と交換なんだが、それをいまチビすけに言ったところで理解しちゃあくれねえだろう。
「ありがと」
頬をうっすら染めて、エルフの子どもは笑う。
たかが服ごときで、何がそんなに嬉しいんだか。
俺らに見守られながら、チビすけはもそもそと着替え始める。
親がいないこいつにとって、一人でできねぇコトがあるのは致命的だ。
着替えも含め、自分の面倒は自分で見ていかなきゃならねえ。
それを解ってるのか何なのか、チビすけはバランスを崩して尻餅をついても泣き喚かずに立ち上がる。
どんなにもたついた動作だったとしても、今の俺に怒鳴り声をあげる気は起こらなかった。
「あら、ぴったりじゃない」
しばらくぼんやりしていた俺は、ユキヒョウの言葉に我にかえる。
確かにユキヒョウの言うとおり、新しい服はチビすけの身体に合わせて誂えたみてぇにぴったりだった。
チビすけは新しい服が気に入ったのか、裾を摘まんでみたりブーツを踏み鳴らしたりしている。
「……へぇ」
まあ、さっきのボロ布よりはマシなんじゃねえの?
口に出したらユキヒョウにからかわれそうな気がするから言わねえがな。
ところで。
「お前、人間用の服なんざどこで調達してくるんだよ?」
そう言うと、ユキヒョウは妖艶な微笑みを浮かべた。
「それは野暮な質問というものよ。…ヴァイス」
「その名前で呼ぶなっていつも言ってるだろうが!」
ヴァイス、ってのは俺のコトだ。
俺らみてぇな人語のわかる獣には、時々名前が必要になるコトがあるんだが……詳しい説明はまた今度だ。
とにかく、人間じみたこの呼び名を、俺たちの間では“真名”とかいう。
真名は気の知れた間柄にしか明かさない決まりがある……んだが、このユキヒョウが俺の真名を知ってるのは、あれだ……不可抗力とかいうやつだ。
お互いの真名を呼び合うのは、よほど仲が良い奴らだけ。だからこそこいつが俺の真名を呼ぶのをやめさせようとしてる。
この俺がオトモダチと仲良しこよしなんてするわけねぇだろ。
けどこのユキヒョウ、どこ吹く風でちっとも聞きゃあしない。
……あれ、もしかしたら俺の周りってロクに話聞かねえ奴らが多いんじゃないか……?
やるせない気分になってると、ユキヒョウのやけに焦ったような声が俺を引き戻した。
「ちょっと、おチビちゃん?どうしたのよ?」
見ればチビすけが地面にしゃがみ込んでいた。
はじめは蟻か何かでも眺めているんだろうと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
「おい、どうした?」
身体をかがめて覗き込んでやると、八の字に下がった形のいい眉の下、ちょっとばかり潤んだ薄紫と目が合った。
次いで聞こえてきたのは、切なげに腹の虫が鳴く音と、か細い呟き。
「……おなかすいた」
どうして俺がこんなコトを。
そんな疑問を何度繰り返したか、今となっちゃ数えることすら諦めた。
「……で?お前、何を食うんだ」
「……おなかすいた」
駄目だ。
話がかみ合わねぇ。
ただ、唯一の救いは俺の背の上で揺さぶられてるチビすけに、少なからず自分で食糧を探そうって気があることか。
馬みてえに誰かを背に乗せるのは癪に障るが、こいつの足に合わせてたら日が暮れちまう。
そもそも、エルフの子供って何を食うんだ?
そのまましばらく森を歩いてると、ふいに背中の毛がくいくいっと引っ張られた。
「あった!」
言われるがまま小さいからだを背中から降ろしてやると、チビすけが一目散に向かっていったのはデカい木の根本。
そこに、どこにでもありふれた白い花が咲いていた。
「お前、なんだってそんなモン……まさか、」
そのまさかだった。
ちんまりした手でその花を摘んだチビすけは、迷わずそれを口に入れた。
そのままもしゃもしゃ、もしゃもしゃと口元をもごもごさせる。
「お、おいっ!ばっちいだろうが!出せ!!」
その変に生えてるモンを食うとか、信じらんねぇだろ……
まさか草食動物でもあるまいし。
俺が凝視してるのに気づいたチビすけは、こっちを見て何やら思案した後、例の花をもうひとつ摘んで俺にずいっと差し出してきた。
……なんだ、俺も食えってか?
