その日の夜
夜――。
郁人はベッドに寝転がりながら、ため息を漏らす。
妖怪になりたくなかったが、三人は小十郎の言い付け通り、必死に教えてくれたのに全然進歩というものを得られなかった。そのため情けなくなってしまったからである。
人間だから無理なのは当たり前なのかもしれない。
それでも、ここまで一生懸命教えてくれた三人を見ていると、郁人もその期待に応えたくなってしまっていた。
最初は逃げ出したかったのに、たった一日でここまで変わるとは自分でも思っていなかった郁人は苦笑いを溢す。
「なんでだろうな」
小さく呟き、郁人は右側へ軽く寝返りを打つ。
隣には気持ちよさそうに寝ている燐の姿がある。
郁人は寝返りを打つと右側に向く癖があるため、その位置が一等地として扱われ、そこを巡り、ついさっきまで三人は争っていた。話し合いではラチがあかないため、ジャンケンで決める事となり、一番に勝った燐がこの位置をゲットしたのだ。
背中にはエイミー、燐の後ろにメアリーとなっている。
「まさかな――」
「妖怪に心を開くと思ってなかった、かのう?」
その声に郁人はドキッとした。
少しだけ寝惚けたような目で燐は郁人を見つめる。
「すまぬすまぬ。思わず反応してしまったわ」
「起こしたか、悪い」
「別に構わぬよ。もしお主が償いをしたいのならば、頭を撫でてくれればよい」
燐は冗談交じりでそう言った。
その言い方は冗談でも、してもらいたいことを言う時点でそれを強要されているような気分になり、仕方ないという感じで郁人は燐の頭を撫でる。
それだけで燐は嬉しそうに目を細めた。
大満足の様子だ。
「お主にこうされると落ち着く。なんでじゃろうな?」
「それは俺にも分からないな」
「それもそうじゃな」
くくくっと、燐は笑う。
「今日の事は別に気にしなくも良いぞ。ワシらも最初から上手くいくなんて思っておらんしのう」
「だからと言って人を壁にワザとぶつけて強制的に能力を得ようとしたり、崖から突き落とそうなんてことを考えるなよ」
撫でていた手で燐の頭を郁人は叩いた。
もちろん完全に手加減している。
そのため、燐もまったく痛そうな表情は浮かべておらず、逆に郁人の胸に顔を埋め始める。
全然反省してない様子だった。
「なんでそうやって抱きついてくるんだ?」
「お主の匂いが好きだからじゃ」
「はいはい」
燐は思いっきり、息を吸っては吐くを繰り返した。
胸が熱くなり、文句を言ってやろうかと郁人が思っていると、急に静まる。同時に燐はさっきと同じように気持ちよさそうに規則正しい寝息を立てていた。
「おーい、寝たのか?」
燐の反応はなく、規則正しい寝息が聞こえるだけだった。
郁人は燐の頭を撫でるのを止め、自分も目を閉じる。
一人っ子の郁人は他人の頭を撫でるという機会が全くなかったため、誰かの頭を撫でるという行為自体が初めてに近い。それなのになぜか昔にこうやって誰かの頭を撫でていたような懐かしい記憶を思い出した。
同時に既視感という言葉を思い出す。
これがその現象かと考えつつ、郁人は眠りについたはずだった。
意識が急に覚醒し、肌に当たる風を感じて、目を開ける。
目には無数に並ぶ円柱が見えたため、屋上の床に座っているという認識を脳が勝手にしてしまう。
そして隣には誰かがいる気配を感じ、隣に顔を向けると小十郎が座っていた。
「よっ!」
「あれ? 俺って寝てたはずじゃ……?」
「ああ、肉体は寝てるな。今のお前は霊体。いや、あいつらの説明を使うならば精神体とでも言おうか」
「もったいぶらずに魂だけって言った方がいいでしょ」
「確かにな」
小十郎の遠まわしな言い方に郁人は突っ込まずには入られなかった。
しかし、魂だけの状態になっても大丈夫なのか、と不安にな思ってしまい、郁人はそわそわしていると、
