何よりも死が恐ろしい
蠱毒が始まってから、魔術で結界の内部を見ていましたが、随分とひどい有り様です。
男が女を殺せば、その男に子供たちが群がり男に傷をあたえます。かと思えば、その子供たちに老婆が魔術の火を放ちます。
殺し、殺され、人が呆気なく死んでいく様は、まさしく地獄のよう。
思考を停止して、殺し合う様子は思った以上につまりません。せめて殺したことに何か思える程度には、思考力を残せれば良かったのにと考えていると、一つだけ他とは違う様子の存在がありました。
「んん?」
「どうかしたの、トゥーリ様?」
思わず疑問を声に出すとレーヴェが尋ねてきました。
「いえ、どうも異物が混ざっていたようですねぇ」
「……?」
* * * * *
物心つく前から、彼女はそこにいた。
血と泥、それに腐った臭い、いつだか聞いた地獄があったらこんな世界なんだろうと彼女は思っていた。そんな場所が彼女に感じられる唯一の世界だった。
彼女の目は生まれつき見えていなかった。
誰にでも平等に優しくないここで、目も見えないような彼女が今まで生きてこられたのは、運が良かったとしかいえなかった。
捨てられていたところを拾ってくれた人がいたのだった。その人はアタシが七才になるときまで、育ててくれた。
けれど、彼女を拾ったときにはもうずいぶんと年老いていたその人は彼女が七才になってすぐに死んでしまった。
それから一年間、彼女はなんとか生きてきた。泥水をすすり、腐った肉を食らって、生きてきたのだ。
(ああ、……もうだめかな)
昨日まで感じていた体中の痛みもなくなっていた。
しゃべる体力さえなくて、考えることも辛くなっていた。それでも考えるのをやめてしまったら、きっと眠ってしまうから、そして眠ってしまえば起きることもないと思ったから、彼女は考えるのをやめなかった。
眠るように死ねるなら、それは案外、幸せなのかもしれない。
けれど、そんな風に死んでしまったら、誰の記憶にも残らずに消えていくのだろう。
地獄みたいなここではありふれた、それでいて、一番穏やかな死でもあった。
それでも死にたくなかった。今まで生きていた自分が消えていくのが怖かったから。
無論、幼い彼女がそこまで考えていたわけではなかったので後付けの理由だったが。
ただ、今の彼女は、わずかに残されていた本能が死を拒絶していたから、考え続けた。
彼女はこの世界のことが大キライだった。
自分を捨てた顔すらも知らない親も、自分を残して死んでしまった老人も、この世界を恨むしかない弱い自分も、全て、全て大キライだった。
それでも生きている限り、死にたくなかった。誰の記憶に残ることもなく、消えたくはなかった。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない―――
壊れたようにぐるぐると同じことを思い続ける、もう考えることすら難しくなっていたから。
幸か不幸か、すでに死から少しでも逃れることに意識のほとんどを裂いていた彼女は自分のいる場所がいつもとは異なっていることに、頭の中で響いていた声に、気がつかなかった。
いつもと同じような汚れた街にあったのは、獣が叫ぶような声に、肉の潰れる音、肉の焦げる臭い、そして、むせかえるほどに濃い血の臭い。
けれど、その規模だけが違った。
地獄のような、ではない、まさしく地獄だった。
人が剣で、ナイフで、角材で、または魔術をもって、斬り捨て、突き刺し、叩きつけ、燃やし、切り刻み、潰し、殺し合っていた。
頭に響く、―――殺し合え、という言葉の通りに目の前の敵を殺し続けていた。
時間がたつとともに立っている人間は、一人また一人と減っていった。
そして、最後に残ったのは一人の剣を手にした男だった。男は全てを殺し尽くし生き残ったことに、上手く働かない思考の中で喜んだ。
溢れてくる力とそれに伴う全能感に身を任せ、新たな誕生に産声となる叫びを上げようとした。
しかし、口から漏れたのは血だった。
気づけば、後ろに子どもがいて、自分にナイフを突き立てていた。
その子どもは病的なまでに青白く、痩せこけた体で、なぜ動けるのかもわからないぐらいに衰弱した様子なのに、魔獣もかくやといった力で、男の心臓をナイフで一際強く抉った。
驚きで目を見開き、息絶えた男に、その子どもは笑いかけた。
その子どもは、先程まで確かに死にかけていた彼女だった。
彼女は何でもないかのようにナイフを投げ捨て、見えないはずの目でしっかりと倒れた男を見据えて、口を開いた。
『一体、どんな気持ちでしょうか。勝利を確信した瞬間に死ぬというのは?』
白く濁った目には、男への嘲りと歓喜の念があった。
彼女はクスクスと笑った。それはひどく冷たい笑いだった。
『アナタは不合格です。何ですか、頭に響く声に言われるがままに殺し続けただけの存在なんて、力を得てもろくなモノじゃないでしょう』
胸に手を当て、昂る熱を吐き出すかのように、言葉を並べていく。
『その点、この子は素晴らしい』
『生に執着し、目の前にいる死神の手から必死に逃れ、ついには私の魔術さえ弾いたのですから』
『やはり素晴らしきは抗う人の力と言ったところでしょうか?』
『ですので、アナタなんか要りません。力だけの存在より、抗うことを知っている存在の方が貴重ですから。どんな世界だろうとね』
元々、見切り発車なこの話、ネタに詰まりそうになる。
まだ……、まだ、戦える……。




