髷異聞
あえてるび振らず。本編をお読みください。本編ではできるだけルビを入れました。専門用語ですからね-。
さあ、今日も始まる漫才のお時間。ドリとボタンのお二人です。お題は『髷異聞』。え? 髷? ”まげ”です。
チョンマゲ、丁髷のまげ。これで一体どういうお話しになるんでしょうか。期待チョッピリ、不安たっぷりで、さあ、登場です。皆さん、拍手でお迎え下さい。では――
1.起
ちゃかちゃんちゃんすっちゃんちゃーん。拍子木の音と共に登場する二人。
「っていきなり、何かぶってるんですかー!?」
「知らんの? これ。花嫁さんが着けてるやつやん」
「そ、そりゃ角隠しは知ってますよ」
「いや、本日の話題は違うねん。角隠しの下、これや、これ」
「って確かそれは、文金高島田、ですよね。これですだれ持って踊るとか」
「あ、さてさて、さては文金高島田♪。ってそれは南京玉簾やちゅーの!」
「えー、一人ボケとツッコミが入ったところで、閑話休題。でなぜに文金高島田?」
「髷や、髷」
「……髷っすか」
「なんや、自信なさそうな声やなあ。髷について知ってることを百字以内で述べてみい」
「いきなり試験ですか! っていいですけど、えっと、日本髪。お正月なんかに女性の人が結ってますよね。セーター着てる状態で結うと脱げなくなって悲劇になるという」
「変なこと知ってるんやなあ。ま、そりゃそうやけど。髷を結う、つまり日本髪を結うとどうや、わてかて女性らしいやろ?」
「って、変な科を作んないでくださいよー」
「大和撫子らしいゆうてほしいなあ」
「最近のナデシコはめちゃくちゃ活動的です。妙に媚びたりしてません」
「金メダル目指して頑張って欲しいけどな。それはそっち追いといて、で髷」
「はいはい。もう一つ思い出しましたよ。丁髷。江戸時代の男性の典型的なヘアスタイル」
「そや。つまり今日のお題は”日本人のヘアスタイル”ちゅうこっちゃ」
「長い前振りでしたねー」
「とにかく、このカツラ、重くて大変やからひとまず取るわ。手伝ってや」
2.承
「ふうー、軽うなった。まー、こんなのを毎日頭に乗っけてたってのは拷問にあってるようなもんやなあ」
「まだ楽ですよ。本来なら自前の髪を結ってたんでしょう? その手間を考えたら毎日大変な作業をやってたんですよね」
「そやな、女性の美を求める心はそんな苦労もいとわんかったんやろなあ」
「それは今も変わらないような気がしますけど……」
「で、ヘアスタイル論や。述べてみい」
「なんか、今日はえらく高飛車ですよ。もう……文明開化以降はザンギリ頭ってやつでしょ。その前の江戸はさっきの丁髷」
「男は丁髷、女は日本髪や、とあっさり言うんやけど、その中にいろいろあるのは知ってる?」
「え、そんな種類があるんですか?」
「まず男性から言ってみよか。丁髷とは言うけど、実は違うそうな。髪の毛が少なくなってきて少ししか髷が作れないようなものを丁髷と言ったんや。普通時代劇なんかに出てくる立派なのが銀杏髷。お相撲さんが結ってるのがこれや。普段はお相撲さんも丁髷で取組があるときなんかに大銀杏を結って出てくんやな」
「確かに大銀杏って言いますよね。でも、時代劇なんかはおでこがめちゃ広いですよ」
「あれは月代ちゅうて剃るんや。昔、武士が兜をつけていると暑くてしょうがないんで剃ったっちゅう話しや」
「へえー、で他にも種類があるんですか」
「茶筅髷。これは江戸初期ぐらいまでらしいけど、お茶の道具の茶筅に毛先が似てるっちゅうこと。傾き者ちゅうて異様なファッションをしてた連中なんかがやってたそうな。信長さんの絵もそうなってるらしいよ。他には本多髷。吉原でよーもてた髷なんやて。また調べると本多髷の中にも何種類もあったらしい」