「安心しろ。俺がお前の魂だけを起こしたんだからな」
小十郎がそう言ってくれたため、郁人は少しだけホッとした。
「でもなんで魂だけ?」
「今のお前なら自由に壁をすり抜けたり出来るから見て来い」
郁人はそう言われ、床に勢いよく顔を突き刺すと四階の天井から見下ろす形になった。
修行場ではこれが全く出来なかったのに、今ではこれがいとも簡単に出来るということに郁人は不思議な気分だった。
そんなことを考えながら、下の様子を確認した郁人は壁から顔を抜き、元の座っていた体勢に戻る。
「理由が分かったろ?」
「確かにあれでは起こすのは無理だね」
燐が抱きついて寝てから、どのくらいの時間が経ったのか、郁人にも分からなかったが、燐に加えてエイミーまでも郁人に抱きついていた。一人でも起こす事は無理なのに、二人だとどちらかにバレてしまう。
だから、小十郎は郁人の魂だけを起こすという手段しか取れなかったのだ。
「どんな気分だ? 壁をすり抜けるって」
「んー、不思議な感じかな。っていうか、昼間のこと知ってるみたいだね」
「当たり前だ。郁人の初訓練を見ないわけがないだろ」
「やっぱり気になるのか」
「まぁな。そんなに気になるのか? 魂だけでいろいろ出来るという状態が……」
郁人が床の感触を確かめるように何度も床を撫でていたことに気付いた小十郎は苦笑していた。
「なんで魂だけでこんなにも出来るんだって。修行の時は本当に何も出来なかったのにさ」
「思い込み方の違いだろ。人間が幽体離脱した時は『上から自分を見下ろしていた』とか『空を飛んでみた』とか言うのが原因だな。無意識のうちに魂っていうものは制限がないと思っているせいかもしれん」
「つまり肉体に入ってると、その制限を自分で勝手に決めてしまうのか」
「正解」
小十郎は拍手し、郁人が理解した事が嬉しそうだった。
「っていうか、なんで俺を起こしたのさ。何か用事?」
郁人はそのことを疑問に思っていた。
小十郎だって夜ぐらいはゆっくりしたいはずなのに、なぜ自分をわざわざ起こしたのかが分からない。
「あの三人が不甲斐ないから説明をしに来た」
「嘘っぽい」
「嘘だからな」
「嘘つくなよ」
「悪い悪い」
小十郎は楽しそうに話していた。
まるで昔から付き合いがあったような感覚が郁人にはあった。
もちろん、閻魔とかいう苗字の人物に会ったこともなければ、聞いた事もないのに不思議だった。
「なぁ、郁人。お前はなんでここに連れて来られたと思う?」
「ビビりだから、妖怪にしやすかったとか?」
「多少根暗でもあったから、最適な逸材ではあるな」
「否定して欲しかったんだけど……」
「言い出したのはお前だろ?」
「確かにそうだけどさ」
郁人はちょっとへこんだ。
いくら自覚を持っていたとしても、やっぱり他人に言われると傷つく。
そんなことで実験体第一号として選ばれるのも嫌だった。
小十郎はそんな郁人の考えが分かったらしく、励ますように郁人の肩をポンポンと二回叩く。
そして真面目な顔でこう言った。
「お前、あのまま人間界に居たら死んでたんだぜ? その命を救ったんだよ」
「え? それっていったいどういう意味?」
「おっと、悪い、もう時間だ、じゃあな。ちなみにこのことは忘れさせといてやるよ」
小十郎は郁人にそう言うと、郁人の額に思いっきりでこピンをした。
魂だから痛みは感じないと思っていた郁人は思っていた。
しかし、現実は痛みこそはなかったものの、かなりの衝撃が頭に走り、脳震盪を起こしてしまったかのように目の前がおかしくなる。
小十郎は浮かぶと笑顔で手を振りつつ、移動。
郁人はその姿を見送りつつ、気絶する感覚と同じように暗闇に意識が吸い込まれていった。




