お出かけ
「予定ではアイシャと2人でデートのつもりだったんだが」
「そんなわけないでしょう。アイシャは何も思い出せていないんです。外に出るなら護衛はつけます。それに僕との付き合いのほうが長いです。街に一緒に行くなら僕と行って何か思い出す可能性が高いでしょう」
「ロイナーとの思いでなら覚えている範囲だろう。アイシャが覚えていないのは俺との思い出だ。思い出すべき記憶のきっかけは俺の方が適任だと思う」
揺れる馬車の中でアレスとロイナーの言い合いを聞きながら、アイシャは窓の外を見ていた。
今日はエリストン侯爵家を出て街に行ってみることになった。
アイシャの見た目は目立つため茶髪のウィッグにメガネで隠すことになった。メガネはアイシャの瞳の色を隠すだけではなく、認識を変えてくれる魔道具になっている。とても貴重な物なのでつけていいのか迷ったアイシャだったが、絶対にとってはいけないと念を押されてかけることになった。
魔道具自体が貴重なのに、さすが侯爵家というべきだろう。
「お2人は随分と仲が良いのですね」
アイシャの記憶の中で2人が一緒にいることはなかった。女神の代理人に選ばれてアレスが侯爵家を訪れたらしいが、その記憶がない。親しく話している2人が新鮮に見えるのだ。
アレスは侯爵家で半年アイシャと一緒に暮らしたそうだが、その時にいろいろと話をしたりして親交を深めていった。その時にロイナーもアレスと接触することが多かったのだろう。
「殿下とは学園時代からの付き合いになる。とはいえ、学園では顔を合わせれば挨拶をする程度で、友人としての付き合いはないに等しかった」
ロイナーは一時期王都の貴族が通う学園にいた。アレスとは同じ年ということでお互いに顔を合わせる機会はあったらしい。アイシャは平民なので学園に行くことはなく、ロイナーがどんな学園生活を送っていたのか知らなかった。
「親しくなったのはアイシャが眠っている間だった」
それならアイシャが何も知らなくても仕方がない。
「アイシャが眠りについてから、ロイが俺の側近として仕事を手伝ってくれるようになった」
「ある種の監視の意味もあったけどね」
「え?」
アレスの説明にロイナーが小さな声で呟くように言ったため、アイシャは上手く聞き取れなかった。
「何でもない。とにかく、殿下の仕事を手伝う部下という立場になったけど、ただ言われた仕事をこなしているだけじゃなく口を挟める立場でもあるんだよ」
アレスの側近の1人としてロイナーは王城で働いているのだ。
「お城の仕事は大変なの?」
アイシャも王都に行っていたが、その時の記憶がないため城の中がどういった場所なのか、どんな生活をしているのかわからなくて気になった。
「僕は城に住んでいるわけじゃないよ。王都にエリストン侯爵家の屋敷があるから、そこから毎日通って殿下の仕事の手伝いをしている」
「王都にもお屋敷があるのね」
「アイシャも行っているよ」
エリストン侯爵家の屋敷となると立派なものが王都にあるのだろうと思っていたら、ロイナーがアイシャも王都に行ったときに屋敷へ行ったことがあると言ってきた。だが、その記憶はなかった。
「王都に行ったらもう一度屋敷の案内をしてあげるよ。そうしたら何か思い出すこともあるかもしれない」
全く想像がつかないアイシャに、ロイナーは初めて屋敷を訪れた時のことを思い出したのか、懐かしむように言ってきた。
一度経験していることをもう一度同じように繰り返すことで思い出せることがあるかもしれないし、思い出せない可能性もある。
アイシャは曖昧に頷くだけにした。
「どうやら目的の店に到着したようだ」
話をしている間に目的地にたどり着いたようで、馬車がゆっくりと停止した。
アイシャは今日どこに連れていかれるのか聞いていなかった。街に一緒に行くということだけを聞かされて、アレスとロイナーに付いていくだけなのだ。女神の代理人になる前の記憶はアイシャの中にしっかりとあるため、街の中はよくわかっていた。3年で大きく変わったことがなければ記憶通りの街並みのはずだ。
