その7 小動物と高島部のその後
『不幸の手紙』
その黒い封筒には、宛名も差出人もなく、ただそれだけが書かれていた。
やたら丸々とした可愛らしい字で。
白いパール調というかメタリックな感じのペンで。
そして、裏を返すと、メタリックなドクロのシールで封がされている。
登校してきて下駄箱を開けたら、上履きの上にそっと置かれていた黒い封筒。
見つけた時はぎょっとしたけれど、『不幸の手紙』の文字を見たとたん、むしろ気が落ち着いた。頑張っている割には、今一つ禍々しく成り切れていないというか、方向性を間違えているというか。
一瞬で、差出人の見当がついたせいもある。
小動物・まゆり先輩の仕業だろうな。
どんなことが書いてあるのか気になって、靴も履き替えないまま封を開ける。
糊付けはされていなくて、シールで封をされているだけだったので、ハサミがなくても簡単に開いた。
えーと。何々?
『斉藤葉月へ
我は十萌の神の使いなり。
十萌の巫女にあだなす不届きものよ。
即刻、この地を去るがよい。
さもなくば、神の天罰が下り、不幸が訪れるだろう。
十萌の神の使いより 』
「く、くふっ」
腹筋に力を入れ、プルプルしながら下駄箱に寄りかかる。
「おはよう。葉月。何かあったの?」
笑い転げたいのを必死で耐えていると、夏希ちゃんに声をかけられた。
「こ、これ・・・・・」
「これ?」
震える手で、手紙を差し出す。
「・・・・・不幸の手紙!?」
夏希ちゃんの声に怒りが混じる。封筒の方を先に見たようだ。
「い、いいから、中、読んでみて・・・」
「・・・・・・・・・・」
震えているのは笑いをこらえているためだと察したらしく、夏希ちゃんから怒りのオーラが消え、戸惑うような気配が伝わってきた。
便箋を受け取り、無言で中身を確認している。
なんだろう。
文面、もまあ微妙なんだけど、それよりも。この便箋から伝わってくるものに、笑いのツボを刺激されるというか。
黒い便箋用と思われるパール調のペンは、白以外にもピンクやら青やら緑やら、果ては各色入り混じったレインボーっぽいのやら、いろいろあるらしく。封筒には白しか使われていなかったけれど、便箋の中は各色入り混じってやたらとカラフルだった。便箋の周りには、星やら三角やらハートやら波線やらで縁取りもされている。
買ったはいいけれど、使いどころに困っていた便箋を使う機会がようやく訪れて、嬉しくなってはしゃぎすぎちゃった感がひしひしと伝わってくるのだ。
「これ、不幸の手紙って言うの? 悪意があるんだか、ないんだか。こういうのは、普通の便箋使った方がそれっぽい感じになる気がする」
「う、うん・・・・。私も、そんな気はしている」
まゆり先輩渾身の手紙は、夏希ちゃんの心には響かなかったらしい。冷静な意見が返ってきた。
「とりあえず、教室へ行こうか。もたもたしていると遅刻するよ?」
便箋を封筒の中にしまって私に返すと、さっさと靴を履き替えて教室へと向かう。
「ま、待って、夏希ちゃん。私も行くよ」
返された手紙を鞄にしまうと、私も慌てて靴を履き替え、夏希ちゃんの後を追った。
本来なら今日は、ちゃんとお茶を立てる予定だった。
かおる先輩が強引に紅茶道とかいうよく分からないものを校長先生たちに認めさせたとはいえ、一応この部活の正式名称は茶道部ということになっている。
せっかく覚えたお茶の作法を忘れないためにも、せめて週に一回はお茶を立てるというのが暗黙の了解となっていた。
曜日は特に決まっていない。
すべてはかおる先輩の気分次第。
今週は水曜日ね、という時もあれば、明日ね、と急に言い出す時もある。
和菓子にしろ洋菓子にしろ、手配はすべてかおる先輩がしているので、全然構わないんだけれど。
今日は和菓子を手配済みなのに、急きょ変更となったため、紅茶ではなく高島先生のインスタントコーヒーを分けてもらってのお茶会となった。和菓子には、紅茶よりはコーヒーだよねということで、茶道部のみんなの意見が一致したのだ。
もはや、何の部活か分からない。本当に。
ちなみに部活内容が変わったのは、私のせいだ。
正確には、小動物からもらった不幸の手紙のせいだ。
もう、早くみんなに伝えたくてうずうずしちゃって、部室に入るなり先に来ていたかおる先輩に突き付けたのだ。左右それぞれの手に持った封筒と便箋を。もちろん、文字が書かれている方を上にしてある。
「先輩。これ、見てください!」
かおる先輩はいきなり突き出されたそれに怪訝そうな顔をしたけれど、すぐに事情を察したようだ。従妹だっていうし、特徴のある丸っこい文字に見覚えがあったのかもしれないし、こんなことをするような心当たりは一人しかいなかったからかもしれない。
「く、くふ。くふふふふふふふふ・・・・」
口元とおなかに手を当てて膝から崩れ落ち、そのまま悶絶する。
望んだとおりの反応をしてもらえて、私としても満足です。先輩!
