その8 「とも」と呼ぶ
降り注ぐ水滴がその肢体を流れ、豊満なボディの輪郭を描く。
温かい水は冷えた身体に熱をもたらし潮の香りを押し流していく。
デイジーはふぅと溜息をつき、思いを馳せる。
あの人は待っていてくれるだろうか、今回もまたパーカーが少し哀しそうな声で告げるのではないだろうか。
『あの方はお嬢様の友人にふさわしくありません』と。
浴室から出てその金色の髪を梳かしながら鏡に写った自らの姿を眺める。
「いやですわ、これからあの人を迎えるのに落ち込んだ顔をしていては」
デイジーは頬に手を当て笑顔を作る。
クローゼットに収められたとっておきの亜麻色の服を取り出し、袖を通す。
襟元を抜けてふんわりと広がる髪が窓からの光を受けて煌いた。
そしてデイジーは自室を出て中庭へ向かう。そこにはパーカーが控えているはずだった。そして彼も。
硝子の扉を開け、中庭に入ってきたデイジーにパーカーが告げる。
「お嬢様、申し訳ありません」
パーカーは恭しく頭を下げた。
「気にしなくて良くってよ、いつもの事ですわ」
少し哀しそうにデイジーは言った。そう、いつもの事なのだと。
「お嬢様、何か勘違いをしておりませんか」
その声にデイジーは違和感を覚える。パーカーの声はこれまでに何度もあったような哀しさが無い、むしろ冗談を言って和ませるような温かさが秘められていた。
中庭の中心にはテーブルと椅子があり、そこには主を待つ紅茶と菓子だけが控えているはずだった。
だがそこにはあるはずの菓子が無い。
デイジーの視界に入ってきたのは、最後の菓子を口に頬張っている雑賀の姿だった。
「パーカー、これは?」
不意を突かれたデイジーが尋ねた。
「申し訳ありません、お嬢様。お客人の腹の虫があまりにも響くものでしたから、無礼とは存じましたが、先に召し上がって頂きました。間も無くお代わりをお持ちします」
さらに一呼吸おいて、パーカーは続ける。
「さあお嬢様、お友達がお待ちですよ」
パーカーはその右手をテーブルに向け半身をずらす。
デイジーはそれに促され歩みを進める。
その歩調がいつもよりちょっと早かったのは喜びを隠し切れなかったからだ。
「ごめん、どうしても我慢できなくって、執事さんも良いって言うから、先に頂いちゃった」
席に着いたデイジーに向かってすまなさそうに雑賀は言った。
「いいのよ、いいのよ、謝らなくてはならないのはわたくしの方ですわ」
「謝る? 何を?」
「あなた、パーカーから何か聞かれなかった?」
「パーカーってあの執事さんだよね?」
「ええ、そうですわ」
「うん聞かれたよ、俺は君の友達かって」
浴室の前で問われた事を思い出し、雑賀は言った。
「それで、何と答えましたの」
雑賀の目を見つめ、少し体を乗り出してデイジーは問いかける。
「ん、変な事は言ってないよ。『ああ、そうだよ』って答えたのさ」
「そうですの、そうですの」
デイジーは脇をパタパタと開け閉めする。その顔は喜びに満ちていた。
「さっきから良く分からないだけど。何か事情があるの?」
「ごめんなさい、説明いたしますわ」
椅子に座り、テーブルに置かれた紅茶を口に含んでデイジーは息を整える。
「私って相当強い特殊型の能力を持っている上に、この美貌だし、お金持ちだし、お父様にも、お母様にも愛されているでしょ」
「自分で言うかフツー」
少し笑いながら雑賀が突っ込んだ。
「うふふ、そうですわね。でも私には精神感応の能力がないの。だからお父様は私にあのパーカーを就けてくれたの、悪い虫が付かないように」
「悪い虫?」
「私の能力や財産目当てに近づいてくる人達。口では友達だよって言いながら嘘を付く人達の事よ」
「そんな奴が居るのか、お嬢様も大変なんだな」
「ええ、パーカーはかなり高レベルの精神感応能力者ですわ。もしあなたが彼の問いに嘘を答えていたら、ここではなく別室に案内されて、そのまま帰されていたでしょうね。あなたはここに座った初めての人ですわ」