「髷でもてるもてないがあったんですか。ヘアスタイルは大事ですね。じゃあ女性編いってみましょうか」
「これがまた大変なんや。女性の髪型、何種類ぐらいあったと思う?」
「男性編で五種類ぐらいですか。女性はもっと多いでしょうから十倍で五十種類とか。まさかね」
「一説では三百とも」
「ふええ!? 三百種類?」
「さっきの文金高島田。あれの元になったんが、島田髷。一般的な髷なんやけど、派生品だけでも(あんちょこを取り出して)高島田、娘島田、奴島田、つぶし島田、投げ島田、芸者島田、京風島田、銀杏崩し、水車髷、おしどりなど」
「ひえええ。で、さらに島田髷以外にもあると?」
「立兵庫、元禄島田、元禄勝山、灯籠鬢、結綿、桃割れ、丸髷、先笄などなど」
「も、もういいです。訳が分かりません」
「もう少し解説しとくと、髷とは言とったけど、日本髪は4つのパートに別れてて、前髪、鬢、髷、髱。前髪はおでこの上の部分。鬢は左右の出っ張り。耳を隠すように見えるはずや。髷はてっぺんで髪を束ねてる部分。髱は後頭部の部分。ちなみにわてらの関西では”つと”とも言うねん」
「それらの組み合わせとか多少の変化で大量のバージョンが存在したと」
「そうやねん。しかもなあ、もっと恐ろしい話があんねん」
「ひええ、な、なんか怪談っぽくなってきましたよ」
3.転
「一目見ればわかるねん」
「何がですか?」
「その女性がどの階級に属してるか。御殿風、武家風、町方風があって、娘か人妻か芸者か、人妻でも新婚か懐妊してるか、中年か、後家か全部髪型でわかったちゅうねん」
「階級、年齢、既婚未婚から年齢、旦那がいるかどうかまでがわかる? 身分証明の髪型ですよ。プライバシーもへったくれもないですね」
「そういう時代やねん。明示することが当然やったんやなあ」
「しかしそれは結う人も大変だったでしょうね。それだけ覚えなきゃいけないし、相手の素性も知っておかないといけないしで」
「当然やったんやから、遠慮も無しで聞いたやろうし、聞かれた方も当たり前や思うとるやから変にも思わんやろ。ちなみにオペラの『蝶々夫人』って知っとん?」
「日本が舞台のオペラですよね」
「幕末の長崎やねんけどな。このオペラを当時の風俗に忠実に従って演じようとすると、主人公は最初芸者やったんが途中で結婚するんや。そやから最初は未婚の島田髷。結婚してからは丸髷という二つのカツラを用意することになるんやと」
「ひやあ。江戸時代は鎖国で国内の文化が熟成したとは聞いていましたが、髪型だけでもこれだけ発展してたとは」
「お疲れさんちゅう感じやな」
「時代考証を忠実にやろうとすると、面倒な話になるんですね」
「好きこそものの哀れなりけりちゅうやろ」
「何か違う気もしますけど」
「で、その前に行くとどうなるか知っとるん?」
「江戸、室町、鎌倉。平安になると……垂髪?」
「なんにも結わない。ただたっぷりと長い黒髪が美人の証拠という、ある意味単純な世界。髷という視点からは暗黒時代」
「そこまで言いますか。でその前はどうだったんですか」
「奈良時代なんかは中国の影響からいろいろ結ったり、古墳時代なんかの埴輪なんかには”みづら”ちゅう髪の毛を左右に結んでたりするから、平安期がおかしいといえばおかしいんやな」
「前の時代の反発という要素もあるかも知れませんねえ」
「また、おもしろいのはな、現代でもストレートヘアの人ばっかりやないやろ」
「そりゃ癖毛、縮れ毛の人もいますよね。天然パーマの人だって身近にいますよ」