いやー。夏希ちゃんは冷静な態度を崩さないし、紗世ちゃんも苦笑いを浮かべるくらいだったし、あれー? って感じだったんだよね。
よかった。私だけ笑いの沸点が低いのかと思っちゃったよ。
「やれやれ。仕方がないわねー。あの小動物は」
「勝手に神様の使いを名乗ったりして、罰が当たったりしないんですかね?」
由実花先輩と洋美ちゃんが冷静なのは、なんとなく予想していた。
洋美ちゃんに至っては、まゆり先輩の心配とか始めているし。でも、神社にいた十萌の神様は、こういう小さないたずらで怒ったりはしないような気がする。亜弓君の魔法処女とやらも容認しているくらいだし。
と思っていたら、思わぬところから思わぬ発言がきた。
「まあ、調子に乗ったあの子が御使いにお仕置きされるのは、今に始まったことじゃないから気にしなくていいわよ」
ようやく笑いを治めて立ち上がったかおる先輩だった。
今に始まったことじゃない?
何かが引っ掛かって、もっと詳しく聞こうとしたまさにそのタイミングで高島先生が部屋に入ってきた。
「ん? なんだ? まだ準備終わってないのか? 珍しく手間取っているな。何かあったのか?」
不思議そうに首を傾げていたけれど、すぐに目ざとく私の両手のブツに気が付いた。つかつかと近づいてきて、私の両手首をつかんで封筒と便箋に書かれていることを確認する。
「ふっ・・・・」
吹き出しかけて、ぐっとこらえる。
腹筋に力を入れて笑いの波に耐えきると、真面目な顔で聞いてきた。
「こうしてさらし者にしているということは、そんなに気にしているわけではないんだな?」
「あ。はい。今のところは、どちらかというと微笑ましい気持ちです」
先生はやっぱり先生なんだなー。
少し、感心しながら答える。
「そうか。これからも、何かあったらすぐに相談するように」
ポンと私の肩を軽くたたいた後、涙をぬぐっているかおる先輩に向き直る。
「かおる。例の小動物には、一応、釘を刺しておいてくれ。懲りずに何度も手紙を出してくるくらいならいいが、これ以上何かされてもな。まあ、大したことはできないとは思うが、それでも一応な。私からよりは、かおるからのほうが、まだ角が立たないだろう」
「はい。お任せください。角の立たない方法で、小動物を震え上がらせて、しばらくは何もできなくなるよう、手配しておきます」
高島先生の要望に、かおる先輩は得体のしれない笑顔で答えた。
一体、何をするつもりなんだろう。
やっぱり、かおる先輩だけは敵に回してはいけない。
その後。
途中で思い出し笑いしちゃいそうだから、今日はお茶を立てるのはやめておきましょうとかおる先輩が言うので、和菓子とコーヒーでお茶会をすることになったのだ。
茶器の準備を始めてなかったのが幸いした・・・・と言っていいものかどうか。
「そう言えば、聞き忘れていたけど、その手紙はどうするの?」
「もちろん。記念に取っておきます!」
コーヒーを啜りながら思い出したように尋ねるかおる先輩に、元気よく答える。
「捨てたほうがいいんじゃないか?」
「ええー? ダメだよ。せっかくのまゆり先輩の黒歴史なんだから、大事に取っておかないと。いつか役に立つ時が来るかもしれないし」
夏希ちゃんと紗世ちゃんが正反対のことを言った。
紗世ちゃん、黒い。
私はただ、ちょっと珍しい便箋とペンだから取っておこうと思っただけで、そういう目的のためじゃないよ?
