表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

第三話 鳳翼宮

 天翼衛てんよくえいの騎獣――蒼鷲あおわしは、辺境の村から都へ向けて風を裂く。


 機淵きえんは護衛の若い武官の背後にまたがり、革の手綱帯たづなおびに掴まっていた。

 蒼鷲が翼を一打ちするたびに高度が上がり、眼下に棚田と集落が豆粒ほどに縮んでいく。耳の奥で空気が詰まった。


 前に座る若い武官が、僅かに顔をしかめる。


「臭くて申し訳ないな。せっかくの新品なのに」

 獣脂と薬草と汗と、ついでに獣糞臭い中年男と密着せざるを得ない新米の不幸を、機淵は揶揄からかってやった。


「置いていってくれても構わないのだがね」

 武官がムキになって姿勢を正した。

「いえ。陛下より、貴殿を鳳翼宮ほうよくきゅうへお連れするようにと仰せつかっております」


「『お連れする』、ね」

 連行の間違いだろう。

 機淵は苦く笑い、それきり口を閉じた。


 蒼鷲の翼の下を、鳳国の山野が流れていく。

 連なる峻嶺の白い頂や深い谷筋を越えると、景色は平野に変わる。


 高度が落ち着き、風の唸りがおよそ収まった頃、機淵は前に座る若い武官の背に声を掛けた。


「陛下は、ああして頻繁に御巡幸なされるのか」

「左様でございます」

 武官は前を向いたまま、声に力を込めて答えた。


綱紀こうきの緩みをご憂慮なされ、公務の合間を縫って、各地の視察をお続けになっておられます」

「護衛する側も、骨が折れるな」

「臣の務めでございます」


 短く言い切って、武官は少し間を置いた。

「——新たな御代みよの国造りに、微力ながら携われること。この上ない光栄でございます」

「働きがいがあるものだ」


 平野はやがて河と街道の網目に縫われ、地平の果てまで続く鳳都の城壁に行き当たった。波濤はとうの如きかわらが連なる。


「……空から見下ろすのは、初めてだな……」

 乾いた唇から漏れた郷愁は、降下を始めた風圧に飛ばされた。


 機淵を乗せた蒼鷲は宮城の北端、飛行騎獣の発着場へと降りた。

 広い台地の四隅に風除けの石壁が立てられ、繋留けいりゅう用の鉄環てっかんが等間隔に並び、数頭の蒼鷲が翼を畳んで休んでいる。


 機淵が土へ降り立つと、控えていた一人の宦官かんがんが進み出て深く腰を折った。


「徐機淵殿。外廷がいてい客館きゃくかんへご案内いたします」

 護衛の武官に目礼を送り、先に立って歩き出す。

 機淵は蒼鷲の首筋を一度だけ軽く叩いてやってから、後を追った。


 客館へ続く漆喰壁しっくいかべの回廊は白く、長い。

 等間隔に並ぶ青磁の灯架に導かれ、塵も一片の雑草もなく磨かれた石畳を進む。

 鳳凰が宿る朱塗りの柱群ちゅうぐんと、涼音を鳴らす占風鐸せんふうたくの下を潜った。


「変わっていないな……」

 機淵は中庭へ視線をやる。


 剪定せんていの行き届いた庭木、掃き目が新しい砂利。

 水路は透き通り、底の玉砂利が日の光を弾いている。


 空位の五年間を経ても、宮廷はきちんと息をしていた。


「一つ、聞いても構わないか」

 機淵は、前を行く宦官の背に声を掛けた。


「何でございましょう」

「陛下は、どのようなお方だ」


 宦官は歩調を変えず、しかし僅かに背筋を伸ばした。


「大変真面目で、誠実なお方でございます」

「へえ」

「お若くていらっしゃいますが、志が高く、文武の臣いずれもが感服しております」

「鳳国の未来は明るいな」


 宮仕えの者に対する愚問だったかと、機淵は小さく口の端を上げた。


 やがて宦官は足を止め、客館の一室の前で扉を開いた。

「お召し替えのご用意と、お食事をお持ちいたします。今晩はこちらでお休みください」


 通された部屋は、この六年間で寝泊まりしたどの宿よりも清潔で広い。


 宦官が去ると、機淵はまず六年間着たきりの旅装を剥ぎ、用意された水で身を清めた。次に衣架いかに手を伸ばし、用意されていた蒼い絹織きのりの衣に袖を通す。


 やがて運ばれてきた膳には、粟飯と温かい汁物、蒸した鶏肉に青菜の和え物が並んでいた。旅暮らしの舌には上品すぎて味がしなかったが、遠慮なく平らげて箸を置く。


