夢①
その日の夜、郁人は悪夢を見て、目を覚ました。
体中から汗が噴き出している。
死ぬ夢を見てしまったのだから、汗が噴き出してもおかしくなかったが、あまりにもリアルすぎて、本当に死んでしまったのかと錯覚してしまったほどだった。
頭の中で死ぬシーンだけが未だにリピートしている。
「はぁ、最悪な気分だな」
怖さのせいで寝付けなくなってしまった郁人はその夢について考え込んでしまった。
その夢は郁人が誰かの意識に入り込み、それを体験しているような感覚の夢。
身体の自由は完全に利かない状態でなく、ある程度の自由が利いた。しかし決まった出来事に関しては完全に制限され、シナリオ通りに進まされてしまう。
そんな不思議な夢の中だった。
郁人はその夢を頭の中で完全に再現することにした。
そっちの方がこんな夢を見た原因が分かる気がしたからである。
場面は平安時代ぐらい。
脳が勝手にそう決め付けていた。
それは服装のせいだと思う。着ていた服装が教科書で見た事のある平安時代の服装に似ていたからだ。
どこかの屋敷で、満開に咲いた桜の樹の下で幼馴染を待っている場面から夢は始まった。
「あいつ遅いな」
「忠道様、お待たせいたしましたー!」
郁人はその声に反応して、声のした方向を見ると、やはり教科書で見た事のあるような和服を着た女の子が走って来ていた。
年齢は二十歳にもなっていない女の子。
その子は郁人に会うことが待ちきれてない様子で手を振ってくる。
しかし、その女の子は途中で頭から盛大にこけてしまう。
「まったく何をしているんだか」
郁人はその子の元へと近づきながら、呆れた様子でため息を吐いた。
「も、申し訳ありません」
「気にするな。お主のドジっぷりには慣れておる」
郁人が手を差し出すと、その子は郁人の手を掴み、立ち上がる。
同時にこけてしまった原因も分かった。
草履の鼻緒が切れてしまっていたからだ。
郁人は懐から手ぬぐいを取り出すと、噛み切り、鼻緒を作って直す。
夢の中ではあるけれど、その手際の良さに郁人自身でも驚いてしまった。
その子は謝りつつも、どこか嬉しそうな表情で郁人を見つめている。
「いったいどうしたのじゃ?」
「いえ、桜花は嬉しゅうございます。こうやって忠道様と一緒に居られることが……」
「また、そのようなことを言っておるのか。もう聞き飽きたぞ?」
「良いじゃございませんか。それだけ嬉しいってことなのですから!」
ニヘラと笑い、郁人に桜花は抱きつく。
このことから二人が付き合っていることが分かった。
現実で人間と付き合った経験もなく、現在では妖怪と一緒に居るため、恋愛経験は一生出来ないことを思うと少しだけ郁人は寂しい気持ちになってしまう。
「忠道様はいつも良い匂いですね」
「それはお主もじゃな。名前の通り、桜のような匂いがするぞ」
「そこに桜の樹があるからでしょう」
甘酸っぱい過ぎるこの会話に郁人は身が捩れってしまうほど、くすぐたかった。何が悲しくて、こんな一回も言った事のない言葉を言わなければならないか分からない。
そう思っているといきなり場面が変わる。
夢だからこそ、いきなり場面が変わるのは当たり前のことだ。
次に変わった場面もまた同じ桜の樹の下。
さっきと同じように桜花と二人で会話をしていたが、さっきとは違い、桜花は袖で流れる涙を何度も拭いてた。
「なぜなのですか。なぜ、私は忠道様のことを諦めないといけないのですか!?」
「仕方なかろう。親が決めたことなのだから」
「私は嫌なのです! 忠道様良いのです!」
「そんなことは知っておる!」
吐き出す言葉は苦痛に溢れていた。
その理由を脳が勝手にでっちあげてくれたため、郁人は理解する事に苦労せずに済んだ。
両方の親の仲が悪く、桜花の結婚相手を勝手に決めたらしい。その家が遠く、数日の内にそちらへ向かってしまう。
もしかしたら、これが最期かもしれない。
だからこそ、桜花は必死に訴えかけているのだ。
駆け落ちをしよう――と。
「説得しようにも親は話を聞かぬのじゃからな」
