2013/4/21 東京
____2013年4月21日 東京
陸奥凛は幸運な女である。
なぜなら彼女は決して受からないだろうと言われていた東京高等先進技術専門学校の考古史学科に去年合格して今に至るからだ。
ちなみに公彦と礼子は考古・史学科に落ちてふたりとも第二希望の環境社会工学科に受かっている。
東京高専考古史学科という学科は日本にある高専の中で唯一の文系学科である。
平均倍率は60倍、1学年の生徒数は25人、少数精鋭である。
国が考古史学科に所属する学生に望むことは将来の考古学を先導し、
「適切」な研究、処理のもとに天皇陵を始めとする国が一般的に調査研究を禁止している史跡の究明を行うことだ。
そして高専を卒業してからは、著名な大学の歴史系学科に編入し、確実な学歴と実践的な技術の双方を兼ね備えた学者となることである。
これが考古史学科生のおよそ1,2割程度の進路である。では残りの8,9割はどうなるのか、決して落ちぶれるわけではない。
国が考古史学科に所属する学生に望むことはもう一つある。
それは将来、官僚として国に登用されるために必要な学力、実践的な「スキル」を身につけることである。
大半の考古史学科生はこの道のために学科を志望する。官僚を目指すならこれほどの舗装された道はないからだ。なにせ専門授業で官僚試験の問題解説を行うのだから独学で本試験に挑むよりはよっぽどアドバンテージがある。
考古史学科とはこういったところである。つまり、ここに通う学生というものは、ただの学生ではない。将来は学者か、はたまた官僚か、と言うような猛者たちが集うところである。
そんなところに陸奥凛は合格してしまった。はたから見れば奇跡というほかないのだ。なにせ偏差値が人間と学科とで23ほど違う。
凛は試験直前まで自分が受ける学科の特殊性を知らなかった。ただ単に「社会が得意なんだからここが一番自分にあってるでしょ」なんて言う気持ちで受けていたのだ。
礼子は凛より少し勉強が出来る程度で、考古史学科のレベルを十分に理解していたため、「まあだめもとで上等」という気持ちで受験した。ただし公彦は二人とは少し事情が違う。彼は「絶対に受かったる」と言う気持ちで受験した。
彼と学科の偏差値は公彦のほうが0.6高かったのだ。
結果を知ってからの彼の心境というのは語るに及ばず、きっと幼なじみの凛から
「大学編入でわたしと同じところに来たら付きあってあげる」
なんて上から目線ではあるが、将来的なプロポーズがなければ彼は今この世に
いたかどうか定かではない。
今日の授業が終わってから、凛はぐったりとしたまま顔をあげようとしない。
彼女に学科内の友人と呼べるほどの友好関係を築いている人間はいない。周りでは凛にとって興味のない話ばかりが展開されている。
聞いたことのない数学の公式やホームステイ、政治経済、大学の話ばかりが凛の耳に届く。
おどろくべきことに誰一人歴史についての話をしていない。授業やテストとしての歴史の話をすることはあっても、自分が普段公彦と礼子で集まって話しているような趣味としての歴史話がこの考古史学科のホームルームには存在しない。
凛はあまりにも酷な状況に置かれている。周りは勉強の達人ばかりで自分は彼らにとって底辺人間と思われていると、真偽はどうあれそう思ってしまう。
周りの会話に入ろうともあまりにも自分の意識と彼らの意識が違いすぎて、全く会話の輪に入れない。一回学科の中でも1,2を争う実力者に
「君はどこの省庁を志望してるのかな?」
と聞かれた時、凛は
「え?わたしは別に腸が弱いとかじゃないけど・・・」
と答えてしまうことがあった。はたから見れば笑い話にでもなるのだろうが、
その時、相手の自分を見る目が明らかに何か察しがついた、といったような目に変わって「はは・・冗談がうまいね・・」と言われたことに凛は今でも苦悩している。
こうなってはもはや教室のスミで一人ずっと寝たフリをしていた中学の宮田くんと変わらないじゃないのと凛は落ち込むのであった。
そんな彼女にとってもはやあの2人は自分の学校生活最後の砦であった。
陸奥凛は幸運ではあったがそれと同じくらい不幸であった。
凛は帰路の途中、礼子と公彦と別れて本屋に立ち寄っていた。目的はお気に入りのライトノベルの新刊と力学に関する参考書であった。
「はぁ、まさかわたしの人生で物理の参考書を買うイベントがおきるなんて・・・」
これくらいして勉強しないとただでさえ周りが自分より優秀なのに、新しい教科で周りに追いつけなくなるようなことがあれば、それは留年に直結する。
幸い一般科目のテスト難易度は他学科と統一されていて、点が取りやすいようになっているが、専門科目のテストになるとそうは行かない。
どうも考古史学科の教授陣は相当のサディストのようで平均点はどんな簡単なものを扱った教科でも69点を上回るテストを作らないようだった。
もちろん高専なので成績が60点未満の教科は単位未履修となる。
凛は支払いを済ませ、書店の自動ドアを通過して外に出た。
もうあたりはすっかり夕闇に包まれている。桜が咲き乱れる艶やかな時期は済んだ春の中頃だが、気候の変化は三寒四温の"二寒一温"ほどの進捗具合だ。日も思うほど長くはなく、今日のような寄り道がなくとも普段凛が家につく頃は西に夕日、東に夜の月が混在している空模様である。
天が光を失って人々を照らさずとも、舗装された地には外灯と建物から漏れ出る光が日中とはまた違った美しさを持って街を包む。凛はそういった珍しくもない風景でも都会っ子だからこそ感じる、何か心に留め置かれるような郷愁の念のようなものを持っていた。そういったように彼女は環境の変化を機微に捉えて感動することができる。ひょっとしたら俳人や詩人の才能があるのかもしれない。
自動ドアを出て店先に置かれた自転車の横を通過した時、凛は妙な違和感を覚えた。なぜか、自動ドアを通過する前の周囲の雰囲気と通過したあとの周囲の雰囲気が違うように感じられたからだ。
あまりにも強い違和感だったので、凛はつい立ち止まって考えた。頭のなかで何か忘れていることがないかチェックして、どうもそれは無さそうだと思い直したところで、あることに気がついた。
(人がいない・・・?)