「やたらと丁重なもてなしだ。首をねる前の、最後の情けか?」

 思い浮かぶのは、腹立たしいほどに悪意のない丸顔の男、清徳せいとく


「あいつめ……」

 奴がいなければ、まだ「閑石かんせき」のままでいられたのに――喉まで上がった恨み言は、日暮れの鐘に打ち消された。



 翌朝。

 宦官に導かれ、機淵は控えの間へ通された。

 高い天井の広間の中央に、先客が一人。


「先輩! おはようございまぁす!!」


 白清徳が、待ちかねたように椅子から立ち上がった。

 宮仕えの正装に身を包み、昨日の汗だくの姿とは別人のようだが、丸顔に浮かぶ憎たらしいほどに人懐こい笑みは変わらない。


「やはり先輩は流しより、そういう方がお似合いで——」

「お前が余計なことを言うからだっっ」

 機淵は低い声で唸り、丸い両頬を左右に引っ張った。


「ひででででっ」

 清徳は丸い目を、さらに丸くした。


「だって神獣医長がずっと空席だっていうんですよ!? そりゃ先輩を推すのは後輩として当然じゃないですか!!?」

「その『先輩』が流しをやってるってんで、事情を慮れないのかお前はっ??」

「でも、でも、煌羽君、弱っているみたいで。早く医療体制を立て直さないと!!」


 機淵の手が止まった。


「おい、それを詳しく――」

「お静かに願います」


 廊下に控えていた宦官が、淡々とした声で釘を刺した。

 清徳が亀のように首を縮め、機淵は額を押さえる。


 しばしの沈黙の後、宦官が奥の扉を開いた。

「お二方、正殿へお進みください」


 いよいよか。

 柄にもなく機淵は唾を呑み、立ち上がる。


 回廊を抜け二重扉が開かれた向こう、正殿は控えの間とは比べものにならない広さだった。朱塗りの列柱が左右に並び、天井に描かれた極彩色の鳳凰が、来客を睥睨している。


 漂う薄い香の煙の奥、玉座に人影があった。


 機淵は足を止め、正殿の入口で深く一礼した。

 右手を左手で包み、胸の前に拳を据える。拱手の礼。

 一歩踏み出し、定められた位置まで進む。

 歩幅も速度も、宮中の作法に則ったものだ。


 玉座の前、立ち止まって機淵は両膝をつき、両手を石の床に置いた。

 額を手の甲に伏せ、深く叩頭する。


 清徳が半歩後ろで同じ姿勢を取った。

 玉座の方から、衣擦れの音。


「直答を許す。楽にせよ」

 村でも聞いたあの声だった。


「——徐機淵、御前に参じました」

 名乗り、機淵は額を上げる。

 正面に若き王がいた。


 深紅の袍に、金糸で鳳凰を刺繍した黒の外套を重ねている。

 冠に垂れる九旒きゅうりゅう玉簾たますだれの奥から、底の知れない静けさをたたえた眼光が機淵を見つめていた。


 玉座の背に、鸚鵡オウムほどの大きさの鳥が一羽、停まっている。

 赤金の羽の艶と、炎の色をした双眸は紛れもなく、鳳凰・煌羽こううの姿だ。


 煌羽は小首を傾げて機淵を一瞥し、それから王の横顔へ視線を戻した。


「其方のことは、麒国きこく白清徳はく・せいとく殿より聞き及んだ」

 王、至煌しこうの声が、列柱れっちゅうの間を静かに渡った。


「十年もの間、麒国にて霊獣医術と神獣医術を修めた後、異国の宮中においても実地の経験を積んだ、大変に優れた医師であると」


「……恐縮に存じます」

 機淵は視線を伏せた。


「また、先先代の天煌てんこう王もその才をお認めになったと——宰相さいしょうからも聞いておる。そうであろう」


 王が視線を右手に向けた。

 玉座の下、右前方に控える人物がゆっくりと頷いた。


 游恒志ゆう・こうし

 鳳国の宰相である。

 六十を少し過ぎた、目尻が穏やかに下がった柔和な印象の男だ。


「左様でございます、陛下」

 宰相は穏やかに応じると、袖の中から帳面を取り出し、玉座の傍へ進んで王に手渡した。


 王は受け取った帳面に目を通し始めた。

「鳳国のみならず、麒国の医学府においても極めて優秀な成績を修めている」


 王は帳面から目を離して、真っ直ぐに機淵を見た。


「知っての通り、鳳国では空位の時期が五年に及び、神獣医の席も長く空いたままであった。麒国より清徳殿を招き、急場をしのいできたのが現状である」


 王の目が、ちらと機淵の後方へ向いた。

「清徳殿には、引き続き世話になる」

