郁人の変化③
ふと、メアリーが思い出したように、
「そういえばさ~、お兄ちゃんが聞いた声ってもう聞こえない?」
さっきの声について尋ねてきた。
ほんの一瞬の出来事と浮遊がちょっとでも成功した喜びで郁人は忘れていたのだが、その質問をされて再び思い出す。
「あー、聞こえないな。忘れてたぐらいだし……」
「ふ~ん」
「どうした?」
「いや、なんでもないよ~。なんとなく気になっただけだから、気にしないで」
「おう」
そう言いつつもメアリーはなぜか悩んでいるような感じだった。
「そんなに気にする事はないと思うぞ?」
「問題はないでしょう」
二人はあまり気にしないようにしているらしく、メアリーにもそう助言した。
メアリーは二人の方を見つめてから、「それもそっか」と呟き、考える事を止めるように首を左右に振って、考えを振り払う仕草を行う。
逆にそう言われると郁人のほうが気になってしまい、
「何が問題なんだ?」
三人に尋ねた。
メアリーが考えるのを止めたかと思えば、次は郁人が質問してきたため、呆れたような表情を浮かべながらも二人は答えてくれる。
「考えてみれば分かるじゃろ? 人間がそんな風に出来るとは思っていなかったのだからのう。それを出来るようにさせるために訓練させていたとはいえ、ワシらからすればいろいろと悩むことがあるのじゃ」
「あなたが人間を完全に止める覚悟がすでにあるのでしたら、問題はないのですけどね」
さらにメアリーの追撃。
「う~ん、下手したらボクらみたいに記憶がなくなる可能性もあるんだよね~」
「うっ、それは困るかも……」
郁人は少しだけその説明が本当の理由ではないような気がした。しかし、三人に言われたことの方が郁人にとって重要だった。
慌てて、自分の頭などを触ったりして、どこか変化が現れてないか確認してみたが、どこも変わっていなかったのでホッと息を吐く。
三人もその姿が面白かったようで笑っていると『すり抜け』の修行場に到着した。
やはり、ここでは何人かの妖怪が練習していた。
郁人が前に来た時に見た妖怪もまだいるようで、郁人はその光景を見て、少しだけ懐かしい気持ちになる。
しかし、郁人が来たことに気が付いた何人かの妖怪がいた。
見つけた途端、郁人を敵視しているような目で見始め、それが一気に伝染し、この場にいるほとんどの妖怪がそんな目で見始める。
「なぁ、これがあの噂のせいか?」
「そうですわ、残念な事に……」
「そっか。まぁ、よそ者だし、仕方ないよな」
口ではそう言ったものの、やはりちょっとだけ息苦しいものを郁人は感じた。
初めて来た時に見られていた稀有の目とは極端に違う負の目。
少しだけ場違いのような感じさえしてしまう。
そんな郁人をフォローするかのように、三人が一歩前に出る。
「お主はすり抜けるイメージだけしっかりすればよいわ」
「私たちに任せておけばよいのですわ」
「ボクたちの実力発揮する場面だね~」
「何をするつもりだよ?」
「良いから、お兄ちゃんは目の前の壁に集中して」
郁人は言われた通りに集中しようとしたが、三人の行動が気になってしまい、集中出来なかった。
つい三人を見てしまう。
見たところで何をしているのか分からない。
ただ、全員がこっちを向ける視線が一気になくなる。それどころか、敵視でもなく単なる興味で見ていた子供の中には泣き出す者さえも現れたほどだった。
そんな状態を見て、燐の肩を掴んだ。
「お前ら、何をしてんだよ!」
その手も片手で即座に払われる。
そして今までに聞いたことのないような冷たい声で、
「関係ないじゃろ、お主には?」
「これでいいのですわ。私たちの任務なのですから」
「大丈夫だよ、お兄ちゃんはボクたちが守るから」
三人ははっきりとそう言った。
このままでは絶対に止めないと分かった郁人は三人の前に立ち塞がる。
「うっ!?」
三人の目は変わっていた。
本能に従った目――そう表現するのが正解なのかもしれない。
燐とエイミーは獣のように瞳孔が縦になっており、メアリーは目がないと思えるほどの漆黒の闇と化していた。
そこで郁人は三人がこの場を圧倒する程の殺気を放っているということに気付く。
小十郎の殺気ほどではないが、それに近いぐらいの殺気を出していた。
その殺気はなぜか怖いと感じなかったが、物理的に掛かる圧力に身体が負け、郁人は膝をついてしまう。
三人は慌てて、元の状態へと戻り、郁人へ駆け寄った。
「いきなり前に立つからいけないんですわ!」
「そうじゃぞ!」
「もうちょっと自分のことを考えなよ」
「だからと言って、仲間である妖怪に殺気とか飛ばしていいのかよ?」
郁人は三人を順番に睨みつけながら尋ねた。
まさか郁人がそんなことを言い出すとは思っていなかったらしく、困惑した表情を浮かべる。
いきなり揉め始めたことに周りの妖怪たちの視線が再び集まり始めたことに郁人は気付いたが、構わず続けた。
「俺は別にいいよ。みんなからしたら余所者だし、あんな事件が起きてる最中だから疑われて当たり前だ。それに、元の世界でもそうだったしな」
人間界でもビビりだったから、少しだけイジメにも似たからかいをされたことがある。今、考えるともうイジメだったのかもしれない。ただあの時は独りだったため、辛い思いもした。
しかし、今は燐、エイミー、メアリーの三人がいてくれる。いつまでも自分の味方でいてくれると分かっているだけで、郁人は十分だった。
そんな三人が自分を庇うことで、この世界の妖怪たちから反感を買う未来を考えると、今よりも心が痛む。そんなことはないかもしれないけれど、絶対とは言い切れない。
だからこそ、郁人は真剣に三人を怒った。
三人はそれでも郁人を庇おうと説明し始める。
「ボクたちにはお兄ちゃんがいればそれでいいんだよ?」
「そもそも、これが任務なわけですから、邪魔しないでもらいですわ」
「お主は自分の身のことだけ考えておけばよいのじゃ!!」
大切に思われていることは分かったが、自分の気持ちを分かってくれそうにもない三人に対して、郁人は頭の中で何かが切れる音を感じた。
そして今まで出したことのない――さっきの三人よりも低い声で、
「お前ら、黙れよ。俺の言う事を聞け」
三人に向かって、そう命令した。
逆らうことは許さないという意思を込めて――。
「なっ!?」
「うっ!?」
「あぅ!?」
その言葉を受け、三人は口を閉じる。
驚きと恐ろしさを隠しきれない様子で、身体を少し震わせ、歯をカチカチと鳴らしていた。
そこで郁人は一気に冷静になる。
周りの視線と三人の様子を見て、この場所から逃げ出したい気持ちになった郁人は、
「悪い、今日はやる気がしなくなったから帰る」
そう言い残し、この場から逃げることを決めた。
このまま居ても訓練など出来そうにもなく、周りの視線が痛いせいで集中しにくいと思ったからだ。
三人はしばらくしてから郁人に追いつくが、一言も喋る気はないはなく、ずっと無言だった。反省しているから、話しかけることが出来ないのだろうと、郁人は思っていた。
しかし、三人は怒られて無口になったわけではない。
郁人本人が気付いていないが、あの発言の瞬間に殺気が飛んできたため、恐怖を感じてしまったのである。
まるで小十郎に強制的に黙らされたような感覚。
それを完全な妖怪になっていない郁人にそんな真似が出来ると思っていなかった三人は困惑していたに過ぎない。