馬車移動の途中で窓から街を眺めていたが、変わったものがあったようには見えなかった。それでも、アレスたちは行き先を言わないまま馬車に揺られていたのだ。
ロイナーが先に降りていき、アレスが続くとすぐに振り返って手を差し出してきた。
アイシャを貴族令嬢としてエスコートしてくれるようだが、平民だった時の記憶しかないアイシャにとって差し出された手は違和感しかなかった。
その手がなければ何も気にすることなく自分で馬車を降りるつもりでいたのだ。
「あ、ありがとうございます」
ここは手を借りて降りなければいけないのだろう。恐る恐るといった動きでアレスの手を借りて馬車を降りた。その様子にアレスは苦笑していたが特に何も言わなかった。
「今日は貸し切りにしてもらっているから、ゆっくり買い物ができるだろう」
先に降りて行ったロイナーが店の中に入るとすぐに出てきて店に入るように促してきた。
「貸し切り?」
アイシャは店を見上げて、そこに掲げられているドレスの看板にぽかんとすることになった。
確実に貴族の夫人や令嬢が入るべき店構え。窓から見える店の中には色とりどりのドレスが並べられているのがわかる。
場違いなのではと思ったアイシャだったが、侯爵令嬢になったアイシャも入る権利はあった。平民の記憶しかないため、店の扉を潜ってはいけないように感じてしまっていたのだ。
「ほら、今日は半分だけ選ぶことになっている」
「半分?」
「本当は母さんが一緒に来て選びたかったと言っていたけど、半分だけなら殿下に譲ると言って妥協してくれたんだ。だから、今日は今必要な物を選ぶぞ」
エレナも一緒に街に行きたいと言っていたことを思い出す。ドレスも流行が過ぎ去ったものばかりだったので買い替える予定になっていた。
「必要な物ってどれくらいかしら?」
貴族の基準がわからないアイシャがロイナーに促されながら店に入って尋ねると、彼は口元に笑みを浮かべた。
「クローゼットの中を見ただろう。あれはアイシャがエリストン侯爵令嬢になったときに揃えたものだ。あれくらいは揃えないと」
アイシャの部屋には続き部屋になってクローゼットがある。その部屋にはドレス以外にも宝飾品なども揃えられていたが、ドレスだけでも相当あったように思う。
「今回は半分だから、クローゼットの中にある半分の量を選ぶことになるな」
ロイナーが当たり前のように言ってきたが、アイシャはドレスの量を思い出して眩暈がしそうだった。平民の感覚でドレス1着だけでも夢見るような代物なのに、それを何着も用意することになる。アイシャの知らない世界が広がっているようだった。
だが、アイシャは記憶がないだけで、3年前にそれを当たり前のように受け入れて買い物をしていたのかもしれない。そう考えると、ここで気圧されていてはいけないのだと思いなおすことにした。
「頑張って選ばないと」
「そんなに気合を入れる必要はない。店主が対応してくれるはずだし、ドレスの中から気に入ったものを選ぶだけでいい」
気合を入れていると、隣に立っていたアレスが肩の力を抜くように言ってきた。デザインからドレスの仕立てをするのではなく、すでに作られたドレスの中から気に入ったものを選ぶだけ。アイシャに課せられた使命は簡単なものなのだ。
「ドレスを選んだ記憶がないので、簡単に選べる気がしません」
それが今のアイシャの感覚なのだ。
「だからこそ俺たちがいると思えばいい。君に似合うものを一緒に選ぶから」
「殿下の好みだけを押し付けるようなことだけはしないでくださいよ」
「それは、まぁ・・・アイシャに似合えば問題ないのでは?」
アレスは気に入ったドレスを選ぶつもりでいたのかもしれない。視線を泳がせるアレスに、ロイナーが呆れたようにため息をついていた。
そんな会話にアイシャがくすりと笑うと、いつの間にか肩の力が抜けていた。
気負う必要はないのだ。それに、せっかく外に連れ出してくれた貴重な時間だ。今はドレスを選ぶことになるが楽しむことも忘れてはいけない。
「素敵な物を選びましょう」
そう言って、アイシャは色とりどりのドレスを眺めてから2人を促すようにドレス選びを始めるのだった。