顔をよせて匂いを嗅いでみる。
花のにおいしかしねぇ。当たり前か。
ゆっくり口を開けると、中に花が放り込まれた。
「おいしい?」
「……まずい」
そりゃあそうだろう。
俺は虎で、花なんざ食うようにできてねぇんだから。
どことなく落ち込んでいるようにも見えるチビすけを立ち上がらせて、俺は言った。
「味の好みが同じってのはありえねえだろ。俺はエルフじゃねえし、お前も虎じゃねえんだから。……お前の食いモンがあるところに連れて行ってやる。来い」
「おはな!おはながいっぱい!」
「あんまりはしゃぐと転ぶぞ」
ここは森の東にある花畑。
普段なら絶対に行かないような場所だが、今回ばっかりは仕方ねぇ。
「あれはあまいおはな!あれもあまい!あれは…ちょっとにがい」
種類の違う花を指さしては声をあげ、味を想像しては頬を緩めたり顔をしかめたりする。
「これ、いちばんすき!」
薄紫色の花を摘んだ手を高く掲げると、チビすけは振り向いて笑う。
「ああそうかよ。……おい、大丈夫か」
喉にでも詰まらせたんだろう、けほけほと咳き込んでる小せえ背中を尻尾でさすってやる。
「焦って食うからだ馬鹿」
ようやく落ち着いてきた頃、よく知った声が俺を呼んだ。
「珍しいですね、あなたがこんなところにいるなんて。白き牙の王」
「……おまえか。風の足」
現れたのは若いオスの狼。
数少ない知り合いのなかで、俺の真名を知ってる一匹でもある。
にもかかわらず俺のコトを“白き牙”なんてご立派な名前で呼んでくるのは、長年の癖が抜けきらないからだろう。
かくいう俺もこいつのコトを“風の足”って呼んでるのは、まだ真名を教え合う前からの仲だから。
会えばこうして話をするような仲だってコトが、いまだに不思議でしかたねぇ。
性格が良いうえになかなかの色男な風の足は、森の中でも嫌ってるやつを見ないぐれぇの人気者だ。
風の足のうしろを、みっつの毛玉が転がりながらついてくる。
きっと春先に生まれたっていうチビどもだろう。
まだ歯も生えそろってなさそうな仔狼は親の足元にくっついて、目をまあるくしてこっちのチビすけを見つめてる。
エルフのチビも俺に隠れるようにしながら仔狼どもを見てるから、お互いに興味があるんだろう。
「別にこんなトコロ、来たくて来てるわけじゃねぇ。こいつのせいだ」
「その子は……エルフですか」
風の足は金色の目を丸くした。
「ああ、親はいねぇ。……あ、おい!」
ふらっと俺の側を離れたチビすけがまっすぐ向かう先は三つ子の毛玉。
毛玉もチビすけの方にそろそろと近づいたかと思うと、次の瞬間、一人と三匹は激しくじゃれあい始めた。
……なんだ、いったい何が起こったてんだ?
「子供同士、何か思うところがあったのでしょうね。仲良くなれたようでなによりです」
チビすけも毛玉どもも笑い声をあげてる…気がするから、喧嘩ではねぇんだろう。
子供ってのはよくわからない。
だが、その時俺の頭に名案が浮かんだ。
「なあ風の足。お前、こいつを育ててやってはくれねぇか?」
「………え?」
「お前んトコのチビどもにも懐いてるみてぇだし、加えてお前の一族なら子育てに慣れた奴が多い。俺みてぇなやつの側にいるより、そのほうがよっぽどあいつにとって幸せだろうよ」
別に嘘を言ってるワケじゃねえ。
こいつらに育てられた方が、きっとチビすけのためになる。
狼のガキどもと駆け回ってたチビすけが、俺の視線に気づいたのかこっちを向いて手を振ってくる。
「私は構いませんが……良いんですか?あの子、かなりあなたに懐いているのでは、」
「良い。どうせ俺なんかに子育てができるわけもねぇし。じゃ、後は頼んだぜ」
はやく、はやく、チビすけがまたこっちを向く前に消えねぇと。
別れの挨拶もそこそこに、俺は夢みてえな花畑に背を向けた。
ひとり去り行く虎の背中に、若い狼は静かに問いかける。
「あなたは本当に、あの子を手放してしまって良かったのですか……?そんな顔をしてまで、あなた方が離れねばならない必要などないでしょう……?」
エルフを託すと言った声は至って普通だった。
しかし。
幼子を見つめる空色の目のあたたかさに。
手を振られ、緩く立ち上がったその尻尾に。
そして、去り際の何かを押し殺すような横顔に。
今までの彼とは違う何かを感じたのは、きっと気のせいではないだろう。
「……私に、どうしろっていうんです……」
もうじき日が暮れる。
森に、夜が訪れる。
ころころと自分の元へ駆けてきた子供たちの、日にあたためられた身体が優しく自分にすり寄ってくる。
けれど、ぽつんとひとり佇むエルフの子供には、その優しさを分け合う相手がいないのだ。
何か、いや、誰かを探すその姿に、狼は胸が苦しくなった。
ほら、あんなにもあの子は、あなたのことを求めているんです、と、声を大にして叫びたいほどだった。
「おとーさん?」
「どうしたの?」
「おなかいたいの?」
心配そうに見上げる子供たちにそっと微笑みかけ、風の足は大丈夫だよ、と安心させるように頬ずりをしてやる。
三匹ともこれが大好きなのだ。
「さあ、もう帰ろうか。……君も、おいで」
少し離れたところで所在なさげに立っている幼子に声をかければ、素直にこちらへやってくる。
それでもやはり、あの獣を探すような素振りをやめようとはしない。
彼らがどうやって出会ったのか、狼は詳しいことを知らない。
けれど彼らの間には彼ら自身も気づいていない何かが芽生え始めていたのではないかと、狼は思わずにいられなかった。
さざめく木々の葉擦れの合間から、諦めにも似た何かを滲ませた吐息がひとつ、聞こえた気がした。
森の住人たちの行く末は、誰にもわからない。
訳知り顔でのんびりと過ぎていく雲にも、すべてを照らしている太陽にも、わからないのだった。
狼は何かに興味を示したとき目を大きく開いて凝視する。
猫は嬉しいことがあったとき尻尾をぴんと立てる。