閻魔様②
「ん……っ、なんで俺はこんな所で寝てるんだ?」
郁人はゆっくり身体を起こし、目を開けると目の前には大量の料理が並べられており、ここがダイニングルームということに気付いた。
しかし、ここまで歩いた記憶もなければ、椅子の上で寝てしまった記憶もない。
覚えているのは法廷で閻魔が死人を焼き消滅したという場面まで――と思い出すとまた気絶したのだと分かり、少し自己嫌悪に陥りそうになる。
「情けないな、俺」
「あれはあれで俺は面白かったけどな。まさかお漏らしまでするとは……」
いきなり聞こえた声に郁人は慌てて、声のした方向に顔を向けるが姿はない。
最後のお漏らしという発言を聞いて、股間部分を手で触り確認してみるがズボンはそのままに完全に乾いていることから、誰かが何とかしてくれたことが分かった。
声の主を探すついでに辺りを見回してみると、やはり洋館を意識しているらしく洋風の家具が集められていた。しかも部屋の中には内線電話まで備え付けられている。
不思議なことに椅子にはキツネ、ネコ、シンデレラの人形が座らされていた。少し気になったが、それは無視し、声の主の姿を探し続けるもその姿はどこにも見当たらない。
しかし、声の主は分かっていた。
さっきまで聞いていた声――閻魔だ。
「こっちだって!」
「いや、姿が全然見えないんですけど?」
「そりゃあ、姿を隠してるからな」
その発言に郁人は探すことを止めた。
どんな風に辺りを見回しても見つかるはずがないからだ。
「なんだ、もう諦めるのか? つまらないな」
「絶対、楽しんでるでしょ?」
「当たり前だろ?」
「念のために答えますけど、俺の目の前の椅子に座ってるんじゃないですか?」
郁人は自分から目の前の背もたれしか見えない椅子を指差す。
閻魔は拍手をしながら、椅子からその姿をゆっくりと現していく。
やはり正解だったようだ。
「なんで分かったんだ?」
「なんとなくです。詳しくはないけど、上座の位置を考えたら俺が座っている席が下座になるからなって思ったから」
郁人がそのことを知っていると思っていなかったためか、閻魔は少しだけ驚いた顔をしていた。それでも自分を見つけてくれたことが嬉しいらしく、すぐに笑顔になる。
郁人もそんな様子の閻魔を見て、少しだけ安心することが出来た。
さっきの法廷の時の閻魔を見る限り、怖いというイメージしかなく、こんな風に笑顔を向けてくれるとは思ってなかったからだ。
だからこそ郁人は閻魔に遠慮なく質問し始める。
「あの、なんで俺をここに連れてきたんですか?」
「ふむ、その前に自己紹介をしておこうか。俺の名前は閻魔小十郎定信だ。さっき見た通り、死人の行き先を決める仕事をしている。覚えておいてくれ、郁人」
「俺の名前を知ってるんですね」
「俺が郁人を連れて来るように頼んだ張本人だからな」
その言葉に郁人は憂鬱な気分になった。
小十郎が自己紹介をしたノリのまま言ったからである。
悪気なんてない。
まるで当たり前のことを当たり前のように話す口調で。
「その、なんで俺をここに? っていうか、ここはあの世でいいんですか? 牢屋にいた骸骨はそう言ってましたけど」
「あの世という表現で良いと思うぞ。ただ、死んだ人間ばかりが来れる場所でもないがな。分かりやすく名前を付けると、後の世界という意味で『アンダー・ワールド』と名付けるか」
「はぁ」
郁人にとって、この世界に名前があろうがなかろうが実際どうでも良かった。
ただ、法廷で言っていたあれだけ適当について怒っていたのに、今回は間違いなく適当に名前を付けた感じしかしない。
閻魔としてそれでいいのか、とそれだけが少し心配になった。
「それでここに連れてきた理由だったな。それは郁人を妖怪にするためだ」
「はぁ?」
思いっきりに間抜けな声が郁人の口から出てしまう。
そんな郁人とは魔逆で閻魔の顔は真剣そのものだった。
「すいません、意味が全然分かりません」
「理由は……、まぁ、飯を食いながら話そう」
「食欲ないので遠慮します」
「これ、全部郁人のために用意したんだがな……」
「俺は気にせずに閻魔様は食べていいですよ」
閻魔がちょっとだけ残念そうな顔を浮かべた。
「俺たちはこれで腹を満たすことが出来ない。栄養を取るものが違うからな。それが何かは分かるだろう?」
「恐怖ですか?」
「その通りだ。でも恐怖ばかりではないがな」
「他にもあるの?」
「他にもあるっていうか、総称して『負の感情』だ。恐怖も含めて、怒り、悲しみも入る。簡単に手に入りやすいものが恐怖っていうだけだ。誰かにとり憑いて、怒らせたり、悲しませたりするよりもそっちの方が手っ取り早いだろう?」
「分からなくもないけど……」
「それでも最近は上手くいかないのが現状だ」
小十郎は椅子に深く腰掛けると、ため息を漏らす。
「一つ問うが、最近俺たちの噂話を聞くか? 都市伝説でもいい」
「いや、聞かない。そもそも信じてない人が多いと思う」
「その通りだ。だからこそ俺たちは人間界に行きにくくなってるんだ」
「え?」
「人間の絆と同じようなものだ。俺たちは噂話が繋がりとして、人間界に行くんだが、それがやりにくくなっているのが現状だ。昔は親たちが噂話などをして、話を紡いで来たんだがな」
