その3 雑賀と思い出とその家族と
数分後……
「ぐり、もあ…ぐり、もあ…」
デイジーの声とその手の動きは当初の元気を失っていた。
「ちょっと、あとどれくらいですの?」
「あと十分くらいかな」
「そんなに、私もう腕が痛いですわ」
デイジーの腕が止まる。
「じゃあ、残りの泡立ては俺がやるよ。君はあのバターを鍋に入れてくれるかな」
雑賀はスーパーの袋に入っているバターを指す。総重量五百グラム、業務用大型バターである。
「これを全部ですの?」
「そうそう、包装をとって丸ごと鍋に入れてくれれば良いから」
「わかりましたわ」
デイジーは包装を剥き、バターを鍋に放り込む。
すっかり温まっていた鍋の中でバターが溶け始めた。
「あとは俺のボウルに砂糖を加えてくれる」
二倍の量に増えても変わらず雑賀の手はその動きを緩めない。軽快な泡だて器の渦が卵に空気を含ませ続ける。
「砂糖をどれくらいですの?」
「そこのステックシュガーを全部」
そこにはコーヒーや紅茶に入れるステックシュガーが並んでいた。
「全部! 十本ありますわよ」
「今日は卵を三十個使ったからね。全部でOKさ」
そう言って雑賀はウインクする。
「わかりましたわ。全部でいいのですのね」
デイジーはステックシュガーの上部を破り、その中の砂糖を一気に入れる。
「そうそう、それだと分量計算が楽なんだ」
その言葉に、デイジーは彼は馬鹿力だから不器用なのかしらと思ったが声にはしなかった。
「よしっ」
さらに数分掻き混ぜた後、雑賀はやっとその手を止めた。
「こっちはバターの海ですわ」
鍋を覗き込んだデイジーはそこから溢れる熱気に顔を背けた。
「じゃあ一気にいれるぞ、ちょっと離れてな」
雑賀は大鍋に泡立てた卵を入れる。
「ちょっとモコモコと溢れそうですわ」
一気に膨れ上がった黄色い卵にデイジーは驚きの声を上げる。
「まかせとけ」
雑賀は両手に布巾を巻き、鍋の両手に手を掛ける。
そして軽く二、三度揺すり、一気に鍋を持ち上げた。
「どっせい」
黄色い塊は空中に舞い、その身を四分の三回転させ、再び雑賀は鍋でそれを受け止めた。
「これを二つ折りにして、完成!」
雑賀はヘラで膨れた黄金の物体を半分に折り曲げる。
「お見事でございます」
少し席を外していたパーカーが再び現れ、雑賀の妙技に拍手で応えた。
「お嬢様、雑賀様、お皿と森の仲間達を連れて参りました」
その後ろには数名のメイドが控えていた。ディジー家の使用人達である。
「さすがパーカーさん分かっているぅ」
雑賀はパーカーの用意した大皿に卵の塊を載せた。
「大きいですわ、絵本で見た通りですわ」
両手で輪を作っても入りきらないであろうその塊にデイジーは喜びの声を上げた。
「さあ、しぼまない内に食べよう」
雑賀はパーカーの用意したナイフで切り分ける。
ケーキを一回りも二回りも大きくしたようなその姿にデイジーは恐る恐る手を伸ばし、そして一欠け口にいれる。
「おいしいですわ! ふわふわで、甘くってとろけるようですわ」
デイジーの頬が思わずほころぶ。
「さあ、みなさんも食べて食べて」
雑賀は皿に載った黄色い塊を皆に配る。
「ほうこれは素朴で良い味ですな。お見事ですお嬢様」
「おいしいですわお嬢様」
口にしたパーカーもメイドも賞賛の声を上げた。
「本当に美味しいですわ。これはなんて料理ですの」
「えーとこれは何だっけ? 昔、父さんと一緒に作ったんだけど思い出せないな」
雑賀は頭をポリポリ掻きながら首を傾げた。
「これはオムレツ・スフレですな。フランスの家庭料理です。ですがこのサイズの物は初めてお目に掛かりました」
パーカーが解説する。
「そうそう、オムレツ・スフレ。小さい時に父さんから教わったんだ。最初と次に作った時には失敗したけど」
「魚一君はこんなに上手ですのに失敗したんですの」
「ああ、よくある失敗だけど最初は砂糖と塩を間違えたんだ」
「ああ、それはよくありますわね」
雑賀の説明にデイジーがうんうんと頷く。
それに釣られパーカーとメイドも頷いた。
「で、それはどうなりましたの? やっぱり捨てましたの?」
「母さんが助けてくれたんだ。『こんな事もあろうかとご飯を炊いておいたわ』ってね」
「そうですの、確かにそれなら大丈夫ですわね」
「うん、次に失敗した時は手が滑って砂糖を一袋丸ごと入れちゃったんだ」
「それはスイートですわね」
「その時も母さんが助けてくれたんだ。『こんな事もあろうかとご飯を炊いておいたわ。おはぎのように甘い物とご飯は合うのよ!』ってね」
「雑賀君のお母様はご飯が大好きですのね」
うふふふと笑いながらデイジーが言った。
パーカーやメイドも噛み殺してはいるが笑っていた。
お読み頂きありがとうございます。
雑賀とデイジーは中二という設定ですが、雑賀は小学生を、デイジーはおませな小学生を意識して書いています。雑賀は田舎育ちで、デイジーは箱入りという背景が幼さの残るキャラクター付けに導かれています。