 機淵の斜め後ろで、清徳が勢いよく頭を垂れた気配がした。


 一呼吸置いて、王は続ける。

徐機淵じょ・きえん其方そなたには宮中に入り、神獣医として仕えてもらいたい」


 正殿に、沈黙が落ちた。

 清徳がそわそわと、斜め後ろから機淵の横顔を伺っている。


「……恐れながら、申し上げます」

 機淵は頭を下げ、額を床に近づけた。


「私のような科人とがにんの子が、そのように勿体ないお言葉をいただくわけには参りません」


 正殿の空気が、わずかに濁った。


「科人の子?」

 王の声に、初めて僅かな硬さが混じった。

 眉の間に浅い皺が刻まれ、視線が機淵から外れて宰相へ向けられる。


 聞いていない、と、その目が語っていた。


「機淵殿。お父上のことは――」

 宰相が半歩前に出た。

 穏やかな声音は崩さないが、言葉を選ぶ間が空いた。


「まことに気の毒であった」

 宰相は息を整え、続けた。


「父君は、神獣医長にまで上り詰めた御仁。先代王の崩御に疑念を抱いた一部の狼藉者らが起こした騒ぎに、巻き込まれてしまったに過ぎぬ。まして、科人などと」

「お言葉ですが」


 返す機淵の声の芯は、硬い。


「その事実だけで大いなる不敬でございます。私が宮廷を汚すわけには」

「心配はいらぬ」

 宰相は穏やかに、遮った。


「陛下の御即位に伴い、恩赦の布告がなされた。冤罪の疑いある者については改めて吟味が行われ、名誉はすでに回復されておる。其方の父君、徐翰林殿への疑いは、とうに晴れているのだ」


 機淵の指先が、石の床の上で僅かに震えた。


「うわぁ! 先輩、良かったですねえ!!」

 背後から、底抜けに呑気な声が弾けた。

「ご事情はよく存じ上げませんが、これで心置きなくご復帰できますね!」


 いいからお前は黙っていろ――機淵が首だけで振り返り、清徳を睨んだ。


「ひっ」

 清徳は涙目で口を塞いだ。


 正殿に、場違いな沈黙が駆け抜ける。

 宰相が咳払いを一つ。

 列柱の影に控える宦官らは、脂汗を浮かべて天井を見上げている。


 若き王だけが、表情を変えなかった。


「徐機淵」

 ゆるりと立ち上がる。

 九旒の玉の奥で、瞳に底冷えのする光が宿った。


其方そなたに、否と言う権があるか」

 声は低く、抗いの一切を押さえつける圧をはらんでいた。


「……」

 機淵は口を噤み、再び頭を低く下げる。


 玉座から、衣擦れの代わりに羽音がした。

 瞬間、正殿の空気が一気に熱を帯びる。


「!?」

 思わず顔を上げた機淵の視界で、鸚鵡大であった煌羽の小さな体が、膨れ上がって光を放った。瞬く間に巨大な翼へと還り、片翼だけで玉座ごと王を覆い尽くす姿が顕現けんげんする。


煌羽こうう?」

 王の、微量な戸惑いを含んだ声。


 翼を一度、二度、大きく振りながら、神獣は玉座の階段を降りた。

 白檀びゃくだんの香が、熱風に散る。


 道を空ける宰相や武官、宦官らを通りすぎ、王の神獣は機淵の目前で足を止めた。


「な――っいで!」

 ごつっ、と頑固な音が正殿に響く。

 機淵の脳天に、黄金のくちばしが振り下ろされたのだ。

 鳳凰は炎の双眸で、機淵を真上から見下ろす。


「え――」

 ごつっ。

 二度目。


 後頭部の衝撃で前のめりになった機淵の背中に、追い討ちのように三槌目。


「……っ」

 頭を押さえて起き上がる。

 真上で金槌が四発目を振り下ろそうと、待ち構えていた。


 焔色の、丸く深い瞳がぎょろりと機淵を真上から射竦める。

 機淵の目から、一瞬だけ惑いが消えた。

「……濁り」

 瞳の奥に、ほんの僅か——。


 機淵は弾かれたように両膝を揃え、石の床に手をついて額を伏せた。

「っ、謹んでお受けいたします!」

 嘴が落ちてくることはなかった。


「徐機淵」

 王は玉座の前に立ったまま、表情を崩さなかった。

「鳳国神獣医長の位を授ける。本日をもって、其方に天鳳てんほうの診療の一切を、ゆだねる」


 一拍、間を置いて。


 いつの間にか再び鸚鵡オウム大に姿を戻した鳳凰が、王の肩で一声鳴いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