ワサビ異聞
さあ、今日も始まる漫才のお時間。ドリとボタンのお二人です。お題は『ワサビ異聞』。ワサビってあのワサビ? えー、それは食材にはなってもお話になるんでしょうか。若干の不安をかかえつつ、幕を開けるとしましょうか。では、お二人の登場ですー!
1.起
ちゃかちゃんちゃんすっちゃんちゃーん。拍子木の音と共に登場するドリとボタンの二人。
「お久しぶりでございます」
「ええ、ほんまや。もう”どさまわり”やったわあ」
「”どさまわり”の”どさ”って何のことか、ご存知ですかー? 皆さん」
「え? ”どさ”かいな? ……ひっくり返して、佐渡、なんちってね」
「……どうしたんですか。すごいじゃないですか。あってます」
「え、ほんま? いやー、ラッキーパンチってほんまにあるもんやねえ」
「江戸時代、賭博で捕まると佐渡島に島流しにあったそうです。で、一度島流しにあうとなかなか帰ってこられない。僕らの地方活動もなかなか帰ってこられない。で、そこから”どさまわり”という言葉が生まれたとか」
「うわー、わてら、罪人扱いされとったんやねえ」
「そういえば、ボタンさんのふりも凶悪なものが――」
「なんや、なんか言うたんか?」
「――い、いえ、なにも言ってません。さあ、本日の話題にいってみよう!」
「ドリフの長さんかいな。ま、ええけど。で、今日の話題はなんやの?」
「ワサビです」
「は? 侘び寂びのことかいな?」
「いえいえ、食べるワサビ。漢字で書けば山葵」
「漢字で書けばってお客さんには見えへんやないの。誰に向かって話しとん?」
「ツーンと鼻にくる、あのワサビです」
「ああ、ええねえ。やっぱあの辛いのがあってこそやねん。お寿司、刺身、蕎麦、やっぱり和食にはつきもんやー」
「わさびのソフトクリームは強烈な味でした」
「そ……ソフトクリームかいな。またなんちゅうもんを……」
「いえ、おいしいですよ。甘さが辛味を強烈に引き立てて、うう、思い出したら、食べたくなってきた」
「こういう奴やねんから。で、そのワサビを今日はどう料理すんねん?」
「ワサビってどうやって広がっていったのか、というお話です」
2.承
「そりゃ、栽培やろ?」
「あ、あ、あ……当たり前でしょう。栽培じゃなかったら、自然に育ってるものだけで、こんなに食べられるわけないでしょう!」
「そないに怒らんでもええやん。どりは物知りやさかい、なんでも知ってるもんなあ。で、ワサビはどうやって広がったん?」
「なんか、馬鹿にされてるような気もしますけどね、話が進まないから、無理やり進めますよ。飛鳥時代とか奈良時代なんかにもワサビという言葉は出てくるんだそうです。もちろん、その頃は栽培なんてなくて、自然のものを採っていたんでしょうけど。
で、栽培の記録があるのが、江戸時代。今の静岡市葵区有東木地区の村人たちが、栽培を始めたといわれているんです」
「へえー、そんな頃に」
「そのワサビが駿府城にいた徳川家康に献じられ、その味が絶賛されたそうです。ワサビの葉が徳川家の家紋の「葵」に通じることから幕府の庇護を受けることとなったと。その代わりに、有東木地区の外には出せない、門外不出の品になったそうです」
「ふうん、独占技術による独占販売っちゅうとこやね」
「したがって、この地区は大金持ちってことはないでしょうけど、それなりに食うには困らなかった村ということですね」
「しかし、おかしいやろ。そのまま門外不出ということやったら、今みたいにあちこちにワサビ畑がある状態にはならへんのやないか」
「ええ、それがこれからのお話になるわけです。延享元年といいますから、1744年のこと。天城は湯ヶ島の山守をしていた板垣勘四郎という人が、この有東木の村を訪問します。この人はシイタケ栽培の技術指導にやってきたという話です」
「おお、当時もいろいろと技術協力とかあったんやねえ」
「三島代官の命令といいますから、まあ民間交流というよりは、官の命令みたいなものですけどね。で、この板垣さん、村に半年ほど滞在してシイタケ栽培の指導をしている間に、当然ワサビ畑を目にするわけです」
