愛憎の妖精
「フハァ、こればかりは貴族に生まれて良かったと純粋に思いますね。」
「……それは良かったですね」
「何です、不満なのですか?」
「いや、そういうわけではありませんが……」
ところ変わって現在、湯浴み場にいますトゥーリ・トラバリンです。
そう、湯浴み場です。要するにお風呂です。
これは本当に貴族に生まれて良かったと思えた点でした。湯を沸かすというのはかなりの重労働なので平民だと一週間に一度、大衆浴場に行ければ良い方だとのこと。
酷いと何ヵ月も入らないこともあるとか。
耐えられなくはないでしょうけど、私には毎日入れるだけの(親の)権力と財力があります。そして人は目の前に抗いがたい誘惑を与えられては容易く堕ちます。
だから、毎日湯浴みを行うのも仕方ないのです。
湯に浸かった状態でまとまらない思考のままに、隣で何とも言えない顔をしているザッカートに意識を向けました。
「アナタは私の魔力といい、湯浴みといい中々に慣れませんねぇ」
「いえ、まずあの魔力に慣れるのは無理です。。それに湯浴みも普通の貴族だって毎日はしません」
ザッカートは呆れた様子で言ってきます。
むむ、そんなことを言うならこれからは機会を見て魔力を放つようにしましょうか?そうすれば本当に無理なのかも分かりますし。
「アナタはどう思います?」
ザッカートとは逆にいるエルフの少女に尋ねます。
少女はガタガタと震えています。
「おや、どうしました?お湯は熱いぐらいですから寒いはずないんですが」
「時々、トゥーリ様はボケてるのか分からないことを言いますねぇ」
ザッカートは呆れた様子ですが、もちろん冗談です。さすがにあれだけ心を折るようにしておいて、怯えないわけないことは理解しています。
「あれだけの魔力浴びれば怯えるでしょう、そりゃ」
「それくらい分かってますよ。冗談に決まっているでしょう」
疑わしそうな表情のザッカートですが、今は気にしても仕方がありません。それよりも震え続ける少女です。
正直、失敗しました。このままではまた人形に逆戻りになってしまいます。
それはいけません。心を戻した甲斐がないですし、そんな退屈な存在を置いておくつもりもありません。
黙っていると怒ったのかと勘違いしたのでしょうか、少女は謝りだしました。
余りにも弱々しく先程まで強い殺意を向けていたことが嘘のようです。
ごめんなさい、ごめんなさいと震え続けている少女の様子に、ゾワリと心の奥底が蠢きました。
――――アア、止めて欲しいなァ。
別に弱いモノいじめが好きなわけでもないけれど、そんな風にされたら食べたくなっちゃいます。
暴れだした感情を沈めるために、意識を隣にいる少女から逸らします。
莫大な魔力は確かに便利なのですが欠点がないわけではないのです。
それがさっきのように理性が外れやすくなることです。
魔力は使用する量が大きくなるほど強い高揚感をもたらすとされていますが、理性を削っているというのが本当の所なのです。
そして自分の大きすぎる魔力は解放するだけで精神に影響してしまいます。自分が魔力を普段から隠しているのはザッカートに言ったように手札を伏せること以外にも、そういった理由もありました。
暴れだした感情をなんとか沈め、とりあえず謝り続けている少女をどうにかしようと考えます。
「別に謝る必要はありませんよ」
謝るのは止めてくれましたが、それでもビクビクと怯えています。
再び乱れそうになる感情を抑えつけ話を続けようとして、はたと気づきました。
「そういえば名前を聞いてませんでしたね。命令して言わせても良いんですけど、出来れば自分から言ってくれませんか?」
名前を聞くのを忘れていました。ザッカートもどうやら同じだったようで、そういえばといった様子です。
主従揃って情けない有り様です。
「………」
エルフの少女は震えるのを止めて、何かを考えるかのようにして黙しています。
実のところ、名前を聞く必要は余りなかったりします。
別に命令して聞き出せるとかは関係ありません。確かに奴隷は契約魔術による制約によって主人とする人間に絶対遵守となっていますが、それ以前に奴隷の命名権は主人となった人間にあるからです。
奴隷の権利など当然のように無視されます。普通の奴隷ならばある程度の権利くらいは保証されますが、目の前の少女のような違法奴隷は間違いなくあらゆる権利を剥奪されています。
契約の確認は誕生会でしたので、間違いなくこの少女になんの権利も所持していないことははっきりしています。
さて奴隷の名前について考えていましたが、そろそろ沈黙が痛いです!!