「忠道様はそれが最善の手だと思っていらっしゃるのですか?」
「……あぁ。今の俺には力がないから、桜花を幸せにしてやる事が出来ぬ」
桜花の言葉の意味も知りつつ、はぐらかすことしか出来ない。
自分の力の無さを痛感しているからこそ、こういう発言しか出来なかった。
なんて情けないのだろう。
その悔しさに心が負けしまいそうだったが、自分の気持ちを押し殺し、郁人は桜花を突き放した。
本当は郁人が一番、桜花を求めていながらも……。
「本当の幸せは私を守れるほどの力なのですか? 私は気持ちだけで良いのです!」
「すまぬ」
そう言って、桜花を見捨てるように郁人は背中を向けて歩き出す。
泣き崩れる桜花をそのままにして。
こんなことは嫌だった。
郁人自身はなんとかしたいと思っていても身体の自由は全く利かず、そのままどこかへ歩いて行く。
そこでまた場面が変わり、またこの桜の樹の下で桜花と二人で一緒に居た。
前の場面の時よりも桜花は真剣な顔つきをしている。まるで何かを決意しているらしいことだけは郁人にも分かった。
「今日はお願いがあって呼びました。忠道様、桜花と一緒に死んでください」
桜花の一言が郁人の心を突き刺す。
泣きもせず、ひたすら真っ直ぐな目で郁人にそう言った。
でも、一番驚いたのはその言葉に無言で頷く自分だった。
場面の変わる日の出来事から、何日の月日が経ったのか分からないが、ここまで自然と頷けるような頼みではない。まるで、そのことが分かっていたかのような頷き方だった。
「その覚悟は出来ているのか?」
「いつでも出来ていますわ」
「そうか」
郁人は懐から小刀を静かに取り出す。
準備の良さから、相手が望まなくても殺すつもりだったのかもしれないと思ってしまう。
いや、違う。桜花がそう望むと分かっていたからこその準備がしていたのだろう。そう言われるような気がしたから。
でも、郁人はそんなことは望んでいない。
そんなことをしてしまえば、絶対に後悔する事が目に見えて分かっているからだ。
でも身体は郁人の抵抗に関係なく、勝手に動く。
小刀の鞘を抜き投げ、桜花に近づいた。
桜の樹の下で、二人は涙を流しながら、口付けを交わす。同時に手に伝わる肉を突き刺す柔らかいような感触。しばらくしてから、口にも広がる鉄の味。それを啜るようにして飲みながら、郁人は桜花を差した小刀を抜き、次は自分の首を切り裂いた。
そして、郁人はまた目を覚ます。
どうやらまた眠っていたようだった。
「またかよ」
思い返していたことは覚えていたが、また夢として見ることになるとは思ってもいなかったため、さっきよりも恐怖が増しているような気がした。
しかも、一回目の内容と寸分の狂いもない同じ内容の夢を――。
「さっきからどうしたのじゃ?」
郁人の様子が変な事に気付いたらしく、右側で寝ていた燐が身体を起こす。
昼間、あんな風に怒ってしまったが怒りは簡単に冷めたため、いつものように三人で寝ていた。
そもそも、なんで自分があそこまでキレてしまったのか、郁人自身にも分からない。
だから冷めるのも時間がかからなかった。
「悪夢を見ただけだよ」
「あー、なるほどな。お主のことじゃから、どうせ怖い夢を見てしまったのじゃろう?」
燐は自分の尻尾を一本掴み、それで郁人の汗を拭いてくれた。
「なぜ尻尾?」
「なんとなくじゃ。気にするでない」
そう言って、燐は自分の胸に郁人の顔を押し付けるように抱きしめる。
いつもとは全くの逆である。
しかも背中を撫でてくれるというおまけ付きだ。
「ん、どうして?」
「お主は安心して寝ればよいのじゃ。分かったか?」
「分かったよ」
「それで良いのじゃ」
「ありがとうな」
口調からして、拒否権はない感じだったため、郁人は素直に燐の優しさに甘えることにした。
昼間の事に関して、謝らなければならないといけないと思っていたが、燐の良い匂いと温かさで心が安心してしまい、郁人はあっさりと眠りの中に落ちてしまう。
そして今度はさっきの夢を見ることなく、郁人は朝まで熟睡したのだった。