「なるほどや、これがこの地区を富ませている門外不出の品であるんやなと思うわなあ」
「となれば、当然ワサビの栽培を天城でもやりたいと思うわけです。それすれば古里も富むことができると。でも、持ち出せない。なんてったって、家康公の”門外不出”が効いてるわけです」
「おお、憎っくきは豊臣公の仇。家康やねえ!」
「いえ、ここで関が原の敵を討とうなんて思わないでください」
「で、どないなったんねん。諦めてトボトボ帰っていったなんてことにはならんやろなあ」
「それでは話にならないでしょう。有東木地区の村人たちも板垣勘四郎には痛く同情してました。なにせ、彼はシイタケ栽培の指導に来てくれたわけですし、何かお返しをという気持ちも当然あるわけです。ワサビで食っていけるというのもわかってますし。でも、壁になるのが、”門外不出”。で、どうしたかというと、帰るときにお弁当を持たせた」
「はあ? 弁当? よっぽどお腹が空いとったん?」
「まあまあ、で板垣さんたち御一行が村を出て、お弁当を開けた。その中にはなんと、立派なワサビがいっぱい詰まっていたという!」
「ああ、これで天城が栄えると。ええ話やなあ。これが日本人のええところや! うう、泣けてくるわあ」
「でも、門外不出」
「そや、そんなことしてバレたら打ち首やないの」
「バレたんです」
「ひえええええ! 打ち首やあ。お代官様、命ばかりはお助けをー!」
「落ち着いてくださいよ。ここからが本番みたいなもんです」
3.転
「寛延三年といいますから、1750年。江戸の将軍は徳川吉宗から家重に変わっています」
「ワサビを持ち帰ってから五年後やね」
「はい。駿府町、つまり静岡市にあった奉行所の白洲、要は警察兼裁判所です。ここに呼び出されたのが、板垣他天城の関係者と、有東木地区の関係者。取調べをしたのが、大岡忠光といわれてます」
「大岡忠光……?」
「将軍家重の側用人でして、俗に言う大岡越前、大岡忠相の親戚筋。ほぼ同時代で二人は会ったこともあるようです」
「ほお、そんな偉い人がわざわざと静岡まできて……」
「はい。この裁判のためにです。そして取調べをおこなったと。当時のことなので、物的証拠というよりも自白強要みたいなもんですけどね。で、証言の結果、渡したのはお弁当であると。蓋を開けたら、ワサビだったという話なわけです」
「うん。そうやったねえ」
「で、判決。渡したのがお弁当なら、ワサビを食うバカはいないと。ご飯を入れたお弁当がワサビに化けたというのなら、それは神意である。よって関係者は無罪。おかまいなし。ワサビ作りに精を出せよ。以上」
「はあ……?」
「いい話でしょう?」
「あ、え、ああ、ええ話やねえ。特に”おかまいなし”。無罪放免やもんねえ。ちょっと違和感あるけど、うん、やっぱりええ話やあ」
「どういう違和感です?」
「なんやなあ、その理屈。普通で考えれば、こっそりとお弁当にワサビを入れたのは明々白々やねん。子供でもわかるわ。それをワサビを食うバカはいないだとか、神様の仕業だとかを持ち出すなんちゅうのは……」
「しかもそれを言うのが、幕府の重要人物、当時は御側御用取次側衆の大岡忠光ですからね」
ドリの態度にボタンの目が光る。
「ドリ、てめえっ!」
ボタンがいきなり襲い掛かった。
「う、ぐ、な、に、すんですか!」
「なんか知っとんのやろ、はよ吐け! じらすんじゃねえ!」
4.結
「わ、わかりましたから、手を緩めてください。あー、もう、こっから僕の勝手な想像ですからね。他言無用ですよ。いいですか」
他言無用の言葉に客席からは笑い。
「大岡忠光はさっきも言ったとおり、幕府の重要人物です。将軍の側用人ですよ。しかもその将軍家重は障害で言葉が不明瞭だったそうです。その不明瞭な言葉を聞き取れたのが、大岡忠光だけだったという。つまり、大岡忠光は将軍に匹敵するぐらいの権力者ということです。その彼が、わざわざこの裁判のために駿府までやってきてるんです。新幹線もないこの時代にですよ。どう思います?」
「幕府はこの裁判を極めて重視していたこと。そしてこの判決も重要視していた……?」