「そういう人も当然平安時代には存在したし、宮中へ出入りしてたりしたわけやなあ」
「……ってことは縮れ毛の垂髪? そ、そんな、考えられない……」
「あるんや、それが。当時はパーマだのパーマ液だのあるわけがない。多少は手入れしたやろうけど、自然には勝てんかったんやろうなあ。当時の絵巻にどう見ても縮れ毛の女房としか見えない絵があるんや」
「縮れ毛の平安美人……考えられない。な、なんかおかしい。うぷぷ」
「まあ、源氏物語の『末摘花』みたいに開けてびっくりたまげ箱ちゅうのもあるから、髪の毛で全て判断するのも空恐ろしいことなんやけどな」
「それがオチということでしょうか」
「たまにはまじめな話でしめくくろか」
4.結
「でもやっぱり小説のネタにはしないといけません」
「まじめやなあ。ほなやってみいや。でも難しいと思うぞ」
「まずは今の話で、剛毛縮れ毛の女房に苦労する女官物語?」
「平安時代に髪結いはないねん。お付きの人が苦労してたんやろなあ。脇役としてはおもろいけど、それを主役の話としてはインパクト少ないねん」
「やっぱり江戸時代ですか。そうですねえ、理容院のお姉ちゃんが主人公みたいな?」
「基本線やね。ちなみに今の理容院は髪結いといっとったみたいや。最初は男が結っとったけど、あまりの複雑化に音を上げて、女性が結うようになったんや。江戸時代の女性の専門職というのは髪結いか産婆ぐらいしかないんで、『髪結いの亭主』ちゅう、奥さんの収入で旦那が楽な暮らしをするヒモ呼ばわり的な言葉もあったらしいよ。複雑化ということでは毎年のようにスタイルブックが出て、それにさらにアレンジを加えるとかしたそうな」
「うええ、今のファッション雑誌と変わらないと言うことですか。時代背景が江戸時代なだけで現在と変わらないですね。苦労してヘアスタイル職人を目指すドジ娘の細腕繁盛記?」
「もっとひねらんとおもろないやん」
「理容院のお姉ちゃんが転生した先が髪結いのねえちゃんで、”今と全然かわらへんやん!”と叫ぶ」
「何で関西弁やねん。でも逆転の発想で面白いかも。最初は濃厚な人間関係に辟易してたのが、気がつくとすっかり馴染んでて心安らかになってんやな」
「現代はプライバシーが大切とはいいますけど、かえって独りぼっちで寂しいかもしれませんよね」
「そういやあな」
「へい?」
「髪結いで調べるとな、火消しを兼ねとった時期があるんやと」
「理容師さんが消防士なんですか!? それはまた」
「橋火消ちゅうて、粗末な店に飛び火の危険性があるって奉行所に言われた職人達が自分たちで火消しをすると申し出たそうや。それからは火事が起きたら奉行所に駆けつけるという」
「おおお、なんかおもしろそう。髪結いの姉ちゃんが半鐘が鳴るや否や、纏を手にして火消しのお姉ちゃんに変身。簪口にして『遊女さん達の生活はあたしが守る!』」
「馬鹿みたいやけど、おもろそうやね」
「そのお姉ちゃんは実は現代の女性消防士が転生したとしたら。江戸時代の知識と技術に悪戦苦闘しながら江戸の町を守るために悪戦苦闘。おお、なんか展開できそうですよ!」
「ドリがトリップ始めたところで、お時間となったようですー」
お後がよろしいようで、と退場の二人。
ちゃんちゃんすちゃらかちゃん。
まあ、髷の種類の多さとそれが身分証明になっていて、間違えようものなら村八分状態になってしまうという、そのあたりがおもしろ~っていうのが動機です。あとほんと、癖毛の女房絵には笑いましたよ~。他の女房が”|^^|”なのに、その人だけ”~**~”ですもん。