と、そう気づいた時
凛の視界が一瞬ブラックアウトした。
自分の前を大きな茶色い物体が高速で横切ったためだ。
直後、轟音とともにその茶色い物体が進行方向にあった壁に激突した。
「は・・・?」
おどろく暇もなかった、雑音がない世界の中、反対側から今度は人の足音が聞こえてきたからだ。
「よう、どうした、おっさん、まさかこの程度で降参なんてことはねえよなあ?」
声の主を見るとそこには着崩した黒いスーツを身にまとった男が歩いていて、おっさんと呼びかけた物体の方向へ問いかけていた。
ふっとばされた方向を見てみるとそこには茶色のスーツを着ている細身の40歳代くらいの男が物言わぬまま、ひび割れた壁にもたれかかっていた。
(え、な、何?なにがどうなってるの?)
自分が置かれている状況を全く把握できていない凛をよそに2人の男は話を続ける。
ふっとばされた男が口を開く
「ははは、悪くない、いい身のこなしだ」
あんな轟音を上げながら壁に激突したにも関わらず男は平然とそう言ってのけた。
「だけどね、これだけじゃあこの私を殺すことはできない」
「やるならもっと、そう、トリッキーにね」
そう言って指を鳴らすと黒スーツの男の頭上からいきなり豪速で真っ黒の球体が
落下し、男の頭に触ったかどうかわからない所で爆発する。
土煙が黒スーツの男を覆う中、茶色スーツの男はよっこらしょっ、といって立ち上がり
「おいおい、もう終わりなのかい?もっと楽しめると思ってたんだがね」
と土煙に向かって言った。
するとどこからともなく
「その通り、トリッキーでないとな」
と言う声が聞こえたと同時に、茶色スーツの男の背後の空間が歪む。
「っっ!」
直後、その歪んだ空間から黒色スーツの男の腕が現れ、その腕で茶色スーツの男をぶっ刺した。その位置は紛れも無く心臓だ。
「ごあァがっ!!」
訳の分からない攻撃を食らった茶色スーツの男は消え行く意識の中で自らの胸部に刺さった腕を見た。そしてその腕に彫ってある小さなタトゥーを見つけて
「ま、まさかお前たちが・・ぐ・・ぐ」
そう言って息絶えた。
____2013年4月22日 東京?
凛は人なき道を必死になって走っていた。普通こんな大通りには人がひっきりなしに往来しているものである。それがこの時、凛以外には誰も居ない。
あれからどのくらい走っただろうか?とにかく人を見つけて事の顛末を知らせなければ、自分の命さえ危ないかもしれない。
そう思って交番や人の多いところに行くのであるがあの感覚を味わって以来、
2人の男を除いて人間を一度も見ていないのだ。
「はあ、はあ、はあ、なんで・・なんでよ・・・」
「この世界に人間はいないよ、お嬢さん」
「ひっ!?」
突如凛が後ろから声をかけられる。その声は凛がこの世で一番聞きたくない人物の声であった。
「どうも人払いが解除できないとおもったら、君みたいなお嬢さんがまぎれていたとはね」
「こ、こないで・・・」
「そういうわけにもいかない」
「い、いや・・やめて・・」
男はお構いなしに凛の腕をつかもうとする。人間を刺して血まみれのはずの腕はどういうわけか汚れ一つ無いきれいな状態だった。
「俺には君をこの世界から引っぱり出さないといけないからね。その義務がある」
男がついに凛の腕をつかむ。凛は気絶しそうなくらい怯えた。
そして一瞬のうちに二人の姿は消えてなくり、男が作った世界は完全なる静寂に包まれる。