「そのとおりです。そして、その判決を最重要人物が行っているということは、いわば最高裁判所の裁判長がわざわざ出かけてきて、判決していったというようなものです」
「つまり、それだけの手間をかけて、これが最終判決、不服は許さぬぞと……」
ドリは大きくうなずいた。
「しかし、誰やねん。不服を言うやつは?」
「有東木のワサビは独占販売なんですよ。そこには利益も独占しようと群がる連中がいるはずです」
「あ……。そいつらには天城のワサビは邪魔になるんや」
「そうです。天城のワサビが市場に出る前につぶせるものならつぶしたい。それが”門外不出”を訴えでた理由じゃないでしょうか」
「うーん、なるほどなあ。じゃあ、今度は天城のワサビで利益を得ようとする連中がいて、そいつらが訴えをつぶしにかかったと」
「個人的な趣味で大岡忠光が駿府へ来たと思いますか?」
ボタンが大きく首を振る。
「大岡忠光の背後にはそういう連中がいたというわけやね?」
「もしかすると、その一派だったのかもしれません。とにかく、幕府上層部の意向は天城のワサビ栽培に賛成だったのです。もしかするとそれで利益を得ようというたくらみかもしれません。政治的な対立があったのかもしれません。とにかく、大岡忠光にこの判決をさせることで有無を言わせなくしたことは確かです」
「なるほどなあ……」
「日本人は美談となると思考停止になるような感じがありますけどね。裏を考えていくと、いろいろおもしろいなあと」
「わかるけど、あんた、いやな性格やなあ。もうちょっと素直に楽しんだらどうやねん?」
「深読みは性格です。仕方ないでしょう」
「で、これでワサビは天城で堂々と栽培されるようになったんや」
ドリは首を横に振った。
「とんでもない。板垣勘四郎にはまだまだ苦難が待ち受けてたんです」
「ほう、それはなんやねん?」
「天城でワサビがなかなか栽培できなかったんです」
「はあ? あんなに苦労して持ち帰って、白洲にまで出て、おとがめなしもらって、それで栽培できへんちゅうの?」
「やっぱり有東木と天城では土地が違うのか、水が違うのか、とにかく栽培にはひどく苦労するんです。沢を見回っている最中に山犬に襲われて大怪我をしたりしてるんですよ。当時の60歳なんてもう大変な老人です。そんなときの話です」
「うわあ。もう執念やねえ」
「本人の身になってみれば、幕府のお墨付きをもらった以上は何が何でも栽培に成功しなければならないみたいな気持ちはあっただろうと思いますね。実際にプレッシャーがあったのかも知れませんが」
「でも最終的には成功するんやろ?」
「偶然みたいですけどね。作っていたワサビ畑が大洪水ですっかり荒れてしまうんです。それでも復興に取り掛かった彼は、しばらくして流されたワサビが大きく育っていることに気づきます。ワサビの根が石に挟まっていて、ただ冷たい清流が流れているだけなのに。そこから、その育て方でワサビが大きく育つノウハウを得たといわれています」
「うーん、転んでもただではおきないみたいな話やねえ」
「でも、そういう先人の苦労があっての今なんですから、感謝はしないといけませんよね。ちなみに湯ヶ島村は明治7年(1874)まで板垣家へ年金を贈っていたそうです。感謝の表れですよね」
「結局、ええ話でまとめたねえ。ま、これでお話も終わりみたいやから、後で飯でも食おか」
「ええですねえ。たまにはお寿司でもおごってくださいよ」
「思いっきりワサビ入れてもらったやつな。ワサビソフトが食える奴がなに言うか見たいねん」
「えー、勘弁してくださいよお」
おあとがよろしいようで。
では。ちゃんちゃんすちゃらかちゃん。
ちなみにもっと詳しくいきさつを知りたい人は、
http://mhorie.chicappa.jp/rekishibunka/ijin/itagaki.htm
http://www.utougi.com/wasabi/index.htm
とかを読んでくださいませ。私よりもよほどしっかりとお話しておりませう。では。