「え、初めて!?」
その事実に雑賀は驚きの表情を見せた。
「哀しい事に事実ですの。だから、ごめんなさい。勝手にあなたの心を読んだりして」
そう言ってデイジーは頭を下げる。
その言葉に、他人の心を勝手に読むのはマナー違反だという朝顔の言葉を雑賀は思い出した。
「いいよいいよ、別に気にしてないって」
元来裏表がある性格ではない、雑賀は手を振って笑顔を見せた。
「本当に、ホントにホントですの」
「本当でございますよ、お嬢様」
トレイに追加のスコーン抱えて来たパーカーが口を挟んだ。
「そうそう、執事さんの言う通りだって」
雑賀はうんうんと頷いた。
「お嬢様、この御仁は素直過ぎるくらい正直な方です、彼は理由も無く嘘をついたりは致しません。このパーカーが保証いたします」
そう言いながらパーカーは円筒の食器にスコーンを並べた。
「ではごゆっくり」
微笑みながらパーカーが下がった。
「今日は最高の日ですわ、私に初めての友達が出来たのですもの」
手にしたカップを軽く掲げ、笑みを上げながらデイジーは言った。
だが、雑賀はそれにはすぐに応えず、一瞬間を置く。
「どうされましたの?」
雑賀の顔が硬くなった様子を見てデイジーが尋ねた。
そして一瞬間を置いて雑賀が口を開いた。
「父さんと母さんの言葉を思い出していたんだ」
「お父様とお母様」
「ああ、四月から離れて暮らしているけれと、俺の実家は田舎だったから、家族以外の人と会う事が少なくて、一番長い時間を一緒に過ごしたのはやっぱり家族だったんだ」
「それで、その言葉って何ですの」
「父さんは言っていた『友達』という言葉はあまり使うなと、その言葉はその重さが故に誰かを縛ったり、本意でない行為の強要といった悪い使い方もされてしまうと。だから『友達』という言葉を使わなくても心が通じるようにしなさいと」
そう言って雑賀は言葉を噤んだ。
二人の間に僅かな間の沈黙が流れる。
「だけど母さんはこう言っていた。自分の気持ちは素直に言葉にして伝えなさい、相手が大切な人ならば、なおさらよって」
そして、雑賀は目線を上げデイジーの目を真っ直ぐに見つめる。
「君は女の子だから、ここでは母さんの言葉が正しいと思う。だからちゃんと言うよ」
雑賀は手にしたカップを軽く掲げ、それをデイジーの手のカップに向けて伸ばす。
「よろしく、俺の、この国に来てからの、初めての友達」
二人のカップがカチンと音を立てて触れあい、二人は少し照れながらも破顔の笑みを浮かべた。
二人の様子を少し離れた場所から眺めていたパーカーは目頭に涙を浮かべ心に思う。
お嬢様、おめでとうございます。彼はきっとあなた様の最高の親友になるでしょう。ですがお気をつけ下さい。
そう思いながらパーカーは浴室の前で雑賀に問いかけた時に読んだ彼の心を思い起こす。
「雑賀様はお嬢様のお友達ですかな?」
その問いに思案する雑賀の心をパーカーはその精神感応の能力、読心で読む。
(彼女と俺は今日知り合ったばかりだけど、一緒に走り回ったり笑ったりして仲が良くなったと思っている。それに一方的に俺が負けたけど、拳を交えた好敵手でもあり、一緒に子供を助けるミッションを完遂した戦友でもあるしな。うん、俺と彼女は友達だな)
そして雑賀は答えた。
「ああ、そうだよ!」
パーカーは思わず手に力を篭め、心で叫んだ。
その者は脳味噌まで筋肉で出来ております! と
お読み頂きありがとうございます。
第二章はヒロインその2のデイジーのお話しでした。
この時点でかなりデレてます。雑賀の台詞にあった「大切な人ならなおさらよ」を深読みしてしまったからですが。当の本人は単なる引用で使っただけですが。
前章で巷にあふれたワンパターンは避けたいと書いておきながら、わりとあるパターンになってしまった事は反省です。
彼女はリンと違って未だ幼さを残した女の子をイメージして書いています。
全体的にリンと対極を意識して描けるといいのですが。




