精神世界②
「助けなんて求めてないんだけど? むしろ、そうやって暴れられる方が俺からしたら迷惑だ」
「閻魔やあの三人を殺せば、お前は人間界に戻れるんだぜ? 俺が閻魔になってそうしてやる」
鬼のその言葉が郁人には魅力的で、ほんの一瞬だけ気持ちが揺らいでしまったが、すぐに気持ちを持ち直す。
自分が守りたい三人をあんな風にボロボロにし、自分の身体を人質にしている鬼の言葉が信用出来ないからだ。
「だいたいお前の気持ちはどうなんだよ? 『三人を守りたい』って言ってるけど、それは前世に気持ちが感化されて、そんな気持ちになってるだけなんじゃないのか? 本心では、『人間界に戻りたい』がお前の本当の望みなんだろう?」
鬼は郁人に歩み寄ると、肩を叩いて同情するかのように諭し始める。
そう言われると郁人も悩んでしまう。
一度は三人を守りたいと決めた。
しかし、それは自分の前世の後始末をするという意味でもある。力がなかったからこそ、三人を死なせてしまったのだ。それを今さら守りたいと言うのは手遅れ。むしろ今では自分の方が他の妖怪たちから守られている。
昔の自分も今の自分も三人のためにはなれていない。
そう思うと、郁人の気持ちは一気にネガティブな方向へと流れてしまった。
「やっぱり俺は人間界に戻った方がいいのかもしれない」
「そうだぜ? 前世の自分の言葉に惑わされんなよ。あいつらは自分が出来なかったことに対しての尻拭いをさせようとしてるんだぜ?」
「そんな気はしてたよ」
「あの三人が好きなのはお前じゃない。お前の魂に宿っている前世の三人だ。その面影をみているだけに過ぎないのは分かってるんだろ?」
「……」
その言葉が郁人の胸に突き刺さる。
前にその事で三人に怒られた時の会話が郁人の頭の中で再生された。
三人は真剣に怒り、そのことについて否定してくれたが腹の中では何を考えているかまでは分からない。中身なんてない言葉だったのかもしれない、と考えると郁人はさっきまでのやる気は失せてしまっていた。
「やっぱり郁人よ、お前は人間界に戻った方がいいってことさ。三人がボロボロになっているのは、所詮閻魔のためなんだからよ」
「そっか。やっぱり閻魔様の方が大事だもんな」
「そうそう」
鬼は郁人の顔のまま、嬉しそうに笑う。
自分の顔なのに気持ち悪いぐらい両方の口端がつり上がっており、悪意そのものを見ているような気分だった。
鬼のその様子を見て、郁人はある考えが頭を過ぎる。
あくまで想像の段階だが、やってみる価値はあるのかもしれない、と変な衝動に駆られ、一つだけ鬼にお願いをしてみることにした。
「あのさ、一つお願いがあるんだけどいいか? お前は俺なんだろ?」
「ああ、その通りだ。郁人のお願いなら聞いてやろう」
「あの三人を助けてくれないか?」
その願いに鬼は怪訝な表情を浮かべる。
「なんでだ?」
「この世界で優しくされた恩返しって意味で。だって人間界で俺はあの三人のように必要とされた実感がない生活を送ってたんだ。お前も俺なら知ってるよな?」
「もちろん、知っている」
「だから、そのお礼をしたいんだ。もうあの三人への攻撃はやめてくれ。駄目か?」
鬼の表情が強張る。
郁人の願いが鬼からすれば残酷だったからである。
現時点でもあの三人はかなり痛めつけているけれど、生命エネルギーを吸い取れるほど弱らしていない。この状態であの三人から生命エネルギーを奪おうとしても抵抗されて吸い取る事は出来ないからだ。
つまり、吸い取ることが出来なくなれば小十郎を倒す事は不可能になる。
鬼が取れるのは拒否と言う選択肢だけだった。
「そ、それは駄目だ……」
「そっか――」
郁人はそう言って、鬼の顔面に拳を食い込ませた。
さっきまで落ち込んでいた気分が嘘のように消えたため、郁人は殴る事が出来たのである。
もちろんあの三人から貰った精神エネルギーを拳だけに集中させて殴ったため、鬼は軽くだが吹っ飛び、倒れこむ。
殴られた顔を押さえながら、信じられないという顔で鬼は郁人を見つめた。
「な、なんでだ! なんで俺に攻撃を!!」
「急にやる気が出てきたからかな。ここは俺たちの精神世界なんだろ? だったら鬼だって自分本来の姿になれるはずなのに、俺の姿のままだから信用出来なかった。それに俺の考えを的確に言い当ててるような発言だったけど、やっぱり俺の考えとは違うから頭にきて、つい……」
「違う? そんなわけがっ!」
「俺は夢のおかげで前世の気持ちを味わったからこそ、俺自身が三人を守りたいって思ってること。それにお前の罪を俺が背負いたくないんだよ。三人は俺が町の襲ったんじゃないと信じてくれた。そんな俺が三人を信じなくてどうするんだ?」
「お前は人間界に戻りたいんじゃないのか!!」
鬼は喚き散らすように叫ぶ。
さっきまでの余裕がなくなっていた。
「答えろ! 郁人!!」
「戻らなくてもいいや」
郁人は切り捨てるようにはっきりとそう言った。
鬼の顔は一気に絶望したように青くなる。それは表現ではなく、本当に赤みがかった肌が青白く変色したのだ。
まるで鬼の精神を現すかのように――。
「この力で出来始めた『すり抜け』や『浮遊』を人間界で使ったらおかしいし……。まだ中学生だから、理屈とか抜きに考えて、勉強とかしなくていいから楽かなって思うとさ」
「なっ……お、親とか友達とか……どうするつもりだ!?」
「あー、親かー。寂しいって感じるのは感じるけどさ。仕方ないじゃん。お前が俺と一緒にいる時点でいつかはこうやってみんなに迷惑かけるかもしれないし……それなら俺は覚悟を決める。そんだけさ」
郁人は笑顔で言い切った。
鬼の言いたい事も分かるけど、親なら子供の幸せを望んでくれるだろう。郁人はそういう内容のことを何かの本で読んだことがあった。あの世にいるけれど、自分自身はまだ死んだわけではない。今すぐというわけにはいかないだろうけれど、いつかは話せる日が来ることを信じることにしたのだ。
「なんでそんなに前向きになってんだよ! 今までのような絶望はいったいどこにいったんだ!」
「鬼が落ち込むからだろ? 俺が落ち込めば、鬼が元気になる。鬼が落ち込めば、俺が元気になった。残念な事にそういう表裏一体の関係になってたんじゃないか、俺たちって」
郁人がさっき気付いたのはこのことである。
だから、試しに困らせてみたのだ。
鬼が三人を助けるつもりがないということは最初から分かっていたから。
「さ、そろそろお前は消えろ。頼みじゃない、命令だ」
「ふ、ふふふ! 甘いな、郁人。今、俺を退けたところでまた蘇るからな」
「よくある展開だから知ってる。でもこのタイミングで勝つのは俺だって相場は決まってる。今まで一緒の身体で暮らしてきた鬼なら知ってるだろ?」
「そう、うまくやれるかな?」
「やってみるさ」
鬼の身体は砂のように崩れ去り、どこから吹いてきた風によって吹き飛ばされた。
郁人はその鬼の言葉を考えながら、どうしようかと考える。
手段はある。
方法も分かっている。
あとは三人がそれを承諾してくれるかということだけだった。