もう命令して言わせるしかないかな、と思っていると少女が口を開きました。
「……レーヴェ・ラッハ」
レーヴェ・ラッハというのがエルフの少女奴隷の名前らしい。口の中で何度かレーヴェ・ラッハという名前を転がしてみる。
恐らく私は笑っているのでしょう。そんな私を見て、エルフの少女いいえ、レーヴェはまた震え始めました。
どうにも感情が抑えきれない、思考が散らばりだした。
抑えていた魔力が滲みだす。崩れ落ちる理性がなんとか結界を作らせました。
溢れだした欲に歯止めが効かない。
ただ目の前の少女の全てが欲しいという、恋にも似た激情。普遍的でありながら、どこまでも狂っている感情。
心の求めるままに思いっきりレーヴェを抱きしめました。
漏れだした魔力に当てられていたレーヴェには恐怖にしかならなかったのでしょう。
ヒッ、と短い悲鳴が上がりますが私は気にも止めなかった。
『レーヴェ、レーヴェ・ラッハ。アナタには私を憎む権利がある』
『住む場所、それまでの生活、なにより最愛の家族を、全て奪われたアナタだからこそ』
『喪ったモノを嘆きなさい、復讐に身を焦がしなさい、絶望に心を染めなさい』
『そうしたなら私が与えてあげる、手を引いてあげる、アナタの全てを愛してあげる』
『だから私の隣にいなさい。ねぇ、愛憎の妖精?』
耳元で小さく囁かれた声は、見えない鎖のように強く強くレーヴェの心を束縛した。
既にトゥーリにまともな思考はできなくなっていて、心の流されるままにレーヴェを抱きしめていただけだった。
そしてレーヴェも恐怖で動けずにいたが、トゥーリの言葉を聞くうちに身体から力が抜けていた。
トゥーリは黒髪黒目の中性的で、どこか造り物めいた無機質な美しさを持った顔立ちをしていた。男ではあるがまだ幼く、元々女の子と言っても通用する容姿をしている。
レーヴェはその美しさで知られているほどのエルフであり、陽光を連想させる金髪と湖のように澄んだ碧眼をしていた。顔立ちはトゥーリとは違い、女の子と一目でわかる愛らしいものだった。
そんな二人が抱きあっている様子は幻想的であり、湯の熱気にあてられ白い肌が薄紅に染まる様子は二人の幼さもあって背徳的でもあった。
誰もが心奪われるだろう空間において、一人冷静な者がいた。
「……別にトゥーリ様がナニしようが構いませんけど、せめて自分がいないときにして欲しいです」
抱きあっていた二人に冷水が浴びせられた。
「冷たっ!?」「ひゃっ?!」
そう、他でもないザッカートであった。
彼は湯浴み前に、さすがにレーヴェの裸を見せるのはどうかと思ったトゥーリの手によって目隠しをされていた。
そのおかげで彼は魔力による重圧をくらうだけで済んだのだった。
そして、水の魔術で生み出した冷水を二人に浴びせ、正気に戻すことに成功したのだった。
「いきなり何なんですか?!ザッカート」
「いえ、トゥーリ様が魔力酔いに近い状態になってましたから」
「本当だ、魔力がもれだしてる。ウワァ」
正気に戻ったトゥーリはザッカートに言われ自分の状態を確認したことで現状を把握する。
かろうじて結界を張ったらしく、外には気づかれなかったのは不幸中の幸いというモノでしょうか?
しかし、理性が飛びやすくなっていたとは言っても、こんな簡単に魔力制御の手を離すはずないんですけど。
「まぁ、理解しました。けど何があったんですか?」
「目隠ししてたので詳しくはわかりませんけど、レーヴェの名前を呼んだ辺りからおかしくなってましたよ」
もしかして名前を教えてくれたのが嬉しくて暴走したとかなんでしょうか?
自分は思春期の子供でしょうか?いえ子供ではありますが、思春期はもう少し先でありませんでしたっけ?
……頭痛くなってきました。
冷水浴びたせいで体も冷えてしまいましたし、もう一度お湯に浸かろうとした。
そして、自分がレーヴェを抱きしめていることを思い出した。
「レーヴェの反応がないと思ったら顔を真っ赤にして気絶してますよ」
「そりゃ、刺激が強かったのでしょう」
「そうかもしれませんねぇ。でもこの顔見てたら私が暴走したのも少し納得かもしれません」
「それはまた……」
そこで、はたと気づきました。
「ザッカート。アナタ、私の魔力を浴びて動けたんですか?」
「あ、言われてみれば確かに」
「なんだ、やっぱり出来るんじゃありませんか」
~♪と機嫌良く、トゥーリは鼻歌まじりに湯船に浸かりなおした。
そんなトゥーリの様子に苦笑しつつザッカートは口を開いた。
「トゥーリ様」
「どうかしました?」
「10才のお誕生日おめでとうございます」
そんな言葉にトゥーリは一瞬キョトンとした後、すぐに笑顔を浮かべ
――――ありがとうございます。
と口にした。
トゥーリは転生者ではありますが精神が体に引っ張られやすくなっているので、だいぶ簡単に魔力を暴走させやすくなっています。
よく爆発しろと言いますが、実際は爆発などよりも冷水に浸したり、火傷するギリギリの温度の熱風を浴びせるほうが遥かに苦痛となると思うんですよね
ここまでお読み下さった方へ感謝を。
ひとまず目指すは完結です。