「まあ、小動物の能力的にそんなに心配することはないと思うが、今後何か問題が拗れた時の証拠品として、一応保管はしておけ」
「は、はーい」
保管はしておくけれど、そんなことにはならないように祈っておこう。
「ところで高島先生。連休中は安西先生とどこかに行くんですか? お昼休みに誘われてましたよね?」
話がひと段落したところで、突然切り込んできたのは夏希ちゃんだった。
夏希ちゃんは意外と高島部の活動に積極的だよね。
そしてまた、よくそういう話を拾ってくるなー。
あ。ちなみに高島部とは茶道部の別名で、35歳独身彼氏なしなのに、全くその気のない高島先生の将来を心配する校長・教頭両先生に依頼されて行っている、何だろう? 高島先生をその気にさせるための活動?
「なんだ、聞いていたのか。生徒に聞かれるとは、よくないな。よし。安西先生には、今後、このようなことがないように注意しておこう」
「それで、行くの? 行かないの?」
夏希ちゃんがしまったという顔をする。でも、かおる先輩はそんなことはお構いなしだった。
余計なとばっちりの安西先生には申し訳ないけれど、私もそこが気になります。
「その気もないのに行くわけないだろう。ちょっと離れたところで、横田先生がすごい形相で睨んでるし。安西先生に誘われる時って、高確率で近くに横田先生がいるんだけど、横田先生の関心を私に押し付けるために、ワザとやっているんじゃないだろうなとたまに思うよ」
「さすがにそれは、先生の被害妄想かと」
「単に、横田先生が安西先生のストーカーをしているから、結果としてそうなるってだけじゃないですかー?」
ちょっと呆れている由実花先輩と、何かまた怖いことを言い出す紗世ちゃん。
「そういうことか。安西先生も大変だな」
納得した!?
そして、なんか同情している?
しかも、これ、男女のアレコレには繋がらない同情だ。
「まあ、どっちにしろ、先生は連休中は既に予定が入っているからな。どのみちお断りだったんだが」
「ま、まさか、予定ってゲームじゃないですよね?」
恐る恐る、聞いてみる。
先生はゲームが趣味の35歳独身だ。彼氏はいない。
「いくら先生でも、さすがにそれはないぞ。実はな、友人の結婚式に呼ばれていて、ハワイに行くんだ」
先生がうきうきと答えた。
友達に置いて行かれることを僻む気持ちはないらしい。それは、いいことだと思うけれど、むしろそれこそが痛々しく感じてしまうのは何故だろう?
不思議だ。
「先生にもまだ、結婚していない友達がいたんですね? その人も先生なんですか?」
さ、紗世ちゃん!?
そこは、切り込まなくてもいいから!
いくら先生がそういうの全く気にしないからって・・・・・って、あれ?
先生がコーヒーを飲もうとしていた手を止めて、微妙な顔をしている。
「あー、何て言うか・・・・・。合コン仲間?」
「合コン仲間!?」
「え? 先生、そんなのがいるんですか?」
「合コンなんてしてたんですね?」
みんな、色めき立つ。
校長先生たちが心配しているから、すっかり干からびちゃってるもんだと思っていたけど、ちゃんと自力で活動してたんですね。
安心しました。
それならそうと言ってくれればいいのに。あ、校長先生とかには言いづらいのかな?
でも。それなら、高島部はもう廃部でもいいよね?
「まあ、先生も大人の女だからな」
先生の言う大人の女っていうのが、どんなのなのか、私にはよく分からないんだけど。
「合コン仲間って、どういう仲間なんですか?」
かおる先輩がわくわくしている。
「ん? ああ。先生の場合は、30歳くらいの時に駅で高校の同級生にばったり会ってな。何度か飲んだりしている内に、合コンに誘われたんだよ。5対5だったんだけど、その子以外は男子も女子も知らない人でな。でも、結構意気投合して、合コンの後、女子だけで2次会に行ったんだっけ。その後も、女子会したり、合コンしたりって感じだったかな」
ご、合コンに行って、女友達作ってきたのか。
しかも、参加した女子全員で仲良くなるとか。
そんなことあるんだ・・・・・。
「何人くらい結婚したんですか?」
「ん? 先生以外、全員かな」
チーン・・・・・と言う音が、どこかから聞こえた気がした。
はい。終了。
色めき立った空間が、一転してお通夜のような空気になる。
「合コンがなくなるのは構わないんだけれどな。子供が生まれたら、今まで見たいには女子会もできなくなるんだろうなーと思うと、ちょっと寂しいな」
先生のしんみりした言葉が、私たちの上に重く圧し掛かる。
女子会の心配より、合コンの心配してくださいよ。
えー、とりあえず。
高島部の再開が決定しました。