「その話、聞いたことがあるかも」
郁人は祖父母にそういう風な話を聞いて育った、と小学校一年生の時に少しだけ聞いたことがあった。
テレビなんてなく、唯一ラジオがあったらいい時代の話。
「でもこの歳になって、爺ちゃんたちも話してくれなくなったな。なんでだろ?」
「昔ほど流行らないからだろ? テレビやネット、電子機器の情報で本人が紡がなくても自然と真偽が確かめられるから、下手に作り話をしても信じてもらえないからな」
「なるほどね」
「そんな時代になったからこそ、たまに人間を拉致してはここでエサにしてたんだが、それもその場しのぎにしかならない」
「それってさ、俺たちの世界で言う『神隠し』?」
「今はその言い方より行方不明の方が一般的だろうな。そもそも神隠しの由来を知っているのか?」
「え? 詳しく考えたことがなかったかも」
「昔は行方不明が起こっても、監視カメラなどの記録するものがなかったから、足取りが簡単に掴めむことが出来なかった。それで神様が隠したと考えた方が被害者家族も少しは気が休まると考えた昔の人の知恵だ。本当に俺たちが連れてくる奴らもいたが、違う奴もいる」
「へー、そうだったんだ!」
郁人は小十郎の説明に思わず拍手をしてしまった。
昔の知恵の偉大さが分かったような気がしたからである。
そして最近の行方不明のニュースが多く報道されている理由も郁人は分かった気がした。今は監視カメラなどがあるから、ある程度の足取りは追える分、神隠しという言葉では隠しきれなくなってきたのだ。
つまり時代の流れととも人間が成長した証。
そんな感心している郁人に構わず、小十郎は話を続ける。
「そういうわけで俺は考えたんだ」
「何を?」
「『人間を妖怪にして、新しい噂を流行らせよう』ってな。既存の妖怪だけでは限界があると気付いた」
「なるほどね、だから俺がここに連れて来られたのか。でもさ、妖怪って造れるものなの? つか、生きた人間から造るぐらいなら死んだ人から造った方がいいんじゃない?」
「その質問には、まず妖怪の造り方から説明しないといけないな。郁人には死んでも手放したくない思い出はあるか?」
「まだないかな。そんな思い出があるような年齢でもないし……未練ならあるけど……」
「未練と想い出は違うぞ。妖怪になる上で一番大事なものは『捨てたくない想い出』だ。まず人間が死んで、ここに来た時に判決が行われる。天国行きの中にも『まだここには来たくなかったが、心配する人がいるから来るしかなかった』などの理由を持つ人間が天国行きを拒み、ここに残ることで幽霊や妖怪となっていく」
「想い出はどうなるの?」
「妖怪になっていく途中で、その想い出はだんだん薄れていき、一匹の妖怪として成長していくんだ。そして最終的に同じ種族の仲間と人間と同じように結婚や子供を作るなどして暮らす」
「だったら、死人でも出来るんじゃないの? こんな試みなんてしなくても……」
「本当ならな。現在の人間界が物騒な事と適当に生きている人間が多いせいで見つけられない。それが今の現状だ」
小十郎は情けないとでも言うように頭を搔く。
郁人もその言葉の意味がよく分かった。
行方不明のニュースも多いように殺人事件のニュースも多いためである。 それに適当に生きているという意味では自分も当てはまるのではないか、と思ってしまった。
一応、高校受験を受けるがそれは親に言われてであり、自分自身が何かしたいと思って受けるわけではない。その先のイメージがないからだ。
今さらではあるが、郁人は少しだけ反省した。
「妖怪になるのって意外と難しいんだなー。俺の想像とは全然違うや」
郁人の考えは、よくある噂から現実へとなっていくパータン。
人間思い込めば、なんでも出来るようになるという話を聞いたことがあった郁人はその流れから造られると思っていたのだ。
今まで考えたことがない知識を得られる喜びを郁人はこの時初めて知り、この世界のことをもっと知りたいという気分にさせられてしまう。
「気分がのってきたらしいな。そういうわけで俺たちのために人肌脱いでくれ」
小十郎は軽くだが頭を下げる。
郁人も頼みを即座に断るような人間ではないが、小十郎の頼みに対して、警報を鳴らす。
自然と今までの会話を脳が勝手に再生し始めると、ちょっとした疑問が郁人の中に生まれた。
「あのさ、今まで人間で妖怪を造ろうことってあるの?」
「ない。郁人が初めて選ばれたじっけ――名誉ある仕事だ」
「今、実験って言おうとしたよね?」
「言ってない」
都合の悪くなった小十郎から威圧するようなオーラが出され始めたため、郁人はビビってしまい、そのことについて追及することは諦める。
「は、話は分かりました。でも俺は嫌なので、人間界に返してください」
「帰すと思うか?」
「……」
その言葉にまったく郁人は首を横に振ることしか出来なかった。
さっきよりも真面目な顔とさっきよりも強いオーラのせいで、それ以外の行動をほぼ封じられてしまったからだ。
あくまで想像ではあるけれど、このまま拒否をしたとしても、今までの人間と同じように負の感情を摂るだけ摂って殺されることが分かる。
つまり、自分には最初から逃げ道なんてものが用意されてすらいなかったことに気付いてしまう。